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バイデン氏、第46代米国・大統領に就任 !
演説で「結束」呼び掛け !
バイデン氏のプロフィールとは ?
(www.bloomberg.co.jp:2021年1月21日 10:33 JST)
米国の第46代大統領にジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア氏が、1月20日、就任した。
多数の死者を出している、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)や長引く失業、急速に高まりつつある社会不安といった困難に見舞われる中、近年の米国史で最も険悪となった、政権移行を乗り越えて国家を主導することになる。
バイデン氏は、同日正午(日本時間21日午前2時)少し前、連邦議会議事堂前で、ロバーツ連邦最高裁長官を前に、大統領の就任宣誓を行った。ちょうど2週間前、大勢のトランプ前大統領支持者がバイデン氏の大統領認定を、阻止しようと集まった場所だ。
◆バイデン氏は、歴代大統領で最高齢での就任 !
78歳のバイデン氏は歴代大統領で最高齢での就任となった。
バイデン大統領は就任演説の冒頭で「きょうは米国の日であり、民主主義の日だ」と発言。さらに「歴史と希望、再生と決意の日だ。米国は新たに試され、困難に立ち向かっている」と明言した。
バイデン氏の大統領就任は、有権者が、前任者と正反対といえる人物に、国政を託したことを意味する。一度も公職に就いたことのなかった、トランプ氏による混乱の4年間を経て、今度は、デラウェア州選出の上院議員として、36年間、オバマ元大統領政権での副大統領として、8年間と計40年余りワシントンでの経験を持つ人物が選ばれた。
演説でバイデン大統領は、選挙結果を覆そうとした、トランプ氏の動きに言及し、「民主主義は貴重であり、もろいということを、われわれはあらためて学んだ」と指摘した。
「きょうこの日、民主主義が勝利した」と言明した。
◆連邦議会議事堂前を警備する州兵
◆カマラ・ハリス氏は、米国初の女性副大統領就任 !
バイデン氏は、女性が参政権を求め、そうした運動がこの日カマラ・ハリス氏の米国初の女性副大統領就任に至った経緯にも触れ、「物事は変えられないという話は、私には通用しない」と述べた。
ハリス氏は黒人として、またインド系米国人としても、米国初の副大統領である。
さらに、「赤(共和党)と青(民主党)、地方と都市、保守とリベラルの間で繰り広げられる無意味な争いを終わらせなければならない」と語るなど、約20分の演説は、大統領選での訴えと同様に、国民の結束を強く呼び掛ける内容となった。
バイデン氏の演説はミット・ロムニー上院議員ら一部の共和党議員からも称賛された。トランプ氏を批判してきた同議員は、与野党50議席ずつで勢力が拮抗(きっこう)する上院でキャスチングボートを握る存在になるとみられる。
民主党のクロブシャー上院議員と共に大統領就任式を取り仕切った共和党のブラント上院議員は「われわれがここで何をするか、世界中の人々が見ており、見ることになる。今は分断ではなく、結束の時だ」と語った。
◆試される結束 !米国のコロナ死者は、40万人超 !
バイデン氏の結束の呼び掛けは、閣僚候補の指名承認や新型コロナ禍に対応する追加経済対策案を巡る交渉など一連の試練に早速直面することになる。
新型コロナ感染症(COVID19)による米国の死者は、40万人を超えており、多くの地域では感染率が上昇している。バイデン氏は演説中、「大統領としての最初の行動」として新型コロナ犠牲者に黙とうをささげた。
バイデン氏はまた、就任後直ちにトランプ前政権下での移民や気候問題などに関する政策の巻き戻しに着手する。演説では「危険と大きなチャンスに満ちたこの冬、われわれにはやるべきことが多くある。スピードと緊急性をもって前に進む」と述べた。
しかし、バイデン氏は、共和党との溝を埋めるだけでなく、同氏の中道的傾向で構造改革の機会が失われると懸念する、民主党内の進歩派にも配慮した、政権運営が求められることになる。
(参考資料)
バイデン大統領のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
ジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア(Joseph Robinette Biden, Jr. Joe Biden pronounciation.ogg 発音/'dʒoʊsəf rɒbɪ'nɛt 'baɪdən/[ヘルプ/ファイル]、1942年11月20日生まれ。78歳。)は、アメリカ合衆国の政治家、弁護士。同国第46代大統領(在任: 2021年1月20日 - )。短縮形名は、ジョー・バイデン(Joe Biden)[注釈 1]。
民主党に所属し、デラウェア州選出の上院議員、第47代副大統領を歴任。2020年11月3日の大統領選挙に民主党の大統領候補として出馬して当選を果たし[2]、2021年1月20日に大統領に就任する[3][4]。ジョン・F・ケネディ以来のカトリックの大統領で[5]、また歴代最高齢となる78歳の大統領である[6]。
◆略歴
1942年11月20日にペンシルベニア州スクラントンに生まれ、デラウェア州ニューキャッスル郡で育った。アイルランド系カトリックの中産階級の家庭の生まれである[5]。子供の頃は吃音に悩み、鏡の前でアイルランドの詩を朗読するという独自の発声練習で克服したという。高校や大学ではアメフトに夢中になった[5]。
デラウェア大学で学んだ後、シラキューズ大学で法務博士号を取得[7]。ロースクールを経て1969年に弁護士となり、1970年にデラウェア州のニューキャッスル郡議会(英語版)議員に選出された[5]。1972年1月に29歳でデラウェア州の上院議員に当選し、アメリカ史上5番目に若い上院議員となった[8]。同年12月にクリスマスの買い物に出かけた妻と娘を交通事故で失った[8]。1977年に現在の妻ジルと再婚している[5]。
連続6期上院議員を務め、外交・刑事司法・薬物問題などに取り組み、上院司法委員会(英語版)の委員長や上院外交委員会の委員長などを歴任した[5][8]。政策実現を重んじる調整型の政治家として党派を超えた信頼を確立した[5]。
上院議員として1991年の湾岸戦争に反対し、東ヨーロッパへのNATOの拡大と1990年代のユーゴスラビア紛争への介入を支持した。2002年のイラク戦争承認決議を支持したが、2007年のアメリカ軍増派には反対した。
また、1987年から1995年まで上院司法委員会の委員長を務め、麻薬政策・犯罪防止・市民の自由に関連する問題を扱っていた。バイデンは暴力犯罪取締法と女性に対する暴力法の成立に向けた取り組みを主導し、ロバート・ボークとクラレンス・トーマスの最高裁判所長官への指名を監督した。
2008年アメリカ合衆国大統領選挙でバラク・オバマと並んで副大統領に当選した後に上院議員を辞任した。4番目に在職期間の長い上院議員だった[9]。オバマとバイデンは2012年アメリカ合衆国大統領選挙においても再選され、2期8年に渡って務めた。副大統領としてバイデンはリーマンショックの不況に対抗するために2009年にインフラ支出を監督した。彼の議会の共和党との交渉は、オバマ政権が税制の行き詰まりを解決した2010年税制救済法、債務上限危機を解決した2011年予算管理法、差し迫った財政の崖に対処した2012年アメリカ納税者救済法などの法案を通過させるのを助けた。
外交政策では、アメリカ合衆国及びロシア連邦との間で新START条約の成立に向けた取り組みを主導し、リビアへの軍事介入を支持し、2011年のアメリカ軍の撤兵までイラクに対するアメリカの政策を所管した。サンディフック小学校銃乱射事件の後、バイデンはアメリカにおける銃暴力の原因に対処するために設立された「銃暴力タスクフォース」を率いた[10]。
2015年に長男のボー・バイデンを脳腫瘍で亡くし、失意から2016年アメリカ合衆国大統領選挙を見送った[8]。2017年1月にオバマ大統領はバイデンに大統領自由勲章を授与した[11]。
2019年4月25日に2020年アメリカ合衆国大統領選挙への立候補を発表した。
2020年2月から各州で始まった予備選挙・党員集会で急進左派候補バーニー・サンダースらを破って勝利し[8]、6月には党の指名を確保するために必要な1991人の代議員数の閾(しきい)値を満たした。2020年8月11日にバイデンは2020年アメリカ合衆国大統領選挙の副大統領候補としてカマラ・ハリス上院議員を発表した[12]。
11月3日に大統領選挙が実施され、11月7日にABC、AP通信、CNN、FOXニュース、NBC、ニューヨーク・タイムズ、ロイターなどの主要メディアは現職のドナルド・トランプを破って勝利を確実にしたことを報じている[13]。11月23日に一般調達局(英語版)より政権移行手続き(英語版)が承認され、現在手続きを進めている[14]。12月14日に各州で選挙人による投票が実施されたが、誓約違反投票は発生せず、過半数の306人の選挙人を獲得しての当選を確実にし[15]、2021年1月6日から1月7日の連邦議会の上下両院合同会議において、その投票結果が承認された[16]。1月20日正午に大統領に就任する予定であり[2]、大統領に就任すればジョン・F・ケネディ以来のカトリックの大統領[5]、また歴代最高齢となる78歳の大統領となる[6]。
◆経歴
ロースクール在学中の1966年に彼は最初の妻であるネイリア・ハンターと出会い、結婚する。ネイリアとの間には2男1女(ジョセフ・ロビネット・バイデン3世(愛称:ボー)、ロバート・ハンター・バイデン、ナオミ・バイデン)をもうけた。
ベトナム戦争の最中、バイデンは大学在学中の1963年からロースクール在学中の1968年までの間、少年時代の喘息の病歴を理由に5回の徴兵猶予を受けていた。このためベトナム戦争には従軍していなかった[28][29]。
幼少期から吃音症に苦しみ、その克服に20代前半まで要した。鏡の前で詩の朗読を続けていた。
また近親者がアルコール中毒で苦しんでいたことから禁酒家となった。
◆上院議員当選、前妻・娘を失う事故
弁護士活動開始後間も無い、1970年にバイデンはニューキャッスル郡郡議会(英語版)選挙の第4区に民主党候補として出馬し、当選を果たした[30]。
その後1972年の上院議員選挙に民主党から出馬する。この時現職だった共和党のJ.キャレブ・ボッグス(英語版)議員は、著名な議員の1人であったが、ボッグス議員は政界引退を考えていた。しかしながら、共和党内でボッグスの後継をめぐって、デラウェア州選出の下院議員だったピエール・S・デュポン4世(のちデラウェア州知事)と、ウィルミントン市長であったハリー・G・ハスケル・ジュニアが対立し、共和党陣営内での分裂が生じた。この打開策として、リチャード・ニクソン大統領は、ボッグスにもう1期出馬するよう要請し、共和党が全面的に支援することを約束したため、ボッグスもこれを受諾した。しかしながら、最終的にはバイデンがボッグスを破って勝利を収めた。連邦上院議員では建国以来5番目の若さでの当選となった。
しかし上院議員に当選直後、1972年12月18日に妻のネイリアはクリスマスの買い物をするために、3人の子供たちを連れてデラウェア州ホケッシン(英語版)に車で出かけていたのだが、ネイリアの運転するステーションワゴンが、交差点でトレーラーに追突され、ネイリアとまだ幼かったナオミが死亡、ボーとロバートは生き残ったものの、瀕死の重傷を負う[31]。当時の警察の記録はもう残っていないが、当時の新聞の報道はトレーラーの運転手に過失はないことを明らかにしている[32][注釈 2]。
◆副大統領就任
2009年1月20日、1期目の副大統領就任宣誓
2009年1月20日にバラク・オバマの第44代アメリカ合衆国大統領就任に伴い、自身も第47代アメリカ合衆国副大統領に正式に就任した。連邦議会議事堂(キャピトル・ヒル)で開催されたオバマの就任式には、セカンドレディとなった妻のジルと共に出席し、オバマに先立って、ジョン・ポール・スティーブンス連邦最高裁判所判事の立ち会いの下で就任宣誓を行った。最初のデラウェア州出身の副大統領[70]、また最初のローマ・カトリックの副大統領となった[71][72]。
また、自身のスタッフ選任も進め、首席補佐官には民主党のベテラン弁護士であるロン・クラインを、広報部長にはタイムのワシントンD.C.支局長であるジェイ・カーニーを任命した。
バイデンは、前任者であるディック・チェイニーが従来の副大統領とは異なり、政策決定や実務などジョージ・W・ブッシュ大統領の政権運営において、かなり深い部分まで関わっていたのに対して、「自らは(チェイニー前副大統領のように)大統領の政策決定などに深く関わることはしない」という旨を言及している。その一方で、「オバマ大統領が重大な決断を下す際には、その全てにおいてアドバイスや助言を行う」と述べた。
2016年アメリカ合衆国大統領選挙には、オバマは任期制限により出馬できないために、バイデンの出馬が取沙汰され、勝手連(Draft)のPACも結成された[94]。2015年9月11日の時点では出馬するか否かを決めていないと述べた[95]が、同年10月21日に不出馬を表明[96]。民主党予備選挙ではオバマ大統領ともども当初いずれの候補への支持も表明せず、ヒラリー・クリントンが指名を確実とした後の2016年6月9日に同候補への支持を表明した[97]。
2017年1月12日、副大統領としての功労を讃えられ、大統領自由勲章をオバマ大統領より受章した。受賞を事前に知らされていなかったバイデンは涙し、即興のスピーチを20分間行った[98][99]。
バイデンは上院の議長決裁をしなかった副大統領であり、その期間が最長の副大統領である[100]。
―以下省略―
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