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眞子さま「複雑性PTSD」公表後のTV局解説委員長の無責任な批判を問う !
眞子内親王のプロフィールとは ?
(www.nikkan-gendai.com:2021/10/04 10:29)
日刊ゲンダイ:成城大学教授・森暢平:
10月1日に発表された眞子さまの「複雑性PTSD」というご病気。眞子さまを追い詰めたもののひとつは、マスメディアによる「わがまま」批判や、小室圭さんや母親への非難である。驚いたことに病名発表の翌日も、解説委員長という肩書の人物を登場させて、眞子さま批判を放送するテレビ番組があった。2日昼の「今田耕司のネタバレMTG」(読売テレビ)である。前日収録とはいえ、こういう無責任な番組が眞子さまを追い詰めていたと思うと、そのまま放送されたことが残念でならない。
読売テレビ報道局解説委員長・高岡達之氏はまず、皇籍離脱に伴う一時金の受け取り辞退について次のように述べた。
「もらう、もらわないを、彼女(眞子さま)が決めることは法律に書いてありません。そんなことは。皇室経済法という法律にもとづいて、金額をこういう会議(皇室経済会議)で決めます。(略)最も日本で法律に厳しいご一家です。だから、そこの方が『私の気持ちがこうだから』、それもね、前代未聞なんです。よくあるでしょ、地方の知事さんでね、お役所で、『ややこしいことがありましたから、お給料返納します』、そんなもん認められませんから。返上しますというお気持ちはいいけども、それを許可するために議会を開き、条例を変え法律を変え(る)」
高岡氏は都道府県知事の給与返上が議会で決まることとの対比で、眞子さまの意向で一時金辞退が決まるのはおかしいと主張する。
■皇室制度について理解不足 !
解説委員長ともあろう人が、皇室制度の基本的なことがわからないまま世論誘導してしまっている。まず日本国憲法を最初から読んだほうがいい。憲法は天皇がご自分の意志を持つことを禁止していない。国事行為は内閣の助言と承認にもとづくと、きちんと明記してある。
公的行為や私的行為についても天皇・皇族が何かを発意したら、内閣の付属機関たる宮内庁が助言(アドバイス)し、最終的に承認される。天皇・皇族の発意が禁止されているわけではない。天皇・皇族は意思を持つ人間である。税金を払っている「国民」に隷属しているわけでもない。ただ、その意思の実現には、内閣の助言と承認が必要という建てつけになっている。
以前から一時金の受け取りに批判があることに悩んでいた眞子さまは、宮内庁参与たちに相談し、前職と現職の宮内庁長官とも話し合った。地方議会での同意のプロセスは、この場合、これらの相談である。宮内庁は、内閣法制局にも、杉田和博内閣官房副長官とも相談し、菅義偉首相にも話を通した。そのうえで、受け取り辞退という眞子さまの意向を「承認」し、宮内庁として一時金受け取りは義務ではなく、皇室経済会議を開催しないと決めたのである。
「私の気持ちがこうだから」という眞子さまの「わがまま」で決まったわけでも、「前代未聞」と評価されるべき驚天動地の出来事でもない。
筆者自身は、一時金はぜひ受け取っていただきたかったという気持ちが強い。眞子さまがここまでの気持ちを持ったのは、眞子さまの気持ちに気がつかず、ただ皇族に公的役割ばかりを押しつける高岡氏のような言論であったことは指摘しておきたい。
■「わがままなプリンセス」というレッテル貼り !
高岡氏の意見を受けて、司会の今田耕司さんは「そういう説明をお二人にしたときに、2人はわからないんですか。『納得できない』『そんな時代じゃない』とか、そういうことなんですか。今、こんなにこじれてしまってるのは」と述べた。
今田さんは、眞子さまが法律を理解せず、アドバイスにも耳を傾けず、ただ「納得できない」と言っているような「わがまま」なプリンセスだと思ってしまっている。タレントである今田さんが皇室に詳しくないのは仕方がない。しかし、そこに誘導したのは、解説委員長である高岡氏である。高岡氏の説明によって、今田さんのような誤解をした視聴者は多いであろう。解説委員長ともあろう人物が、自らの言論の責任をどのように感じているのだろうか。
高岡氏は、小室さんの髪型についても批判する。
「(ここは)日本です。日本で、今田さんも堅いところに行かれることがあると思います。例えば、銀行におうち買うののお金の相談とか、ポニーテールの行員が並んでる銀行で金借りまっか? 国会議員がみんなポニーテールで壇上……、昔1人いましたけど、並んでる国会信用しますか?」
「日本に帰ってくるとわかった時点で、向こうの航空会社から、だいたい今どきネットで自分が日本でどない思われてるかわかってるわけですよ。(略)一般人だけれども、帰ってどういう扱いされるかがわからんような人間であったら困るんじゃないですか? もうニューヨーク散髪屋開いてますよ。行ったらいいじゃないですか!」
■皇族の婚約者に「わかれよ !」
「4年前に宮様と並んで会見した時点から、一銭の税金も使ってないかという話なんですよ。(略)並んで(会見を)した瞬間からもう皆さんの血税は彼に流れるわけです。彼が好まなくても。そういう方との結婚を覚悟するぐらいなら、国民がうしろでどう思うかいうこともわかれよ!」
髪型によって、あたかも小室さんの「信用」がないかのような議論である。公共の電波を使った髪型批判が許されないのは、これまでも指摘したから繰り返さない。読売テレビの解説委員長という肩書の人物によってなされ、病名公表の翌日にも堂々と放送されている。「わかれよ!」という言葉使いも、立場ある人物が皇族の婚約者に投げ掛ける言葉とも思えない。
この番組は関西地方と九州の一部だけで放送されている。ローカルだから、解説委員長が適当なことを言っていいわけではない。準キー局にも相当な影響力がある。無責任な放送は、無責任な世論を形成する一因となる。
病名公表後も、眞子さまをなお追い詰めている読売テレビの責任は重い。
▽森暢平(もり・ようへい) 成城大学文芸学部教授。元毎日新聞記者。著書に『天皇家の財布』(新潮社)、『近代皇室の社会史』(吉川弘文館)、『皇后四代の歴史──昭憲皇太后から美智子皇后まで』(吉川弘文館、共著)、『「地域」から見える天皇制』(吉田書店、共著)などがある。
○眞子内親王のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
眞子内親王(まこないしんのう、1991年〈平成3年〉10月23日生まれ。29歳。 )は、日本の皇族。身位は内親王。敬称は殿下[2]。お印は木香茨(もっこうばら)。勲等は宝冠大綬章。
秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第1女子で、徳仁(第126代天皇)は伯父にあたる。妹に佳子内親王、弟に悠仁親王がいる。2021年(令和3年)現在、内親王では最年長[3]。
住居は、東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にある秋篠宮邸で、改修工事に伴い、2022年(令和4年)3月まで「御仮寓所(ごかぐうしょ)」に仮住まいしている[4]。
来歴:幼少時代:1991年(平成3年)10月23日、宮内庁病院にて誕生。同日、賜剣の儀。この時に第125代天皇明仁から授けられた守り刀は、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された隅谷正峯の作。
同年10月29日、命名の儀が執り行われ、父の秋篠宮文仁親王により、「眞子(まこ)」と名付けられる。この名は、「天性のものを失わず、自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩む」願いを込めて命名された[5]。
学習院進学:1998年(平成10年)4月、学習院初等科入学。その後学習院女子中・高等科に進学。この間、2005年(平成17年)頃からは、日本国内を中心として両親の公務、接見に同行・同座することが多くなり、最年長の内親王として国民の前に姿を現す機会も増えている。高校時代のあだ名は「まこしー」[6]。
2006年(平成18年)8月の夏休み期間中、2週間に渡ってオーストリアのウィーンでホームステイをした。ホームステイ先は、女系の祖父・川嶋辰彦の仕事仲間だったオーストリア人の家。かねてより美術や建築に関心があり、美術館や、シュテファン大聖堂やシェーンブルン宮殿などの建築物を見学した[7][8]。
2006年(平成18年)には、父・秋篠宮の三重県訪問に同行して伊勢神宮式年遷宮の行事「川曳き」を視察、自ら行事に参加した。高等科在学中の2008年(平成20年)からは、単独公務も開始している。
大学時代:2009年(平成21年)11月、国際基督教大学をAO入試で受験して、合格したことが発表された[9]。2010年(平成22年)に学習院女子高等科を卒業し、同年4月、国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科に入学。皇族の同大学への入学は初となる[注釈 1]。雪面滑走競技部に入部した[10]。同年7月14日から、同大学の海外英語研修としてアイルランド共和国に留学し、1か月間、アイルランド国立大学ダブリン校で英語を学んだほか、研修生の一員としてアイルランド大統領のメアリー・マッカリースとの懇談や、イギリスの北アイルランド地方への訪問も行った[11][12]。
2011年(平成23年)7月、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被災地で身分を隠してボランティア活動を行った[6]。同年10月23日、成年を迎え、宝冠大綬章を授与された。以後、成年皇族として各種行事、儀式に出席している。
2012年(平成24年)4月、3学年に進級し、美術・文化財研究を専攻。在学中に学芸員資格および運転免許証を取得[13][14]。2012年(平成24年)8月3日、同年9月から2013年(平成25年)5月までイギリスのエディンバラ大学に留学することが閣議で報告された[15]。同大学では美術史などを学んだ[13]。皇族の同大学への留学は高円宮家の承子女王に次いで2人目となる。
2014年(平成26年)3月、国際基督教大学教養学部を卒業し、「学士(教養)」の学位を修得[10]。卒業論文は日本神話を題材とした絵画をテーマとした「明治時代における神話画の誕生、発展、そして葛藤」(英文、80頁)。同年国際陶磁器フェスティバル美濃名誉総裁に就任[13][16]。
大学院時代:2014年(平成26年)9月、レスター大学大学院博物館学研究科に入学し[17][18]、日本を離れる。翌2015年(平成27年)9月、同大学院の課程を終えて帰国する[19]。
大学院在学中は、他の学生と変わらず学生寮で生活し、サイモン・ネル教授(Simon Knell)の指導の下、ブラシュカ父子の海洋生物模型を題材に、修士論文「博物館におけるオブジェクトの解釈の可能性」を執筆したほか、イギリス王室との交流も行った。また、2015年(平成27年)7月から8週間、コヴェントリーのハーバート美術博物館(英語版)で実務研修プログラムに参加し、レスターのニュー・ウォーク博物美術館(英語版)での研究にも従事した[20][21][22][23][24]。
帰国後の同年10月、父の文仁親王から引き継ぐ形で、日本テニス協会名誉総裁に就任[25]。全日本テニス選手権表彰式では、天皇杯を授与している。同年11月、東京大学総合研究博物館客員研究員に就任。
2016年(平成28年)1月21日、レスター大大学院の修了式に出席し、「修士(博物館学)」の学位記を受けた[26]。同年、JPタワー学術文化総合ミュージアム(日本郵便と東京大学産学協働プロジェクト)「インターメディアテク」客員研究員就任[27][28]。同年4月1日、東京大学総合研究博物館特任研究員に就任。公務を優先しながら週3回ほど勤務している[29]。同年6月15日、日本工芸会総裁に就任[30]。同会の主要事業である日本伝統工芸展では、総裁賞と高松宮記念賞の選定を行っている[31]。
同年9月、国際基督教大学大学院アーツ・サイエンス研究科博士後期課程に入学し、比較文化を研究領域とする博物館学を中心に研究に取り組んでいる[32][33]。
婚約内定と延期
2017年(平成29年)5月16日、国際基督教大学の同級生で、法律事務所勤務の男性K(以下、Kとする)と婚約する準備が進められていると報道された[34]。同日、宮内庁も婚約することを明らかにし[35]、当初は同年秋以降に予定していた婚約内定発表を前倒しすることになった[36]。
同年9月3日午前、祖父にあたる当時の天皇・明仁の裁可を得て婚約が内定し、午前11時15分、山本信一郎宮内庁長官が婚約内定を正式発表した[37]。同日午後3時、眞子内親王とKは、赤坂御用地内の赤坂東邸で婚約内定会見を行った[38]。なお、婚約内定は7月8日に発表される予定だったが、平成29年7月九州北部豪雨を受けて延期されている。
その後、「Kの母親と元婚約者との間に金銭問題が生じている」などKの家庭を巡る様々な報道が相次ぎ、2018年(平成30年)2月6日、宮内庁は眞子内親王の納采の儀を始めとする結婚関係諸儀式を延期すると発表した[39]。眞子内親王は文書で「お気持ち」を公表し、「予期せぬ時期の報道をきっかけに、結婚に関わる様々な行事や結婚後の生活にむけて、二人で話し合い、それぞれの親や関係する人々と相談しながら準備を進めてきたが、現在予定している秋の結婚までに行う諸行事や結婚後の生活について、充分な準備を行う時間がないことを認識するようになったためだ」と説明した[40]。
私たちは,今まで結婚に関わる様々な行事や結婚後の生活にむけて,二人で話し合い,それぞれの親や関係する方々と相談しながら準備を進めてまいりました。しかし,その過程で,現在予定している秋の結婚までに行う諸行事や結婚後の生活について,充分な準備を行う時間的余裕がないことを認識するようになりました。
これまでのことを振り返ってみたいと思います。昨年5月,予期せぬ時期に婚約報道がなされました。このことに私たちは困惑いたしましたが,結婚の意思を固めていたことから,曖昧な状態を長引かせない方がよいとの判断をし,当初の予定を大きく前倒しして婚約が内定した旨を発表することにいたしました。婚約の内定発表に際しては,多くの方々がお祝いのお気持ちを寄せてくださったことを大変有り難く思っております。その後,昨年11月には,それ以降の諸行事の予定を立て,発表いたしました。
しかし,色々なことを急ぎ過ぎていたのだと思います。ここで一度,この速度が自分たちに本当に合っているのかを慎重に考えるべきでしたが,婚約の内定発表に関しても,それ以降の事柄に関しても,私たちはそのまま前に進むという選択をしてまいりました。
今,私たちは,結婚という人生の節目をより良い形で迎えたいと考えております。そして,そのために二人で結婚についてより深く具体的に考えるとともに,結婚までの,そして結婚後の準備に充分な時間をかけて,できるところまで深めて行きたいと思っております。―以下省略―
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