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ゴジラが日本に上陸してから60年弱になる。敗戦の余燼も未だ漂う折、水爆実験という科学の暴走に対して日本人が抱いたのは、自然からの、おごり高ぶった人類に対する復讐の恐怖だった。それは、ゴジラという姿となって現れたのだが、その威容はもちろん、付された音楽は強烈な、原始的なリズムで見るものを威圧した。
この音楽を作曲したのが日本映画音楽史上に燦然と名を輝かす伊福部昭であり、あまりにも『ゴジラ』が有名過ぎて他の作品が語られることは少ないが、『ビルマの竪琴』『座頭市』『大魔神』などの音楽も担当している。
伊福部昭は1914年、釧路に生まれ、北海道帝国大学農学部に進学後、北海道庁地方林課に務めるかたわら、学生時代より独学で行なっていた作曲活動も継続する。在野の作曲家であった伊福部がアカデミックな場に登場するのは、敗戦の混乱期である。すでにいくつかの曲を発表して名が知られていた伊福部は、戦後、東京音楽学校(現・東京藝術大学)に作曲科講師として招聘された。招聘したのは学長・小宮豊隆であるが、小宮は夏目漱石の一番弟子の文人であり、音楽の専門家ではない。小宮が独学作曲家である伊福部を招聘するに至った経緯は詳らかではないが、異例の、勇気ある人事であったことは間違いない。だが、小宮の期待には十分応えられたようで、この伊福部門下からは芥川也寸志、松村禎三、黛敏郎といった作曲家が輩出しており、後年、自らも学長を務めている。
(『月刊日本』2012年4月号より転載)
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