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大坂なおみハードで敵なし ! 「4大大会制覇&五輪金」に現実味
大坂なおみ氏のプロフィールとは ?
(www.nikkan-gendai.com:2021//02/22 13:20)
今回の結果はシーズンまでのオフから目指していたもの。実際に目標を達成して体が震えた」
2年ぶり2度目となる全豪オープン優勝から一夜明けた21日、記念撮影に応じた大坂なおみ(23=世界ランク2位)はこう言った。
■ハードで敵なし !
前哨戦の試合前棄権が2度あるものの、今回の全豪優勝で昨年8月の全米オープン前哨戦から21連勝。2018年以降の4大大会のうちハードコートの全米と全豪に限れば、7大会中4大会を大坂が制している。ハードコートで敵なしの事実は全豪の数字にも表れている。第2サーブの得点率62%、リターン成功率75%はダントツの数字。特にリターンはオフに徹底的に練習した成果だ。
ここまでハードコートで強いと、クレー(赤土)の全仏(5月23日〜6月6日)と、芝の全英(6月28日〜7月11日)も期待したくなるが、実際問題としてどうか。
■赤土や芝も克服 !
「過去の全仏や全英の戦いぶりを見ても、特に苦手にしているという印象はありません。全仏の赤土も全英の芝も克服できると思う」と、スポーツライターの武田薫氏がこう言う。
「クレーコートは打球のスピードが落ち、ラリーが続くのが特徴ですが、全仏のクレーは他のクレーコートと比べてボールが弾む。つまり大坂の売りであるパワーが消されにくいのです。それに大坂は今回、打ち合いを制しています。ショットが正確で、ラリーに持ち込んでも負けなかった。赤土は足元が滑りやすいですけど、大坂は問題にしません」
全英の芝もクリアできるという。
「ウィンブルドンはボールが滑る、弾道が低くなるのが特徴ですけど、180センチの大坂のサーブはハードやクレー以上に角度がつく。むしろプラスです。これはどの選手にも言えることですけど、苦心するとすればサーフェスへの対応でしょう。これまではクレーの全仏を戦った2週間後に芝の全英でプレーしなければならなかった。サーフェスの変化に対応できない選手が多かったが、今年から全仏と全英の間隔が3週間に延びたのは大坂にとっても大きいと思う」
大坂が全米を制した18年以降の4大大会12試合のうち、最多は大坂の4勝、これに続くのはハレプ(29=ルーマニア)の2勝、あとは6選手が1勝ずつ。バーティ(24=オーストラリア)が制した19年の全仏以来、昨年の全仏までの6大会はすべて優勝者が異なる。つまり、いまの女子テニス界には芝やクレーで飛び抜けて強い選手がいないこともプラス材料ではある。
優勝から一夜明けてチームの面々と記念撮影する大坂(中央)/(C)ロイター=共同
■コロナ禍もプラス !
折からのコロナ禍も大坂には追い風になりそうだ。
テニス界はコロナの影響で、すでに、いくつかの大会の中止や延期が決定。具体的な日程が決まっている大きな試合は五輪と4大大会に加えて、4大大会に次ぐ格付けのマイアミオープン(3月)など。大坂はこの試合から出場予定で、WTA(女子テニス協会)は全英以降のスケジュールを発表していない。大坂はつまり、目標を絞ってスケジュールを組めるのだ。前出の武田氏の話。
「とにかく試合を重ねることで調子を上げていく選手もいますが、大坂はそうじゃない。昨年の全米、今回の全豪の前哨戦をトーナメントの途中で棄権したように、照準をあくまでもグランドスラムに合わせている。コロナ禍で試合が制限される分、大坂陣営にとってはポイントを絞りやすいのです。女子選手の中にはジュニア時代からプレー、ツアーの過密日程に振り回されて心身ともに燃え尽きてしまう選手が多い。17年の全仏を制してその後、精彩を欠いているオスタペンコ(23=ラトビア)がその典型ですが、大坂にはその心配がない。ビーナス、セリーナのウィリアムズ家の方針を参考にジュニアの大会に出なかったのはそんな背景もあるのです」
五輪と、その年の4大大会をすべて制することを「年間ゴールデンスラム」という。男子も含めて達成したのは1988年のシュテフィ・グラフひとり。東京五輪は得意のハードコートだし、大坂が彼女に続く史上2人目の快挙を達成する可能性もありそうだ。
(参考資料)
○大坂なおみ氏のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
大坂なおみ(おおさか・なおみ、英: Naomi Osaka、1997年10月16日生まれ。23歳。)は、大阪府大阪市中央区出身の女子プロテニス選手[4][5]。自己最高ランキングはシングルス1位。
これまでにWTAツアーでシングルス7勝を挙げている。うちグランドスラムは通算4勝で、2018年と2020年の全米オープン、および2019年と2021年の全豪オープン優勝者。
身長180cm。体重75kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
2019年までは日米二重国籍だったが[5]、22歳の誕生日を迎えるにあたり日本国籍を選択、選手登録は日本[6]。日清食品ホールディングス所属[7][8]。マネージメントはIMG。拠点はボカラトン、エバートテニスアカデミー[9]。姉の大坂まりもプロテニス選手。
男女を通じてアジア初の世界ランキング1位[注 1]。日本人初のグランドスラムシングルス優勝[注 2]。プレミア・マンダトリー優勝。日本人史上3人目となるWTAファイナルズ出場。WTAアワード年間最優秀新人賞。
◆来歴
ITFデビューまで:1997年10月16日、大阪府大阪市で生まれ[10]、中央区の空堀商店街の近くに住んだ[3]。
1999年全仏オープン女子ダブルスを優勝したビーナス・セリーナのウィリアムズ姉妹を見た父と[11]、姉の大坂まりの影響で3歳からテニスを始め、テニス経験のない父の教えの下、近所の靱テニスセンター等で練習した[12]。2001年にアメリカ合衆国へ移住[13]。
父方の祖父母がいる[14]、ニューヨーク州ロングアイランドのエルモントに住んだ[15]。母は日系企業に勤めて家計を支え[16]、姉妹は全米オープンの会場でもあるナショナル・テニス・センター等で毎日6時間近く練習した[17][18][19]。オルデン・テラス小学校三年生まで過ごした[20]。
2006年フロリダ州に移住し、ペンブロークパインズの公共コートで練習した[11]。2007年8月、全国公共公園テニス協会選手権で大坂まりとの14才以下女子ダブルスで優勝した[21]。
また14才以下のフロリダ選抜に選ばれた[22]。2008年ヨネックスとスポンサー契約を結んだ[23]。Broward Virtual中学・高校に入学した[10]。
◆2020年:2年ぶりの全米優勝
年始のブリスベン国際でベスト4入りした後、全豪オープンに前年覇者として挑んだが、3回戦で新星コリ・ガウフに3-6, 4-6で敗れた[75]。
3月から新型コロナウイルス感染症の流行の影響でツアーが中断された際には、「マリオテニス エース」を使用した国際チャリティー大会に出場して錦織圭と対戦した[76]。
ツアー再開後の復帰戦、ウエスタン・アンド・サザン・オープンではベスト4入りするも、ウィスコンシン州で起きた黒人襲撃事件(ジェイコブ・ブレークへの銃撃事件)に抗議する意を込めて翌日の準決勝を棄権すると発表した。しかし、大会側も大会日程を1日延期することを表明したため、棄権を撤回[77]。準決勝にも勝利したが、この試合で負傷したため決勝は棄権した。
全米オープンでは第4シードとして出場、勢いそのままに勝ち上がり決勝まで駒を進めると、前哨戦の決勝で対戦する予定だったビクトリア・アザレンカを1-6, 6-3, 6-3の逆転で破り、2年ぶり2回目の優勝を果たした。また、引き続き黒人襲撃事件への抗議の意を込めるため、着用しているマスクに過去の犠牲者の名前を記したことでも大きな話題となった[78]。全仏オープンは脚の痛みで欠場し、そのままシーズンを終えた。年間最終世界ランキングは3位。
2021年 2年ぶりの全豪オープン優勝
第3シードで参戦した全豪オープンでは、3回戦まではストレート勝ちで順調に勝ち上がった。4回戦では、スペインのガルビネ・ムグルサを相手に一時はマッチポイントを握られるなど苦戦したが、冷静さを失わず4-6、6-4、7-5で逆転に成功した。これ以降、準々決勝では台湾の謝淑薇を、準決勝では米国のセリーナ・ウィリアムズをいずれもストレートで下した。決勝でも米国のジェニファー・ブレイディを6-4、6-3のストレートで下し、2年ぶり2度目の全豪オープン優勝を決めた。
日本代表
2011年10月、全米テニス協会が大坂にほとんど関心を示さなかったので[79]、父親が「テニス選手としての国籍」は日本を選択した[6][25][注 6]。
2013年9月、東レパン・パシフィック・オープン予選に出場。初戦でシルビア・ソレール・エスピノサに敗れるも、吉川真司代表コーチが「すごい才能」と日本テニス協会に報告した[5]。2014年7月、バンク・オブ・ウェスト・クラシックで本戦出場後、日本テニス協会に登録していないが、日本オリンピック委員会から強化指定選手の認定を受けた[19]。2016年6月6日、特例による五輪出場資格の56位以内を目指していたが[80]、87位と届かずリオ五輪に出場出来なかった[81]。
2019年10月に日本国籍を選択する手続きを行った[82]。
フェドカップ
2017年2月、フェドカップの日本代表に初選出され[83]、アジア・オセアニアゾーン1部決勝で自身はガリナ・ボスコボワに勝利したがチームは敗れた[84]。2018年4月、フェドカップはワールドグループ2部プレーオフで勝利し4年ぶりのワールドグループ2部昇格に貢献した[85]。
ホップマンカップ
2018年1月、ホップマンカップは予選敗退した[86]。
プレースタイル
アグレッシブ・オフェンシブベースライナー。豪快でパワー溢れるグラウンドストロークを持ち味とし、両サイドからウィナーを打つことが出来る。パワフルなフォアハンドが武器であるが、脚を踏ん張り、一度の強打で形勢を逆転できるバックハンドも得意[87]。サーブも非常に強力で、最速サービス記録歴代10位の201km/h(125マイル)を計測し、また様々なスピンサーブも打て、緩急をつけることができる[6]。
好きなサーフェスはハード[88]。好きなショットはフォアハンド[89]。
第1セットを先取すると気持ちが乗り負けない。2016年10月の天津オープン準々決勝以降61連勝。第1セットを先取した試合は過去81試合。ストレート勝ちが69試合、フルセット勝ちが7試合で、勝率は約9割3分8厘。第1セットを落とした試合は64試合で、ストレート負けが43回、フルセットでの敗退が8回で、逆転勝ちは13回だけ。勝率は約2割3厘[90]。
◆人物
家族:父親はハイチ共和国ポルトープランス出身で[91]、アメリカ合衆国のニューヨーク市立大学シティカレッジで学んだ後、13年間日本に在住した[92][93]、 ハイチ系アメリカ人[94]。母親は北海道根室市出身の日本人で、苗字の「大坂」は母方から来ている[95]。北海道札幌市で出会った両親は、その後大阪府大阪市に転居し[96]、父親は大阪市内で大手語学学校の英語講師をしていた[3]。
大坂の姉の大坂まりもプロテニス選手である[4]。大坂の母方の祖父は1945年にロシアサハリン州の勇留島で生まれ、[97]根室漁業協同組合組合長をしている[98][99]。札幌市の住居が、大坂の日本の住民票の住所である[4]。大坂の母方の曾祖母は「勇留島に萱草の花が咲く頃」の著者の大坂みつよである[100]。
◆国籍
2018年までは法的には、日米二重国籍であったが[4][5]、 日本テニス協会に所属している[10]。2019年に22歳の誕生日を迎えるに当たり、日本国籍を選択して必要な手続きを行ったことを同年10月10日に明らかにした[101]。
ハイチ系アメリカ人[94]と日本人の両親を持ち、アメリカ合衆国に移住したが、本人は日本、アメリカ、ハイチという3つの国を代表している事を誇りにしている[102]。
育った環境から日本語よりも英語の方が流暢であるが、テニスの記者会見等では英語で質問された後に自らの国籍の言語での質問も受けるのが通例であるため[103][104]、日本語の勉強もしている。
父親の出身地、カリブ海の島国ハイチでも偉業をたたえる声が広がっている、中南米の最貧国とあってテニス選手の人口は少ないが、ゆかりのある大坂の活躍は、地元メディアが連日大きく報じ、試合も生中継している[105]。
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