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安倍首相は、談話から「植民地支配と侵略」の表現を消去したい ?
戦時中の歴史を粉飾するため、「傀儡」の有識者会議を創設 ?
村山談話は、戦時中についての公式の日本の見解 !
「歴史を直視しない」談話は、日本への不信感を増幅させる
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2015/02/20より抜粋・転載)
1) 劣等意識の裏返しが他者への差別言動になって表れる
曽野綾子氏の産経新聞コラム記事について記述した。
「曽野綾子氏に贈る詩「みんなちがってみんないい」」
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-82f2.html差別主義者の精神構造の中心には強い劣等意識がある。
他者を見る際に常に優劣意識が支配する。
自分よりも他者が優れていると認識し、強い劣等意識を有するのである。
その激しい劣等意識の裏返しが他者への差別言動になって表れるのである。
差別主義者の行動の特性は、
自分より優位にあると判断する者に対しては卑屈にひれ伏す。
自分より下位にあると判断する者に対しては尊大、横暴に振る舞う。
差別主義者の根本には常に強い劣等意識があることを見抜いておく必要がある。
2) 差別主義者に金子みすゞの詩を贈る
その曽野綾子氏に金子みすゞの詩を贈ることを記した。
私と小鳥と鈴と金子みすゞ
私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうにたくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。
ブログ記事には含まれなかった後半部分を一部再掲する。
白人と黒人と黄色人種。みんなちがって、みんないい。
アジアにもいろいろな国がある。
3)人種・諸国、みんな違ってみんないい !
日本、韓国、中国みんな違ってみんないい。
この視点、考え方、感じ方が大切である。
相手に良いところもあれば悪いところもある。
同じようにこちらにも良いとこがあれば悪いところもある。
全体として、こっちが優れているとか、あっちが劣っているとか、考えるのが間違いのもとなのだ。
自分を大切に扱ってほしければ、相手を大切に扱うことである。
強いと感じる者にはひれ伏して、弱いと見る者に尊大に振る舞う。
これは弱い者が取る行動である。
4)自分・他者、それぞれ長所・短所がある
自分には劣っている点もあるが優れている点もある。他者も同じ。
そうであれば、誰に対してもひれ伏す必要がないし、誰に対しても尊大に振る
舞うことができなくなる自分が大切にされたいと思うなら、他者を大切にすることである。
安倍首相の行動は、まさに強いものにひれ伏して、弱いと見る相手に尊大に振る舞うものであると感じられる。
「類は友を呼ぶ」わけで、似た匂いを持つ人々が集まる。
安倍氏は、国会で正鵠を射た指摘を受けるといきり立つ。
5)安倍首相は、批判・疑問に逆上する人物
ものごとを客観的に捉えて、冷静に、謙虚に自分を見つめることができないように見える。
この安倍首相が敗戦70年の今年、首相談話を発表するという。
かつて村山首相が敗戦50年に際して談話を発表した。
村山(首相)談話には、次の表現が盛り込まれた。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
私は、未来に、誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもない、この歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」
6)安倍首相は、「植民地支配と侵略」の表現を消去したい ?
戦時中の歴史を粉飾するため、「傀儡」の有識者会議を創設 ?
安倍首相は、村山首相が明示した「植民地支配と侵略」の表現を消去したいのだと推察されている。
ドイツの良心と言われた、ワイツゼッカー元ドイツ大統領が亡くなった。
ワイツゼッカー氏の大統領任期中、ドイツの敗戦40年にあたる85年5月8日に連邦議会で行った演説が歴史に刻まれている。
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」私たちは歴史の事実から目をそらすことなく、歴史と向き合い、その上で、より良い未来を築き上げる努力を注ぐべきなのである。
歴史をまっすぐに見つめることなく、正しい未来の道は、開けない。
歴史を直視することを回避するために、「傀儡」の有識者会議を創設して、自己の行動を正当化させる手法は、あまりにも姑息である。
7)「過去に目を閉ざす者は、 現在にも盲目となる」
過去を直視して、過去の過ちを二度と繰り返さないことを決意する姿勢は「自省」であって、
「自虐」ではない。
過去の歴史事実を直視せず、自己弁護と自己正当化に汲々とする姿勢は、「自賛」あって「自尊」ではない。
戦後の交戦国との和解は、戦争責任者と一般国民とを切り分けることによって、成立している。
第27回石橋湛山賞を受賞した小菅信子(こすげのぶこ)氏の著書『戦後和解─日本は〈過去〉から解き放たれるのか』(中公新書)http://goo.gl/LZIWNXで、著書は、歴史を忘却せずに和解を実現することの重要性を説いた。
拙著『知られざる真実』(明月堂書店)http://goo.gl/ttkklgの記述から転載させていただく。
小菅氏は、第二次世界大戦後のドイツと日本の戦後平和構築の方法をこう述べる。
8)外国人は、戦争指導者と騙された国民を区別して考えた
「敗戦国の国民を、戦争指導者や加害者と、彼らに騙(だま)されて戦争協力した、一般国民とに分けて、その一般国民と、戦勝国の国民や被害者・戦争犠牲者との間の関係を修復して、最終的に和解へと導いていこうとする方法」であった。
東京裁判は、戦勝国が「事後法」を用いて一方的に裁いたものだったから、多くの問題点が存在する。しかし、私たちは歴史を見つめるとともに、歴史を超克して、和解の上に立つ、世界平和を目指して進んでゆかねばならない。
小菅信子氏は、受賞講演で、石橋湛山元首相の言葉を紹介した。
「ナショナリズムをどういうふうにしてプラスの方向に向けるかが重要ですね。
これは結局、人間自身の問題です。
9)人間が人間自身と取り組む、これが一番重要
つまり、体制とか組織とかいうけれど、つきつめていえば人間の問題だ。
人間が人間自身と取り組む、これが一番重要ではないですか」(『湛山座談』)日本は戦争責任を認め、東京裁判を受け入れたうえでサンフランシスコ講和条
約に調印した。欧米がすべて正しかったと言うつもりはない。
欧米自身が、帝国主義、植民地主義の先鋭であったことは、紛れもない事実である。
しかし、日本は、敗戦し、過去の過ちを認め、戦争責任を認めて国際社会に復帰しているのである。
10)村山談話は、過去・戦時中についての公式の日本の見解
そして、村山談話は、過去についての公式の日本の見解を内外に示したものである。
日本政府として、この認識を踏襲するべきことは当然のことである。
安倍首相が村山談話の内容を否定するなら、明確に安倍晋三氏の名において、明確にこれを否定するべきである。
村山談話を否定する言葉を安倍氏の責任において示すべきなのである。
その代り、その全責任は、安倍晋三氏自身が負うべきことは、当然だ。
安倍氏は、米国から村山談話を否定するべきでないと命令されると、それに従う。
従うなら、村山談話を踏襲すれば良いだけのことだ。
11)「有識者会議」の威を借りる、政府談話の改竄は、「卑屈で姑息」な手法
偏り尽くした人選で、「有識者会議」を創設して、この会議の威を借りて、政府談話の内容を改竄するというのは、あまりにも、「卑屈で姑息」な手法である。
安倍首相が見識と学識と良識があると自負するなら、その力によって、自分の名において、安倍首相の談話を堂々と発表すれば良いのである。
その力量がないなら、無理なことはしない方がよい。
有識者会議と名がつくと、正統性があるもののように勘違いし易いが、単なる私的な諮問機関に過ぎない。人選は、偏りの極致を示している。
12)「歴史を直視しない」談話は、日本への不信感を増幅させる
「歴史を直視しない」談話を安倍氏が発表すれば、世界は日本に対する不信感を一気に拡大させることになる。
そのときに被害を蒙るのは日本の主権者なのである。
安倍首相が日本国憲法を不当に破壊して、日本を戦争推進の国に変質させようとしている。
そのことで日本がテロの標的にされるために、被害を蒙るのも日本の主権者である。
主権者は主権者の「生命、自由、幸福を追求する権利」が根底から覆される明白な危険をもたらす恐れの高い日本の首相を交代させる
ことを真剣に考えるべきである。
手遅れになる前に、「首相交代」を実現しなければならない。
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