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池上彰も隠す、ロッキード事件の真相は ?
中曽根元首相の証言 ! 「ロッキード事件は米国の陰謀」だ !
T 池上彰3時間スペシャル、戦後70年、キーワードで比べてひも解く日本 !
(blog.livedoor.jp:✿2015年03月31日より抜粋・転載)
高度成長の時代、日本はなぜあれほどまでに景気が良かったの ?
バブル時代とは一体何が違う ? また好景気が日本にやってくることは・・・?
学生運動、どうして学生たちはあれほどまでに熱かった?
池上彰が時代を彩る「キーワード」を元にわかりやすく解説します !
◇ネット社会◇、◇戦後復興◇、◇高度経済成長◇、◇過激派◇、◇日中関係◇
ほか、『身代金目的の誘拐事件』、『バブル』、『政治とカネ』・ロッキード事件
などのキーワードで戦後70年をひも解いていく。
U 中曽根元首相の証言 !
「ロッキード事件は米国の陰謀」だ !
(世川行介):http://www.asyura2.com/より抜粋・転載
投稿者 内田良平 日時 2011 年 11 月 05 日 07:57:35: ce8lhuPxZ7s6.
☆中曽根康弘元首相のロッキード事件私見
僕は、「今回の小沢一郎事件と三十五年前の
ロッキード事件とはよく似ている」、
と思っているわけだが、その理由を書くことにする。
三十数年前、マスコミは、「ロッキード事件は、この国の総理大臣までからんだ一大汚職事件だ」と書き立て、マスコミに誘導された、世論の支持をうけた、検東京地検特捜部は、田中角栄を逮捕した。田中角栄は、マスコミから「悪の権化」のように指弾され、政界での力を失ない、子飼いの議員たちからそむかれ、病にたおれ、失意のうちに政界を去った。
☆定説:ロッキード事件は、“本当は、米国の陰謀”
であって、田中角栄は、その犠牲者 !
しかし、三十数年経った現在では、あれほど大騒ぎになったロッキード事件に関して、
「“本当は、米国の陰謀”であって、田中角栄は、その犠牲者であった」というのが
定説になりつつある。
裁判所が一審から二審で出した判決とは、まったく異なる内容の説だ。
こうした、「米国政府」がらみの事件は、半永久的に、その真実が、日本国民の前に明かされる
ことはないわけだから、政府や裁判所やマスコミが、「いや、たしかに、あの汚職事件は存在した」と言い張りつづけたら、おおくの国民は、それを信じていくことだろう。
つまり、すべては「藪の中」のままで、「戦後歴史の闇」として葬り去られることだろう。
ここに、一つの文章がある。
元首相で、田中角栄と同時代を生き抜き、今は、数少ない戦後昭和政治の生き証人となった、
中曽根康弘が書いたものだ。彼は、当時をふり返ってこう述べている。
☆日本の国益のため、田中角栄独自の資源獲得外交を展開した事が、米国の怒りを買った !
「田中内閣が発足して二年目の、一九七三年秋、第四次中東戦争をきっかけとしてオイル・ショックが起こる。
ペルシャ湾岸の石油産出国六カ国は石油価格を二十一%引き上げ、OAPEC十ヵ国石油担当相会議が五%の生産削減とアメリカなどイスラエル支持国(アラブ非友好国)に対する石油輸出禁止を決めた。
仮に日本への石油輸出が毎月五%削減された場合、日本経済は、翌年三月には立ち行かなくなることが目に見えていた。」
「オイル・ショックの頃から、田中君は、“日本独自の石油資源外交”に積極的な姿勢を
取り、アラブ諸国から日本が直に買い付けてくる「日の丸石油」にまで色気を見せていた。
さらに、渡欧の際には、英国の北海油田からも日本に原油を入れたいと発言し、ソ連・
ムルマンスクの天然ガスにも関心を示して、独自の資源獲得外交を展開しようとした。
これが、「アメリカの虎の尾を踏む」ことになったと、私は想像する。
☆石油メジャーの絶大な力で、「ロッキード事件」を起こした !
世界を支配している石油メジャーの力は絶大である。
いささか冒険主義的だった、田中君の資源外交戦略が淵源となり、「ロッキード事件」が起こったのではないかと考えることがある。」「田中君が逮捕されてから間もなく、日本を訪れたキッシンジャー氏と二人きりで話していた折のことである。
キッシンジャー氏は、「ロッキード事件は、間違いだった。あれはやりすぎだったと思う」と、密かに私に言ったことがある。
キッシンジャー氏は事件の本質、真相をおそらく知っていたに違いない。」
(「私と角栄氏とキッシンジャーの言葉」 中曽根康弘)
☆ロッキード事件は、陰謀(=でっちあげ)で、田中角栄は無罪であった !
ここで、中曽根康弘元首相が、ことばを慎重に選びながら語っているのは、
「ロッキード事件は、石油メジャー=米国政府の意向を無視して、独自の
石油獲得外交をおしすすめた田中角栄首相に対する石油メジャー=
米国政府からの報復であり、事件そのものは、陰謀(=でっちあげ)だった気がする。
それは、当時米国政府の中枢にいたキッシンジャー大統領補佐官も認めている。
つまり、田中角栄は無罪であった」ということだ。
元首相で、「戦後政界の元老」といってもいい人物が、被告人田中角栄が、控訴中に死亡し、審理中止になったとはいえ、一審二審では判決の出ている事件に関して、そう軽々しいことを言うはずもない。
きっと、老いを意識した、中曽根康弘の胸中に、「自分が、今のうちに真実を語っておかなければ」という政治家としての使命感と、おなじ戦後昭和政界を生きながら、無念の最後を迎えた、同い年の田中角栄に対する、友情に似た思い、があったに違いない。
☆日本の法律にない、「米国の免責証言」を証拠として
田中先生を有罪にしたことがまちがい !
また、田中角栄の最後の秘書である、朝賀昭は、「ロッキード裁判で、免責証言の採用という制度は日本の法律にはないのに、米国の免責証言を証拠として採用して田中先生を有罪にしたことがまちがいだった」、と言う。
ロッキード副会長コーチャンや元東京駐在事務所代表クラッターといった米国実業界要人を日本で起訴できる可能性がないことと、米国で公正な手続で尋問がおこなわれたことを理由として、日本でははじめて、起訴されずに嘱託証人尋問調書が作成されたのだが、東京地裁は、「合理的理由があり適法である」として証拠採用した。
これは日本の司法制度にない「司法取引」であり、弁護側は反対尋問さえできなかった。
朝賀昭が、言っているのはその点で、「はたして、免責を保証された証言が信じるに値するものなのか」、「反対尋問もできない証言の採用はおかしいのではないのか」、との疑問は、国民のおおくも同様の思いだったから、裁判の進行状況とは関係なく、
「ひょっとしたら、ロッキード事件は、なにがなんでも田中角栄を有罪にするために
ねつ造された事件ではなかったのか?」という疑いを国民に与えつづけた。
(ただ、丸紅ルートの最高裁では、「共犯者に刑事免責を与えたうえで得た供述を事実認定にもちいる司法取引という制度を日本の法律は想定していない」として、コーチャンとクラッターの嘱託証人尋問調書の証拠能力を否定した。)
これに関して、井上正治は、著書『田中角栄は無罪である』で、つぎのように述べている。
☆司法行政の名で最高裁が下級裁判所に指示をすることは、重大な勇み足 !
「裁判というものは、いつでも検察官とはっきり一線を画していなければならないことは当然である。
だが、そうしたことさえ、ロッキード事件では通らなくなっている。
ここに、私は司法権力の”権力化”を指摘せざるをえないのである。」
「あの、最高裁の免責宣明は、当時の藤林長官によれば、司法行政の一つとしてなされたということだ。」
「しかし、それは最高裁としては、でしゃばった、おせっかいだったと言わなくてはならない。」
「具体的な事件を目の前にして、最高裁が下級裁判所に対し、いくら環境作りであれ、司法行政の名において何かをすると言うことは、下を拘束するはずのものであり、」
「司法行政の名で最高裁が下級裁判所に向かって一定の指示をするというようなことは、重大な勇み足をしたことになる。
いまさら大津事件を引用するまでもないが、最高裁こそ、検察官に対して厳しい一線を画しておかなければならなかった。」
☆ロッキード事件が、今も国民に司法への疑念をいだかせた事件 !
「最高裁の強いバックアップで、やっとコーチャン等の証言を書き取った調書が、日本に渡ってきた時、日本の裁判所は、この最高裁のこのバックアップに目がくらみ、その調書を簡単に証拠として採用してしまうことになるのである.現に東京地裁は、その証拠能力を否定する勇気をどこにももちあわせなかった。」
ここで井上正治が言っているのは、訴える側の検察と、裁く側の裁判所とのあいだに、「身内意識」や「精神的な癒着」があってはならない、という一点だ。
つまり、そうしたものが生じるということは、「司法側に、何らかの理由があって、ことのはじめに、田中角栄を有罪にせよ、という結論があってのことではないのか」という疑問の提出だ。
仮に、中曽根康弘元首相の言葉にもとづいて、米国政府からの強い要請があったため、どうしても田中角栄を有罪にしなくてはならなかった、という理由をベースにして見つめ直したら、ロッキード事件は、これまでとはまったく違った姿を見せてくる。
ここにロッキード事件が、いまも国民に司法への疑念をいだかせた事件として記憶に残らざるをえない理由がある。
田中角栄の人気は、戦後政治家のなかでは抜群に高い !
もし、ロッキード事件の真相が、中曽根康弘元首相の示唆するとおりだったとしたら、田中角栄の後半生とは、いったい何だったのだろう。
☆ロッキード事件とは別に、平成の現在、田中角栄
の人気は、戦後政治家のなかでは抜群に高い !
「歴史に残る政治家」とか、「好きな戦後政治家」といったいろいろなアンケートでも、そのことは証明されている。
しかし、人としてこの世に生れおち、政治家としての<理想>に燃えてまい進し、総理大臣にまでなって、やっと、これから日本を改革するんだと意気込んだ矢先、自国の利権を最優先する、「米国の意向」によって、身に覚えのない容疑で逮捕され、刑事被告人にさせられ、政界での影響力をそぎ落とされ、子分議員たちにそむかれ、病にたおれ、政界引退を余儀なくされて、失意のうちに死ぬ。
それから三〇年も経ってから、「ロッキード事件はあったけど、人気度ナンバーワンの政治家だ」という言われ方で賞讃されて、これであの世の田中角栄は満足なのだろうか ?
そんなわけがない。
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