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御用マスコミ・小説家が隠した幕末維新革命の真相は ?
“裏切られた、三人の天皇”勤皇派英雄・明治天皇と
明治政府首脳の正体 ?
T 幕末維新革命の真相は ?
(欧州財閥による日本支配が実態)
サッスーン財閥(ロスチャイルド巨大財閥の子分)の代理人としてグラバーが登場します。
この長崎に来た武器商人トーマス・グラバーは、日本を支配するためには、武家政権が最大の障害であり、武士の支配の総元は徳川幕府だと認識します。
徳川幕府の統治を完全に転覆しないと日本は自分たち英国・巨大財閥のものにならない。
そこに、嘉永6、7年(1853〜54)、アメリカの「ペリー艦隊」が来て、無理に日本を開国させ、欧米列強が日本に入り込みます。
グラバーは、日本の武家の政治を転覆するためにいろいろな「策謀」を巡らします。
ところが、孝明天皇は、朝廷と武家と一体になり、日本全国民が一致して西洋の不当な侵略、日本支配に対抗して、日本を守らなければならないという「公武合体策」を唱えます。
そして、孝明天皇の妹宮である和宮が、14代徳川家茂(1846〜66)将軍に嫁ぎます。
これでは埒が明かないというので、グラバーは、薩摩と長州に内訌して、薩長の軍隊と徳川の軍隊を全面的な内戦に持ち込んで、日本を中国のようにバラバラに解体する「植民地支配」を目論んだのです。
その最大の障害が、尊皇攘夷主義者・孝明天皇だったわけです。
そして、慶応2年12月25日(西暦では1867年1月)に「孝明天皇弑逆事件」が起こりました(「弑逆(しいぎゃく)」とは、臣下が主君を殺す大悪のこと)。
翌、慶応3年(1867年)1月9日には睦仁親王が践祚(天皇の位を受け継ぐこと)し、さらに、慶応4年(1868)8月27日に即位式をあげ「明治」と改元されました。
ところが、この睦仁天皇も16歳くらいでしたが、言うことを聞かなかったのです。
英国の手先・薩長になびかず、徳川幕府と朝廷が一致して、日本を守るという、孝明天皇の政策を改めなかったのです。
そこで、睦仁天皇も邪魔だということで「弑逆」されて、行方がまったくわからなくなったのです。
・・・・ 大室寅之祐(南朝系子孫と勤皇派は主張)という名前の人物を「睦仁にすり替えて」詐称しているからです。
日本国民が、「孝明天皇弑逆事件」の真相を明らかにして、それ以降の日本には、歴史的正統性が存在しないということを、明確に日本人が認識する・・・ということが必要ではないかと思うわけです。
*孝明天皇弑逆説:山陰基央、徳富蘇峰、山岡荘八、鹿島昇、大田龍、鬼塚英昭、加治将一
なお、明治初期・中期、京都の公家、有力市民の多くは、孝明天皇弑逆を知っていた。
U“裏切られた、三人の天皇”―明治維新の謎
(soejima.to/boards/sirogane:副島隆彦より抜粋・転載)
鹿島 昇(かしま のぼる))”の、まえがき部分、におきます、引用、甚大紹介、です。(2004年、10月、20日、午後、10時、40分、ocr、+、打ち、の、ログ!)) 投稿者:・白金 幸紀(しろがね ゆうき))会員番号 1738番 投稿日:2004/10/23(Sat) 18:47:08
☆英国・巨大財閥の奴隷・岩倉具視や木戸、伊藤、山縣、大久保の
日本乗っ取りを明治維新として捏造 !
いまだこの話を著者にしていないが、そんな時私は儀幸にも本書の原稿を読む機会を与えられた。
著者は私と同職の弁護土なので職業柄、論理と論証を尊ぶ。といってもそれは決して三百代言的な詭弁ではない。
著者はかつて早大研究室で刑法の研鑽を積み研究者として未来を嘱望されただけあって、およそ歴史学に聖域もタブーも認めず、ただひたすら真実のみを追及する。
それだけならば、どうということもないのだが、さらに著者は、稀に見る独創的な洞察力の人である。
この著者の特性はかつて檀君朝鮮北倭論を展開するにあたって見事に結実し、私の目の鱗がストンと落ちたものであったが、本書を一読して、著者のそのような資質が、本書においても遺憾なく発揮されていることを知った。
☆幕末・明治時代の「官学合同の偽史シンジケート」
維新以降の「官学合同の偽史シンジケート」によってすでに常識となっている明治維新とその聖なる天皇の像が、著者の真実に迫らんとするあくなき洞察力によって粉微塵に破壌され、しかもその論理と論証によって次々に展開する新史観はことごとく首肯せざるをえない説得力を持つ。
☆孝明天皇、その子睦仁、大室寅之祐の明治天皇の謎
本書のなかで著者が展開する史観は、三人の天皇、すなわち孝明天皇、その子睦仁、及び実は大室寅之祐の明治天皇は、或いは明治維新を推進した岩倉具視や木戸、伊藤、山縣、大久保たちに暗殺され、或は裏切られた悲しい存在であったという事実である。
☆天皇親子を暗殺、身代わりを明治天皇にすり替え、歴史捏造
まず孝明天皇は、長州藩の忍者部隊によって暗殺され、その子陸仁も即位後直ちに毒殺された。
そして、睦仁の身代わりになった明治天皇は実は南朝の末孫という長州力上隊の大室寅之祐であり、孝明天皇の子ではなかったというのである。
著者は、本書で単にキワモノ的にこれらの歴史を暴露しようとしたのではない。
本書には岩倉、伊藤らに裏切られ激動の中で翻弄された三人の天皇に対する深い憐憫の情がにじみでている。
著者は、若き日、天皇ヒロヒトが軍閥の暴力を恐れるあまりあえてひきおこした大東亜戦争でその世代の多くの若人が戦死したプロセスのなかで、維新以降の国家の不法に翻弄されながらも激流の中の木の葉のように自らも流されざるをえなかった苦い経験を重ねているのであろうか。
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それだけではない。著者は住専問題やエイズ薬害の問題などに象徴されるどうしようもないこの国のあり方と現代官僚制の致命的な欠陥を、維新官僚体制にさかのぼって追及し、本書を抜本的批判の書として完成した。
それは著者の若き日の歴史的経験の総括であり、そして何が何でもその真実をつきとめずんばやまいとする猛然たる意欲のたまものであり、その努力は不法なものに対する著者のおさえがたき憤怒にささえられていた。
そうだ、著者は限りなき哀しみとともにあえて「憤怒の河を渡った」のであった。
著者は、明治官僚政治に対する批判としての次のような激烈な言葉を発している。
「西郷を殺して、悪魔的帝国主義による差別のエネルギーを根幹にすえた大逆犯人たちの政権は、こののち徴兵制によって無数の日本人を戦死者とし、そして不法なる侵略戦争によってさらに多くのアジア人を虐殺し、アジア人を奴隷として差別した」と。
著者のこの言葉はかつての左翼ライターの言辞を思わせんばかりであるが、本書を読むと著者の思想はむしろ民族主義に近い西郷隆盛に似ているということがわかる。「金もいらない、命もいらない」という西郷の生きざまを己のものとしないならば、このような本書の公開はなしえなかったものである。
本書の内容とほぼ同じことを知った先学は決していなかったわけではない。ただその人びとには著者の如き情念がなかったのである。
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