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2014年ウクライナ政変の重大エビデンス
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投稿者 青木太郎 日時 2022 年 4 月 29 日 16:49:28: 1mfxCEv0ff91A kMKW2JG@mFk
 

2014年ウクライナ政変の重大エビデンス

 NetIB-Newsでは、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事から一部を抜粋して紹介する。今回はすべての悪夢を引き起こす元凶はアメリカだと指摘した4月3日付の記事を紹介する。
「天網恢恢疎にして失わず」
とは、天の網の目は一見粗いようだが、決して悪を見過ごすことはない、悪行には必ず天罰が下る、ということ。
善は必ず栄え、悪は必ず滅びる。
悪が滅びるまでの時間が、ときに長すぎることが問題だが、この言葉が真理であると信じたい。
2020年の米大統領選挙でバイデン現大統領のウクライナ疑惑が指摘された。
現実には逆に、この問題でトランプ前大統領が弾劾訴追を受けることになったので事情はやや複雑だが、そもそもの疑惑はバイデン現大統領の子息に関わるもの。
この問題が再びクローズアップされ始めている。
4月1日に産経新聞は次のように伝えた。
「バイデン米大統領の次男、ハンター・バイデン氏が役員を務めていたウクライナ企業などから得た報酬をめぐる検察当局の捜査が活発化しているもようだ。
米紙ニューヨーク・タイムズやウォールストリート・ジャーナルなどが3月31日までに、ハンター氏の税務処理に関する疑惑などで同氏周辺への聴取が加速しているなどと相次いで報道。
野党・共和党からの追及も強まっている。」
同記事は、「ハンター氏は、バイデン氏が大統領選で勝利した後の2020年末、自身の税務処理に関し、地元デラウェア州の連邦地検による捜査対象になっていると認めたうえで、「適正な処理を行った」と主張していた。」とする。
また、同紙は3月28日付ウォールストリート・ジャーナル紙の情報として、「検察当局の捜査はここ数週間で加速。当局はとくに、ハンター氏が14〜19年に役員を務め、月約5万ドル(約600万円)の報酬を受け取っていたとされるウクライナのエネルギー関連企業「ブリスマ」からのカネの流れに強い関心を示しているほか、中国やカザフスタンなどをめぐるハンター氏側のビジネス関係についても証言を集めているという。」
と伝えた。
さらに、ニューヨーク・タイムズ紙が報じた内容として、
「一連の捜査はバイデン氏が副大統領を務めたオバマ政権下で開始されたもので、税務処理のほかに、外国機関による米国内でのロビー活動やマネーロンダリング(資金洗浄)に関する法令違反の有無も捜査対象に含まれる」と伝えている。
トランプ前大統領がウクライナ政府に対し、ハンター・バイデン氏の疑惑に関する捜査を進展させることを求めたことが、職権乱用に当たるとして弾劾訴追を受けた。
この弾劾訴追は上院によって否決されたが、問題の発端であるハンター・バイデン氏の疑惑が消滅したわけではなかった。
その疑惑に対する米国での捜査が進展していることが伝えられている。
3月29日付ブログ記事
「検事総長クビにしないなら金はやらん」
https://bit.ly/3781Ta7に「バイデンが一番削除したい動画の1つ」https://bit.ly/3wJ6IS7を紹介したが、バイデン大統領は、この疑惑に関する捜査を進めていたウクライナの検事総長を「職権を乱用して」解任させたことを自分の言葉で説明している。
バイデン氏は副大統領の地位を利用して、息子が巨額報酬を受け取っていたブリスマ社の訴追を妨害したと見られているが、当のバイデン氏は「ブリスマ」関係者に会ったこともないと否定し続けてきた。
ところが、バイデン氏発言の信ぴょう性は低い。
すでに2020年米大統領選直前に報じられているが、ブリスマ社顧問のバディム・ポザルスキー氏がハンター・バイデン氏に送信したメールが暴露された。
メールの発信年月日は2015年4月17日。
内容は次のもの。
「親愛なるハンター、ワシントンへ招待してくれて貴方の父上と会い、しばしご一緒できたことを感謝します。
まことに名誉であり喜びでした。
昨夜お話ししたように、今日再びコーヒーでも飲みながらお会いできれば幸いです。
いかがですか?正午ごろであれば、貴方のオフィスによることができます。」
2014年のウクライナ政権転覆は米国とウクライナ極右勢力、そして、ウクライナの親米政権樹立勢力による謀略工作だったと見られる。
その謀略工作の米最高責任者がバイデン副大統領だった。
ロシアの軍事行動を非難するだけでなく、米国によるウクライナへの内政干渉、軍事介入、経済的不正に関心を向けることが必要不可欠だ。
(植草一秀氏ブログ「知られざる真実」2022年4月4日)
 バイデン米大統領とは ?
来歴
1942年11月20日にペンシルベニア州スクラントンで誕生し、デラウェア州ニューキャッスル郡で育った。アイルランド系カトリックの中産階級の家庭の生まれである[5]。子供の頃は吃音に悩み鏡の前でアイルランドの詩を朗読するという独自の発声練習で克服したという。高校・大学ではアメフトに夢中になった[5]。
デラウェア大学で学んだ後、シラキュース大学で法務博士号を取得[7]。ロースクールを経て1969年に弁護士となり、1970年にデラウェア州のニューキャッスル郡議会(英語版)議員に選出された[5]。1973年1月に29歳でデラウェア州の上院議員に当選し、アメリカ史上5番目に若い上院議員となった[8]。同年12月にクリスマスの買い物に出かけた妻と娘を交通事故で失った[8]。1977年6月に現在の妻であるジルと再婚している[5]。
1973年1月から2009年1月まで連続6期も連邦上院議員を務め、外交・刑事司法・薬物問題に取り組み、上院司法委員会(英語版)の委員長や上院外交委員会の委員長などを歴任した[5][8]。政策実現を重んじる調整型の政治家として党派を超えた信頼を確立した[5]。
1991年1月の湾岸戦争に上院議員として反対し、東ヨーロッパへのNATOの拡大と1990年代のユーゴスラビア紛争への介入を支持した。2002年のイラク戦争承認決議を支持したが、2007年のアメリカ軍増派には反対した。また、1987年1月から1995年1月まで上院司法委員会の委員長を務め、麻薬政策・犯罪防止・市民の自由に関連する問題を扱っていた。バイデンは暴力犯罪取締法と女性に対する暴力法の成立に向けた取り組みを主導し、ロバート・ボークとクラレンス・トーマスの最高裁判所長官への指名を監督した。
2008年アメリカ合衆国大統領選挙でバラク・オバマと並んで副大統領に当選した後に上院議員を辞任した。4番目に在職期間の長い上院議員だった[9]。オバマとバイデンは2012年アメリカ合衆国大統領選挙においても再選され、2期8年に渡って務めた。副大統領としてバイデンはリーマンショックの不況に対抗するために2009年にインフラ支出を監督した。バイデンの議会の共和党との交渉は、オバマ政権が税制の行き詰まりを解決した2010年税制救済法、債務上限危機を解決した2011年予算管理法、差し迫った財政の崖に対処した2012年アメリカ納税者救済法などの法案を通過させるのを助けた。外交政策ではアメリカ合衆国およびロシア連邦との間で新START条約の成立に向けた取り組みを主導し、リビアへの軍事介入を支持し、2011年12月のアメリカ軍の撤兵までイラクに対するアメリカの政策を所管した。2012年12月のサンディフック小学校銃乱射事件の後、バイデンはアメリカにおける銃暴力の原因に対処するために設立された「銃暴力タスクフォース」を率いた[10]。
2015年5月に長男のボー・バイデンを脳腫瘍で亡くし、失意から2016年アメリカ合衆国大統領選挙を見送った[8]。2017年1月にオバマ大統領はバイデンに大統領自由勲章を授与した[11]。

 

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