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眞子さまは、週刊誌記事を見ているのか ? 小室圭さんは詳細にチェック !
幕末・明治天皇の深層・真相は ?
(www.nikkan-gendai.com:2021年5/16(日) 9:06)
【皇室のトリビア】
週刊誌やネットのニュースは、眞子さまと小室さんの話題で騒がしいが、ご本人の眞子さまはこれらの報道を逐一読んでいるのだろうか――。だれもが気になる素朴な疑問だと思う。
◆眞子さまを射止めた小室圭さんも「海の王子」歴代42人の“出世度”は?
少なくとも「小室文書」からうかがえる限り、小室さんは詳細に読んでいることは間違いないだろう。小室文書の内容について眞子さまとも相談したといわれるから、眞子さまも週刊誌情報を知っていなければ話が合わない。
もちろんお付きの職員からこうした情報を逐一報告してもらうということも考えられるが、それはないようだ。職員だって、眞子さまに批判的な情報を伝えるのは気がひけるだろう。とすれば、やはり眞子さまも直接、週刊誌情報に触れていると考えていいだろう。
上皇が皇太子時代の話だが、美智子さまが入院されたときに病室を訪れた人物は、ベッドのそばに英語の原書などと一緒に週刊誌が積まれていたのを見て驚いたそうだ。「まさか妃殿下ともあろう方が週刊誌を読まれるなんて」と、何かまずいものを見たような気分だったそうである。当時の宮内庁関係者によればこういうことらしい。
「敗戦によって、昭和天皇は大元帥から象徴天皇になりました。戦前の大元帥はお金も権力もありましたが、戦後の象徴天皇には何もありません。昭和天皇は軍服から背広になりましたが、平成の天皇は自ら新しい象徴天皇像をつくるしかありません。そのために試行錯誤されながら、国民と共に行動する象徴天皇像を築かれたのです。しかし、それが国民の期待に応えているのかどうか、チェックしなければなりません。週刊誌などは、そのためのデータでもあったのです」
被災者の前でひざまずく平成流の象徴天皇は、こうした努力によるものだ。
昭和天皇は、戦争の功罪などで複雑な国民感情はあったが、上皇ご夫妻は腰が低く、なごやかでやさしいイメージがある。国民感情もいい。これも週刊誌などが伝える情報を分析しながら国民感情を読み取っていったからだろう。
週刊誌を読みながら、おそらく美智子さまは、思ったことを当時の明仁皇太子に相談されたに違いない。そんなご両親を見ていた、今上陛下や秋篠宮さまも、週刊誌を通して国民がどう思っているかを知ることは当たり前のことで、違和感はなかったはずである。
眞子さまのご結婚で秋篠宮さまが、「多くの人が納得し喜んでくれる状況にならなければ」と言ったのは当然なのだ。
では、眞子さまも同じように週刊誌を読んでいるのだろうか。
宮内庁関係者は「推測ですが」と断った上でこう述べた。
「眞子さまが週刊誌を読んでいるのを見たことはありませんが、普段からパソコンでインターネットを使っているので、おそらくネット情報をご覧になっていると思います。これが困るのは、紙の週刊誌と違い、ユーザーのコメントも読めるので、そうした一部の意見に影響されるのではないかと心配しているのです」
2人の結婚が祝福されない雰囲気をつくったのは、ネット上で発信されたコメントともいわれているのだから危惧するのも当然だろう。コメントなんて少数意見なんだから放っておけばいいのにと思うのだが、紙媒体と違ってバーチャルの世界は不安を増幅させるのかもしれない。
もっとも、こんな見方も成り立つ。小室さんがアメリカに留学すると分かったとき、2年間も遠距離恋愛を強いられれば、いずれ熱も冷めるだろうと思ったのは、リアル時代に育った秋篠宮さまの世代。デジタル社会で育った眞子さまや小室さんには、むしろバーチャルだったからこそ、より親密度を強めたともいえるのだ。
(参考資料)
T 幕末・維新の革命の真相は ?
(欧州財閥による日本支配が実態)
サッスーン財閥(ロスチャイルド巨大財閥の子分)の代理人としてグラバーが登場します。
この長崎に来た武器商人トーマス・グラバーは、日本を支配するためには、武家政権が最大の障害であり、武士の支配の総元は、徳川幕府だと認識します。
徳川幕府の統治を完全に転覆しないと日本は自分たち英国・巨大財閥のものにならない。
そこに、嘉永6、7年(1853〜54)、アメリカの「ペリー艦隊」が来て、無理に日本を開国させ、欧米列強が日本に入り込みます。
グラバーは、日本の武家の政治を転覆するためにいろいろな「策謀」を巡らします。
ところが、孝明天皇は、朝廷と武家と一体になり、日本全国民が一致して西洋の不当な侵略、日本支配に対抗して、日本を守らなければならないという「公武合体策」を唱えます。
そして、孝明天皇の妹宮である和宮が、14代徳川家茂(1846〜66)将軍に嫁ぎます。
これでは埒が明かないというので、グラバーは、薩摩と長州に内訌して、薩長の軍隊と徳川の軍隊を全面的な内戦に持ち込んで、日本を中国のようにバラバラに解体する「植民地支配」を目論んだのです。 その最大の障害が、尊皇攘夷主義者・孝明天皇だったわけです。
そして、慶応2年12月25日(西暦では1867年1月)に「孝明天皇弑逆事件」が起こりました(「弑逆(しいぎゃく)」とは、臣下が主君を殺す大悪のこと)。
翌、慶応3年(1867年)1月9日には、睦仁親王が践祚(天皇の位を受け継ぐこと)し、さらに、慶応4年(1868)8月27日に即位式をあげ「明治」と改元されました。
ところが、この睦仁天皇も16歳くらいでしたが、言うことを聞かなかったのです。
英国の手先・薩長になびかず、徳川幕府と朝廷が一致して、日本を守るという、孝明天皇の政策を改めなかったのです。
そこで、睦仁天皇も邪魔だということで「弑逆」されて、行方がまったくわからなくなったのです。
・・・・ 大室寅之祐((おおむろとらのすけ:南朝系子孫と勤皇派は主張)という名前の人物を「睦仁にすり替えて」詐称しているからです。
日本国民が、「孝明天皇弑逆事件」の真相を明らかにして、それ以降の日本には、歴史的正統性が存在しないということを、明確に日本人が認識する・・・ということが必要ではないかと思うわけです。
*孝明天皇弑逆説:山陰基央、徳富蘇峰、山岡荘八、鹿島昇、大田龍、鬼塚英昭、加治将一
なお、明治初期・中期、京都の公家、有力市民の多くは、孝明天皇弑逆を知っていた。
U“裏切られた、三人の天皇”―明治維新の謎 !
(soejima.to/boards/sirogane:副島隆彦より抜粋・転載)
鹿島 昇(かしま のぼる))”の、まえがき部分、におきます、引用、甚大紹介、です。(2004年、10月、20日、午後、10時、40分、ocr、+、打ち、の、ログ!)) 投稿者:・白金 幸紀(しろがね ゆうき))会員番号 1738番 投稿日:2004/10/23(Sat) 18:47:08
V 英国・巨大財閥の奴隷・岩倉具視や木戸、伊藤、山縣、大久保の
日本乗っ取りを明治維新として捏造 !
いまだこの話を著者にしていないが、そんな時私は儀幸にも本書の原稿を読む機会を与えられた。
著者(鹿島 昇)は、私と同職の弁護土なので職業柄、論理と論証を尊ぶ。といってもそれは決して三百代言的な詭弁ではない。
著者は、かつて早大研究室で、刑法の研鑽を積み、研究者として未来を嘱望されただけあって、およそ歴史学に、聖域もタブーも認めず、ただひたすら真実のみを追及する。
それだけならば、どうということもないのだが、さらに著者は、稀に見る独創的な洞察力の人である。この著者の特性は、かつて、檀君朝鮮北倭論を展開するにあたって、見事に結実し、私の目の鱗がストンと落ちたものであったが、本書を一読して、著者のそのような資質が、本書においても、遺憾なく発揮されていることを知った。
W 幕末・明治時代の「官学合同の偽史シンジケート」
維新以降の「官学合同の偽史シンジケート」によってすでに常識となっている明治維新とその聖なる天皇の像が、著者の真実に迫らんとするあくなき洞察力によって粉微塵に破壌され、しかもその論理と論証によって次々に展開する新史観はことごとく首肯せざるをえない説得力を持つ。
X 孝明天皇、その子睦仁、大室寅之祐の明治天皇の謎
本書のなかで著者が展開する史観は、三人の天皇、すなわち孝明天皇、その子睦仁、及び実は大室寅之祐の明治天皇は、或いは、明治維新を推進した岩倉具視や木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、大久保利通たちに暗殺され、或は裏切られた、悲しい存在であったという事実である。
Y 天皇親子を暗殺、身代わりを明治天皇にすり替え、歴史を捏造 !
まず孝明天皇は、長州藩の忍者部隊によって暗殺され、その子陸仁も即位後直ちに毒殺された。
そして、睦仁の身代わりになった明治天皇は実は南朝の末孫という長州力上隊の大室寅之祐であり、孝明天皇の子ではなかったというのである。
Z 大室寅之祐のプロフィールとは ?
(www.amazon.co.jp:2015年5月28日)
孝明天皇とその息子睦仁親王は伊藤博文や岩倉具視などによって暗殺されたという。睦仁親王に成りすました大室寅之祐が明治天皇になったという。大室寅之祐は、山口県熊毛郡田布施の朝鮮系部部落民であるという。薩長の明治維新が北朝の天皇支配を南朝の天皇支配に変革する目的もあったという。
彼は長州藩がそのために隠し持っていた玉だという。このような大胆な暗殺が宮中にも田布施の人々にも見つからずに可能であったのか。睦仁親王を育てた沢山の人々はなぜ偽物と本物の区別がつかなかったのか。ばらせば殺害を示唆されていたのか。西園寺公望は幼馴染でありすぐに区別がついたはずである。
これが真実であれば薩長の尊王攘夷は偽スローガンで日本の国体を簒奪するテロリスト集団ということになる。彼らには幕府に戦争を仕掛ける資金力はなかった。長州は藩廃絶の瀬戸際にあった。それを救ったのはグラバーの指示の基薩長連盟と薩土連盟を作った坂本龍馬である。 彼の暗殺は京都見回り組という。
幕府は彼の暗殺を禁止していた。誰の指示なのか。内戦による武器売買を望んでいたグラバーか。著者は田中光顕陸援隊隊長の関与を示唆する。
龍馬暗殺で最大の利益を手にしたのは誰か。それは幕府か。薩長の武闘派か。無血革命を嫌った輩がいたことは疑いようがない。その暗殺の資金を出した人物こそが犯人である。
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