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超インフレ預金封鎖目指す黒田財務省
植草一秀氏ブログ「知られざる真実」2022年9月28日
1ドル145円台でドル売り介入に踏み切り、一時は140円台にまで円高が進行したが、NY市場の引け値は143円台。
介入効果は著しく限定的。
米国が利上げを実施した翌日に日銀が金融緩和維持を決めた。
円安誘導策を決定しておいてドル売り円買い介入を実施したのだから支離滅裂=錯乱介入である。
介入効果が著しく小さいのは当然のこと。
しかも、日本政府は米国政府の許可がなければ介入もできない。
ドル売り介入は日本政府が保有する米国国債を売却すること。
日本政府が保有する米国国債はNY連銀が管理する帳簿のなかにある。
米国の許可を得なければ日本政府保有の米国国債の売却さえできないのだ。
日本政府は2022年8月末に外貨建て証券を1.04兆ドル保有している。
かつて円高=ドル安が進行した局面でドル買い介入した積み重ねだ。
平均コスト1ドル=80円で米国国債を購入していれば、米国国債の購入代金は83.2兆円。現在の為替レート1ドル=142円で保有米国国債1.04兆ドルを売却すれば145.6兆円を手にすることができる。
62.4兆円の為替差益を獲得できる。
日本国民全員に1人50万円のボーナスを支給できる。
現在の局面でドル売りを実行してもドル暴落の危険はない。
日本政府はこの局面で日本政府が保有する米国国債全額を市場で売却すべきだ。それが国民の利益に沿う政策運営。
岸田内閣にその行動を実行できるか。はなはだ疑わしい。
日本政府による米国国債購入は、日本政府による米国政府への資金融通を意味する。
つまり、日本政府が米国政府にお金を貸しているということ。
日本政府が保有する米国国債を売却することは、米国に貸しているお金を返してもらうことを意味する。
これまで日本政府は保有する米国国債の売却を許されてこなかった。
橋本龍太郎元首相が首相在任中に「米国国債を売却したいという衝動に駆られたことがある」と発言して大騒動になった。
橋本首相は発言後、いくばくもなく首相辞任に追い込まれ、その後、謎の早期死去に見舞われた。
国債は満期が来れば償還されるはずのもの。
ところが、日本政府が保有する米国国債は満期が到来すると、自動的に新しい米国国債に乗り換えさせられてきた。
既述の通り、日本政府が保有する米国国債はNY連銀の帳簿上で管理され、日本政府が自由に売却できない。
今回のドル売り介入も米国政府におうかがいを立てて、許していただいた範囲内で実施したものに過ぎない。
今回の日本政府によるドル売り=円買い介入について、米国財務省が「われわれは日本の行動を理解している」と発表し、日本政府のドル売り=円買い介入を「米財務省が容認している」と報道されているが、この報道も、日本政府が保有米国国債を自由に売却できる状況にないことを示唆するもの。
だが、日本国民の利益を考慮するなら、日本政府はこのタイミングで1.04兆ドルの日本政府保有米国国債全額を市場で売却すべきだ。
日本政府の資産をどのように処分するかの権利は日本政府がもつべきであるのは当然のこと。
日本政府の判断で保有米国国債全額売却を決断できないことがおかしい。
*岸田総理のプロフールとは ?
生い立ち
広島県出身の通商産業省(現:経済産業省)の官僚であった父・岸田文武の元に東京都渋谷区で生まれる[6][9]。親の教育方針もあり、文雄は東京で育てられた[10]。岸田家は広島の一族であるため、一家は毎年夏に広島に文雄を連れて帰省し、文雄は広島原爆の被爆者たちから当時の話を聞いた[11]。岸田一族も多くが被爆し、死に至った者たちもいた[11]。
1963年、父の仕事の関係でアメリカ合衆国ニューヨーク市に居住し、小学校1年生から3年生まで3年間、現地の公立小学校に通う[12]。1963年秋から「PS 20」に通ったのち、1964年春からクイーンズ区の近隣住区エルムハーストに位置する「PS 13 Clement C Moore School」に通った[11]。
1966年6月にパブリックスクール3年次を修了[注釈 1]して日本に帰国。7月に永田町小学校(現:麹町小学校)の3年次に転入。麹町中学校を経て、1973年に開成高等学校に入学[13]。野球部に入部し、高校生活を野球に捧げ、その傍らでロック/フォークの流行に影響を受けギターに打ち込む[13]。
自由民主党総裁・内閣総理大臣
2021年9月29日、自民党総裁選の投票が行われた。1回目の投票でトップの256票を獲得したが、有効投票数[注釈 3]の過半数に届かなかったため河野太郎との決選投票が行われることになった。決選投票[注釈 4]では257票を獲得して河野太郎(170票)を破り、第27代総裁に選出された[55]。
同年10月1日、新体制の党執行役員人事を決定し、副総裁に麻生太郎、幹事長に甘利明、政務調査会長に高市早苗、総務会長に福田達夫、選挙対策委員長に遠藤利明がそれぞれ就任[56]。
同年10月4日、衆議院および参議院の本会議で行われた内閣総理大臣指名選挙にて指名し天皇による任命を経て第100代内閣総理大臣に就任。第1次岸田内閣が発足した。
同年12月11日、衆議院議員宿舎を退去して元首相野田佳彦以来9年ぶりに内閣総理大臣公邸に入居した。当面は岸田と秘書の長男が暮らす。危機管理の強化を理由にしている[68]。
2022年1月17日、第208回国会(常会)が召集され[69]、岸田は施政方針演説を行った。
2022年7月8日、第26回参議院議員通常選挙の選挙運動中に安倍晋三が銃撃され死亡する事件が発生した(安倍晋三銃撃事件)[70]。これを受けて、岸田は「本日午後5時3分、安倍晋三元総理がお亡くなりになられました。どうか一命を取り留めていただきたいと祈っておりましたが、祈りも虚しく、こうした報に接することになってしまったこと、誠に残念であり、言葉もありません。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。民主主義の根幹たる、選挙が行われている中、安倍(元)総理の命を奪った、卑劣な蛮行が行われた。断じて許せるものではなく、最も強い言葉で改めて非難を申し上げます」と官邸で述べた[71]。
同年7月14日に官邸記者会見で、閣議決定により安倍晋三の国葬を実施すると表明した[72][73]。同年9月27日、国葬を実施し、岸田は葬儀委員長として追悼の辞を述べた[74]。
同年8月10日に第2次岸田改造内閣を発足させた[75]。
同年8月21日、新型コロナウイルスへの罹患が報じられた。同月22日、オンライン形式で報道各社のインタビューに対し「療養を行いながらリモートで仕事を続ける。閣議にもオンラインで出席する。国政に遅滞が生じないよう全力を尽くす」と強調した上で、内閣総理大臣公邸でテレワークにて公務を行うとした[76]。同月31日に療養期間を終えた後、官邸に入り、対面での職務に復帰した[77]。
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