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副島隆彦は八百長のプロパガンダをやめよ
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1689.html
投稿者 ペリマリ 日時 2011 年 5 月 24 日 21:36:19: wYkwR80YgQReU
 

管理人様

2重投稿で大変申し訳ありません。
改行を直したこちらを使ってください。
お手数をかけてすみません。

副島隆彦に告ぐ。
あなたに東電を刑事告訴する資格はない。
あなた自身が犯罪者ではないのか。
福島第一原発事故の放射能汚染を何でもないように吹聴して、
被災者や会員を唆すのをやめよ。
事故は本当に深刻なものである。
レベル7は捏造ではない。

http://www.youtube.com/watch?v=2onC01URt9c&feature=iv&annotation_id=annotation_530508


ここ阿修羅ではあなたが原発事故直後から発し、
そして、今も継続中の安全宣言の是非についてくり返し議論されている。
あなたは安全宣言を再考も撤回もしないばかりか、年間安全基準値を100まで引き上げるべきだ、
そうすれば福島は復興できるのだと言い張っている。

呪術的才能によって安全を確信したと言いながら、
いわゆる原子力村の権威筋や御用学者の見解を盾にして、その場しのぎのごまかしを続けている。
最近はとうとう現地に事務所を開いて弟子を常駐させる狂言まで始めようとしている。

安全宣言をした救国の英雄がいつも福島にいるような錯覚を覚えさせる書き方を計算づくでやってきて、
引っ込みがつかなくなってしまったとはいえ、弟子だけ常駐させるとは何という欺瞞だろう。

私はkanegons氏から啓示を受け、『副島隆彦はジェイの走狗』は真実であること、
デーヴィッド・バッシングは八百長であることを確信した。
(その経緯はhttp://www.asyura2.com/11/cult8/msg/148.htmlに詳しいことが載っているので参照されたい)

副島隆彦が福島で煽動していることは原発利権の走狗とも言えるものである。

昨日発売された鬼塚英昭著『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』の中に、
原発利権の黒幕が実名で名指しされている。鬼塚氏は我々のために命懸けで書いてくれている。
少し長くなるが原発利権の重要な箇所を抜粋していく。
この情報を拡散することは鬼塚氏の身の安全につながると信じる。
ロスチャイルドとロックフェラーの利権の関係も見えて来る。
インターネットを席巻している『世界皇帝』デーヴィッド・ロックフェラー叩きはヤラセであることが分る。


第1章 原発マフィア、誕生の物語


「私はこれから原子力発電所、否、核兵器製造工場のことについて書くことにする。
どうして、日本に核兵器製造工場が造られたのかを追求していく。
私はこれらの工場をアメリカから持ち込んだ人間たちを追跡する。
それらの人間たちが、普通の人間ではなく、マフィア的人間であることを読者のみなさんに説明する。
彼らを”原発マフィア”と呼ぶことにする。」

「私たち日本人は、広島と長崎に原爆を落とされた唯一の民族なのに、また、彼らの罠にはまっているのだ。」

「私はまず、ヴィクター・ロスチャイルド(1910−1990)について書くことにする。
どうしてか?彼こそが”原発マフィア”の中でも最も大きな力を持っていたからである。
しかし、いかなる原爆の本を読んでも、日本を問わず、欧米においても、
一行たりとも全くその姿を見せたことがない。彼は闇の中にほぼ完全に隠されている。
しかし、彼こそが原子爆弾を、そして原子力発電所を創造した男なのである。」

「原子力爆弾を製造すべく、アメリカは『マンハッタン計画』を立てる。
この計画は、1939年8月2日に、アルバート・アインシュタインが
フランクリン・ルーズベルト大統領に書簡を送って、原爆製造にアメリカが着手するようになった、
というのが現代史の定説とされている。
しかしヴィクターこそが原爆製造の”主役”であることは全く知られていない。すべてが謎につつまれている。」

「シラード(ハンガリー系ユダヤ人の物理学者レオ・シラード)の妄想から原子爆弾のシナリオが生まれた。
シラードはイギリス海軍に行き、原爆の特許を申請した。だが、陸軍は耳すら貸さなかった。
しかし、イギリス海軍はシラードの特許イ申請を認めた。彼の特許は『最高機密』とされた。」

「第二次世界大戦が始まった時、ヴィクターはMI5(英国軍事諜報部第五部)の危機管理官であった。」

「シラードの原爆製造の構想を誰よりも早く知ったヴィクターはチャーチルを動かし
(チャーチルはロスチャイルド家の使用人であった)『チューブ・アロイズ計画(管用合金計画)』を作らせた。
この計画によって、偽装機関である『管用合金管理委員会』が生まれた。」

「1941年10月、ヴィクターは管用合金管理委員会に入り、核兵器開発の全過程を監督した。
ヴィクターの支配するインペリアル・ケミカルズが原爆製造の中心となった。
また、同じくヴィクターの支配下にあったイギリス最大の兵器会社ヴィッカースもこの委員会に加わった。
チャーチルはこの委員会に巨額のポンドを与え続けた。」

「しかし、ヴィクターはウラン235の抽出には、さらに巨額のポンドが必要であることを知る。
そこで、彼は、サー・ジョージアンダーソンに命じてチャーチルに事後承諾させ、
この原爆計画をアメリカに売り込むことにした。」

「『マンハッタン計画』の最高責任者はヘンリー・ステイムソン陸軍長官(実質は国防長官)であり、
ロンドンにあるロスチャイルドを中心とする組織『ザ・オーダー』のアメリカでの最高の地位にあったのも
ステイムソンであった。」

「この『マンハッタン計画』に使われた費用は財務省と連邦準備銀行から出された。
このときの財務長官は、ヘンリー・モーゲンソー・ジュニアである。彼はロスチャイルドの血族である。
『マンハッタン計画』とは、イギリスの原爆製造計画の場をアメリカに移しただけで、
実質的には、ヴィクター・ロスチャイルドの意向通りに進められたのである。」

「ヴィクターはケンブリッジ大学時代に『使徒会』なる秘密結社に入った。」

「この結社に入った殆どの学生はホモセクシュアルの関係にある。
ヴィクターは(略)『ケンブリッジ五人組』のホモ組織をつくり、そのリーダーとなった。
ヴィクターは仲間の彼らをソ連のスパイに仕立てあげた。
原爆の開発過程が具体的に進行していくにつれ、彼らはその機密情報オをソ連に流していった。
ついに原爆が完成して、広島と長崎に落とされた後も、彼ら五人組は原爆の重要情報を流し続けた。
この事実はマーガレット・サッチャーが首相の時代、ヴィクターの行状として明らかになる。」

「ヴィクターはどうして原爆情報をソ連に流し続けたのか。彼がソ連を支配していたからである。
ニキータ・フルシチョフが首相を退任後、『フルシチョフ回想録』を書き残したが、
その中で『スターリンがよく”ご主人様”という言葉を使っていた』と書いている。
間違いなくヴィクター・ロスチャイルドを指している。」

「第二次世界大戦でソ連は大打撃を受けた。そのなかで、原爆製造を進めて、1949年に完成させた。
原爆の図面、諸々の機器、そしてウラニウム(当時ソ連は持っていなかった)をヴィクターが
手配したのである。」

「ヴィクターはイギリス空軍の飛行機を乗りまわし、あらゆる国々でウラン探しを続けた。
広島と長崎に原爆が落とされた後、当時のウラン鉱山の約80%がヴィクターの手に落ちていた。
第二次大戦が終了すると、ヴィクターは、ウランの大量販売に乗り出すのである。」

「さて、ヴィクターは『原発マフィア』を準備したのである。
アメリカとソ連に原爆(水爆)闘争をやらせると同時に、原子力発電を視野に入れたのである。」


「1949年9月3日、ソ連が原爆実験を成功させた。
このニュースは、原爆から原子力空母、原子力潜水艦、原子力発電など、
原子力と名のつくものなら何でも製造しよう、という情熱をアメリカ中に引き起こした。
ヴィクター・ロスチャイルドの野望が見事に成し遂げられようとしていた。」

「私たちに日本人は、大きな”平和利用”としての原子力、すなわち核分裂を考えているが、
平和利用とは軍事産業の一分野なのである。どうして原子力発電にアメリカは力を入れるようになったのか。
核分裂から電力を取り出して、工場や一般家庭に送電するのは二次的目標なのである。
それは今日でも変わらない。真の目的はプルトニウムを大量生産し、原爆製造、
そして水爆製造をするためであった。製造後に大量に出てくる劣化ウランで爆弾を造り、
世界各地出の戦争を演出し、数十万、あるいは数百万単位で人々を殺害するためであった。」


第2章 日本の原発マフィアたち


日本の原発マフィア第1号 正力松太郎

「佐野真一が『謀略の昭和裏面史』(別冊宝島2006年)という雑誌の特集のインタヴューを受けて、
正力松太郎について答えて次のように語っている。」

「いちばん大きかったのは、GHQ経済科学局の副官だったキャピー原田という
日系二世の米軍情報将校に助けられたことです。」

「読売グループは周知の通り保守反共路線ですね。
それから彼は原子力の導入にも大きな役割を果たしていくことになります。
こうした正力の軌跡は、そのままアメリカの対日政策の変遷と重なります。
これは決して偶然ではないと私は思いますね。」

(以上佐野真一からの引用終わり)

「正力松太郎の懐刀で、原子力と正力を結びつけて影で活躍した人物に柴田秀利がいる。
彼は正力を『原子力の父』と呼ばせる仕掛け人となった。
有馬哲夫の『日本テレビとCIA』によると、NHKのニュース解説を務めた末、
電波管理委員会に随行してアメリカを視察、テレビ導入に奔走した男として登場する。
同書によると『CIAが日本テレビを工作の対象として動き出すのは1953年の3月25日
になってからのことだ』とある。」

「(1954年)3月1日、アメリカがビキニ環礁で水爆実験をし、
第五福竜丸が被曝したニュースを読売新聞が3月16日にスクープして報道した。
アメリカは驚いたに違いないのである。佐野真一は『巨怪伝』の中で次のように書いている。
『・・・放射能の影響からマグロの値段が半値に暴落し、東京・杉並区の一主婦から始まった
原水爆実験禁止の署名運動がまたたく間に三千万人の賛同を得ていたころだった。
(中略)数日後、柴田は結論を告げた。”日本には昔から”毒をもって毒を制する”という諺がある。
原子力は諸刃の剣だ。原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的に謳いあげ、
それによって、偉大なる産業革命の明日に希望を与える他はない。この一言にアメリカ人の瞳が輝いた。』」

「CIAから暗号名『ポダム』を与えられていた正力は、輝かしい日本の未来を願い、
CIAから一千ドルの小切手を貰って日本テレビを創り上げ、かわりに、三千万の人々の反原発運動を
『毒をもって毒を制する』方法で、原子力の平和利用を工作したというわけである。」

「読売新聞は1955年元旦、『原子力平和使節団招待』という社告を第1面に掲げた。
『原子力は学問的に見ても、とっくに技術開発の段階さえ終わり、工業化と経済化への時代、
それも輝くばかりの未来性を暗示する時代に来ている。
広島、長崎、そしてビキニと、爆弾としての原子力の洗礼を最初にうけたわれわれ日本人は、
困難を押し切ってもこの善意により革命達成の悲願に燃えるのは当然だ』
まさにオセロ・ゲーム的な文章である。”善意”でなくて”悪意”ではないのか。」


原発マフィア第2号、中曽根康弘


「中曽根はアメリカ特別大使J・F・ダレスが来日(1951年1月)した際に、
ダレスに航空および原子力の研究の自由を求める書簡を送っている。
1952年4月28日に講和条約が発効しているから、その約一年前のことである。」

「中曽根は原発マフィアであった。それも日本がまだ独立していない時期からである。
児玉誉士夫の子分となり、政治資金を貰い続けているうちに、児玉同様にアメリカの、
特にCIAのエージェントになっていたものと私は推察する。
中曽根は1953年7月から11月まで、
ハーバード大学の国際問題研究会に出席するために渡米している。
この旅の途中で彼の面倒をみたのは当時ハーバード大学の助教授だったヘンリー・キッシンジャーだった。
キッシンジャーは当時ネルソン・ロックフェラーのブレーンであったが、
助教授になる前にロスチャイルドが実質的に支配するタヴィストック研究所に行っている。
いわば、ロスチャイルドのエージェントでもあった。
中曽根は四ヶ月もかけて、何が目的でキッシンジャーの世話を受けたのかを考えるとき、謎が解けてくる。」

「佐野真一の『巨怪伝』から引用する。
『中曽根はその著書のなかで「これがわが国における”第三の火”のスタートとなった」
と書いている。中曽根が原子力予算案を出したのは、
アメリカが極秘のうちにビキニ環礁での水爆実験を行ってからまだ二日後のことだった。
ここから浮かびあがってくるのは、中曽根はビキニの核実験をひそかにアメリカ側から知らされた上で、
あえてこの日に原子力予算をぶつけてきたのではないかという疑惑である。
 さきに述べたように、読売がこの水爆実験をスクープするのは、3月16日のことだった。
もし読売のスクープが出たあとであれば、当時の国民感情からいって、
この予算案は通るどころか、上程することすら出来なかったはずだ。』」

「中曽根が夏季セミナーに参加した頃、1953年8月、ソ連が水爆実験に成功している。
ルイス・L・シュトラウスを中心とした強硬派が核の予算獲得を主張していた頃である。
シュトラウスがアイゼンハワーを動かし、
『アトムズ・フォー・ピース(原子力の平和利用)』の演説の準備に入っていた。
私はシュトラウスが日本を一つの大事なファクターとして考えていたと思う。」

「シュトラウスは唯一の原爆を落とされた国ニッポンに的を絞り、
原子力の平和利用の国家としようとしたのである。」


註 ルイス・L・シュトラウスについて第1章から要約

ロスチャイルドのアメリカ代理店であるクーン・ローブ商店の共同経営者。
同商会はロックフェラーセンター・ビルの56階に陣取り、
ロックフェラー家全体の財務を担当し、一族の銀行口座すべてを管理している。
つまりロックフェラーの事業、投資はすべてクーン・ローブ商会の共同経営者の承認を
受けなければならないことを意味する。これは今日でも変わらない。
シュトラウスは1950年から53年までロックフェラー兄弟の財務担当顧問の地位にあった。
彼はロード・ロスチャイルドが見事に育て上げた優秀なるエージェントであった。
    

「和製原発マフィア第1号と第二号は、CIA、アメリカ陸軍情報部、
そしてAECらの手で大事に育てられてきたのである。」


第4章 ウランを制する者が世界を支配する


「広瀬隆の『危険な話』は1978年に刊行された。
今、私たちは、『東京電力』から金を与えられてきた東大教授たちが、
東京電力の代弁者として半世紀以上前の『原子力委員会』のパンフレットに書かれているのと
同じ内容のことを、NHKや民放の番組に登場して、しゃあしゃあと喋っているのを見ている。
東大、京大、大阪大に、中曽根康弘が国民の税金を投じて原子力研究所を作らせたときから、
ごく一部の京都大学の教授、準教授、助手を除き、ほとんどの教授たちは、
原発マフィア第二号の中曽根の言いなりとなった。」


第五福竜丸の被曝についてシュトラウス曰く、
「放射線が少し増えたとしても、人間、動物、作物に害を与えうるレベルよりもはるかに少ない」
「医療用のX線のような放射線源や、自然放射線と比較し、
核爆発から出る放射性降下物は人間の遺伝構造に重大な害を与えない。」
放射性のストロンチウムやヨウ素のような同位元素が人体にもたらす危険についても
「あまり微々たるもので問題にもならない」

「東京電力や関西電力は、このシュトラウスが主張する『無害論』をパンフレットにしてごく最近まで、
東日本大震災のすぐ直前まで大量にバラまいていたのである。」


( 副島隆彦はシュトラウスと見解を同じくする安全宣言の要旨を開示版に掲示し、
学問道場の一部の会員はそれをプリントアウトしてファイルしたものを被災地の避難所に配布している。
ロスチャイルドのエージェントと同じ思想を持つ自称国家戦略思想家の副島隆彦が、
同じ思想をパンフレットにしていた東電をなぜ糾弾するのか。同じ穴のムジナ同士ではないか。)


第5章 かくて日本はアメリカに嵌められた


「原発は中曽根により国策とされた」

「私たちは、ここで知らねばならない。日本共産党を除く四党派がこぞって、
原子力の平和利用、すなわち、原発を造ることに賛成したのである。」

「私はアメリカが強力な圧力を加え、日本政府、政党を脅した結果だとみている。
突然の『原子力の平和利用』が日本国民の知らないところで、
CIAのエージェント(あえてこう書く)、原発マフィア第二号、中曽根康弘によって開始されたのである。」

「すべてはアメリカが用意周到に準備工作をしたものであった。
吉田茂こそ、CICが作り上げたアメリカが誇る最高のエージェントであった。
CIAのエージェント・岸信介が自由党に入党したのは1953年3月。
彼が吉田茂と中曽根を動かしたとみる。」

「彼は後に首相となるが、弟の佐藤栄作とともにCIAから金を貰い続けていた。
私は、正力松太郎と中曽根康弘の2人で原発が日本に造られたと書いてきたが、
2人は表舞台に出された”役者”であるだけで、影で裏工作がなされたと思っている。
吉田茂、岸信介たちが裏工作をしたのである。」

「この予算がつき、正力松太郎が衆議院議員に初当選し、初代の科学技術庁長官、
そして原子力委員会の委員長となる。
ポドム(CIAのコード・ネーム)正力松太郎と『中曽根が第一(CIAの評価)』の2人組みが、
原子力発電所を強引に日本に造っていくのである。
正力と中曽根の原発マフィアは共同で、次々と法案を提出しては通過させていく。
(中略)この間、役人は一切関与していない。」

「あの福島原子力発電所の利権について書くことにする。日本人がいかに欺されてきたかが分るのである。」

「さて私は次のように推察する。
中曽根康弘と田中角栄は、福島第1原発が福島県の現在地に内定すると、利権を分け合うことに決めた。
田中角栄は友人となった堤康次郎に密かに土地を買収させた。
中曽根は鹿島建設の渥美健夫社長に建設の利権を与えた。
原発マフィア第二号の中曽根と、原発マフィア第三号の田中角栄はこうして利権を分け合ったのだ。」

「西部クレジットは西武百貨店、西友ストアが主要な株主であった。
第三番目の株主はスイスの最大手銀行クレデイ・スイス。
田中角栄は堤康次郎の紹介で、ここに多額の闇資金を隠した。
今、原発マフィア第三号ミセスこと、田中真紀子がこの闇資金を管理している。」

「日本全国に造られた原発はすべて利権がらみである。ひとつの例外もない。」

「すべてはウラン235から採用された二億三千五百万の予算案から始まった。
維持することも不可能、解体することも不可能な原発が五十四基も存在する日本。
こんな日本をつくったのは、原発マフィア第一号と原発マフィア第三号だけではない。
多くの利権を漁る連中が、この日本という国を食いつぶしたのである。」

「私は、日本人はどこかで大きな間違いを犯し続けていると思っている。
第二次世界大戦で日本が敗北したのに、その真の原因が隠されたままではないか。
今回の3・11巨大地震でも、起きるべくして福島第1原発の大事故が起きたのに、
その真の原因を探ろうとする動きは見えてこないのである。
私はその真の原因を読者に知らせるべく、降りかかるであろう苦難を百も承知で追求の旅に出ている。」


「東京電力と関西電力は原発マフィアの餌食となった」


「正力松太郎は原発導入に熱情を示し続けたが、電力会社の姿勢は慎重だった。
しかし、正力と中曽根がその慎重な電力会社を原発に向わせたのである。」

「何の準備も東電がしていないときに、
正力と中曽根の原発マフィア・コンビは原発推進の旗をふったのであった。
彼ら東電の職員はアメリカに行かされる。」

「『こんな実験、やってみるにも場所がないよ、場所が・・・。日本には!』
アイダホの砂漠に代わる荒野など、この狭い日本にあるはずもない。」

「ロスチャイルドの支配下にあった世界有数の兵器会社ヴィッカースがGEと結びつき、
原爆開発が本格化する。GEはモルガン系である。(モルガンもロスチャイルドのアメリカ番頭)
JPモルガンの系列が戦前の日本の大企業に投資していた。東芝はほんの一例である。
戦争とは、お互いの兄弟会社が利益を上げるように、敵対国として、また敵対国のために戦うことである。
三菱財閥は戦争中、密かにロックフェラーのスタンダード石油から石油を貰っていた。
ロスチャイルドの指令によった。
だから、ウランは三菱系の三菱商事がロスチャイルドのウランを買い入れて東電や関電に流すのは
理屈に合っている。世界最大大手の化学会社デユポンも戦前から日本に子会社を多数持っていた。
だから、ウランを日本に売り込むのは容易だった。
昭和天皇はこのことを知りぬいて戦争をしかけたのである。」

「多くの参謀が戦後、昭和天皇のもとを去っていたが、
天皇が唯一身近に残したのは、瀬島龍三ただ一人だった。
彼が正力や中曽根を操って原子力発電所の建設に力を入れさせた。
天皇はアメリカの国策を無視することができなかったのである。」


「テレビと原発の関係を見てみよう。過去から現在に至る人々なので故人もいる。

NHKでは平岩外四(NHK経営問題委員、東京電力会長)、
     緒方彰(NHK解説委員長、日本原子力産業会議理事)、
     十返千鶴子(NHK放送番組向上委員、原子力文化振興財団理事)。
日本テレビは正力松太郎できまりだ。
TBSが問題である。毎日新聞開設発起人が芦原義重(関西電力社長→会長)である。
フジテレビは、サンケイ新聞社長の稲葉秀三が原子力産業会議常任理事である。
テレビ朝日は朝日新聞社長の渡辺誠毅が原子力産業会議理事である。
また論説主幹の岸田純之助は原子力委員会参与。
テレビ東京を支配する日本経済新聞会長の円城寺次郎は原子力産業会議の副会長である。
テレビ大阪と近畿放送の重役である小林庄一郎は関西電力の会長である。
東海テレビの重役の田中精一は中部電力の社長である。」


「私はこれらの人々の多くが中曽根康弘のブレーンであることをつきとめた。
いや、ブレーンとは名ばかりで、中曽根の金脈でもあった。
テレビと新聞が、原子力にからんでいる。
原発の『安全神話』を作り上げる必要があったからである。
『彼ら全員が原発マフィアである』と、私は言いたい。」

「私は中曽根と堤康次郎、田中角栄の線で、福島に原発が造られていく過程を描いた。
また、東電がGE製の原子炉を採用したのが必然の結果であることも、
鹿島建設と東芝がその建設と設備に深く関与していく過程も書いた。
日本の原発にはアメリカ、否、ロスチャイルドの意向が強く働いていることも書いた。」

「あの福島原発とはどんな原発なのか?」

「『残念ながらこの原子炉には、大きな弱点があった。
そのことがわかったのは、74〜75年、
マークTの後継にあたる原子炉マークUとVを開発する過程でのことだ。(中略)
マークTは、地震や津波などの大きな災害によって冷却装置を喪失すると、
格納容器に想定されていた以上の負荷がかかり、破裂する可能性がある。』
(GEの原発設計者デール・ブライデンバーグ)」

「ブライデンバーグはこの事実を、NRC(米国原子力規制委員会)とGEに伝えた。」

「アメリカは応急処置をしたという。しかし日本は何もしなかった。ただ安全神話のみを流した。」

原発マフィア第三号・田中角栄の原発利権


「立花隆の『田中角栄新金脈研究』はこれでもかと、田中の金脈について書いている。
しかし原発という金脈こそ最大の金脈であるのに、人ごとのように書いて、一切追求しない。
私はある筋から頼まれて、立花隆は『文藝春秋』誌にデータを与えられて
田中角栄批判の一連の記事を書いたとみている。
ある筋、がどのような筋なのかは確証がないから書かないが・・・。
中曽根康弘を首相にした瀬島龍三に近い筋であろうと思っている、とだけ記しておく。」

「田中角栄が、CIAの回し者(おそらくそうだ)、立花隆から金脈を追及され、
首相の座を降りなければならなかったのは、多分、原発利権がからんでいると思われる。」

「正力松太郎と並ぶ巨怪・田中角栄が去って、一度は消えかかった原発は、
中曽根康弘が首相を続けるうちにまた燃え上げる。
それは世界の原発マフィアが『原発ルネッサンス』を主張し始めたからである。
日本人の心を変えさせて、原発を大量に造らせようとする奸計が密かにすすめられていた。
それが『地球温暖化問題』であった。」

第6章 原子力ルネッサンスが世界を狂わす


すべては「環境問題」から始まった


「チェルノブイリ事故から1年3ヶ月をすぎた1987年、
第4回『世界野生環境保護会議』がアメリカ・コロンビア州デンバー市で開かれた。
60を超える国々から2千名の環境問題専門家や政治家が集まり、『デンバー文書』を発表した。」

「『我々は、環境管理に関する国際援助と被曝助国の資源管理を統合するために
”新しい銀行”を考案する必要がある』」

「それが『世界環境銀行』である。
この銀行の提案者はエドモン・ド・ロスチャイルド
(ヴィクター・ロスチャイルドは1990年に死亡する。ヴィクターの後を継いだのはジェイコブ。
エドモンは分家の一人)。
彼が提案して世界銀行を設立したのである。この設立会議に、
デーヴィッド・ロックフェラー、ジェイムズ・ベーカー(米財務長官)らも出席していた。
エドモンがこの会議を終始リードした。ロックフェラーもベイカーも端役だった。
『デーヴィッド・ロックフェラーが世界皇帝だ』と喧伝する学者やインターネットマニアがいるが、
私には彼らはロスチャイルドの回し者のように思えてならない。
私はルイス・シュトラウスがロスチャイルドの代理として
ロックフェラー一族の全財務を完全にチェックしている事実を第一章で書いた。
ロックフェラー財閥は、ロスチャイルドがアメリカの政治・経済を支配しているのを隠すために、
回し者を製造販売している、とても喰えないシロモノなのである。」

「1978年が世界史の一つのターニング・ポイントとなった。
新しい戦争を原発マフィア=石油マフィアが仕掛けてきたからである。
その戦争の名を『環境戦争』という。」

原子爆弾が毎日落とされる


「2011年3月30日、福島第1原発事故から20日あまり経った日、
バラク・オバマ米大統領ハ、エネルギー安全保障に関して、次のような演説をした。
『日本での原発事故を踏まえて原子力についてつけ加えたい。
米国は既に電力需要の五分の一を原子力で賄っており、
原子力は温暖化ガスを排出することなく電力供給を増やせる選択肢だ。
ただし、安全保障は不可欠で、既存の全原発施設を至急点検するよう
原子力規制委員会(NRC)に指示した。
日本の事故から学び、次世代原発の設計と建設に生かしていく。
危険な放射線性物質や技術を拡散させることなく、
各国が原発を利用できるようにするための国際的な議論をリードしていく』」

「オバマ大統領の存在理由が、彼のこの演説の中に見事に浮き彫りになっている。
オバマを育てたのは、あの悪名高き『フォード財団』である。
そして、オバマの選挙資金の提供者の第1位は、ロスチャイルド系の世界一の投資信託会社フイデイリテイ、
そして第二位がやはりロスチャイルドの子会社、ゴールドマン・サックスである
(デーヴィッド・ロックフェラーが支配する投資銀行と世にいわれているのは完全なデマ)。
そしてオバマはウオール街のヘッジファンドからも巨額の献金を受けていた。
インターネットを通じての個人献金は確かにあったが、ごくごく少ない献金であった。
世論操作は、ユダヤ系が支配するメデイアを通じて行われた。
そのノーベル平和賞も完全なヤラセである。」

「オバマ自身も原発マフィアとの関係を認めるような政策をとっている。
GEは世界中で、2010年度に142億ドルの利益を上げながら法人税をまったく払っていない。
そのGEの最高経営責任者、ジェフ・イメルトを、オバマは、2011年1月に新設した
『雇用と競争力に関する大統領評議会』の議長に指名した。」

「オバマはまた、イリノイ州シカゴに本社を置くエクセロン社
(17基の原子炉を保有・運営する米原発最大手)から、
2008年の大統領選で、同社の社員から個人名目で約20万ドルを陣営に献金されている。
原発最大手の一つ、エンタジー社もオバマに30万ドルを貢いでいる。
さらに、オバマ陣営の選挙資金調達担当のジョン・ロウは、ワシントンに本拠を置くロビー団体、
『原子力エネルギー協会(NEI)』の代表を務めている。
このような背景で、オバマは30年ぶりに原子炉の新設を認めたのだ。」

「『原子力は温暖化ガスを排出することなく電力供給を増やせる選択肢だ』
この唯一のキャチフレーズが、原発マフィアたちの拠り所である。
これ以外にオバマが政権を維持する理由は何もない。」

副島隆彦の『世界権力者人物図鑑』に記載されたオバマの項には、
『オバマは悪いことをしない立派な大統領』。
これがオバマの笑顔にかぶせて大文字で書かれている。
下に三分の一くらいの文字で「米大統領は操られ人形」。
副島の文章の特徴の一つは、
「今日の天気は晴れのち曇り、時々雨、ところにより雪、雹、霰、もしかしたら嵐になるでしょう」
という韜晦に満ちていることである。大文字に注目すべし。
大統領夫人も『ミッシェル・オバマは立派な奥様』と大文字で書いてある。
『シカゴ労組幹部の娘』『猛女』。
2人を並べて『大統領から引きずり降ろされるまで2人で闘う』と目立つ色文字で書いてある。

これがプロパガンダでなくてなんだろう。
副島はこれを
「私の遺言書のように良い出来の本である。日本国民への私からの贈り物だ」
と後書きで書いている。
副島の遺言書はプロパガンダなのである。
原発利権の申し子オバマのプロパガンダを日本国民への贈り物としているのである。

副島の十八番デーヴィッド叩きも茶番である。
図鑑には『この男が死ぬまで世界皇帝』と書いているが、
デーヴィッドはご主人さまの代理人である。
これが出来レースの八百長でなくて何であろう。

中田安彦との共著『ヨーロッパ超富豪権力者図鑑』のロスチャイルドについての記載にも
原発利権のことなど全くない。
『表の世界で堂々と活躍している人たちである』と賞賛している。

後書きには
「世界を支配する”闇の支配者”などという、荒唐無稽な枠組みはこの世には一切存在しないことが、
本書でおわかりいただけると思う。
超富豪財界人たちの人生も、私たちの人生と同様に浮き沈みがある。
時折、新聞やテレビに出てくる彼らの顔つきをじっと見つめて、
『ああこんな雲の上の人たちでも色々苦労しているのだなあ』
と思いを馳せていただきたい」と書いてある。

原発利権の金融マフィアも含めて超富豪たちに
「同情してやりなさい」と我々に勧めているのである。
笑止である。
正真正銘のトンデモ国家戦略思想家である。

   


 

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コメント
 
01. 2011年5月25日 07:25:19: RySoxhpPsE
なんで3本ぶちこんだ?

ちなみにベンジャミンなんかごちゃごちゃ言ってるぞ:

The person that goes by the name in the pasport that wanted to set me and my sister for international organised crime 10 days ago is well know to the world as John David Neighbor.

John David Neighbor, who was arrested in "Saric" motel with Momcilo Perisic, is officially an employee of the American Embassy in Belgrade. In fact, he is a secret agent. The YA counter-intelligence agents know Neighbor as Jim Barcas. A man under that name has already been named persona non grata in Macedonia, Greece, Austria, Bulgaria and Italy. It seems that the center of his activities was Yugoslavia, where he came by in the late 80's. According to the rumors, American Ambassador in Belgrade Bill Montgomery stopped making threats when General Aco Tomic sent him documentation of foreign intelligence services about Neighbor as well as a video-cassette showing activities of Neighbor an Perisic. Neighbor, alias Barcas, has already left Serbia.

Serbia, FR Yugoslavia, March 20, 2002When Prime Minister Zoran Djindjic saw the film, which shows how deputy Prime Minister Momcilo Perisic hands documents to an American secret agent, he had no choice. The following day, he asked Momcilo Perisic to resign. However, Djindjic didn't see the entire video-material, which the YA (Yugoslav Army) Counter-Intelligence Service (KOS) possesses. Our sources close to the military intelligence service claim that there are six video tapes, besides the one filmed in "Saric" motel nearby Belgrade, which shows how Perisic delivers military documents to John David Neighbor, chief of the CIA for the Balkans and the first secretary of the American Embassy in Belgrade.
Perisic has been under surveillance both of the KOS and the State Security Police for several years because of his contacts with foreign spies. Both services have come to the same conclusion - the former YA Chief of Staff cooperates with American intelligence services. It isn't publicly known that the Yugoslav Army arrested Perisic in late 1999 for cooperating with Americans. Namely, general Nebojsa Pavkovic claimed that Perisic had taken American general Wesley Clark to Kosovo in 1998 and identified targets for him while he was the YA Chief of Staff. However, military officials, who held Perisic's destiny in their hands at that time, concluded that Pavkovic's accusations were exaggerated and based on personal strife between two generals. Consequently, Perisic lost only the rank of general. The KOS believed that Perisic was cut off from the sources in the Military Headquarters. However, confidential documents began disappearing from the Military Post 1122.
The first suspect was Lieutenant Colonel Miodrag Sekulic, who worked in Pavkovic's cabinet. In 1994, Perisic brought Sekulic to the cabinet of the YA Chief of Staff. Sekulic's task was to record the meetings and sessions in the Military Headquarters. He remained at that position even when Pavkovic became the YA Chief of Staff. It turned out that Sekulic gave documents to Perisic, who later delivered them to American secret agents. The YA believed that Americans blackmailed Perisic with the Hague Tribunal but it turned out that Americans gave him money for his activities.
"I don't know anything that might be interesting for the Hague," Perisic said forBlic News weekly last month when he was asked to comment on the fact that he was one of few members of Milosevic's military hierarchy who haven't been identified by the Hague Tribunal either as witnesses or as suspects.
When his military friends asked him the same question, he gave an unconvincing answer that he performed only defensive activities in Zadar in 1991 and in Mostar in 1992 so that he wasn't interesting for the Hague.
However, Carla del Ponte and American agents weren't interested in Perisic regarding Zadar and Mostar but in connection with Srebrenica, where the Republic of Srpska Army massacred 7,000 Muslims in July 1995. According to the sources of Blic News weekly, American agents blackmailed Perisic using tapes that prove that Perisic gave instructions to general Mladic about certain phases of the attack on Srebrenica in July 1995.
Some Army officials claim that Perisic has worked for the CIA since 1998. Since then, he has given them several hundreds of documents. Although the Yugoslav Army doesn't want to reveal which documents Perisic gave Americans, it is believed that most of the documents refer to the YA's roles in the wars in Croatia and Bosnia. However, some of the documents contain data on the YA, referring to the period after its conflict with the NATO.
The arrest took place in "Saric" motel, on March 15, at 3 a.m. and not the previous day at 8 p.m. as it was firstly announced. Perisic didn't choose the place to meet Neighbor at random. The owner of the motel is Perisic's good friend from the period when Perisic was the Chief of the Artillery Center in Zadar. Saric had restaurants in Knin and Zadar. YA secret agents, who were active in the region of Knin, say that Saric had good connections with foreign secret agents.
However, Perisic's precautionary measures weren't good enough. General Tomic personally led the operation in complete secrecy. Namely, members of the YA Second Intelligence Department, which is under command of general Tomic, knew nothing about the arrest. Tomic engaged members of the Counter-Intelligence Technical Center of the YA Security Department (KOTECE) to arrest Perisic. According to the Rules of the YA Security Department, members of the KOTECE and KOG (Counter-Intelligence Group of the YA Security Department) inform only the head of the KOG about arrests. The head of the KOG must inform the chief of the YA Security Department, General Tomic, about the action. However, General Tomic doesn't have to inform his superior, General Pavkovic, about that action.
The important question is why Perisic was arrested at this time? The YA doesn't want to answer that question but it can be concluded that Milosevic's trial and announced extraditions represented a good moment for discrediting the deputy Prime Minister as a politician and a potential witness against Milosevic.
Regardless of the recent affair, Perisic was doing his best as the YA Chief of Staff to bring the YA closer to the NATO. Perisic had relatively good connections with the commanders of western armies, despite general political climate. During the escalation of the Kosovo crisis, the cooperation reached its peak at a meeting with the NATO commander for Europe, American General Wesley Clark, in Belgrade on October 26, 1998. However, some departments of the YA Headquarters established certain level of communication soon after Perisic was appointed for the first man of the Yugoslav Army in 1993. Those contacts, which opposed general isolation and Yugoslav confrontation with the NATO, continued; Perisic's contact with Neighbor probably results from that cooperation.
Americans weren't averse to cooperation with Perisic either. That became obvious in winter 1996. After Dayton's Agreement had been signed and American contingent in IFOR (forces that protected fragile peace in Bosnia) increased, greater mobility of the forces became necessary. The NATO wanted to introduce transport and communication lines through the territory of the FRY. Milosevic was willing to open toward the West after the war in Bosnia-Hercegovina but only General Perisic made a practical move for establishing cooperation with the American army.
The first contingent of units and equipment for IFOR landed at the Belgrade airport in February 1996. Several transport airplanes C-17 landed in Belgrade and unloaded weapons, equipment and soldiers of an American division. It was probably very important for Americans since American General George Julvan, the NATO commander for Europe at that time, came to Belgrade to meet Perisic. From that moment, Perisic began advocating that Yugoslavia join the Partnership for Peace, which would later lead to joining the NATO.
However, Milosevic's political assessments and lack of willingness for cooperation with the NATO, as well as the conflict with the KLA in Kosovo destroyed good relations between the YA and western allies. Consequently, the atmosphere of conflict returned to the level of 1992.
After pressure had been exerted on the YA and Police to end the first phase of operations in Kosovo, Perisic met Wesley Clark and chairman of the NATO Military Committee Klaus Neuman. They signed a military agreement regarding the beginning of the NATO operation called "Eagle Eye" - air surveillance of movements of the YA and Police in Kosovo. Perisic had to guarantee inactivity of the Anti-Aircraft units. Later, Pavkovic interpreted this operation as Perisic's cooperation with Americans because it enabled Americans to identify all the targets in Kosovo.


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