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「臨時国会での岸田総理の最後の仕事は旧統一教会の被害者救済法案を通すこと」
泉代表:2022年12月2日
泉健太代表は12月2日、茨城県議選応援のために訪れた水戸市で、記者団の問いに答えました。
同日成立した補正予算について問われ、「規模だけが大きく、国民に直接届く、即効性に乏しい予算。その意味では国民の皆さんが気にする財政赤字、借金というもので、有効な予算という意味で賛成できない内容で反対をした」「また予算委員会の審議を通じて明らかになったのは、岸田改造内閣の不祥事の多さ。
そして今もなお疑惑を抱えたまま説明責任を果たせない秋葉大臣をはじめ政務三役が存在しているということ。こういう姿勢は国民からの信頼を失うことになる」と指摘。「この臨時国会での岸田総理の最後の仕事は旧統一教会の被害者救済法案を通すこと。被害者救済に資する法律を力を合わせてでも仕上げたいと思います」と述べました。
立憲民主党としてどういう修正を求めていくかを問われたのに対しては、「あまり要件が厳しくて、被害者救済できない法案ではいけない。宗教団体側への配慮義務はあまりに不確定要素が多すぎると思っています。配慮ではなく、実際にしっかりと禁止行為に含めていくことが大事。この点を改善していきたい」と述べました。
また「被害を訴える当事者にとって、生活が十分に再建できるだけの寄付の取り戻しができなければいけない。あるいは返還が生活再建に伴うかどうかというところ、訴えることができる家族の範囲、取り戻せる財産の範囲も広げていくことができるよう、出来る限りの修正の努力をしていきたい」とも述べました。
党首会談の必要性について問われたのに対しては、「岸田総理がさまざまなことを乗り越えて今以上の案を提案するということで野党にも協力を要請したいということであれば、ご協力する用意がある」と語りました。
「緊急事態」時の議員任期延長
赤嶺氏「民主主義の否定」衆院憲法審: 2022年12月2日
日本共産党の赤嶺政賢議員も反対を表明しました。
これを受け、審査会では、新藤氏が「私なりに取りまとめ、法制局に整理してもらったものだ」と釈明。赤嶺氏は「新藤氏が私的に依頼した資料を法制局に報告させることは、議論を誘導しようとするもので看過できない」と批判。この間の審査会では、各党から憲法と矛盾する現実政治の課題が提起されたとして、「これらを無視して自分たちに都合のいい議論を進めようとすることは容認できない」と強調しました。
赤嶺氏は、「緊急事態」を理由に選挙を停止し、国会議員の任期延長を可能にしようとする改憲議論について、「緊急事態」は政府の一存で決められると批判した上で、「国会が政府の決定を追認した場合、最終的にその是非を判断するのは国民であり、その機会が選挙だ」と強調。「選挙を行い、政権を交代させる機会を奪うことは、代表制民主主義の否定だ」と批判しました。
赤嶺氏は、「緊急事態」として戦争状態が強調されていることについて、米軍の軍事行動に付き従って日本が参戦する仕組みこそ問われているとして、「アメリカが軍事行動を起こすことを前提に、安保法制に基づき、日米が一体で米軍を支援し、参戦することに最大の危険がある」と指摘。
岸田政権が日本全国に長距離ミサイルを配備し、集団的自衛権のもとで、日本が攻撃されていなくても、相手国を攻撃することを検討しているとし、「相手国からすれば先制攻撃であり、それ以上の反撃を受ける」「そのとき犠牲になるのは基地と隣り合わせに暮らしている住民であり、日本国民だ」と強調。「だからこそ、国民が審判を下すことが決定的に重要だ。その機会を奪うことは絶対に許されない」と批判しました。
* 泉健太代表のプロフールとは ?
青年期[編集]
高等学校(札幌開成高等学校[10])では、生徒会長を務めた[11]。
京都府の立命館大学法学部へ進学し[10]、関西学生弁論討論交流会会長、全日本学生弁論討論交流会会長を務めた。
学生時代も政治に関心を持っていたが、泉が「正しい」と思う勢力が衆議院総選挙では負け続けていた[7]。「なぜこの国では自由民主党以外の政党が育たないのだろう」と考えていた[7]。
また、大学時代には「政治家以外にも世の中をよくする仕事はたくさんある」とも感じた[7]。市長選挙の公開討論会を実現する運動に関わり、投票率を上げるための活動も行った[7]。NPOやNGOの活動を行うことも模索したが、「仕事にするのは難しい」と感じて諦めたという[7]。
大学卒業後は、民主党の参議院議員であった福山哲郎の秘書を務めた。
*赤嶺政賢議員のプロフールとは ?
来歴[編集]
沖縄民政府小禄村(現・沖縄県那覇市)の農家に生まれる[1]。那覇教育区立高良小学校、那覇教育区立小禄中学校、琉球政府立那覇高等学校(現・沖縄県立那覇高等学校)、東京教育大学(現:筑波大学)文学部卒業。東京教育大学在学中の1967年、日本共産党に入党。
1971年、東京教育大学を卒業。沖縄県石垣市の沖縄県立八重山高等学校、沖縄県立八重山商工高等学校で教師を務める。
2017年の第48回衆議院議員総選挙では、沖縄1区(比例九州ブロック重複立候補)から出馬。4人が出馬する中、小選挙区で当選し、7選[4]。なお、池上彰の総選挙ライブの取材の際、公示前に那覇市内で当人の名前入りの幟を掲げたり、日本共産党の街宣車が赤嶺の名を連呼して支持を呼びかける映像が放映された。その映像に対し(公職選挙法違反の)事前運動にあたるのではないかと質されると「沖縄では慣例的に、私だけでなく他党の候補もやっている」と答えている[5]。
2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で再び小選挙区で当選し8選(國場は比例復活で当選)[6][7]。
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