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立憲民主党を野党共闘から除外する !
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投稿者 富樫五郎 日時 2022 年 9 月 18 日 10:56:06: yh9W2UgILTCJw lXiKfozcmFk
 



立憲民主党を野党共闘から除外する !
植草一秀氏ブログ「知られざる真実」 2022年8月29日

日本政治の停滞が続く。2009年に政権交代が実現した。
この政権を大切に育てていれば日本政治史はまったく異なるものになった。鳩山内閣がなぜ破壊されたのか。
その原因を正確に捕捉することが必要だ。
鳩山内閣は日本政治の基本構造を変えようとした。
米国による支配、官僚による支配、大資本による支配
の構造を打破しようとした。普天間の県外・国外移設方針を明示。
官僚天下り根絶を公約に掲げた。企業団体献金の全面禁止提案も示した。
しかし、このことは、日本政治の既得権勢力一掃を意味する。
既得権勢力が猛反撃に出ることは自明だった。
敵は鳩山内閣内部に潜んでいた。米国・官僚・大資本と通じる勢力だ。
この「隠れ利権複合体勢力」が鳩山内閣を内部から破壊した。
日本政治を支配してきた勢力が「米・官・業・政・電」の悪徳ペンタゴン、悪徳ピラミッドだった。
普天間の県外・国外移設方針を破壊したのは,岡田外相・北澤防衛相・前原沖縄担当相・平野官房長官の4名だった。
彼らが服従したのは,鳩山首相ではなく,米国=日米合同委員会だった。
菅直人、藤井裕久、渡部恒三、仙谷由人、岡田克也、野田佳彦、前原誠司、枝野幸男、安住淳、玄葉光一郎の各氏を「悪徳10人衆」と呼んでいる。
鳩山首相は日本政治の既得権勢力の全体に対峙して政策路線を設定した。そのために既得権勢力の猛反撃、総攻撃を受けた。
民主党内部には,既得権勢力と通じる者が多数存在した。
2010年2月にカート・キャンベル米国務次官補が来日して小沢一郎氏と会談した。
会談に先立ち、キャンベル氏は,前原誠司氏と会談している。
前原氏は小沢氏を信用するなと発言するとともに、年末の沖縄知事選での伊波洋一氏選出のリスクを指摘した。
同時に前原氏がルース駐日大使に「米側がいかなる代替案も受け入れない場合、2010年5月連休後に現行案(辺野古移設案)を推進し、社民・国民新党との連立政権も解消する」方針を伝えたとウィキリークスが暴露した。
キャンベル次官補は,訪日後にソウルを訪問し、ワシントンに公電を送信。
そのなかで,「岡田克也外相と菅直人財務相と直接話し合うことの重要性を指摘」と伝えている。
鳩山内閣が,既得権勢力によって破壊される様子を,至近距離で観察した菅直人氏は既得権勢力側に寝返った。
菅直人氏は,2010年4月に訪米し、アーリントン墓地で献花した。
米国の面接試験を受けるために訪米したと見られる。
鳩山首相は,普天間の県外・国外移設方針を隠れ既得権勢力に破壊され、首相辞任に追い込まれた。
権力を強奪したのは,既得権勢力側に寝返った,菅直人氏である。
その後、権力ポストは,野田佳彦氏に引き継がれた。
民主党政治は,完全に米・官・業トライアングルに支配される状況に転向した。敗戦後日本政治の通奏低音は,「対米隷属」である。
1945年から1947年の2年間だけが例外期間。
この期間に驚異的スピードで日本民主化措置が断行された。
その集大成としての遺産が,「日本国憲法」だ。
わずか2年間の成果として,「日本国憲法」が遺されたことは、その後の「逆コース」を踏まえれば,奇跡に近い偉業だった。
1947年以降の日本政治の基本に置かれた米国戦略が,「反共政策」であり、その象徴が「国際勝共連合」である。
民主党を「水と油の混合体」と指摘し続けてきた。
旧民主党内に潜む,「守旧勢力」=「対米隷属勢力」の基本戦略が,「反共政策」である。連合が正体をむき出しにして「反共政策」=「勝共政策」を前面に押し立てている。
これは,自民党の「反共政策」=「勝共政策」と軌を一にするもの。
共通のベースになったのが,「国際勝共連合」である。
日本政治刷新に向けての野党態勢再構築に際して、見落とすべきでないのがこの視点である。
昨年10月の衆院総選挙、本年7月の参院通常選挙で自公の与党勢力が大勝した。その原因は,必ずしも与党の側にない。
与党が勝利したのではなく,野党が敗北した。最大の原因は,立憲民主党にある。立憲民主党が,なぜ大敗したのか。原因は明白だ。
立憲民主党が,野党共闘を否定したことにある。
当時代表職にあった枝野幸男氏は,昨年10月の衆院総選挙期間中に次のように公言した。
「『野党共闘』というのは,皆さんがいつもおっしゃっていますが、私の方からは,使っていません。
あくまでも,国民民主党さんと2党間で連合さんを含めて,政策協定を結び、一体となって選挙を戦う。」
共闘の対象は,国民民主党と連合であり、共産党、社会民主党、れいわ新選組は,共闘の対象ではないことを明言した。

*自民党の成り立ち・アメリカ(CIA)の対日工作

「児玉誉士夫は有能で粘り強いスパイのグループを仕切っていた」。CIAの報告はそう書いて関心を露わにしていた。しかしタングステン作戦はCIA東京支局での児玉の評判を落とした。「彼は職業的なうそつきで暴力団、ペテン師で、根っからのどろぼう」と、1953年9月10日付の支局報告は記している。
「児玉は諜報活動まったくできない男で、金儲け以外のことには関心がない」。それでも児玉は資産の一部を日本の最も保守的な政治家に注ぎ込み、それによってこれらの政治家を権力の座につけることを助ける、「アメリカの工作」に貢献した。
CIAはまた、占領の終結とともに、日本人の心情を捉えるための戦いにも、同じように懸命に取り組んだ。国家安全保障会議に対するCIA報告によると、「日本政府と日本人の間に、日本国内およびその周辺に駐屯するアメリカ軍の任務を受容する態度と積極的な責任感」を育みたいと考えたのである。
その任務はまさに、アメリカの国益に資する日本の指導者を選ぶことに尽きていた。

・A級戦犯を飼いならす
CIAには政治戦争を進めるうえで、並外れた巧みさで使いこなせる武器があった。
それは現ナマだった。CIAは、1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった。
岸信介は、児玉と同様にA級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に3年の間収監されていた。
東条英樹ら死刑判決をうけた7名のA級戦犯の刑が執行されたその翌日、岸は児玉らとともに釈放される。釈放後岸は、CIAの援助とともに、支配政党のトップに座り、日本の首相までのぼりつめるのである。

*A級戦犯容疑者から総理大臣へ変身
1945年敗戦直後、アメリカは、占領によって日本を民主的に改革したことを世界に示そうと躍起だった。ところが実際には、冷戦の始まりとともに、アメリカは、日本の戦時体制を維持し、戦時中のエリートに権力を握らせようと決めていた。そのため、戦争犯罪人を監獄から出してやった。1948年12月24日、釈放された、A級戦犯容疑者は、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、正力松太郎など70名以上存在し、戦後の政界人・経済界人・政界の黒幕など多方面の有力者になった。講和後の1958年4月、禁固刑のA級戦犯(賀屋興宣、白鳥敏夫、重光葵、橋本欣五郎などは後に衆議院議員となる)は、全員赦免になった。

 

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