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中国外相、安部首相・70年談話を念頭にけん制 !  戦前の日本が、無謀な戦争をおこした理由は ?
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/3737.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2015 年 3 月 12 日 23:00:53: jobfXtD4sqUBk
 


    「日本は再び良識失うな」、中国外相、安部首相・70年談話を念頭にけん制 !

戦前の日本が、無謀な戦争をおこした理由は ?


日中戦争・太平洋戦争とその被害

T 中国の王毅外相、
70年談話を念頭にけん制 !

(東京新聞 TOKYO WEB:2015年3月9日 朝刊より抜粋・転載)

「加害者が責任を忘れずにいてこそ、
被害者は、受けた傷を癒やすことができる」

 【北京=佐藤大】中国の王毅外相は八日、開会中の全国人民代表大会(全人代=国会に相当)に合わせて記者会見を開き、「七十年前、戦争に敗れた日本が、七十年後、再び良識を失うべきではない。歴史の重荷を背負い続けるか、過去と決別するかは、日本が自ら選択しなければならない」と、歴史問題で日本をけん制した。 
 安倍晋三首相が夏に出す戦後七十年談話を念頭に置いた発言とみられる。王氏は「加害者が責任を忘れずにいてこそ、被害者は受けた傷を癒やすことができる」という過去の外交官の言葉を引用し、「この言葉は人と人が付き合う際の道理であり、歴史問題に向き合う正確な態度でもある。
日本の為政者はこの問題にどのように対処するか、まず胸に手を当てて自問してほしい」と主張した。
 今年九月三日に予定されている「抗日戦争勝利七十周年」の軍事パレード(閲兵式)を開催する目的については「歴史を深く刻み、烈士を追悼し、平和を大事にし、未来を切り開くためだ」と強調。
「すべての関係国の指導者と国際機関を招待する予定で、誰であれ誠意さえあれば、われわれは歓迎する」と述べ、安倍首相も招待する可能性を示唆した。
 王氏は昨年の全人代での会見で沖縄県・尖閣諸島をめぐる日中の対立に触れたが、今年は言及しなかった。

U 戦前の日本が、無謀な戦争を
おこした理由 ?

明治の元勲・帝国権力者・自民党、

売国者が支配していた百数十年の実態 !!


―部下には、特攻隊で出撃し、死んで来いと命令し、捕虜になるより、自決せよと命令した、
指導者が、自分たちは、戦犯として入獄しても、自決しないどころか、米国隷属を約束させられて、出獄・復活して、平然と、売国奴となって国民を収奪する特権階級として、居座っている。

その売国奴が、世襲されている、自民党・
官僚・大マスコミの源流・正体である。

特攻隊による戦死者は、1万4000人超、沖縄戦だけでも、住民死者:9万4000人超、

自決者:1000人超である。日本人死者:400万人超、アジア諸国死者:3千万人超

あの無謀な大東亜戦争を計画・実行した指導者がA級戦犯達であり、復活した売国奴が、自民党・官僚・大マスコミの源流・正体である―


V 旧日本軍部の中枢=A級戦犯等が売国者

=米国の子分では勝てる訳がない !  
   
  「大本営陸海軍発表。帝国陸海軍は本日未明、西大平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり」――昭和16年(1941年)12月8日、早朝ラジオの臨時ニュースは日本が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入したことを報じた。

  日本はこの日より国家滅亡への道をひた走りに進んでいくのである。
日本が米英を相手に戦いを始めたことは、大局的かつ戦略的な失敗であった。

だが、はたして当時の日本に他の選択肢があったかと言えば、それはなかったとしか言いようがない。

  明治以来、日本はアジア諸国を決して友邦として扱ってこなかったのみならず、アジア人を一段低いものとして「蔑視」すらしてきた。
中国や朝鮮と連帯するどころか、植民地支配を続け、抗日、侮日のナショナリズムを
高揚させたのである。

“日本はアジアの中で孤立し、ABCD(米・英・中・蘭)包囲網によって経済的に
追いつめられ”ていった。

  日本が描いた「大東亜共栄圈」の夢もアジア諸国の理解を得られたものではなく、「日本が西欧植民地にとって代わる」というスローガンでしかなかった。

満州事変を正当化した「王道楽土」の建設も、結局中国人には通用しなかったのである。太平洋戦争はまさに「清水の舞台から飛び降りた」(東条英機)ものであった。
  だが、太平洋戦争が勃発せざるを得なかったのは、日本を戦争にひきずり込む、「数々の歴史の罠」と歯車が存在したからである。

  “太平洋戦争は海軍が主体の戦争”であった。アメリカを相手に戦って日本が勝つ見込みはほとんどなかったが、日本側にもし本来の高度な戦略とそれを実行する優秀かつ愛国心に燃えた将官がいれば、戦局は大いに違ったものとなっていただろう。

  “日本帝国海軍の中枢は「欧米派」で色どられ、その内の主要な人物はユダヤ・フリーメーソン”ですらあった。このため日本の海軍はあらゆる太平洋上の戦闘で不可思議な動きを
する。

“それは、敵に手ごころを加え、まるで負けることを目的としたかの如き戦いぶり”であった。
  また陸軍についても同様のことが言えた。大本営参謀本部の高級参謀たちはつねに「無謀極まる作戦計画」を立てては日本軍に多大な損害を与え、多くの将兵を失う結果を招来した。

  陸軍参謀本部といえば陸軍大学を優秀な成績で卒業したエリート中のエリートである。その彼らが、まるで痴呆のように拙劣な作戦を立案してはそれを強行し、日本軍に取り返しのつかない打撃を与え続けたのである。

  “参謀本部のエリートたちもやはり日本を敗北に導くために「世界支配層」によって
操られた者たち”であったのだ。
彼らの一部は“ユダヤ・フリーメーソンであり、またその一部はソ連と通謀した共産分子”
であった。

国家としてあろうことか、日本はこのような「売国的戦争指導者たち」によって太平洋戦争を戦わなければならなかったのである。

太平洋戦争は大きく分けると4つの局面で展開していく。それは「開戦・進攻」、「戦局反転」、「特攻・玉砕」、「斜陽・終戦」である。そしてそれぞれの局面で日本軍はいつも決定的な失策を犯し、戦局は暗転していくが、その失策を犯す人間は「ある特定の人物」であり、その人物の指導により日本軍は決まって壊滅的な打撃を受けるのである。


戦略や作戦に携った司令官や参謀たちの多くが無能であったという以上に、「敵と密通」し
日本が敗北することを望んだ奸たちがいた”からに他ならない。

日本は戦う前にすでに敗れていたのである。

(参考資料)


T 日中戦争とその被害


(ウイキペディアより抜粋・転載)

戦争:日中戦争/支那事変(1941年12月12日より太平洋戦争(大東亜戦争)の一部[1]となる)

年月日:1937年7月7日から1945年9月9日

場所:中国(内蒙古・華北・華中・華南)、ビルマの他、

華僑勢力のいるアジア各地

結果:中華民国と連合国の勝利。日本降伏文書に調印、第二次世界大戦終結。 中国の日本軍降伏、日中戦争終結。

日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(昭和12年、民国紀元26年)から1945年まで、大日本帝国と中華民国の間で行われた戦争である。
大日本帝国政府は、勃発当時は支那事変としたが[2]、1941年12月の対米英蘭の太平洋戦争開戦に伴い
支那事変から対英米戦までを大東亜戦争とした[3]。
中国側は、抗日戦争と呼称している[4]。


★日中戦争の被害[編集]


「第二次世界大戦の犠牲者」も参照

日本軍の犠牲者数

陸軍38万4900人、海軍7600人、終戦後の死亡5万4000人、総計44万6500人[120]。45万5700人とも[要出典]。また関東軍はソ連軍に降伏し、60万がシベリアなどに抑留、6万人が犠牲になった[120]。

中国勢力の犠牲者数

発表年 死傷人数 調査・出典 補足

1946年 軍人作戰死亡132万8501 中華民國國防部・発表[121]

国民革命軍のみ

1947年 平民死亡439万7504 中華民國行政院賠償委員會[122][123] 國民黨統治區

1947年 軍民死傷1278万4974 中華民國行政院賠償委員會[122][123] 國民黨統治區·軍人死傷365萬0405·平民死傷913萬4569

1985年 軍民死亡2100万 共産党政権発表(抗日勝利40周年)

1995年 軍民死傷約3500万 江沢民発表[124] 江沢民、纪念抗日战争胜利五十周年大会上的讲话

上記の表で中国側の犠牲者が132万とあるが、この数字は中国国民革命軍のみの数であり、必ずしもその人数が正しいとはいえないことに注意が必要。

当時の中国大陸では、日本軍・南京中華民国政府軍・蒋介石国民革命軍・共産党軍(現:中国人民解放軍の前身)・その他馬賊や抗日武装勢力など複数の勢力が、割拠する地域で、日中戦争中には主に2つの勢力に分かれて戦争を行っていた。

また国共内戦は国共合作以降も断続しており、第二次世界大戦後には再開している。中国の民衆は戦争に翻弄され、農業や商業、工業、運輸などの生活基盤を破壊されると共に各勢力の戦闘やゲリラ戦に巻き込まれ命を落としたり、戦闘継続の中で各勢力に食糧を徴発されたことや焦土作戦の影響で飢餓に陥る人も大勢いた。また日本人をはじめ在留外国人も戦闘に巻き込まれた。(中国空軍機による上海空爆を参照))。

日本軍による三光政策や南京事件などにより、中国の住民に多くの犠牲者が出たといわれる[125]。一方、これらは中国側のプロパガンダであり事実ではないする見方もある[126][127][128][129]。


U 太平洋戦争


(ウイキペディアより抜粋・転載)

太平洋戦争(たいへいようせんそう、英: Asia & Pacific theatre of World War U)は、第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国など枢軸国と、連合国(主にアメリカ合衆国、大英帝国、オランダなど)の戦争である。日本側の正式名称は1941年(昭和16年)12月12日の東條内閣閣議決定された「大東亜戦争」で、支那事変も含めるとされた[2]。

アメリカ西海岸、アラスカからオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から東南アジア、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と米英蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。


 

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