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安倍首相、戦後70年で「談話」内容検討へ
「戦後50周年の村山談話」の内容 ?
世界大恐慌・英米の世界戦略と第二次世界大戦の関係は、何か ?
T 安倍首相「談話」内容検討へ
(news.guideme.jp:2015年 01月03日(土)より抜粋・転載)
安倍首相 戦後70年で「談話」内容検討へ
1月3日 7時09分 安倍総理大臣は、戦後70年となることし、歴史認識に関する歴代内閣の立場を引き継ぎつつ、未来志向のメッセージを盛り込んだ「総理大臣談話」を発表したいとしており、有識者らの意見も参考にしながら具体的な内容を検討することにしています。
「総理大臣談話」は、総理大臣が、歴史認識や重要政策に関する意思を内外に示す場合などに出されており、戦後50年の平成7年に当時の村山総理大臣が、過去の植民地支配と侵略に対し、痛切な反省を表明した談話を出したほか、戦後60年の平成17年には、当時の小泉総理大臣が村山談話と同様の内容の談話を発表しました。
安倍総理大臣も、戦後70年となることし、「総理大臣談話」を発表する考えを明らかにしており、これに関連して、政府は去年、「安倍内閣として歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」としたうえで、これを前提に、しかるべき時期に談話を発表したいとする答弁書を閣議決定しています。
安倍総理大臣は、自由や民主主義を重視する戦後の日本の歩みや、歴史認識に関する歴代内閣の立場を引き継ぎつつ、未来志向のメッセージを盛り込みたい考えで、今後、有識者らから意見を聞く機会を設け、そこで出された意見も参考にしながら、具体的な内容を検討することにしています。
U 村山内閣総理大臣談話
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」
(www.mofa.go.jp:いわゆる村山談話より抜粋・転載)
平成7年8月15日
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。
今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。
このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。
ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。
また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。
私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。
とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。
政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。
また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。
同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。
これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
V 第二次大戦・日中戦争、実は、英米の謀略があった !
副島隆彦・船井幸雄の主張:
国民党と中国共産党を和解させて、抗日統一戦線をつくらせ、日本を敗北させようとしたことは、世界大恐慌後、世界大戦誘導を狙う、英国と米国の裏の戦略でも
あった。
特に、米国は、英国を追い抜いて、世界覇権国になるという、英国に内密の戦略のため、大戦後・対ソ連との戦いのため、1930年代から、日本占領・支配・収奪を狙って、長期的に準備していた。
つまり、日本政府・陸海軍首脳は、英国・米国・ソ連・中国共産の仕掛けたワナに嵌められて、無謀な大戦に突入したのだ。マッカーサー元帥は、この首脳を、12歳並と言った。
自民党体制(官僚機構・財界・マスコミ・御用学者・御用評論家も含む)は、
アメリカが裏から思い通りに支配するために、強力なアメリカ主導で作ったものである
(『昭和史からの警告』。
W 太平洋戦争第一の戦犯は、ルーズベルト大統領だ
!
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投稿者 oobi 日時 2010 年 5 月 25 日 19:57:48: DUWbfWm4YQdEw
我々日本人は、東京裁判史観の自虐史観をマスコミから植え付けられましたが、
誰も言わないが、太平洋戦争の本当の第一の戦犯は、ルーズベルトです。
第二は農村の極貧から軍務官僚が生まれた事と思います。
戦前、欧米列強がアジア諸国や世界を分割して植民地支配していた帝国主義の時代、世界大恐慌後、
英米仏などによる経済ブロック封鎖は、日本国とって実に過酷な事だったと思われます。
昭和恐慌の中、資源も市場も無い新興工業国日本にとって交易出来ない事は、深刻な失業問題を引き起こしたと思います。
そして、不況で失業者が帰農した農村部では、米価の下落から深刻な貧困が起きています。
当時、帝国主義の時代、指導者層は満州国建国以外に、果たして有効な失業と貧困の解決策を
他に打ち出せたのだろうかと思います。
満州国建国は、国防上でも、ソ連と共産主義に対する朝鮮半島の防波堤になっていたと思います。
日本帝国滅亡とともに、北朝鮮までソ連支配下になった。
歴史的に見ると、満州は、朝鮮半島の対ソ反共の防波堤だったと言える。
そして、北朝鮮人民は、今日でも極貧状態に置かれている。
日本は、満州国建国以降、日中戦争で軍部が暴走する失敗をした。
軍部独走への最大の問題事件は、二・二六事件ですが、この事件の原因として青年将校達が当時人口の大半を占めた農村部出身の人が多かった事が大きいと思います。
現在も防衛大学は、学費免除ですが、当時、貧しい農村部の優秀な人達が続々と学費免除で将校になっていた様です。
彼らは、昭和恐慌時の農村部の貧困を憂いていたと思います。
今では考えられない、女子を身売りせざるを得ない農村の極貧。
農村の極貧を憂いた青年将校達は、二・二六のテロに走ってしまった。
そして、農村の極貧への憂いが軍部独走をさらに加速させてしまい日中戦争の泥沼に入り込んでしまった。
日本の優秀な軍務官僚を育成していくシステムがアダとなってしまった悲劇と思います。
故郷を憂いた青年将校達の狭い判断(軍事で貧困の解決)が、国家の外交、繊細な配慮を必要とする外交を狂わしてしまった。
日本軍の暴走に対して、米国による対日資産凍結、
石油禁輸のABCD包囲網の過酷な仕打ちを実行した。
最後、ハル・ノートを突きつけられて東条英機は、
軍部を押さえられず開戦。
緒戦健闘するも大量虐殺されて日本敗戦。
歴史を観ると日本は何か運命的に追い込まれて無謀な戦争に突入した事が解ります。
戦犯として第一に上げるのは、過酷な対日政策を、次ぎ次ぎ行った、ルーズベルトと思います。
名大統領と言われる、この男・ルーズベルトが、本当の戦犯と言える。
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