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総裁選:自民党最大派閥が岸田氏一本化か ?
石破氏は出馬見送り、岸田氏インタビュー 小泉環境相は、河野氏支持 !
出馬者のプロフィールとは ?
(news.yahoo.co.jp:2021年9/14(火) 17:50)
「ポスト菅」を決める自民党総裁選の告示まであと3日です。最大派閥「細田派」の会合では、どんな議論が出たのでしょうか。国会記者会館から報告です。
(政治部・小池直子記者報告)
細田派の会合は14日午後に終わりました。そして、岸田前政調会長と高市前総務大臣、この2人を支援することを決めました。細田派内には岸田前政調会長や高市前総務大臣を推す声が圧倒的ですが、河野行政改革担当大臣を支援する議員も一部にいて、自主投票を求める声も上がっていました。
しかし、ある幹部は「派内の大勢は岸田だ」と述べていました。
ただ、安倍前総理が高市前総務大臣の支持を鮮明にしているため、岸田前政調会長だけでなく、高市前総務大臣も支援することを決めました。そして、それぞれの陣営に推薦人も出すことを確認しています。
派閥としては候補者を出していない以上、総裁選で勝ってポストを勝ち取るために決選投票での2位3位連合という逆転のシナリオも描いています。そのためには、とにかく最後は結束して行動すること、この方針を明確に打ち出したい考えです。
Q.石破元幹事長が出馬を見送った背景は?
自らが立候補する主戦論では勝算が見えず派閥内がまとまらなかった、これが最大の理由だと言えます。
石破元幹事長が出馬することで特に党員票が割れるため、安倍麻生の傀儡(かいらい)とみている岸田前政調会長が有利になるのを避ける狙いがあります。
石破元幹事長としては党員票では一定の支持はあるものの、弱点と言われている議員票では今回も支持が広がらないとみていたため、5回目となるこの挑戦でも勝ち目がないと判断していたためです。
さらに、これまでポスト争いで冷遇されてきた派閥のメンバーを処遇してもらいたいという思惑もあります。
○総裁選:1億5000万円、国民に説明 !
自民総裁選、争点は党改革 岸田氏インタビュー
(www.jiji.com:2021年9/14(火) 11:37)
自民党総裁選に出馬する岸田文雄前政調会長は14日、報道各社のインタビューに応じた。
2019年参院選で河井克行元法相夫妻側に党本部が支出した1億5000万円に関し、「買収に使われていないことを書面をもって国民に説明する」と強調。「政治とカネ」の問題への強い批判を踏まえ、総裁選の争点は「党改革」だと主張した。
岸田氏は「党の説明責任、透明性、ガバナンス改革を考えなければいけない」と指摘。「できるだけ早く」説明する考えを示した。当選無効となった国会議員に4割の歳費返還を求める歳費法改正にも取り組むと語った。
憲法改正に関しては、安倍政権時にまとめた4項目の党改憲案の実現に「努力を注ぐ」と表明した。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて「緊急事態条項(の対象)に感染症を加えるか、議論はあってもいい」と述べた。
カジノを含む統合型リゾート(IR)に関しては「経済に少なからず意味がある。信頼醸成、地元の理解を大切にし、可能性を追求していく課題だ」と主張。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設は「進めるべきだ。丁寧な説明を地元にしなければならない」と語った。
○総裁選:小泉環境相、河野氏支持を表明「党風一新できるのは河野氏」
(news.yahoo.co.jp:2021年9/14(火) 19:40)
9月17日告示の自民党総裁選挙をめぐって、小泉環境大臣は河野行革担当大臣を支持することを表明しました。
小泉大臣は、夕方から地元の神奈川県横須賀市で県議・市議ら党支部の幹部らと総裁選の対応について協議した後、「自民党が変わらなきゃいけないときに誰が党風一新できるのか」「河野さんしかいない」などとして、河野大臣を支持することを報道陣に表明しました。(14日19:36)
(参考資料)
○河野太郎行政改革相のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
河野太郎(こうの・たろう、1963年〈昭和38年〉1月10日生まれ。58歳。)は、日本の政治家。学位はB.A.(ジョージタウン大学・1985年)。自由民主党所属の衆議院議員(8期)。行政改革担当大臣、国家公務員制度担当大臣、新型コロナウイルス感染症ワクチン接種推進担当大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革)[注 1]。内閣総理大臣臨時代理就任順位第4位。
防衛大臣(第20代)、外務大臣(第145・146代)、国家公安委員会委員長(第90代)、内閣府特命担当大臣(規制改革、防災、消費者及び食品安全〈第3次安倍第1次改造内閣〉)、自由民主党行政改革推進本部長、自由民主党幹事長代理、法務副大臣(第8代)、総務大臣政務官 (人事、行政管理、行政評価、恩給、統計など旧総務庁関係の業務担当[1]〈第1次小泉内閣〉)、衆議院決算行政監視委員長・外務委員長等を歴任。
父は自由民主党総裁、副総理兼外務大臣、内閣官房長官、科学技術庁長官、衆議院議長等を務めた河野洋平。弟は日本端子代表取締役社長の河野二郎。副総理兼東京五輪担当大臣、建設大臣、行政管理庁長官、農林大臣を務めた河野一郎は祖父、参議院議長を務めた河野謙三は大叔父に当たる。
◆来歴・人物:
生い立ち:1963年、河野洋平の長男として生まれる。
学生時代:YWCA幼稚園、平塚市立花水小学校、慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を卒業。
高校時代は、祖父、大叔父、父と同様、競走部(陸上競技部)に入って主将を務め[2]、箱根駅伝を目標にしていた[3]。高校の同級生に公明党所属の参議院議員西田実仁がいる。
1981年(昭和56年)4月に慶應義塾大学経済学部に入学するも2ヶ月で退学[4]。その後渡米。渡米後すぐにマサチューセッツ州アンドーバーでサマースクールに通った[5]。その後、コネチカット州のボーディングスクール、サフィールドアカデミー(Suffield Academy)で1年間過ごし[6]、1982年9月にワシントンD.C.のジョージタウン大学に入学、比較政治学を専攻[2]。1984年にジョージタウン大学を休学し、ポーランド中央計画統計大学(現在のワルシャワ経済大学)に交換留学[7][8]。
1985年(昭和60年)1月にジョージタウン大学に復学。1985年12月にジョージタウン大学卒業[2]。
ジョージタウン大学ではニューヨーク・ニックスにいたパトリック・ユーイングと同級であった。在学中は、後に国務長官となるマデリーン・オルブライトのゼミに参加。ワシントンでは政治活動にもかかわり、1983年(昭和58年)にはアメリカの大統領選挙に立候補したアラン・クランストン上院議員(カリフォルニア州選出、民主党)の選対本部の財務部門でボランティアをしたり、リチャード・シェルビー下院議員(アラバマ州選出、民主党。のち共和党)の下でインターンを務めるなどした。
ポーランド中央計画統計大学在学中には、当時自宅軟禁下にあった、後にポーランド大統領になるレフ・ヴァウェンサ「連帯」議長宅を訪問し逮捕され、一晩留置所で過ごしたエピソードがある。
翌日に保釈された。当時は共産党の独裁政権下で、「大学の寮の食事は、ほとんど毎食、ジャガイモと酢漬けキャベツだけだった」と語っている[9]。
○岸田文雄・議員のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
岸田文雄(きしだ・ふみお、1957年7月29日生まれ。64歳。)は、日本の政治家。
早稲田大学法学部卒業。
自由民主党所属の衆議院議員(9期)、宏池会会長(第8代)、自由民主党広島県連会長[1]。
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、再チャレンジ、科学技術政策)、外務大臣(第143代・第144代)、防衛大臣(第16代)、自民党国会対策委員長(第52代)、自由民主党政務調査会長(第58代)、自民党たばこ議員連盟副会長などを歴任。血液型AB型。
中小企業庁長官、衆議院議員を務めた岸田文武は父[2]。戦前戦後に衆議院議員を務めた岸田正記は祖父。参議院議員・経済産業大臣を務めた宮澤洋一は従兄弟。愛称は「キッシー」。
◆経歴:
2013年10月3日、内閣総理大臣安倍晋三らとともに。
2013年4月15日、総理大臣官邸にて。左から外務大臣岸田文雄、内閣官房副長官加藤勝信、内閣官房副長官世耕弘成。
2013年11月20日、駐日アメリカ合衆国大使キャロライン・ケネディとともに。
2014年9月1日、インド首相ナレンドラ・モディとともに
◆出生:
東京都渋谷区出身。本籍地は広島県広島市比治山町(現:南区比治山町)。父・岸田文武は広島県出身の通産官僚。岸田家は広島の一族であるため、一家は毎年夏に広島に文雄を連れて帰省し、文雄は広島原爆の被爆者たちから当時の話を聞いた[3]。岸田一族も多くが被爆し、死に至った者たちもいた[3]。
○高市早苗前総務相のプルフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
高市早苗(たかいち・さなえ、1961年〈昭和36年〉3月7日[1]生まれ。60歳。)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)。
総務大臣(第18代-第19代・第23代)、内閣府特命担当大臣(マイナンバー制度担当)、衆議院議院運営委員長、自民党政務調査会長(第55代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、少子化・男女共同参画、食品安全、イノベーション担当)を務めた。
◆来歴:出生、学生時代
大阪府出身(現住所は奈良県奈良市)[2][4]。奈良県立畝傍高等学校[5]、神戸大学経営学部経営学科卒業。専門は経営数学。大学生時代は軽音楽部に所属し、ヘビーメタルロックバンドでドラムを担当していた[6]。他には、スキューバダイビングやバイクが趣味である。
◆第2次安倍政権発足以降:
12月の第46回衆議院議員総選挙で6選。選挙後、第55代自民党政務調査会長に就任。女性としては初めての就任でもあった[18]。
2014年9月3日に発足した第2次安倍改造内閣で、女性初の総務大臣に就任。同年12月の第47回衆議院議員総選挙で7選。12月24日に発した第3次安倍内閣でも総務大臣に再任された。
2017年6月20日、総務大臣の在任歴代1位となる[19]。同年7月19日、山本拓と離婚[20]。同年8月3日、内閣改造により大臣を退任。総務大臣としての在任期間は、1066日となる[21]。同年10月の第48回衆議院議員総選挙で8選。同年11月、新設された自民党サイバーセキュリティ対策本部長に就任。
2018年10月、衆議院議院運営委員長に就任[22]。議院運営委員長に女性が就任するのは衆参両議院合わせて初。
2019年9月11日、第4次安倍再改造内閣で再び総務大臣に就任。2020年9月17日、安倍内閣総辞職、菅義偉内閣発足に伴い大臣を退任。後任の武田良太との引き継ぎ式では、『NHK受信料と携帯電話料金の改革を最後までできなかったのが、残念で残念で』と語った[23]。
2021年8月10日発売の『文藝春秋』に論文「総裁選に出馬します!」を寄稿。同年9月に予定される自民党総裁選への立候補の意欲を示し、その理由として菅政権で「アベノミクスの2本目の矢である『機動的な財政出動』は適切に実行されなかった」ことを挙げた[24][25]。
さらに8月26日発売の『月刊Hanada』に、有本香を聞き手とする「わが政権構想」を寄稿。憲法改正による「国防軍」保持の明記を主張するとともに、「支持率1パーセントになっても菅総理を支えます」と語った[26][27]。同日、正式に総裁選出馬を表明[28]。
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