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(この拙文は、5月4日に藻谷浩介、平田オリザ、加藤陽子等の各氏を選考委員とした朝日新聞の「ニッポン前へ」の論文募集に応募投稿し、この度予想通り正式に選外となったものです。
藻谷氏等の選考か編集部の事前スクリーニングによるのか不明だが、元より筆者の主張が復興増税に固執する「増税翼賛会の機関紙」の朝日にそもそも掲載される筈がないのだが、筆者の主張が近々同紙に掲載されると言う選考作と比べて世に問うに値しないレベルのものであったかも知れず、その点は読者のご判断をお待ちしたい。
なお、当誌の編集者及び読者には、上記のような経緯のため可也の長文である事、事態の進展と共に古びてしまった部分がある事をお詫びいたします)
3月11日に発生した東日本大震災により、取り分け東北地方は壊滅的被害を蒙り、人災とも言える福島第一原発事故の収束は未だ明確に見通せない。
特に損傷した原発炉について、最後は人間の手で施工せざるを得なく被曝のリスクがある冷却循環系の回復作業の具体的シナリオが描き切れていない上に、実行への政府の強い意思が不在である。
東北の復興は、原発事故の安定化と被災者の日常生活の成立が当然の前提であり、政府は一日も早くこれらを実現しなければならない。
しかしながら、これらを便宜上一旦別枠とすれば、復興に必要なものは、(1)復興策の中身、(2)復興のための体制、(3)復興を支える精神の3つである。
◆復興策の中身◆
先ず、復興策の中身について、その留意点は次の3点である。
●東北の復興と共に日本が浮上するものであること。
●復興財源は増税でなく、「復興債」発行と復興需要等に伴う税収増による償還が基本であること。
●震災・原発事故を逆手に取ったアイデア、集約化、飛び道具による差別化が必要であること。
震災前にも、バブル崩壊以降、デフレと景気低迷で日本の経済活力の長期凋落傾向が続いていた。
今回の震災で、一定の復興需要は見込めるものの、日本が世界の二流国に落ちぶれる危険性が国内外から指摘されている。
復興の中心は、地場産業である農業・漁業となるのは間違いないが、単に東北地方が元通りになるだけでなく、お釣りが来て日本全体が活性化するようなプランでなければ、日本の二流国化は避け難い。
また、政府負担の割合は別途論じられるべきだが、便宜上単純復旧を仮定して試算しても原発関係を除いた被害額16〜25兆円、原発賠償関係で数兆円以上とも言われる復興費用を増税に頼れば、復興需要を打ち消して大きくマイナス成長が続き日本経済は二度と立ち直れまい。
復興費用は、「復興債」を発行し通常予算と完全に別枠にして賄うべきだ。
復興債については、無利子国債の発行、相続税非課税国債の発行、日銀引き受け等、様々なアイデアがあるが、何百年に一度の大震災である事を考えれば、日本円の価値の直接的希釈化も導く政府紙幣発行を含めた思い切った方法が検討されるべきだし、国際社会からも許容される余地が十分ある。
(因みに、行政改革による冗費の削減や「埋蔵金」の切り崩しについては、復興とは別に平時に於いても整然と行われるべきものである)
なお、復興債の償還については、少なくとも建物や構築物等のインフラの建設費用分は、建設国債に倣って耐用年数である数十年以上を掛け、復興需要及びその稼動効果による税収増によって賄われるべきである。
それ以外についても極力税収増により賄い、もし増税が不可避な場合でもインフラの稼動効果がはっきり現れる5年程度以降からの課税が最低条件だ。
逆に言えば、上記のような経済成長を期待できないような復興プランでは、そもそも今後の日本経済は成り立つまい。
具体的な復興策としては、例えば沿岸部の街の復興について、津波からの防災のために山を造成し高台に居住区を造り、そこから漁港に通勤するようにしたり、平地に強化した鉄筋コンクリートの高層マンションを建設し、周囲は農地や野菜工場、逆に塩田、養殖場として利用するというアイデア等が識者から既に出ている。
その一環として、宮城県の村井知事は、菅直人首相の諮問機関「復興構想会議」(議長=五百旗頭真 防衛大学校長)に対し、「交通インフラに堤防の機能を付与する」として、沿岸部の道路や鉄道を復旧させる際、盛り土構造にして防波堤機能を併設させる案を提言した。
これらは優れたアイデアであるし、単なる元通りの復旧ではなくて主に防災機能という付加価値を高めた復興である。
しかしながら、敢えて言えば、これらは地震と津波の被害によってマイナスになったものをゼロに戻し、加えて防災機能に着目して言えば今回顕在化した将来のリスクを減少させるものであり、付加価値とは言え少なくとも外部から見れば、やはりマイナスをゼロに戻すものと映り、他地域との比較に於いて、例えば震災によって退避した企業にとってその地に戻ってくる必然性に乏しく、また観光客を引き寄せること等の点に於いて弱い。
これに対し、例えばジャーナリストの秋尾沙戸子氏は、「緑の堤防」構想というものを提言している。
以下に、少し長くなるが、秋尾氏のブログから引用させて頂く。
「今回の震災で私は津波の本当の恐ろしさを知った。コンクリートの堤防だと跳ね返され、かえって、その威力は倍増するのだ。しかし、『緑の堤防(=森)』を築けば、津波が木々の間を抜けるのに威力は半減する。その間に人々は逃げることが可能になるし、水が引くときにも森に引っかかって、海にもっていかれない。今回、松が流されたのは、松は根が横に広がり、浅いからである。しかし、タブノキなら、砂地でも根がまっすぐに深く伸びるので波に負けない。三陸海岸に合った木を植えればいい。
なぜ政府か、といえば、これを『国民植樹プロジェクト』にする必要があるからだ。」
「なにより、植樹を通して被災した人々の心が癒される。木々が成長する過程を見て、自分も前に進もうと思える。子どもたちは、自分が苗を植えた森を誇りに思う。自信がつく。全国から集まった人々も、東北への愛着がわく。ずっと復興を応援しようと考える。
幸か不幸か、震災のおかげで東北は世界一有名な地域になった。植樹祭は間違いなく、世界中でニュースになる。美しい景観は将来、東北の観光資源になるのだ。」
(以上、「秋尾沙戸子のサトラギ日記」「いのちを守る『緑の堤防』 東北から世界へ」2011.04.24 http://www.akiosatoko.com/blog/?p=1619 より抜粋)
筆者は、実際に「緑の堤防」が津波に対し、どの程度の防災効果があるのか判定できる知見を持ち合わせていない。
また、植樹祭がどれ程の観光資源になるのか不明だし、理想主義の綺麗ごとのようにも映る。
しかし、ここには単にマイナスをゼロにするだけでなく、(この場合は物語としての)プラスの付加価値を加えようという発想がある。
実際には、地形その他の条件に合わせ前述の高台居住、高層マンション、交通インフラ堤防との取捨選択、あるいは組み合わせが必要だろうが、このような震災・原発事故をある意味で逆手に取ったものでないと、新たなプラス要素を作るのは難しい。
浅学の筆者が他に思いつくのは、原発事故の放射性物質汚染を除去する先進技術の研究実験拠点、津波の犠牲への鎮魂と教訓をテーマにして、あえて復興を行わない「津波メモリアルパーク」等に過ぎないが、メタンハイドレードや太陽光、風力、波力、地熱発電等の新エネルギーの基地や機器工場、岩手県の達増知事が提言した物理学の実験をする加速器「リニアコライダー」の整備による先端技術の集積と新産業の創出やスマートグリッド、電気自動車の先駆的導入等も、原発事故被害の逆転的克服というブランド効果の面では、ある程度この「逆手に取ったアイデア」のカテゴリーに含まれるだろう。
その他、漁港を集約するアイデア等が言われているが、今までは出来なかった集約化を行うことにより効率化が図れるようなものは、新たなプラス効果を発揮する。
また、10年間程度〜恒久的な優遇措置を伴う様々な規制緩和特区を設けるべきだが、飛び道具としては、東京都や沖縄での導入が近年唱えられてきたカジノ構想を思い切って東北、特に今回原発事故の被害を一番受けた福島県で実現することも考えられる。
もちろん地道な復旧が必要な分野も広いが、東北の復興には、このように震災・原発事故を逆手に取ったものや集約化および飛び道具による国内外の他地域との差別化が不可欠であろう。
筆者は、復興の具体策は、地元を筆頭に国内外より広く募ったアイデアに対し上記を判断基準の一つとして取捨選択すべきと考える。
なお、今回の震災により東京を含めた日本全体も地震と原発事故のリスクがあることが国際社会の共通認識になりつつあり、これを払拭するためにも関西地域に首都のバックアップ機能を設ける必要がある。
◆復興のための体制◆
さて、冒頭触れたように、東北の復興は、原発事故の安定化と被災者の日常生活の成立が当然の前提であり、政府は一日も早く目処を付けなければならない。
しかし現菅政権で、これらに加え復興の実行をやり切れるかには以下の点で大いに疑問がある。
(1)初動を含めた対応の誤りと遅れで福島第一原発事故拡大の人災を招いた事
(2)省庁間の調整や指揮がとれず、震災復旧が停滞している事
(3)原発事故等への情報隠蔽体質による実害と、それにより国際信用を失っている事
これらについて、菅政権側にも様々な言い分はあろうが、少なくとも最終責任はやはり首相が負わなければなるまい。
なお例えば、菅首相は、4月17日に漸く東電が発表した安定化までに最大9ヶ月掛かるとした福島第一原発事故収束のロードマップに対し、翌18日の国会審議に於いて全力で取り組む姿勢を表明した。
これは、不手際が続いた菅政権の対応が一見改善したようにも見える。
しかし、菅首相が述べたのは、「政府としても全力を挙げて、東電の作業に対しては協力、一緒になってやる、あるいは逆に叱咤(しった)激励して、国の力でやれることはやっていく」という事であり、相変わらず未曾有の大事故に対し政府は「サポーター」のスタンスを取って最終責任を巧みに回避しており、国としての主体性が完全に欠落している。
また同18日、菅政権の中枢である枝野官房長官は、経済産業省幹部の東電への天下りについて当面自粛を求める事を明らかにした。
だが、官房長官は、2月の国会答弁でこのパターンの直近の天下りを天下りとして認めていないのに加え、今回求めたのは「当面の自粛」という曖昧なものであり、そこには今回の原発事故に繋がる原発規制の空洞化を招いた天下りへの真摯な反省が感じられない。
上記の観点から、筆者は、菅政権は資質と能力に欠けており、速やかに退陣し例えば下記のような体制の「救国政権」をもって臨まなければ、原発事故の収束と震災復旧、復興は方向性なく彷徨って進展しないと考える。
なお、図らずも菅政権が続いたとしても、この内の要点は実現されるべきである。
-「救国政権」および原発政策等についての骨子私案-
●先ず、民主党が全与野党に協議を呼び掛け、民主・自民の二大政党以外から首班を出す事を決め、閣外協力を含め極力全党参加の下「救国政権」の枠組みを作る。
(なお、もし民主・自民両党から首班を出さざるを得ない場合は党籍離脱を条件とし、オール・ジャパンであることを明確にする)
●「救国政権」の期限は1年間とする。
●民主のこれまでの震災対応と原発事故対応、自民の過去の原子力政策等の問題点の検証は別途委員会を作り、今後の震災復興、原発事故対応とは切り離して行う。
●相当な手腕を持った者を「原発事故担当相」兼副首相に任命し、今回の事故処理及び今後の原子力行政の改革に当たらせる。
●大規模な「東北復興院」を仙台に設置し、現役政治家以外から選出した院長の下、政党、地方自治体、経済界、労働界、言論界からの参加及び官僚の割り当てにより、各省庁から必要な権限を移譲し復興事業を計画・実施し、かつ全国の道州制導入の試金石ともする。
●相当な手腕を持った者を「東北復興担当相」兼副首相(前述「原発事故担当相」とは別途)に任命し、「東北復興院」及び内閣、各省庁間の調整に当たらせる。
●新政権は、官僚をシンクタンク、実行部隊として使いこなす事を宣言し、官僚には復興への全面協力を宣誓させる。
●新政権は、情報発信について国内外に対し、これまでの対応を謝罪しオープンで迅速かつ正確な発信を行うことを宣言する。
●今回の原発事故は有事であり、東電の当事者能力を超えるため、事故対応は司令塔として政府が主体的に一元的に責任を負い、東電に命令を下す形で行う。
●一方、逆に補償については、東電が主体となり、資産処分、役員報酬・職員賃金の圧縮、株主責任を含め一義的に行い、債務超過に陥らざるを得ない部分のみ国の負担とする。
●原発の今後の方向性は、電力供給の手段であり道具の一つであるという事を基本に据え、安全性とコストを軸に全廃・縮小も選択肢に入れ国民的議論の下に決定する。
●電力会社は、発電と送電に分割再編し、新エネルギーを含め発電の多様化を図る。
●原子力安全・保安院は、経済産業省の傘下から出し、原子力安全委員会と統合し大幅強化増員の上、公正取引委員会のように内閣府に外局としてぶら下げる。
◆復興を支える精神◆
さて、本来はこれが冒頭に来るべきだが、復興に必要な第一のものは、それを支える精神である。
今回の震災被災地域で略奪行為等が殆ど行われなかった事や避難所での被災者の秩序だった辛抱強い行動が、海外メディアから驚きと尊敬を持って報じられている。
これらは、日本の神代に遡る水稲農業や島国であること等によって培われた共同体の強さ、神道の「明き清き心」や「祓いと清め」等のシンプルな教義に根差した道徳性の高さに由来するところが大きい。
またそれらは、国民一丸となって成し遂げた戦後の急速な復興の原動力になった事は間違いない。
一方で、3月11日の大震災は天災だが、それによって引き起こされたとは言え、未だ収まらぬ原発事故は明らかな人災であり、その原因は、政権中枢、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、東電等の各組織に跨る次の3点に集約できる。
(1)予見されていた大津波や電源が全て失われた場合への対策を打っていなかった非合理性
(2)事故対応の遅さと不首尾に現れた官僚体質による無責任体制と主体性の欠如
(3)一回目の水素爆発から発表が5時間後になった事に象徴される情報隠蔽体質
これらは、太平洋戦争に於ける彼我の戦力分析等についての非合理性、陸海軍内の責任体制の曖昧さ、「大本営発表」に象徴される情報隠蔽に符合する。
今回の事態は、日本にとって言わば「原発敗戦」ともいえる第二の敗戦である。
これらをもって、「日本人は一般の国民は勤勉で優秀だが、戦前戦中で言えば政治家や軍の指揮官、現在で言えば政治家や官僚、大企業のエリート層は無能だ」と言うようなステレオタイプの言説がTVの司会者や識者のコメント等で散見される。
だがエリートも一般の国民も同じ日本人であり、特に政治家は有権者として国民が投票によって選んだ者である。
日本に2種類の違うタイプの国民がいるが如き、言い方はそもそもおかしい。
TVのコーナーを綺麗に纏めるには好都合なコメントだが、視聴者は何となく納得してそこで思考が停止してしまう、社会にとって何の利益ももたらさない生産性のない言説である。
「日本人の共同体の強さ」や「シンプルな教義に根差した道徳性の高さ」は、裏返して悪く作用すると、「集団主義」や「構造的思考力の欠落」となり、上に挙げたエリートの非合理性、無責任体制、隠蔽体質を許す温床であり、またそれは、震災前にも進んでいた日本の長期凋落の遠因でもある。
両者は表裏一体でコインの裏表に過ぎない。
日本の中に2種類のタイプがいる訳ではなくて、一人ひとりの日本人の精神の中心に日本人に特徴的なコア(核)があり、それが他者・外部との関係で、ある時はポジティブに発現し、ある時はネガティブに発現し、共存して内在しているのだ。
欧米諸国も時に様々に大きな失敗をするが、概ねそれを教訓とし合理的な対策を重ねた歴史と言える。(一方で、一神教の行き過ぎた善悪二元論には別の問題はある)
「日本人の底力があれば必ず復興できる」とは、TVコマーシャル始めよく耳目にするようになった耳当たりのよいフレーズだ。
しかし筆者は、今後日本が震災から復興し、かつ国際競争を勝ち抜くためには、上述したように今までの延長だけでは不十分と考える。
今回の大震災と原発人災を機に、伝統的価値に根差した強みをメリットとして生かしつつも、合理性、明確な責任体制、情報オープン化等を、主体性を持って新たに取り込み、更にそれらを戦略的思考の下に統合するような2千年来の日本人の自己改造、意識革命、精神革命の大転換が必要である。
東北復興は、この一人ひとりの日本人の内なる魂の革命と、それによる社会構造の変革、日本改造の下にこそ成就する。
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