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エジプトのモルシー新政権が7月23日、パレスチナ人に対し、エジプトにビザなしで自由に渡航してくることを認める新政策を開始した。パレスチナはヨルダン川西岸とガザの2地区に分かれ、両地区ともイスラエルから封鎖され、人の往来と物資の輸出入を強く規制されて困窮している。ガザはエジプトとも国境を接しているが、これまでのエジプト政府は「パレスチナ人を支援する」「イスラエルはけしからん」と口で言うだけで、実際のところガザのパレスチナ人のエジプト入国を禁じていた。病人や留学生らのみが出入国を許されていた。 (Gaza Blockade Over? Egypt Opens Border to Palestinians)
モルシー新大統領は、就任から3週間という速攻で、ガザを統括するパレスチナ人の組織ハマスと会談し、ガザとエジプトの間の自由往来を実現した。ガザから陸路で来る人々だけでなく、西岸から飛行機でエジプトに来るパレスチナ人も簡単に入国できるようになった。エジプトの入国係官の中には、いまだに親ムバラク・反同胞団の人もいて、彼らは新政権の言うことを聞かず、新政策を始めた初日、カイロの空港に降り立ったパレスチナ人にビザを与えなかった。 (Egypt allowing Palestinians freer temporary entry)
エジプト政府は同時に、ガザに電力とガスを供給することを決めた。これまでガザは、イスラエルから電力の供給を受けていた。エジプトとガザは以前から送電線がつながっており、05年ごろからイスラエルでなくエジプトがガザに電力供給する構想があった。イスラエル(特に05年ごろのシャロン政権)は、ガザの面倒をエジプトに押しつけようとしたが、エジプトのムバラク政権は「口だけパレスチナ支持、実は米イスラエルの傀儡で事なかれ主義」だったので、電力供給源の切り替えが実現しなかった。 (Gaza to soon get electricity and gas from Egypt, Hamas official says)
ここ数年、ガザとエジプトの国境は、何度か開放されそうな流れになったが、そのたびに事なかれ主義のムバラク政権によって再び閉鎖されてきた。だが今回は、ガザを統治するハマスの兄貴分の組織であるムスリム同胞団がエジプトの政権を取ってガザを開放したのだから、ガザが再び封鎖されることはないだろう。 (中東の中心に戻るエジプト) (「ガザの壁」の崩壊)
ちょうど、ガザやエジプトなどイスラム世界全域で、7月20日から祝祭年中行事として最大の断食月(ラマダン)が始まっている。これまで何年も狭い地域に密集して閉じこめられてきたガザの人々にとっては、自由渡航の開始が、ラマダンを期したムスリム同胞団からの大きな贈り物となった。モルシーが大統領になったらガザの封鎖を解くことは事前に予測できたが、実際に封鎖が解かれるやり方はあまりに静かで、大した報道もされず、ガザ開放の意味の重大さを忘れさせるほどだ。
▼パレスチナ人を「人間の盾」に使っていたアラブ諸国
これまでエジプト、ヨルダン、シリア、レバノンといったイスラエル周辺のアラブ諸国は、パレスチナ人を政治的な「人間の盾」として使ってきた。アラブ諸国の政府の多くは、自国の政治への不満から国民の目をそらすためパレスチナ問題を使い、イスラエルを敵視してきたが、実際のところアラブ諸国の多くは米イスラエルの傀儡か、負けて窮している敗戦国であり、イスラエルと再戦争して勝てると思っていない。アラブ諸国の政府は、パレスチナ問題を「アラブの大義」などと持ち上げつつも、同じアラブ人であるはずの、自国に逃げてきたパレスチナ難民に対し「イスラエルに勝ってパレスチナ国家を建国しよう」などと絵空事を言うばかりで、市民権も与えず差別してきた。「人間の盾」なのだから、西岸やガザにいるパレスチナ人を外に出すわけにいかなかった。
20世紀初頭、オスマントルコ帝国の崩壊を機に、アラブの地域内に半ば人工的な国境線を引いてバラバラの中小国家に分断し、個別に国王や独裁者を置いて小さなナショナリズムを植え付けて相互に反目させ、アラブを分割支配するのが、この百年の欧米の中東戦略だった。ムバラクもアサド父子もハーシム(ヨルダン王家)も、大体この線に沿って国家運営してきた。パレスチナ人に、小さなナショナリズムを持った小さな国家を与える従来のパレスチナ和平構想も、欧米の中東支配の流れに沿っていた。
モルシー政権のガザ開放は、エジプトが、パレスチナ問題を従来と全く異なるものとして見始めたことを示している。モルシーのムスリム同胞団は、小さな国民国家が欧米に分断されて延々と兄弟喧嘩する従来のアラブ諸国の状況を乗り越える、汎アラブのイスラム主義を掲げている。アラブをイスラム主義で統合し、パレスチナ人とかエジプト人とかシリア人といった従来の国籍やナショナリズムを、過去の遺物にしてしまうのが同胞団の究極の目標だろう。
国民国家を越えて地域を統合する試みという点で、ムスリム同胞団はEUと似ている。両者の違いは、EUが顕在的に国家統合を試みているのに対し、同胞団は隠然と統合を進めようとしている点だ。そもそも国民国家は人類史上、自然にできたものでなく、フランス革命の実験後、マスコミや教育で人々を洗脳して国民に仕立てて作られた、人工的なものだ。EUや同胞団の試みは、フランス革命以来の国民国家の事業を超える、新世代の人類の体制を模索するものであり、世界的に重要だ。
(日本は偶然、1列島1民族1国家の天然の国民国家なので、国民国家が人工的なものという考えは、沖縄やアイヌなど同化させられた側の人々を除く、多くの日本人に理解不能だろう。同じ1列島1国家でも、英国はイングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドという多民族だ。いずれスコットランドは独立する) (No poverty in an independent Scotland)
同胞団の超国民国家の試みのもとで、パレスチナ人やパレスチナ国家は、むしろ邪魔だ。だから同胞団はガザの国境を開け、パレスチナは自然にエジプトの一部になり出した。政治的にも、もともと同胞団とハマスは同一組織だ。モルシーは、ハマスと対立してきた西岸のパレスチナ自治政府(PA)のアッバース大統領とも会談しており、次の目標はエジプトの仲裁でPAとハマスを和解させることだろう。
そのうち、内戦が一段落した後のシリアやヨルダンでも同胞団が強くなり、隠然と統合されていく同胞団系の国々がイスラエルを取り囲む。その流れの中で、イスラエルはエジプトと協調し、パレスチナ問題に何らかの解決を与えようとするだろう。同胞団はイスラエルを「潰す」必要がない。イスラエルがユダヤ人本来の現実主義を保持しているなら、パレスチナ問題で譲歩し、同胞団と和解するだろう。問題は、米イスラエル政界に巣くう右派が、イスラム世界と絶対に和解しない非現実的な強硬姿勢を意図的にとり続け、イスラエルを自滅させようとしていることだ。
米国は覇権国として、英国から中東分割支配の体制を引きついだものの、米国が最近やっているのは、中東全域でイスラム主義を扇動し、エジプトなどアラブ諸国で民主化運動を起こして、同胞団を強化することだ。エジプトに同胞団政権ができるのと同じタイミングで、米国の外交戦略を決める奥の院である外交問題評議会(CFR)のハース会長がイスラエルにやってきて「米国がパレスチナ和平交渉において大きな役割を果たす時代は終わった」「誰が米国の次期大統領になっても国内問題に忙殺され、パレスチナ問題をあまりやらないだろう」と言って帰った。 (Ex-U.S. official: American dominance over Mideast peace process is ending)
最近ではクリントン国務長官もイスラエルを訪問したが、イランやシリアの問題ばかりが議論され、パレスチナ和平についてはほとんど何も語らずに帰っていった。もう米国はパレスチナ和平を仲裁しないだろう。代わりにエジプトがやる流れになっている。 (Mideast peace slips to second billing for US)
そんなおり、駐米国のイスラエル大使館では、ネタニヤフ首相が任命した大使と、外務省から来た副大使が対立し、機能不全に陥っている。これは右派と中道派の対立で、見かけ上は大使の側が右派だが、実質はおそらく外務省の方が右派という、暗闘状態になっている。イスラエル外務省は以前、首相が政治的に協調的外交をやろうとすると、組合が時期はずれの長期ストライキをやって外交を機能不全に陥れる策略をやっている。イスラエルが米国の中東外交を牛耳る従来の戦略が無力化されている。 (Israel's embassy to the U.S. in turmoil)
イスラエルにとって危険なのは、エジプトやハマスとの関係が問題になる南方戦線でなく、シリアやレバノン、ヒズボラとの関係が問題になる北方戦線だ。南方は外交交渉で何とかやれる。北方は、内戦のシリアに中東全域からスンニ派の武装過激派(いわゆるアルカイダやアフガン帰り)が、米国やサウジが用意した武器を受け取ってどんどん流入している。今後アサド政権を倒したら、その後の彼らの敵はイスラエルになる。ゴラン高原の国境付近からイスラエルを砲撃するかもしれない。イスラエルは、シリアとの戦争に巻き込まれかねない。 (Islamic Fighters Swarm into Syria)
レバノンの与党でもあるシーア派武装組織ヒズボラも、イスラエルと戦う気が十分にある。イスラエルが06年に仕掛けたヒズボラとの戦争は、戦線拡大の危険を悟ったイスラエル側が1カ月後に停戦する「引き分け」で止まっている。それ以来ヒズボラは、レバノンの政権を取ったこともあり、次にイスラエルが戦争を仕掛けてきた時に備え、軍備を大増強している。ヒズボラはアサド政権と親しく、アサド政権は崩壊する前に良い兵器をヒズボラに横流しするだろうとも言われている。 (Barak Orders Israeli Military to Prepare for Syria Invasion) (ヒズボラの勝利)
イスラエルがレバノンやシリアと戦争になると、イランとの戦争に拡大して「中東大戦争」になるだろう。中東で戦争を起こしたがる勢力は、米国の右派、イスラエルの右派(1970−80年代に米国からイスラエルに移住してきたユダヤ人が中心、要するに米国人)、アルカイダ(米軍やCIAに操られる傀儡テロリスト。これも米国系勢力といえる)など、すべて土着でない米国系の組織だ。土着の組織である同胞団やハマス、ヒズボラなどは、他の地域の土着勢力と同様、中東が安定して経済発展できることを求めており、戦争を望んでいない。土着勢力を「テロリスト」呼ばわりするのは米国の濡れ衣だ。 (中東大戦争は今週始まる?)
米国の中枢で「中東民主化」を押してイラク戦争を強行し、中東の反米イスラム主義を扇動し、米国の覇権の力を浪費した張本人は、親イスラエルのふりをした反イスラエルのユダヤ人らの集団「ネオコン」だった。その中心人物の一人であるエリオット・アブラムスは、CFRの研究員として、同胞団がガザを開放したことを、いち早く分析して書いている。事実だけを淡々と解説しているだけだが、中東の事態がネオコンがこっそり狙ったとおりの展開になっていることを考えると、アブラムスがガザ開放に注目するのは興味深い。 (Egypt opens to Gaza By Elliott Abrams, CFR)
2012年7月24日 田中 宇
田中宇の国際ニュース解説より
http://tanakanews.com/120724mideast.htm
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