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宗門事件の真相、山崎・日顕の黒幕は、自民党体制 !
創価学会への宗教者と国家権力連合の大弾圧 !
自公連立は、自民党のワナに、はめられたのではないか?
政界で自民党と戦って、政権交代を目指していた、多数の公明党議員は、自民党の謀略に20年余も気が付かなかったのか?
1999年自公連立以降も気が付かないのか? 知らないはずはありませんよね。
迫害の長期黒幕に従属し、支持者にその迫害の真相をインペイすることは、
裏切り行為になりませんか?
T.公明党・創価学会への迫害と懐柔の主体・黒幕は自民党 !
吉村元佑(元公明新聞・特派員)著『謀略の環』・2000年発行、より抜粋。
(同様の記述は、野崎勲(創価学会・総合青年部長)『謀略』・1981年発行 、丸山実『月刊ペン事件の内幕』・1982年発行、丸山実著『創価学会つぶしに出た法主日顕の陰謀』・1991年発行 、北林芳典・元月刊誌『第三文明』編集者・著「邪智顛倒」はまの出版梶E1994年発行 佐倉敏明著 『週刊誌のウソと捏造』・1996年発行、佐倉敏明著『誑し屋山崎正友の虚言商法』・1998年発行、にもある。
丸山実氏は、自民党一党支配を支援し続けた歴史を持つCIAとその手法を考慮して、謀略の
裏には、米国CIAの動きを指摘している)
1.悪徳弁護士・山崎正友の駆け込先は「自民党」 !
1974(昭和49)12月、宿敵同士と思われてきた、創価学会と共産党は、「創共協定を結んだ。
その両者の共存を歓迎せず、むしろ“危機感を抱いたのは、自民党”であり、特に右派といわれる勢力であった。
“保革逆転を恐れていた、右派からの攻撃”、その一本の矢が、『月刊ペン』の「隈部原稿」だった。
『月刊ペン』は、保守本流を自認する権力者集団が、その意志を代弁するために創刊したものであり、「創共協定を結んだ、創価学会に密かに腕を捲り上げたのは、自然の成り行きであろう。
創価学会攻撃を実行したい、右派勢力の代弁者・「隈部」を助けたのが、山崎正友という悪党だったのである。
山崎が仕掛けた、「宮本宅盗聴事件」暴露で、日本共産党までを私怨に巻き込み、「創共反目」という手土産を持って、山崎は、政権党・自民党に駆け込んだのである。
「創価学会攻撃」のウラには、
底知れぬ黒々とした
「巨悪の構造」があった
のである(170〜173頁)。
2.改革勢力への分断工作
として利用された日顕一派 !
ロッキード事件・リクルート事件・東京佐川急便事件など多発する政治腐敗を批判し、政治改革を期待する世論を背景に非自民・非共産の八党派が結束し、「細川連立政権」が発足した。
自民党は自ら反省・改革することを忘れ、他党を攻撃して、「謀略で政権奪取」を狙った。
“狙うべき標的は、細川連立政権を支える強固な大組織・公明党・創価学会へのあからさまな攻撃”である。
その攻撃の尖兵となり、「自民党の意志」を代弁したのは、やはり、一部週刊誌・月刊誌であった。
一方、創価学会を破門し、信者が激減、離山する青年改革僧侶からも、「日顕、悪いのは、お前だ !」などと弾呵され、窮乏した日顕。
「日顕」が死に物狂いで、起死回生の挽回を目指そうとしていた時期に、政治の世界では、
丁度政界再編の第一波が押し寄せていた。
すっかり落ち目の大自民党と
凋落一途の「日顕」一派は、
同病相哀れむもの同士となり、
公明党・創価学会を「共通の
敵」とすることで、しっかり
と結びついていった。
3.反学会・自民党議員グループの講師はペテン師・山崎正友 !
1993(平成5)年12月、山崎正友は主に自民党議員で構成される「民主政治研究会(代表・島村代議士)の勉強会の講師として招かれた。
刑務者出所間もない犯罪者・山崎講師のご意見を拝聴しようという、国会議員グループの大半は自民党国会議員であった(229頁)。
4.反学会・「憲法20条を考える会」設立総会を「自民党本部」で挙行 !
悪徳・山崎講師のスキャンダルタップリのご高説が国会議員諸公の攻撃精神に火をつけた。
勉強会から一週間もしない内に、50名超の国会議員からなる、「憲法20条を考える会」の設立総会が、「自民党本部」で開かれている。
その会の代表になった、亀井静香議員自身が、「特定宗教団体の政治支配を防ぐ」のが目的である、と公言したのである。
つまり、「創価学会を包囲」し、政治活動に制限を加えるために、鳩首会議をしようという会であることは明白であった。
手前勝手な空想を前提にして、憲法20条を論拠にして、創価学会の政党支援の手足を縛りたいと、話は一挙に飛躍してしまうのである。
山崎が火をつけるや、自民党議員がすばやく動く。
そして、マスコミも同調し、その誹謗・中傷を増幅するマイク役となって煽る。
個々バラバラの咆哮ではなく、明らかに「連携プレー」になっている(229~236頁)。
5.自民党がビラ・資金も含めて、悪徳・弁護士山崎の学会攻撃を支援 !
山崎は、自民党の「民主政治研究会に招かれ、自民党本部で講演を行ったことを、「日顕」にとくとくと報告している。さらに「自民党は、党として、党の会計から費用を出して、我々を支援すると言っています。今回は、学会を倒すか武装解除まで、攻撃をゆるめないということで、固い約束をとりつけながら進めています」創価学会攻撃のビラは一年間で6号までで一億枚全国に配布された。
1995(平成7)年10月中頃の山崎の手紙に創価学会包囲、殲滅のシナリオが綴られている。「外部の市民団体などとの情報交換もすすめており、全日仏、新宗連、キリスト者同盟等々の他宗にも行動をおこさせるべく、根回し工作中です」
さらに1ヵ月後の手紙には、「政治と宗教を考える国民会議」は今月中に発足し、超党派、全宗教界、学者・文化人に呼びかけます。
┅┅どうやら、外からの学会包囲網は、成功しつつあるようです」と記述されている。
山崎・日顕などの宗教界反学会勢力、自民党議員、偏向マスコミ群の「ドス黒い三角形」
「巨悪の構造」は、政官財の「黄金のトライアングル」より深い深層からの「腐乱」であり、なかなか目に見えにくいだけに、より深刻な事態と言わなければならない(237〜245頁)。
6.反創価学会集団・「四月会」を基盤に野合・謀略・
村山内閣発足 !
自民党勢力の陰謀による、細川連立政権攻撃が成功し、社会党の離脱があり、少数与党のままスタートした羽田政権。
その2ヵ月後、村山政権が成立する。表面上は、小沢・市川の強権手法に対する反発だとマスコミは宣伝した。しかし、内実はまるで違う。
自社さ政権は、反「創価学会」をもって、水と油の関係にあった政党同士の、強力な接着剤とした、「謀略政権」のである。
村山政権が成立する6日前、6月23日、「四月会」が設立された。
設立総会には河野自民党総裁、村山社会党委員長、武村さきがけ代表が来賓として出席し、参会者にエールを送った。
陰のオーナー・亀井静香議員は、あからさまに、「創価学会・公明党を粉砕しなければ、日本の未来はない」と参加者に呼びかけた。「四月会」設立の真意が、改めて明かされたことになる。
首相は社会党でいいから、ともかく政権を!」と画策した、自民党の跳ね上がり議員たちの罪と罰は、あまりにも大きい。
しかし、ある意味では、社会党の罪は、恐らく、それ以上かもしれない。
何といっても、“自民党から自己変革のチャンスを奪ったことは大罪”に値する。
大きく脱皮しようとする日本の政治にフタをし、旧い体質を温存することに手を貸したトガが小さいはずがあるだろうか(250〜253頁)。
7.オウム事件に便乗した反学会勢力・自民党の権力悪用・学会弾圧 !
無差別・大量殺人を目的とする「オウム」を奇貨として、この際、この悪事を追い風として活用してしまいたいという不穏な動き。事件直後から、「オウム事件再発防止のため」という大義名分を掲げ、早急に「宗教法人法の改正」が必要である、という議論がたかまってきた。
盛り上がる世論を巧みに操り、あらぬ方向に誘導しようというのが、「内藤」「段」、「溝口敦」などといった、常連たち(黒幕は自民党)であった。
「オウム事件」を目の当たりにして、人々のおののきに悪乗りして、「宗教=凶暴、危険」といった極端な偏見を、そのまま創価学会と重ね合わせようと画策するのである。
彼らの先導ぶりは、常のことながら、
「自民党」や反学会勢力といった「勧進元」たちの意向を、そのまま映し出している。
自民党の文教関係議員には、「創価学会が困るような宗教法人法の改正はできないか、
これから智慧を絞りたい」と発言していた。
これが全国民のために選ばれたはずの国会議員がろうか。
もう「無頼漢」である(272〜274頁)。
8.創価学会攻撃の手法・自民党体制・巨悪連合の実態 !
“週刊誌が流すウソ情報➞国会議員が騒ぐ➞それを週刊誌がさらにタレ流す”
この創価学会員を犯人視するいくつもの「デマ事件」が解明されていく中で、学会攻撃の1つの鋳型が改めて確認された。
U. 自公連立は、自民党のワナに、はめられたのではないか?
上記のように、創価学会攻撃の主体・黒幕は、政権交代を阻止したい、自民党(さらにその背後に米国CIA)であることは明白である。
・魚住昭氏の主張:後に野中広務が自公政権作りを成し遂げた後、有力支持者の1人が「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と野中に聞いた。
すると野中はこう答えたという。
叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」と著書にしるしている。
その一党支配永続を狙う、自民党の思惑通り、連立して政権交代を阻止し続け、自民党批判を長期封印し続ける公明党は、常識的見方として、「自民党のワナにはめられた姿」といえませんか?
V. 牧口会長等は軍部権力による弾圧下で信念を貫いた !
@ 創価教育学会への 国家権力からの迫害
創価教育学会の神社参拝拒否、神札の奉祀拒否の態度が、治安当局・特高刑事から監視されるようになった。起訴状によれば、牧口会長は、治安維持法違反と神宮に対する不敬罪で起訴されたことが記述されている。
国家神道を宗教の正邪のうえから謗法として戒め、勇猛果敢に折伏を進める創価教育学会を、戦時中の当局が看過するはずがなかったのである。戦時下にあっても、学会は折伏を展開し、入信に際しては神札などの謗法払いを厳格に行っていた。
そして、国家神道を根本にした政府のあり方は間違いであることを主張して譲らなかったのである。
当時、学会は、会員数3000人ほどの、まだ小さな教団にすぎなった。
しかし、当局は、牧口常三郎が、国家、社会の建設のために「教育改造」を掲げ、その根本的な方途が日蓮大聖人の仏法にあるとしていることに、警戒心を強めていったようだ。
昭和18年7月、ついに弾圧の魔の手は創価教育学会を襲った。
学会の、あの神札の拒否が、弾圧を決定的なものにしたのである。
7月6日、牧口常三郎、戸田城聖らが逮捕され、翌年3月までには、学会の検挙者は21名にのぼった。牧口はこの逮捕を、国家諫暁の好機であるととらえていた。
取り調べの場は、さながら折伏、弘法の観を呈した。
A 日蓮正宗総本山は保身のため牧口会長を「信徒除名処分」!
B 過酷な獄中でも堂々と国家神道の誤りを正した、
牧口会長等の革命精神 !
そのような過酷な獄中で、70代の高齢の牧口常三郎は、いささかも節を曲げることなく、堂々と国家神道の誤りを正した。
そして、昭和19年11月18日、73歳で、巣鴨の東京拘置所で獄死したのである。
牧口の殉教、そして、牧口同様戦時下の過酷な環境・食事状況で、戸田の2年間に及ぶ不退転の獄中生活は、信教の自由のための権力との壮絶な戦いであり、創価学会が、日蓮大聖人の仏法の正法正義を守り抜いた永遠不滅の刻印となった。
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