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1998年前と自公連立後の公明党は路線・行動が正反対ではないか ?
池田会長・長期構想、宗門事件、政権交代、自公連立の軌跡と真相 !
1 自公連立前:
政権交代、非自民党政権樹立路線の時代
1) 大阪事件:自民党・岸信介政権下、昭和32(1957)年、
池田青年室長等創価学会への迫害事件。
数年後、無罪判決。
2) 言論出版事件:この頃、750万世帯達成。
昭和45(1970)年、既成政党(自民・民社・共産)・
マスコミから創価学会への迫害
* 池田会長の長期構想(昭和41・1966年公表):
1990年までに1500万世帯の創価学会にする。
公明党政権で福祉社会建設可能にする。
3) 第一次宗門事件:昭和52(1977)年、活動家僧侶・
マスコミから創価学会への誹謗中傷が全国的激化。
山崎正友弁護士が裏で暗躍。
さらに、自民党・共産党・米国CIAが裏から支援していた。
4) 池田会長辞任:昭和54(1979)年4月。
* 弘安 2(1279)年、熱原法難・大御本尊御図顕から約700年後の出来事。
5) 平成2(1990)年:日蓮正宗・日顕一派が、「C作戦*」決定・実行。
* 日蓮正宗から創価学会を分離する作戦。山崎正友弁護士が裏で暗躍。
さらに、自民党・共産党・米国CIAが
裏から支援していた。
6) 日蓮正宗・日顕一派が創価学会を破門:平成3(1991)年11月。
7) 細川連立政権誕生:平成5(1993)年。
公明党、大臣4人(石田・坂口・神崎・広中)。
8) 自民党は、野党に転落。
細川政権の基盤・公明党・創価学会への誹謗中傷激化。
*反創価学会(弾圧目的)の自民党系団体:
「憲法二十条を考える会」・「民主政治研究会」・「四月会」など。
平成6(1994)年12月、小沢一郎グループと公明党等が新進党結成。
非自民党政権樹立、政権交代可能な民主政治体制構築に邁進した。
平成9(1997)年12月、新進党解党(裏に自民党の分断工作・謀略あり)。
6政党に分裂。
2 自公連立固定化・政権交代阻止に大転換
1) 自自公連立:平成11(1999)年10月:
自民・自由・公明の連合政権誕生。
2) 平成12(2000)年4月、自由党が政権離脱、
自公保連立政権:
*ロッキード事件・リクルート事件・東京佐川急便事件など多発する政治腐敗を批判し、政治改革を期待する世論を背景に非自民・非共産の八党派が結束し、「細川連立政権」が発足した。
自民党は、自ら反省・改革することを忘れ、他党を攻撃して、「謀略で政権奪取」を狙った。
“狙うべき標的は、細川連立政権を支える強固な大組織・公明党・
創価学会へのあからさまな攻撃”である。
その攻撃の尖兵となり、「自民党の意志」を代弁したのは、
やはり、一部週刊誌・月刊誌であった。
一方、創価学会を破門し、信者が激減、離山する青年改革僧侶からも、
「日顕、悪いのは、お前だ!」などと弾呵され、窮乏した日顕。
「すっかり落ち目の大自民党と凋落一途の「日顕」一派は、
同病相哀れむもの同士となり、公明党・創価学会を「共通の敵」とすることで、
しっかりと結びついていった。
(参考資料)
T 公明党初期の路線(池田第三代会長時代):
「中道革新連合政権」構想5項目
(島田裕巳『創価学会・もう一つのニッポン』139頁等):
@ 反自民党、反大資本、
A 平和・自立・中立政策に基づく外交政策、
「日米安保条約の段階的解消」在日米軍基地段階的縮小。
B 日本国憲法と議会制民主主義の擁護、
C 国民福祉優先の経済政策
D 治経済の改革手段としての暴力革命・急進主義を否定し、漸進主義を選択する
U 戸田第二代会長の苦悩:
“ほとんど全員が「退転する」”だろう !
獰猛・狡猾・甘美な権力の魔性に負けるであろう !
昭和30(1955)年2月、信濃町・学会本部における、文化部員の任命式で、
戸田第二代会長が、「今日、ここのいるのは、わが愛弟子たちである。
しかし、“ほとんど全員が「退転する」”だろう。獅子は千尋の谷に子を突き落とし、
這い上がらせて訓練をする。
ここにいる皆も、千尋の谷に落とさざるを得ないのだ。“だが、ほとんどの者が¼¼
二度と這い上がれない”だろう。
それを思うと、私は余りの辛さに――涙がこぼれるのだ」と述べています。
牧口会長を獄死させた政治権力への怒り。いまだ誰も果たしたことのない、日蓮仏法の「立正安国」「王仏冥合」という見果てぬ夢の実現。
時期は来た。打つべき手は打った。
だが、「権力には魔性が棲んでいる。ここに居並び、これから政界に送り出さねばならぬ
弟子たちの、誰一人として気づかぬほどの獰猛で狡猾で、甘美な魔性が」
と記述されています。
V 自民党の「反公明党・創価学会キャンペーン」
公明党・創価学会攻撃のため、自民党がつくった主な組織
★「創価学会等の社会的不正を糾す議員連盟」:中心者:三塚博元大蔵大臣
★「民主政治研究会」:代表:島村宜伸(しまむら・よしのぶ)元文部・農林大臣
★「憲法二十条を考える会」:代表:亀井静香・元運輸・建設大臣
★「四月会」:代表幹事:俵孝太郎(評論家)
顧問:勝部真長(お茶の水女子大学名誉教授)、秦野章(元法務大臣)、藤原弘達(評論家)
W 有力宗教団体等と国家権力との連合による迫害:それが迫害の構図だ !
* 鎌倉時代:
小松原の法難では、日蓮一行10人に数百人で地頭達が襲撃した。
竜の口の法難では、日蓮大聖人の小さな庵に数百人の武装兵士で襲撃した。
極く小さな教団でも、宗教界有力者と鎌倉幕府の権力者が結託した、大弾圧であった。
現代:
800万世帯の大教団、数千名の公明党議員、数千名の秘書・本部職員・公明党職員のいる創価学会への迫害が200名程度の活動家僧侶と山崎弁護士たちだけで、
するわけはないし、できるわけがない。
多くの評論家たちが、宗門の後ろに、自民党や米国CIAの支援があったと著書に記述している。
大聖人時代の迫害の構図と同様、現代において、有力宗教者と国家権力との連合による、法華経の行者(池田第3代会長・創価学会員)への迫害の真相・誰が僭称増上慢かの真実を、創価学会員にインペイし、十数年自公連立することは、大聖人への違背・裏切り行為になりませんか ?
X 1998年後、自民党権力に迎合・屈服した公明党
魚住昭氏の主張:
(魚住昭『差別と権力』講談社2004年、295〜296頁より抜粋・転載)
後に、野中広務元幹事長が、自公政権作りを成し遂げた後、有力支持者の1人が
「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と野中に聞いた。
すると野中はこう答えたという。
「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」
と著書にしるしている。
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