http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/3479.html
Tweet |
2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」 !
御用小説家・学者に要注意 !
マスコミが隠す、幕末・明治維新の真相は何か ?
T 大河ドラマ「花燃ゆ」の紹介
(www.nhk.or.jp/:2015年1月3日より抜粋・転載)
物語の舞台となる幕末長州は、時代状況がめまぐるしく変転し、なかなかわかりにくい時代でもあります。そこで大河ドラマ放送直前に、当時の長州の姿を「わかった!」と、大づかみに納得してもらおうというのがこの番組。
注目するのは「世界からの視点」。実は、当時の長州は、激動する世界状況のただなかにありました。欧米で巻き起こった近代化の奔流が東アジアに、そして日本に到達。
その流れに巻き込まれる形で長州の攘夷運動が起こり、やがて明治維新へとつながっていくのです。幕末長州が世界と格闘した痕跡を、アメリカ・イギリス・中国で現地リポート。
スタジオのゲストと共に、わかりやすく幕末長州という時代を読み解いていきます。
U 幕末の英雄 ? 長州ファイブ
(ウイキペデキアから抜粋・転載)
長州五傑(ちょうしゅうごけつ)は、江戸時代末期(幕末)に長州藩から清国経由でヨーロッパに派遣され、主にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジなどに留学した、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5名の長州藩士を指す。
概要[編集]
駐日英国領事であったエイベル・ガウワーや、ジャーディン・マセソン商会(横浜・英一番館)のウィリアム・ケズウィック(創業者ウィリアム・ジャーディンの姉の子)らの協力を得て成し遂げられた。
英国留学中は、ジャーディン・マセソン創業者ジェームス・マセソンの甥にあたるヒュー・マセソン(ジャーディン・マセソン商会・ロンドン社長)が世話役となった。
この5名はロンドン大学において長州ファイブ (Choshu Five) として顕彰碑が建てられており、そのことを知った西日本国際交流推進協会が「地元にも顕彰碑を」と運動した結果、2003年に山口市に顕彰碑が建てられた。
その碑文では、井上馨は外交の、遠藤は造幣の、山尾は工学の、伊藤は内閣の、井上勝は鉄道の、それぞれ「父」とされている。
V 自民党清和会(安倍・町村の派閥)の源流。
(ブログ「心に青雲」より抜粋転載)
1、 明治維新で日本を乗っ取った、「長州藩田布施一味」
1)「朝鮮人部落」の人間が、
金融財閥の家来=明治政府権力者 !
鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、日本国家の真相は、明治維新で「長州藩田布施一味」に国家を乗っ取られたということであることが解る。
長州藩の田布施一味とは、「山口県熊毛郡出身の政治家」らのことである。
熊毛郡の田布施町を中心にしている。
ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。
大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。
むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この「田布施一味の末裔」である。
小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の
「朝鮮人」である。
鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、「朝鮮人部落」である。
純也は、上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の「婿養子」となって「小泉姓」を名乗り(小泉純也)、「日本国籍を取得」したのだ。
2)「ユダヤ国際金融権力」は、被差別部落の「弱み」を握って、
「支配してきた」 !
「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た〜安倍晋三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなった時の遺骨を見ても、韓国系の体型だったと言っている。
“田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が、国の権力を握っている”ことに
変わりはないようだ。
安倍晋三は、「統一教会と縁が深い」のだからまさに「朝鮮半島勢力」である。
小泉の次の安倍政権、そのいずれもが「朝鮮人部落」だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。
「ユダヤ国際金融権力」は、こういう人間を使って、「日本乗っ取り」を支援しながら、連中の「弱み」を握って、思い通りに「支配してきた」のだ。
ユダヤは、徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。
例えばとして、鬼塚氏の研究によれば、幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト
・サトウを使って日本の「被差別部落」を調査させている。
2、 幕末維新革命の真相
(欧州財閥による日本支配が実態)
・・・・サッスーン財閥(ロスチャイルド巨大財閥の子分)の代理人としてグラバーが登場します。
この長崎に来た武器商人トーマス・グラバーは、日本を支配するためには、武家政権が最大の障害であり、武士の支配の総元は徳川幕府だと認識します。
徳川幕府の統治を完全に転覆しないと日本は自分たち英国・巨大財閥のものにならない。
そこに、嘉永6、7年(1853〜54)、アメリカの「ペリー艦隊」が来て、無理に日本を開国させ、
欧米列強が日本に入り込みます。
グラバーは、日本の武家の政治を転覆するためにいろいろな「策謀」を巡らします。
ところが、孝明天皇は、朝廷と武家と一体になり、日本全国民が一致して西洋の不当な侵略、
日本支配に対抗して、日本を守らなければならないという「公武合体策」を唱えます。
そして、孝明天皇の妹宮である和宮が14代徳川家茂(1846〜66)将軍に嫁ぎます。
これでは埒が明かないというので、グラバーは、薩摩と長州に内訌して、薩長の軍隊と徳川の軍隊を全面的な内戦に持ち込んで、日本を中国のようにバラバラに解体する「植民地支配」を目論んだのです。
その最大の障害が、尊皇攘夷主義者・孝明天皇だったわけです。
そして、慶応2年12月25日(西暦では1867年1月)
に「孝明天皇弑逆事件」が起こりました
(「弑逆(しいぎゃく)」とは、臣下が主君を殺す大悪のこと)。
翌、慶応3年(1867年)1月9日には睦仁親王が践祚(天皇の位を受け継ぐこと)し、さらに、慶応4年(1868)8月27日に即位式をあげ「明治」と改元されました。
ところが、この睦仁天皇も16歳くらいでしたが、言うことを聞かなかったのです。
英国の手先・薩長になびかず、徳川幕府と朝廷が一致して日本を守るという孝明天皇の政策を改めなかったのです。
そこで、睦仁天皇も邪魔だということで「弑逆」されて、行方がまったくわからなくなったのです。
・・・・ 大室寅之祐という名前の人物を
「睦仁にすり替えて」詐称しているからです。
日本国民が、「孝明天皇弑逆事件」の真相を明らかにして、それ以降の日本には歴史的正統性が存在しないということを明確に日本人が認識する・・・ということが必要ではないかと思うわけです。
*孝明天皇弑逆説:
山陰基央、徳富蘇峰、山岡荘八、
鹿島昇、大田龍、鬼塚英昭、加治将一
なお、明治初期・中期、京都の公家、有力市民の
多くは、孝明天皇弑逆を知っていた。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。