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小池都知事が“西村大臣ドーカツ発言”の
言い出しっぺ ?まさかの女帝「黒幕説」
小池都知事の深層・真相は ?
(www.nikkan-gendai.com:2021/07/20 06:00)
日刊ゲンダイ:「同調」の次は「同情」だ。補助金が欲しければ休業要請に応じない飲食店に酒を卸すな――。6月11日付の各都道府県への政府通知が大炎上すると、菅政権は慌てて撤回した。
給付申請する酒販業者に、誓約書を出させていた東京都なども、露骨な“踏み絵”と化していた、申請書の「取引停止」要件を削除した。
問題は、小池都知事の反応だ。16日の定例会見で、幹事社の朝日新聞記者に「宣誓させることの何が問題だったと考えているのか」「度重なる政府の要請撤回についての受け止め」を聞かれたことは全く報じられていない。
小池知事は、聞かれてもいないのに、コロナ対策リーダー登録や協力金「先渡し」などをアピール。さらに夜の収入減を補うため、早朝から弁当を出す、飲食店の逸話紹介に延々と時間を浪費し、この間、実に約6分20秒であった。
最後に「長くなりました」とわびたものの、質問には結局、何ひとつ答えずシレッとした態度だった。
さすがに朝日記者が、再質問した途端にモゴモゴ。
「政府もいろいろ考えられた結果」、「どのようにしてコロナ対策に実効性を持たせるかという考えのひとつだったと思う」と、言葉少なに、耳を疑う同情論が飛び出した。
前週9日の会見で、小池知事は、“お気に入り”とされる女性記者の質問に答える形で、西村大臣の金融機関への圧力要請に、「思いは私も同じ」と激しく同意した。
数時間後に西村大臣は、発言を撤回したのに、「現場を担う者としては動きやすくなる、また(飲食店を)説得をしていただきやすくなる」と踏み込んだ。
この強い「同調」の言葉を、小池知事は、撤回する気もなさそうだ。
「気になるのは、政府通知を誰が起案したのか。
西村大臣をはじめ、政府側は、詳しい経緯を閉ざすが、通知を出した、内閣官房コロナ対策室のもとには、東京都や専門家から、『強力な措置』を求める声が寄せられていた。
金融機関や酒販業者を通じた、『働きかけ』について、西村大臣は、『都道府県知事や専門家と毎日のように意見交換する中で、いろいろなアイデアが出る。最終的に出てきたのが、今回の施策』と国会で説明した。
つまり、飲食店への圧力要請の数々は、小池知事とすり合わせた結果だとしても、不思議ではない」(ある野党議員)
西村大臣について小池知事は、「よく連絡を取っている」とホットラインを強調した。
同じ兵庫出身、上昇志向まで、似た者同士で話し合う中、「酒の取引停止」で合意したのか。
「キャリアの差を考えれば、小池知事の発案もあり得る」(前出の野党議員)と、まさかの女帝が言い出しっぺの黒幕説も流れる始末である。真相はいかに。
○「あいつに心は許せない」なぜ自民党は小池都知事を警戒するのか ?
(weekly-economist.mainichi.jp:2020/7/28 )
現職の信任投票の色を帯びた都知事選は、小池百合子氏の圧勝で幕を閉じた。新型コロナウイルスへの対応で安倍晋三首相以上の存在感を示し、五輪開催への意欲も失っていない小池氏。都庁内では「今後は国政に照準を合わせていくのでは」と、“女帝”の次なる戦いに関心が集まる。
今回の知事選で、小池氏は街頭演説で聴衆が密集するのを避けるため、インターネットで動画を配信する「オンライン選挙」に徹した。それでも、ふたを開ければ得票数は都知事選歴代2番目の336万票。選挙後はコロナ対応もあってさすがに疲労の色が見えたが、「結果を見てかなり気を良くしている」(知事周辺)という。
反小池の旗を揚げてきた自民党都連は、対抗馬擁立に失敗し、選挙戦では自主投票を選択。党本部の二階俊博幹事長が支援に回ったため、選挙後はやむなく協力姿勢に。だがコロナの新規感染者増を巡って菅義偉官房長官に「東京都の問題」と指摘され、「むしろ国の問題」と切り返すなど、一筋縄ではいかない相手に「心は許せない」との本音も漏れる。
小池氏は今も国政進出に色気があるとされ都連幹部は「小池氏は自民と組みたいと思っているはず。そのうち歩み寄ってくるだろう」と強気の姿勢を崩さない。
(本誌初出 圧勝小池氏「次は国政」か 歩み寄り待つ苦虫自民 20200728)
(参考資料)
○再燃する小池百合子の「学歴詐称」疑惑…首席も、卒業すらも嘘なのか ?
(gendai.ismedia.jp:2020年5月29日)
◆卒業証書の提出を断固拒否
小池百合子東京都知事が、新型コロナウイルス対策の1兆円で再選を買ったも同然だと批判を浴びている。
しかし、そもそも、この人は都知事をやる資格があるのだろうか? かねてから指摘されている、学歴詐称疑惑と有印私文書偽造・同行使の疑惑は払しょくされるどころか、ますます深まっている。
小池氏は、カイロ大学を卒業したと言いながら、いまだかつて、卒業証書類をきちんと公開したことがない。2016年の都知事選の前に、フジテレビの「とくダネ!」で短時間公開したことはあるが、スクリーンショットで見る限り、有効性に大きな疑義がある。卒業証明書も卒業証書も、印影が著しく不鮮明で、サインもあるべき場所になく、それ以外の複数の要件も欠いているからだ。
去る3月9、12、24日、都議会の場で、自民党の都議4人が卒業証書類の提出を代わる代わる要請したが、小池氏はことごとく拒んだ。
小宮あんり都議に対しては「これまで大学が発行致しております卒業の証書、そして証明書につきましても、これまで何度も公にしております」「これまで公に何度も致しておりますことから、もう提出をすることは考えておりません」、フジテレビのスクリーンショットをパネルで示しながら質問した川松真一朗都議に対しては「あれだけのショットをこうやって公開の場で出しておられるというのは、既に出しているからこそ出ていくわけでございまして」、同じくパネルを示しながら提出を求めた田村利光都議に対しては「既に提示は何度もしているということで、新たに公表する予定はございません」「今まさに見て頂いているのが、右側が証明書で、こちらが証書でございます」と答弁し、提出を拒否した。
この異様な態度には、与党側の議員たちも首肯しかねる様子で、議場内は静まり返った。
◆「首席卒業」も極めて疑わしい
小池氏は「何度も公開した」と繰り返し答弁したが、小池氏がまがりなりにも卒業証書類を見せたのは、前述のフジテレビの「とくダネ!」だけだ。そもそも正々堂々と卒業したのなら、50回でも100回でも公開できるだろう。小池氏はよほど卒業証書類を見せたくないらしい。見せたくないのは、何か問題があるからで、有印私文書偽造・同行使の疑いをかけられても文句は言えないだろう。
そうでないと言うのなら、現物を堂々と都議会に提出し、疑惑を払拭すればいいだけのことだ。現物でない限り、コピーや切り貼りはいくらでも可能だ。
卒業証書類の公開の件に限らず、小池氏の答弁は嘘と誇張が多い。
3月24日には三宅正彦都議に「(カイロ大学を)首席で卒業したというのは間違いであるということでよろしいでしょうか?」と尋ねられ、「わたくしが卒業致しました際に、教授のほうから大変いい成績であったと、トップであったということを聞きまして、大変嬉しく思って、その旨を書いたところでございます」と答弁した。
しかし、小池氏がフジテレビの番組で見せた卒業証書類には、成績は合格点の下から2番目の「ジャイイド(good)」と書かれており(カイロ大学の合格点は4段階ある)、これが仮に本物であるとしても「成績はトップであった」と言われるはずがない。三宅議員からは「まあ、首席ではないということで確定させて頂きます」と駄目を押された。
◆怪しすぎるアラビア語のレベル
そもそも小池氏のアラビア語は、別の場所でも検証したが、「とてもよい面会」を「美味しい面会」と言い間違えたり、クウェートの女性大臣と正則アラビア語で話そうとしてしどろもどろになったり、カダフィ大佐訪問時はほとんど会話にならないといった、「お使い」レベルのアラビア語で、到底大学教育に耐えられるものではない。
語学は言い逃れも、誤魔化しもきかない。大半がエジプト人の約150人の同級生を差し押さえ、あのアラビア語と「ジャイイド」の成績で「トップの成績と言われた」という説明は、いくら何でも無理がある。
小池氏の嘘の答弁はまだある。3月12日に田村都議から卒論の有無とテーマに関して尋ねられ、「私の卒業致しました文学部社会学科でございますけれども、こちらでは卒論はございませんでした。当時の同級生たちもそのように申しております。多分、取材をなさったところは別の学科の方ではないかと、このように思います」と答弁した。筆者はその2日後の3月14日、別のウェブサイトでこれが嘘であることを指摘した。2018年9月にカイロ大学文学部社会学科を訪問し、小池氏が卒業したと称している1976年と同じ年に同学科を卒業した現役の社会学科の教授から聞いた説明は次の通りだったからだ。
「カイロ大学文学部社会学科では、全員が卒論を書かなくてはなりません。4年生の1年間は卒論を書くためのプロジェクト立案、資料集め、インタビューなどに追われます。私の卒論のテーマは、『職業集団としての猿の調教師』で、分量はアラビア語で80〜90ページでした。他の学生の卒論のテーマは、教育、社会統制、カイロの貧民街、犯罪学というようなものでした」
小池氏はこの指摘を読んで、まずいと思ったのだろう。3月24日に三宅議員が筆者の記事を引用しながら、卒論の有無を再度尋ねると、「76年卒業の際に、卒論という形では書いておりませんし、またすべての者に求められていたものではないと、このように記憶をしているところでございます。たとえばそのあと、アカデミズムに進む人などが、卒論を書くということはございますけれども、いわゆる、あの、日本の大学で言うところの卒論というようなシステムはなかったと記憶致しております」と12日の答弁とは一転して「記憶」を連発し、アカデミズムに進む者は卒論を書くという “珍説” を披露した。
小池氏は内心の動揺を隠せない様子で「カイロ大学を卒業された方で、日本に留学す、される方などは、卒論はどう、どうしたかというと、卒論はないというふ、ふうに答えて、あっ、そうなのかと、カイロでは、またエジプトではないのかと(理解した)」と続け、人に聞いて答えていることを図らずも暴露した。これは同居人女性が証言する通り、最終学年に達していなかったので、卒論の有無を知らなかったことを示している。
その後、「ではこの(カイロ大学の)教授が言っていることは間違いということでよろしいんでしょうか?」と三宅都議に尋ねられ、「それはその方にお訊き下さい」と答え、否定も肯定もしなかった。
「カイロ大学を卒業した」という小池氏の主張は、まったく信用できないと感じるのは、筆者だけだろうか?
○小池氏と舛添要一氏との熱愛 !
(bunshun.jp:2020/05/27)
週刊文春 2020年6月4日号:編集部:
5月28日(木)発売の「週刊文春」では、早川さんの証言で明らかとなった、カイロ大首席卒業の真相、エジプト現地取材をはじめ100人を超える関係者の証言をもとに書かれた石井氏の新著『女帝 小池百合子』(文藝春秋刊)で明かされた秘話、小池氏と舛添要一氏との熱愛などを詳報している。
当時、桝添氏(1948年〈昭和23年〉11月29日うまれ、71歳)は、大藏官僚だった、片山さつき氏(現参議院議員)との離婚が、1989年成立した。
桝添氏は、40代前半で、小池氏(1952年〈昭和27年〉7月15日生まれ、67歳)は40歳が目前に迫っていた。
桝添氏が1990年に建てた、北海道白老町の別荘に、桝添氏と小池氏は、連れだって出かけていた
(知人)。
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