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偽装民主主義・日本で実行された
「人物破壊」による「政権交代破壊」(第2回)
検察・マスコミ・政治屋が謀略で政権交代破壊 !
民主党内でも裏切り者・利権派が改革派を迫害 !
改革するために、マスコミがインペイする暗黒
・日本国の実態を多くに国民に伝えよう!
(「植草一秀の『知られざる真実』」第505号( 2013/03/02)より抜粋)
*阿修羅への私の投稿記事が、意図的に大部分、何十回も削除されています。対処方法を知っている方は教えてください。これが阿修羅に巣食う電通工作員:
(投稿者 中川隆 日時 2012 年 4 月 06 日:お知らせ・管理20 ,
特に、削除依頼・削除報告スレの常連は殆どネット工作員ですね。
まあ、小澤さんの擁護グループや中国人工作員もいるのでしょうが、大多数は電通・CIA系工作員で、彼らに都合の悪い事を書く投稿者を24時間監視、粗探しして投稿妨害しているのですね)
(1)主権者国民政権を阻止・破壊するための「人物破壊工作」
(2)「悪徳ペンタゴン」の政権交代阻止謀略
(3)「悪徳ペンタゴン」の謀略の概略(不当逮捕・冤罪)
(4)適正な会計処理を歪曲報道・偏向集中報道でクロと洗脳!
(5)西松事件・陸山会事件を刑事事件扱いは「狂気の沙汰」!
以上は第1回で投稿済みです。以下はその続きです。
(6)米国の高官が暗躍した「国家謀略事案」!
不起訴の前段階で「強制起訴」を検察が明言=政治謀略暴露!
こうした「国家謀略事案」とも言える一連の動きの背後で暗躍した存在がある。
その一端をウィキリークスが暴露した。
米国の「カート・キャンベル国務次官補」は2010年2月2日に国会内の民主党幹事長室で小沢一郎民主党幹事長と会談した。
翌2月3日、キャンベルはソウルでキム・ソンファン大統領外交安保首席秘書官と会談した。
そしてワシントンに次の報告を行った。
「日本の外交窓口を小沢−鳩山ラインから菅−岡田ラインに切り替える。
鳩山内閣が退陣に追い込まれたのが2010年6月2日。
菅内閣が発足したのが6月8日だ。
「米国方針決定に沿う政治上の重大な変化」が観察されている。
これと関連する動きが検察からも表出した。2010年1月15日に逮捕された石川知裕議員は2月1日に東京地検特捜部の吉田正喜副部長の取調べを受けた。
この取調べのなかで、石川氏は吉田氏から驚愕の方針を聞かされる。
それは、次のものだ。
2010年2月1日の吉田副部長発言:
「検察は小沢氏を不起訴とするが、検察審査会が小沢氏を強制起訴することになる。」(市民団体の審査申し立て:2月12日、起訴議決:4月27日)
(小沢氏を「不起訴とする前の段階」で石川氏に明言している”ことは、「計画的政治謀略」、である証拠であろう)。
この発言が「驚愕の方針」であるのは次のことによる。
検察は2月4日に小沢氏を不起訴とした。
この不起訴決定に対して、「市民団体」が2月12日に検察審査会に対して審査申立てをした。
(7)審査申立前に強制起訴を明言、ウソの捜査報告書を提出!
この審査申立てを受けて東京第五検察審査会が2010年4月27日に一度目の起訴議決を行った。
その後、検察は再度捜査を行い、5月17日には石川知裕議員に対して事情聴取を行った。
“東京地検特捜部はこの事情聴取内容を「全面的に改ざん」して「捜査報告書を作成」して検察審査会に提出した”のである。
そして、9月14日に東京第五検察審会が二度目の起訴議決をしたとされている。
この二度目の起訴議決が公表されたのは2010年10月4日のことである。
「驚愕の事実」というのは、2月4日以降の検察不起訴−市民団体による審査申立て−検察審査会による二度の起訴議決、の一連のプロセスを経て小沢氏は強制起訴されることになったのだが、
“このプロセスを、地検特捜副部長が小沢氏を「不起訴とする前の段階」で石川氏に明言している”ことである。
検察審査会に審査を申し立てた「市民団体」の一人が山際澄夫氏であると見られている。山際氏は「元産経新聞記者」で、テレビ番組などで小沢一郎氏を不当に誹謗中傷して喚き立ててきた、いわくつきの人物である。この「市民団体」は検察が不起訴決定を出すことを「予め知っていた」かのスピードで検察審査会に審査を申立てた。
「在特会」関係者が審査申立てをブログ記事などでアピールしていた時期の出来事である。
2010年4月から5月にかけて、最高裁OBの金銭スキャンダルが表面化して、あっという間にこれが沈静化された。
これと裏表の関係で生じたのが検審の起訴議決と東京地検特捜部による「ニセ捜査報告書」の作成、提出である。
2月1日に東京地検特捜部の吉田正喜副部長が、「検察不起訴−検審審査申立−起訴議決−再捜査−報告書−起訴議決」のストーリーを語ったということは、この時点で一連のストーリーがすでに出来上がっていた可能性が高い。
(8)米官業・利権政治家・マスコミによる政治謀略を実行!
国家権力による政治謀略がなければ、小沢政権の可能性は三回 !
そして見逃せないことは、このちょうど真裏で、「キャンベル国務次官補」が来日して、小沢−鳩山ライン斬りの方針が固められたことだ。2009年3月3日以来の3年間に、「小沢一郎政権誕生」の機会が「三度」あった。
2009年9月16日の鳩山由紀夫政権樹立が、もし、三・三事変がなければ、「小沢一郎政権」樹立にとって代わっていた。
小沢一郎氏は、「西松事件創作」による報道被害を軽減するために、筋を曲げて2009年5月11日に民主党代表辞意表明を行ったのだ。
小沢氏が代表職の地位にあったなら、小沢政権が誕生していた。
2010年9月14日に民主党代表選が行われた。この代表戦は小沢一郎氏と菅直人氏の一騎打ちであった。
菅直人氏が代表選に勝利した理由は、党員・サポーター投票で菅氏が大勝したこととされたためである。
しかし、この党員・サポーター投票で「巨大不正」が行われた可能性が高い。
この事務処理をすべて請け負ったのが「株式会社ムサシ」である。
この事務処理に不正があったのかどうか。厳格な検証が求められている。
そして、代表選が行われた9月14日、東京第五検察審査会が小沢氏に対する二度目の起訴議決を行ったとされている。
しかし、“仮に本当に起訴議決があったとしても、その起訴議決は、「うその捜査報告書」によって誘導された”ものである。
しかも、小沢一郎氏は最終的に「完全無罪」を勝ち取っている。
(9)歴史の改ざんを糾弾し、歴史を取り戻すべきだ!
小沢改革政権実現を阻止した、悪徳政治屋・検察・マスコミ連合!
2010年の一連の「不正で不当な小沢一郎氏攻撃」がなかったなら、小沢一郎氏は民主党代表に復帰して「小沢一郎政権」を樹立していたことになる。
そして、2011年8月29日の民主党代表選。決選投票は野田佳彦氏と海江田万里氏との間で行われた。
このとき、小沢一郎氏は、「党員資格をはく奪」されていた。
無実潔白の小沢一郎氏が不当起訴され、「悪徳民主党執行部」が小沢氏の党員資格をはく奪したからだ。
これがなければ、2011年に小沢代表が誕生し、「小沢政権が誕生」していた。
つまり、過去4年間の巨大政治謀略事案によって、日本の真正の歴史は、完全に虚偽の粉飾された欺瞞と悪意に満ちた歴史に書き換えられてしまったのだ。
この歴史の改ざん、歴史の転覆によって、小沢一郎氏、鳩山由紀夫氏、そして、小沢氏の元秘書が甚大な被害を受けた。
しかし、この歴史改竄による最大の被害者が日本の主権者国民であることは間違いない。主権者国民は権力を奪われ、正当な歴史を奪われたのである。
私たちは歴史を取り戻さねばならない。“検察権力、米国による国家転覆、歴史の改ざん”を絶対に許してはならない。
小沢一郎氏と秘書3名の名誉を回復するとともに、日本の主権者国民の権利を守り日本の主権者国民の幸福を実現するために、新たな闘いを始めなければならないのだ。
主権者国民のための政治を実現するための政治運動「国民連合」を私は呼び掛ける。
「国民連合」の政治運動により、歴史の闇を白日の下に明らかにし、歴史を取り戻さねばならない。
歴史を取り戻し、主権者国民の政治を実現しなければならない。
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