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安倍首相: 「在日米軍再編は予定通りに」沖縄の「民意無視」体質を
米国参謀議長と会談で強調 !
翁長知事とは面会拒否、予算は減額、新基地建設は、ゴリ押し、これはもう沖縄いじめ !
沖縄・座間味「集団自決」から70年
T 安倍首相: 「在日米軍再編は予定通りに」米参謀議長と会談
(www.cybozu.net > 毎日jp :2015年03月25日 より抜粋・転載)
デンプシー米統合参謀本部議長(左)の表敬訪問を受け握手を交わす安倍晋三首相=首相官邸で2015年3月25日午後6時9分、梅村直承撮影
安倍晋三首相は25日、米軍制服組トップのデンプシー統合参謀本部議長と首相官邸で会談し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設について「移設をはじめとする在日米軍再編について、予定通りに作業を進めていく」と述べた。
同県の翁長雄志知事は沖縄防衛局に移設作業の停止を指示したが、これに応じず事業を推進する意向を明示した。
首相は4月末からの訪米について「日米同盟がアジア太平洋地域の平和と安定のために主導的な役割を果たすというメッセージを出したい」と強調。
デンプシー氏は「オバマ米大統領から訪米を楽しみにしているとのメッセージを預かっている」と語った。
一方、海洋進出を活発化する中国を念頭に「安全保障環境が複雑化する中、素晴らしい姿勢で対処している」と安倍内閣の安全保障法制の整備を評価。日米防衛協力指針(ガイドライン)改定も「よりよい日米の協力関係が築ける」と述べた。
デンプシー氏はこれに先立ち、中谷元(げん)防衛相と会談。中谷氏は「(辺野古への)移設作業は着実に進める方針にいささかも揺るぎはない」と述べ、デンプシー氏も「大変重要な事業であり、取り組みに感謝したい」と支持した。
デンプシー氏は自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長との相互訪問の一環で訪日。
河野氏とも会談し「戦後70年の節目の年が、力強い日米関係を象徴する歴史的な年になる」との認識で一致した。【飼手勇介】
2015年03月25日 21時52分
U 特集ワイド:いかがなものかこれはもう沖縄いじめ !
翁長知事とは面会拒否、予算は減額、新基地建設はゴリ押し
(毎日新聞:2015年3月27日(金)より抜粋・転載)
安倍晋三政権による、沖縄県へのつれない態度に、怒りの声が上がっている。
安倍首相や菅義偉官房長官は、政府が進める米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する翁長雄志(おながたけし)知事とは面会せず、民意を逆なでするかのような予算案を決める。これは「沖縄いじめ」ではないのか。【樋口淳也】
V 沖縄・座間味「集団自決」から70年
(wantonのブログ:2015-03-26 より抜粋・転載)
3月26日で、ちょうど70年目にあたります。
自決拒否した多くの人の後頭部に、日本兵の銃弾跡があったと聞いた・・・
今の日本政府は、沖縄知事や市長、そして、沖縄県民の新基地反対8割の尊い意思を馬鹿にしながら足蹴にして踏みにじる。
やっている事は、70年前も、そして、今も、本質的には、何も変わっていない・・・
沖縄の集団自決には、伏線があった。
http://ameblo.jp/64152966/entry-11534665344.html
これを知らなければ、真相を知ることは叶わない。全ては、闇から闇へと葬られた・・・
非道な権力者達の都合のよいように。
沖縄の尊い意思を踏みにじることは、日本国民の不戦への想いを踏みにじることにも繋がる。
多くの国民に、早く、その事に気づいて欲しいと願って止まない。
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2015年3月26日
座間味の「集団自決」から70年 - 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-240922-storytopic-1.html
海岸線を覆うように連なり、島に近づく米軍艦。
座間味村慶留間の集落近くの防空壕に祖母、2人の姉と共に隠れていた中村茂さん(85)
=当時15歳=は1945年3月26日朝、海上の異様な光景に息をのんだ。
戦車揚陸艦の前方が開き、中から海上に出た水陸両用戦車が次々と上陸し始めた。
中村さんと家族が山へ避難し、ウンザガーラ横の壕に逃げ込むと、すでに多くの住民がいた。壕に身を隠したが、米兵がすぐ近くまで迫っていた。
再び山に逃げ込んだが、祖母のウトさん、六つ上の姉・八重子さんを見失った。
中村さんは三つ上の姉・照子さんや住民らと山をさまよい、山頂のサーバルで横穴を見つけた。
入り口には首を絞め合った3、4人の死体が横たわり、顔はぱんぱんに腫れていた。
「集団自決」(強制集団死)が起きていた。
「私たちも早く死なないと」。住民らはふらふらと歩き出し、別の防空壕を見つけた。
「ここで死のう」親たちが次々に自分の子を手に掛け始めた。
照子さんが「茂、早く絞めて」と自分の首を絞めるようせがんだ。
中村さんは言われるまま、姉の首をひもで絞めた。
「嫌だ、怖いと思う余裕もなかった。ただ早く殺して、自分も死にたかった」
あまりの苦しさに、照子さんは自分でひもを外そうとしたが、何度も絞め直した。
照子さんが倒れると、中村さんは自分の首をひもで絞めた。
意識が遠のく中、まだ生きていた照子さんに「まだよ、待って」と揺り動かされ、意識を取り戻した。
「これでは死ねない」と照子さんと共に再び山中に戻り、八重子さんやウトさんと再会した。
家族や住民と山中をさまよう中、島北側の崖に行き着いた。
眼下の海には、米軍艦。「生き残ったのは自分たちだけだ。ここが死に場所だ」。
クバの葉をちぎって結び、木の枝にくくって首を掛け、足を滑らせようとした、その時だった。
「待て、待て」という声が聞こえた。現れた年配の女性が「ほかの人も生きている。
捕虜になっても殺されない」と教えてくれた。
極度に追い詰められた当時の心情を「米軍に捕まったら男は殺され、女は乱暴される、
米軍に捕まる前に死ぬもんだとしか考えていなかった」と振り返る。
中村さんはモデル・知花くららさん(32)の祖父だ。
「孫にはまだ、戦争体験を詳しく話していない。でも生き延びたから、子や孫がいる。
捕虜になって初めて思えたことだが生きててよかった」とかみしめるように言った。
◇ ◇
1945年3月26日、座間味島などに米軍が上陸した。
座間味では同日、渡嘉敷では28日に「集団自決」(強制集団死)が発生。
県内の他の地域でも起きた。
70年前の悲劇を思い起こし、体験者が減りゆく中どのように記憶を継承していくかを考える。
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大東亜戦争 ひめゆり部隊 沖縄戦 Himeyuri
https://www.youtube.com/watch?v=Vhg_SBGKgz8
戦争に行ったアメリカ兵の告発 !「本当の敵は、アメリカ国内にいた!」
(「戦争は儲かる!」by アメリカ)
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