http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1971.html
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小泉改革と金融危機によって促進された新自由主義的社会崩壊政策で、社会的被排除者(失業者、ニート、格差・ワーキングプアー、社会的弱者等)が増加ないし犠牲を強いられていることに対して、昨年来「排除(exclusion)ではなく包摂(inclusion)を」といわれる政策の提言が求められてきた。これは菅総理の目玉政策の一つといわれ、福山官房副長官を座長とする「一人ひとりを包摂する社会」特命チームが結成され、東北大震災の惨状をふまえてようやくまとまった。
「社会的包摂政策を進めるための基本的考え方」
(社会的包摂戦略(仮称)策定に向けた基本方針)平成23年5月31日
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/housetusyakai/dai6/siryou2_3.pdf
「社会的包摂政策に関する緊急政策提言(案)」平成23年8月10日
「一人ひとりを包摂する社会」特命チーム
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/housetusyakai/kettei/20110810teigen.pdf#search
菅総理の退陣表明、次期民主党代表が誰になるかという話題豊富な中で、地味ではあるが、今後の福祉国家、基本的人権、民主主義、市場経済のありかたを考えるのに重要な問題なので、あえて諸賢人にご意見を開陳されることを望みます。まずネット上で、この聞き慣れない「社会的包摂政策」
の概略を理解していただいて、私見を添えておきます。
@『提言 経済危機に立ち向かう包摂的社会政策のために』平成21年(2009)6月25日 日本学術会議 社会学委員会経済学委員会合同 包摂的社会政策に関する多角的検討分科会
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/Kohyo-21-t79-1.pdf#search
A『EU・英国における社会的包摂とソーシャルエコノミー 中島恵理』 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/561/561-02.pdf#search
Bネット2chの傑作「働けクズ」
社会「働けクズ」
ぼく「じゃあ働く」
企業「クズは働かせません」
ぼく「じゃあ死ぬ」
社会「自殺はやめよう」
ぼく「じゃあ死なない」
社会「でもクズって生きてる価値ないよ」
ぼく「もう死ぬ」
両親「お願い死なないでちゃんと働いて」
ぼく「じゃあ働く」
企業「クズは働かせません」
ぼく「なるほど」・・・・・・・
私見
@「社会的包摂(Social Inclusion)」という概念に、将来性はあるのか。
社会的に恵まれない市民の排除を救済・防止しようということで悪いことではないが、障害者福祉におけるインクルージョンと同様、一般化するには日本では無理があるのではないか(障害者教育では特別支援または援助という表現が耳に優しい)。おそらく「包摂」という訳語自体が一般になじめるようにはならないだろう。また「包摂」という概念では「社会参加」という主体的側面が軽視され、役人的発想が生じないだろうか。
欧米直輸入の概念や政策は、必要ではあっても日本的に改善すべきである。日本学術会議の提言@にあるように、EUの概念と比べても今回の提言の内容は、狭く限定的である。絆、結、講のような共同体的、相互扶助的連帯の精神や意識改革も含んだ概念や政策が必要ではないか。
A基本的人権つまり人間の意識や倫理・道徳の問題を排除していないか
新自由主義にみられる市場原理主義は、思想として排除の論理を背景に持っているBことへの言及が必要。また国際競争力論や経済合理主義に対して基本的人権や社会正義・公正論との対立の克服、そして政治経済社会のあるべき姿や人間としての生き方・ものの見方考え方にまで言及する必要があるのではないか。
セーフティネットという消極的政策では対応できない問題を、社会参加や連帯をすすめ、社会の中にどう位置づけるかが必要である。国家政策として福祉や援助・救済に対する否定的風潮(小さな政府論)、自己責任・悪運・悪平等という批判にも答える必要がある。そのために個人と個人、個人と国家社会の関係、民主主義・契約社会に対する態度等について倫理的・道徳的・情緒的次元からの議論・啓発・教育が必要である。つまり「社会的包摂」よりも先に今後の日本の福祉社会のあり方、また資本主義市場社会のあり方、国家の介入の仕方、共同体のあり方について、憲法理念に基づく原則的な国民的議論が必要なのではないか。
B格差社会の根源、市場原理の問題点、資本主義と道徳の再考が必要
極端な社会主義でも資本主義でもない、日本の国民性に合った第三の道が考えられると望ましいのではないか。緊急提言なのでやむを得ないかもしれないが、対処療法・思いつきに矮小化されない中長期的な観点が乏しく、何か「緊急提言」という用語で本質的議論から逃げているような気がする。このような哲学的考察のない思いつき的政策では将来性がないのではないか。社会的排除の問題は、民主党が持続的に追求するべき課題であると思うので、「緊急提言」に終わらせないでもらいたい。
C結論は厳しいが、提言が貧しければ政策が豊かになるはずがない。
次期政権にも、この提言が官僚の作文に終わらないよう、国民の心を打ち将来展望が開ける提言と政策の実現を図ってほしい。「一人ひとりを包摂する社会」とはどのようなものか、それが明確になったときはじめて実効的な政策が実現できるだろう。Kは消えてもSIは輝く・・・・であればなあ。
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