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岸田首相と習近平国家主席の会談 !
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投稿者 渡辺定吉 日時 2022 年 11 月 19 日 10:29:44: Vj1XEsbZdNbpY k26V05Loi2c
 



岸田首相と習近平国家主席:対面での会談終わる !
2022年11月17日 22時31分

岸田総理大臣は、訪問先のタイで、中国の習近平国家主席と対面ではおよそ3年ぶりとなる日中首脳会談を行いました。日本周辺での中国の軍事活動に深刻な懸念を伝える一方、建設的で安定的な関係の構築の重要性を強調し、両首脳は、首脳レベルも含めあらゆるレベルで緊密に意思疎通を行うことで一致しました。
会談のポイントや現地の様子など、随時更新でお伝えします。
(日本とタイは2時間の時差があります)21:50すぎ 岸田首相 首脳会談後のコメント:岸田総理大臣は日中首脳会談のあと記者団に対する取に応じ、次のようにコメントしました。

【対面での外交がいかに大事かを改めて感じている】
岸田総理大臣は、日中首脳会談のあと記者団に対し一連の外交日程について「久方ぶりに対面での国際会議の開催となり、対面で話をすることが外交でいかに大事かを改めて感じている。相手の表情や雰囲気など文字に表れないさまざまなやり取りがお互いの信頼関係の構築にもつながる」と述べました。
そのうえで「国際情勢が大きく変化する中で法の支配に基づく国際秩序を維持していくことの大切さを日本としても改めて訴え、多くの国々から同じ思いだという反応を聞くことができた。手応えは十分感じている」と述べました。そして「多くの『中間国』と言われる国々、アフリカや南米といった『グローバルサウス』と言われる国々に、国際秩序を守っていく大切さをこれからもしっかり働きかけていきたい」と述べました。

【安全保障分野の意思疎通の強化で一致した】
「私から、尖閣諸島を含む東シナ海情勢や中国による弾道ミサイル発射などの軍事的活動について深刻な懸念を表明し、台湾海峡の平和と安定の重要性を改めて強調した。同時に、安全保障分野の意思疎通の強化で一致した」と述べました。

【率直かつ突っ込んだ議論ができた】
「日中の両首脳が対面で会談するのはおよそ3年ぶりであり、私と習主席との初めての対面での会談だったが日中関係の大局的な方向性とともに、課題や懸案、協力の可能性について率直かつ突っ込んだ議論ができた」と述べました。
そのうえで「会談では、私から現在、日中関係はさまざまな協力の可能性とともに多くの課題や懸案にも直面しているが、日中関係は地域と国際社会の平和と繁栄にとってともに重要な責任を有する大国であり、『建設的かつ安定的な日中関係』の構築という方向性を双方の努力で現実のものとしていくことが重要だと述べ、こうした基本的な考え方について習主席との間で一致を見た」と述べました。

【ロシアの核使用許さずで一致】
「ロシアがウクライナで核兵器の使用を示唆していることは極めて憂慮すべき事態であり、核兵器を使用してはならず、核戦争を行ってはならないとの見解で習主席と一致した」と述べました。

【関係構築への良いスタートになった】
「日中両国は、隣国であるがゆえにさまざまな問題もあるが、本日の会談も踏まえ『建設的かつ安定的な関係の構築』に向け、引き続き首脳レベルも含め、あらゆるレベルで緊密に意思疎通を行っていくことで一致した」と述べました。
そのうえで「きょうの会談は『建設的かつ安定的な日中関係』を構築していくための対話を進めていく良いスタートになった」と述べました。
21:20すぎ 日中首脳会談終わる
会談は、開始からおよそ30分後、さきほど、日本時間の午後9時20分すぎ、終わりました。
20:50 岸田首相「建設的かつ安定的な日中関係の構築を」
午後8時50分、習近平国家主席に続いて、岸田総理大臣は会談の冒頭、次のように述べました。
「今回、習国家主席と初めて対面で会談を実施することとなりました。習主席とは昨年10月、初めて電話会談をさせていただきました。大変有意義な意見交換を通じ、建設的かつ安定的な日中関係の構築という大きな方向性について一致することができました。その後、国交正常化50周年を迎える中新型コロナの影響はあるものの両国間の交流は着実に回復されてきています。
50周年記念日の9月29日に習主席との間で非常に良いメッセージを交換することができました。現在、日中関係は様々な協力の可能性とともに多くの課題や懸案にも直面しています。同時に、日中両国は、地域と国際社会の平和と繁栄にとって、ともに重要な責任を有する大国であります。建設的かつ安定的な日中関係の構築を、双方の努力により加速していくことが重要であると思います。本日は習主席との間で、そのための率直な意見交換を行うことを楽しみにしています」

* 習近平国家主席のプロフールとは ?

来歴[編集]
1953年6月15日、北京市に生まれる(69歳)。1965年、中学校である北京市八一学校に入学したが、1966年5月の文化大革命の発生により学校が解散された。この事により習の学校教育が中断された[14]。習は世界最強の囲碁棋士の1人に数えられる聶衛平と北京25中学からの友人で、聶によれば中国人民解放軍の劉衛平少将との3人で「北京25中学の三平」と呼ばれていたとされる[15]。八大元老でもあった父の習仲勲が迫害された文化大革命において反動学生として批判された。紅衛兵によって十数回も批判闘争大会に引き出され、4度も監獄に放り込まれた[16]。
1969年1月から7年間陝西省延安市延川県に下放される中、1974年1月に中国共産党に入党した[17]。下放された同地で生産大隊の党支部書記を務めている。1975年、時は文化大革命の期間中で全国普通高等学校招生入学考試が中断しており、中学1年以降に正式な教育を受けていない。しかし、「工農兵学員」という模範的な労働者・農民・兵士(個人の政治身分)の推薦入学制度を経て、国家重点大学の清華大学化学工程部に無試験で入学し、有機合成化学を学んだ[18]。1979年4月に同大学を卒業した後、国務院弁公庁及び中央軍事委員会弁公庁において、副総理及び中央軍事委員会常務委員の耿飈の秘書をかけ持ちで務めた。1985年にアメリカ合衆国を視察で訪問し、当時のアイオワ州知事で後に駐中国大使のテリー・ブランスタッドと親交を結んでホームステイをした[19]。1998年から2002年にかけて、清華大学の人文社会科学院大学院課程に在籍し、法学博士の学位を得た。しかし、海外の複数メディアから、論文の代筆の疑惑が報じられている[20]。廈門副市長、福州市党委員会書記を経て、2000年に福建省長となった。2002年11月、張徳江に代わって49歳で浙江省の党委員会書記に就任し、この時期に浙江省軍区党委員会第一書記、南京軍区国防動員委員会副主任、浙江省国防動員委員会主任を兼任した。2006年9月、上海市で大規模な汚職事件が発覚し、当時の市党委員会書記の陳良宇が罷免された。翌年の2007年3月24日、書記代理を務めていた上海の韓正市長に代わって上海市党委員会書記に就任した。これにより、第17期の党中央政治局入りは確実とみられた。同年10月の第17期党中央委員会第1回全体会議(第17期1中全会)において、一気に中央政治局常務委員にまで昇格するという「2階級特進」を果たし、中央書記処常務書記、中央党校校長に任命された[注 3]。上海市党委員会書記は兪正声が引き継いだ。中央党校校長時代は「幹部は歴史を学べ。世界四大文明の中で中華文明だけが中断せずに今日まで続いている」と述べた。後年にエジプト・イラク・インドなどを集めた「世界古代文明フォーラム」の共同設立[22]を唱える習の歴史観や思想戦略が既に形成されていたとされる[23]。



 

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