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岸田政権発足1年「聞く力」生かされたか ?
2022年10月4日
「特技は『人の話をよく聞く』ということだ」
そう語り、去年10月に就任した岸田総理大臣。
あれから1年。
安定して推移していた内閣支持率は、ここにきて急落。政権運営は厳しい局面に立っている。
掲げた「聞く力」は、果たして生かされたのか。この1年の取材を振り返り、今後を展望する。
*「聞く力」は生かされた?
この「聞く力」は、政権運営にどう生かされてきたのだろうか。印象的だったのは“10万円給付”だ。
政権発足ひと月後の去年11月、新型コロナで影響を受ける人を支援するため、岸田内閣が目玉政策として打ち出した。所得制限を設けた上で、18歳以下を対象にクーポンと現金を5万円ずつ給付する計画だった。ところがクーポンと現金に支給方法を分ける仕組みに対し、ただでさえ新型コロナ対応に追われる自治体などから「事務費や手間がかかる」と猛反発が広がった。NHKの世論調査でも、62%の人がこの手法を「評価しない」と答えた。政府内では、岸田をはじめ、官房副長官の木原、首席首相秘書官の嶋田らが連日、水面下で協議を続けた。そして政策を打ち出してから1か月後、現金での一括給付を全面的に認める方針に転換する結果となった。ある政権幹部は、当時、われわれの取材に対し、こう明かした。
「実は総理からは早い段階で、自治体の意見も踏まえて柔軟な運用ができないかと指示を受けていた」別の幹部も
「方針を貫いて批判されるか、方針転換したと批判されるかの選択。総理は、何についても別に方針転換したと言われてもいいと思っている。嫌がられて給付するぐらいなら方針転換すればいいということだった」と証言した。
まさに「朝令暮改」とも言える対応だが、自治体からはおおむね肯定的な受け止めが相次いだ。このとき、岸田に近い官邸スタッフが「この政権は意外とうまく回っていくかもしれない」と手応えを口にしたのを記者は覚えている。
* 岸田総理のプロフールとは ?
生い立ち
広島県出身の通商産業省(現:経済産業省)の官僚であった父・岸田文武の元に東京都渋谷区で生まれる[6][9]。親の教育方針もあり、文雄は東京で育てられた[10]。岸田家は広島の一族であるため、一家は毎年夏に広島に文雄を連れて帰省し、文雄は広島原爆の被爆者たちから当時の話を聞いた[11]。岸田一族も多くが被爆し、死に至った者たちもいた[11]。
1963年、父の仕事の関係でアメリカ合衆国ニューヨーク市に居住し、小学校1年生から3年生まで3年間、現地の公立小学校に通う[12]。1963年秋から「PS 20」に通ったのち、1964年春からクイーンズ区の近隣住区エルムハーストに位置する「PS 13 Clement C Moore School」に通った[11]。
1966年6月にパブリックスクール3年次を修了[注釈 1]して日本に帰国。7月に永田町小学校(現:麹町小学校)の3年次に転入。麹町中学校を経て、1973年に開成高等学校に入学[13]。野球部に入部し、高校生活を野球に捧げ、その傍らでロック/フォークの流行に影響を受けギターに打ち込む[13]。
自由民主党総裁・内閣総理大臣
2021年9月29日、自民党総裁選の投票が行われた。1回目の投票でトップの256票を獲得したが、有効投票数[注釈 3]の過半数に届かなかったため河野太郎との決選投票が行われることになった。決選投票[注釈 4]では257票を獲得して河野太郎(170票)を破り、第27代総裁に選出された[55]。
同年10月1日、新体制の党執行役員人事を決定し、副総裁に麻生太郎、幹事長に甘利明、政務調査会長に高市早苗、総務会長に福田達夫、選挙対策委員長に遠藤利明がそれぞれ就任[56]。
同年10月4日、衆議院および参議院の本会議で行われた内閣総理大臣指名選挙にて指名し天皇による任命を経て第100代内閣総理大臣に就任。第1次岸田内閣が発足した。
同年12月11日、衆議院議員宿舎を退去して元首相野田佳彦以来9年ぶりに内閣総理大臣公邸に入居した。当面は岸田と秘書の長男が暮らす。危機管理の強化を理由にしている[68]。
2022年1月17日、第208回国会(常会)が召集され[69]、岸田は施政方針演説を行った。
2022年7月8日、第26回参議院議員通常選挙の選挙運動中に安倍晋三が銃撃され死亡する事件が発生した(安倍晋三銃撃事件)[70]。これを受けて、岸田は「本日午後5時3分、安倍晋三元総理がお亡くなりになられました。どうか一命を取り留めていただきたいと祈っておりましたが、祈りも虚しく、こうした報に接することになってしまったこと、誠に残念であり、言葉もありません。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。民主主義の根幹たる、選挙が行われている中、安倍(元)総理の命を奪った、卑劣な蛮行が行われた。断じて許せるものではなく、最も強い言葉で改めて非難を申し上げます」と官邸で述べた[71]。
同年7月14日に官邸記者会見で、閣議決定により安倍晋三の国葬を実施すると表明した[72][73]。同年9月27日、国葬を実施し、岸田は葬儀委員長として追悼の辞を述べた[74]。
同年8月10日に第2次岸田改造内閣を発足させた[75]。
同年8月21日、新型コロナウイルスへの罹患が報じられた。同月22日、オンライン形式で報道各社のインタビューに対し「療養を行いながらリモートで仕事を続ける。閣議にもオンラインで出席する。国政に遅滞が生じないよう全力を尽くす」と強調した上で、内閣総理大臣公邸でテレワークにて公務を行うとした[76]。同月31日に療養期間を終えた後、官邸に入り、対面での職務に復帰した[77]。
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