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政治資金が還流か 舛添都知事の団体が、舛添宅に事務所費531万円、 4年で2千万円超支払い !
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/3358.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2014 年 11 月 30 日 13:33:34: jobfXtD4sqUBk
 

政治資金が還流か 舛添都知事の団体が、舛添宅に事務所費531万円、

4年で2千万円超支払い !


自公推薦の舛添氏・下半身・金スキャンダル

前知事猪瀬氏は、金スキャンダルで辞任 !

閣僚スキャンダルは続出、自公政治家のレベル証明 ?

T 最終的に、舛添氏が家賃収入を
受け取っているのは、問題あり


(blog.goo.ne.jp:JA2KOWの苦(好)
戦的奮戦記:2014年11月28日より抜粋・転載)


1) 新党改革の代表以来、2047万超家賃支払い

東京都の舛添要一知事が代表を務める2つの政治団体が平成25年、舛添氏のファミリー企業「舛添政治経済研究所」に対し、事務所賃借料や家賃として計531万円を支出していたことが、11月28日、総務省が公開した政治資金収支報告書で分かった。
2団体の事務所やファミリー企業は、いずれも舛添氏の自宅内にあり、政党交付金を含む政治資金が結果的に舛添氏個人に還流していた格好だ。

家賃支出は、少なくとも舛添氏が新党改革の代表に就任した平成22年から続き、すでに解散した団体も含め4年間で2千万円以上の家賃が支払われている。
舛添氏は取材に「公認会計士を入れて、きちんと税務処理をしており、何の問題もない」と述べた。

2団体は、舛添氏が代表の政党支部「新党改革比例区第四支部」と資金管理団体「グローバルネットワーク研究会」。
収支報告書によると、平成25年は、2団体あわせて531万円(月44万2500円)を家賃としてファミリー企業に支出した。
また、平成23年6月までは「舛添要一後援会」(解散)も月13万1千円を家賃負担しており、22年1月からの4年間に支払われた家賃総額は、3団体で2047万7千円に及ぶ。


2) 自宅は、舛添氏所有、政治団体とファミリー企業は全株、舛添氏と家族所有

登記簿や舛添氏の説明によると、舛添氏の自宅は、東京都世田谷区代田にあり、地上3階地下1階。
このうち1階と地下の計約110平方メートルを政治団体とファミリー企業が事務所に使っている。
ファミリー企業の代表は、舛添氏の妻で、舛添氏と家族が全株を保有している。
自宅の土地・建物は、平成26年11月28日現在、平成25年2月以降、舛添氏の所有となっており、ファミリー企業を通じて舛添氏が家賃収入を受け取っているという。


3)最終的に、舛添氏が家賃収入を受け取っているのは、問題あり

政治資金に詳しい神戸学院大法科大学院の上脇博之教授(憲法学)は、「政治資金の原資の大半が税金である以上、使い道には慎重であるべきで、自らの懐に入る仕組みは、道義的に問題がある。
自宅の一部を事務所として無償提供する議員もおり、そちらのほうが良識的だ」と指摘している。

@外交官気取りで、外遊しすぎだし、都民の9割以上が韓国好きって、どこの都民だよ。
金銭スキャンダルで辞任した、猪瀬といい、残念だけど、東京都民の政治レベルが低い証拠です。アホばっかという事。

知りませんでしたが、こんなデモまでやっているんですね。断固支持します。


U 舛添要一の凄すぎる「女」と「カネ」 結婚3回、離婚2回、

子供2人に愛人の子3人、現在「隠し子、養育費裁判」係争中


(deliciousicecoffee.blog28.fc2.com:
週刊ポスト2014年1月24日号より抜粋・転載)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=
0140115-00000001-pseven-soci

類い稀な男性的魅力を持つ舛添要一氏 結婚3回で子供は5人
NEWS ポストセブン 1月15日(水)7時5分配信

 首都の顔を決める都知事選挙。有力候補の一人と見られているのが無所属での出馬を表明した舛添要一・元厚労相(65)だ。
実は舛添氏、類い稀な男性的魅力を持っているようで、「永田町イチの艶福家」として知られているのだ。

 舛添氏の最初の結婚は1978年、相手はフランス人女性だった。
出会いは、舛添氏が東大法学部政治学科を卒業後、パリ大学研究所やジュネーブ高等国際問題研究所の研究員を歴任したヨーロッパ留学中のことだった。

帰国後の1979年、舛添氏は31歳の若さで東大教養学部の助教授に就任。
だが、プライベートも順風満帆とはいかず、1981年に破局を迎えている。

 
1986年に再婚した相手はというと、いまや政治家として全国区の知名度がある片山さつき・参院議員だ。片山氏は大蔵省(現・財務省)入省後、フランス国立行政学院に留学。帰国後の27歳の時、東大助教授の舛添氏とお見合い結婚した。
結婚当時は“ミス大蔵省”との呼び声も高く、後に女性初の主計官も務めた。
そんな片山氏は結婚生活について、最近のインタビューでこう振り返っている。

<舛添さんと結婚したことがそもそも間違いであったと思います。
愛のない結婚をしてはいけないということ。
私の人生における大変大きな間違いだった>(『婦人公論』2013年2月22日号)

 そう振り返る結婚生活はわずか2年3か月で終わりを告げる。離婚の理由を片山氏はこう打ち明けている。

<慌しく始まった結婚生活でしたが、「平穏」だったのは最初の数週間だけ。「遅く帰ってきやがって!」突然、彼は怒鳴り始めたんです>
(『週刊新潮』2010年5月6・13日号)

 一旦怒り始めると、舛添氏は怒鳴る、手当たり次第にモノを投げつける、そして、ある時にはいくつものサバイバルナイフを片山氏の目の前にズラーッと並べたこともあったという。

<彼は、ナイフの収集が趣味だったんです。

しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります。

(中略)結局、結婚から3か月ほどで、弁護士に離婚を相談しました。すると、弁護士の調査で彼には愛人が、そして彼女が妊娠中であることも分かった>(同前)

 その「妊娠中の愛人」を仮にA子さんとしよう。A子さんが東大の学生だった時、舛添氏が指導教官という立場で知り合った。すぐに「もう妻

片山氏)とは別れるから」と舛添氏がA子さんに猛アプローチ。押されるまま付き合い始めたA子さんは1988年、男児を出産した。A子さんの知人が当時の状況を振り返る。

「A子さんの存在を知って激怒した片山さんが、バッグに包丁を忍ばせてA子さんと舛添氏がいた部屋に怒鳴り込んできたことがありました。
真っ先に部屋を飛び出した舛添氏が逃げ込んだ先は、もうひとりの愛人B子さんの部屋だったそうです」
 
A子さんの子供を舛添氏が認知したのは1990年。

認知するまでの2年間に、B子さんが女児を出産、さらに同時期に他に2人の女性とも交際していたことがわかったという。
めまぐるしい女性遍歴の末、舛添氏が15歳年下の現在の夫人である雅美さんと再々婚したのは1996年だ。

 なお、その前年にB子さんは2人目の女児を出産した。もちろん父親は舛添氏。
その後、雅美夫人との間には、2000年に長女、2003年に長男が生まれている。

振り返ると、結婚は3回、離婚は2回。2人の愛人が産んで認知した子3人と、
雅美夫人との間の子2人を合わせると、舛添氏には計5人の子供がいることになる。

※週刊ポスト2014年1月24日号


 

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