http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/14868.html
Tweet |
創価学会・第三代会長・池田大作先生:1月2日が誕生日 !
(www.sokanet.jpより抜粋・転載)
略歴:創価学会・第三代会長・池田大作先生
1928(昭和3)年1月2日生まれ。93歳。東京都出身。富士短期大学卒。1947(同22)年、19歳で創価学会に入会。戸田城聖先生(当時理事長)に師事する。1960(同35)年、創価学会第三代会長に就任。約20年間の在任中に、創価学会の飛躍的・国際的な発展をもたらす。1979(同54)年、名誉会長に就任。1975(昭和50)年、SGI(創価学会インタナショナル)の会長に就任。
世界平和を希求する仏法者、人間主義の活動家として、これまで世界54か国・地域を訪問し、各国の指導者、文化人、学者等と会見、対談を重ねる。
創価学園・創価大学・アメリカ創価大学のほか、(財)民主音楽協会、(財)東京富士美術館、(財)東洋哲学研究所、牧口記念教育基金会、戸田記念国際平和研究所など教育・音楽・美術・学術の諸団体を創立。
「国連平和賞」をはじめ受賞多数。モスクワ大学、ボローニャ大学などから名誉博士号等の称号も贈られている。
主な著書に、小説『人間革命』(全12巻)、『二十一世紀への対話』(A・トインビーとの対談)など。また、『さくらの木』などの童話や、『青春対話』など青少年向けの著作も数多い。
1.「平和の文化」構築に幅広く貢献
「平和と信頼の国際年」の2021年、「平和の文化」を構築する取り組みを引き続き幅広く展開する。そのために、「対話」を通した啓発、人と人とのネットワークの拡大、「誰も置き去りにしない」社会的包摂への貢献など、一人一人の平和への取り組みを支援する。
1. 国連の「平和の文化」ハイレベルフォーラム(年次会合)に貢献
2. AI兵器(キラーロボット)、サイバー攻撃の危険性などの問題に倫理面から警鐘
3. 女性平和委員会は、私がつくる「平和の文化」≠テーマに、フォーラムや講演会を開催
4. 高齢社会の世界的先例である日本の課題を踏まえ、高齢者や子どもの権利と希望ある生活について考える「平和の文化と希望」展を開催
5. 日本・アジアをはじめ全世界の戦争犠牲者を追悼し、平和への誓いを新たにする「世界平和祈念 戦没者追善勤行法要」を実施
6. 戦争・被爆体験を継承するための証言会を開催
7. 青年部「SOKAグローバルアクション2030」キャンペーンの一環として、広島・長崎・沖縄の青年部を中心とした「青年不戦サミット」を開催。各種平和意識調査を実施
8. 戸田平和記念館(横浜市)、沖縄研修道場などで平和意識の啓発活動を実施
9. 平和構築の議論に青年の参画を求める国連安保理の「2250決議」および「2419決議」、同じく女性の参画を求める「1325決議」の普及を支援
10. 21世紀の国際社会に即した平和倫理、生命倫理の構築のための研究を推進
11. 東洋哲学研究所、池田国際対話センターとも協力し、宗教間・文明間対話や相互理解を促進
12. 民音研究所による「平和構築の音楽」を探求する研究活動を支援
2.核兵器の廃絶に向け連帯を拡大
「核兵器禁止条約」の発効によって打ち立てられる核兵器の法的禁止は、核時代との決別に向けた新たな出発であり、批准国・署名国の更なる増加が重要となる。核兵器が「絶対悪」であることを一貫して訴えてきた池田先生の平和理念を基調に、引き続き核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)等と協力し、「核兵器禁止条約」の意義の普及に貢献する。平和・軍縮教育を草の根レベルで推進する。
1. 核軍縮に関する各種国際会議に参加し議論に貢献
2. 核兵器の禁止と廃絶を訴える信仰者のコミュニティーの取り組みを推進
3. 「核兵器禁止条約」の普及を推進する啓発ツールを制作
4. 「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を被爆地で開催
5. 女性平和委員会は、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験の映写会を草の根で展開
6. 核兵器廃絶を求める青年の国際ネットワーク「アンプリファイ」の取り組みを支援
7. 戸田記念国際平和研究所による「核兵器廃絶」ならびに「先端技術と安全保障」に関する研究活動を支援
○第三代会長・池田大作先生のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
池田 大作(いけだ だいさく、1928年1月2日生まれ。93歳。 )は、日本の宗教家、作家。宗教法人・創価学会の名誉会長、SGI(創価学会インタナショナル)会長。
山本伸一(やまもと・しんいち)、法悟空のペンネームで作家活動もしている。
◆来歴:1949年まで
1928年:1月2日 東京府荏原郡入新井町(現在の東京都大田区大森北)[1][2][3]に誕生[4][5][6]。
1940年:3月 尋常小学校卒業の後、兄が勤めていた「新潟鐵工所」に就職[3]。
1945年:8月 肋膜炎を患い茨城県の結核療養所へ入院するための順番待ちをしていた中で終戦を迎える[4]。
9月 新橋にある「昭文堂印刷」で文選工をする傍ら、私立の「東洋商業学校」(現、東洋高等学校)に編入[1]。
1946年:東京都大田区森ヶ崎にある「協友会」に加入[7][8]。
「昭文堂印刷」を退社。半年後、京急蒲田駅裏にある中小企業の組合「蒲田工業会」(現:「蒲田工業協同組合」)に勤務[9]。
1947年:3月、東洋商業学校を卒業。
8月14日 小学校時代の同級生の女性から「仏教や哲学のいい話がある」と誘われ座談会に出席。戸田城聖の御書講義、小平芳平の折伏を受け、入信を決意、8月24日、創価学会に入信手続きを行なう[8]。《→アーカイブ》。
1948年:「大世学院」(後の東京富士大学短期大学部)の政経科夜間部に入学。
1949年:1月3日 「日本正学館」に入社[4]。少年雑誌『冒険少年』(同年8月に『少年日本』と改題)の編集に携わる。
5月 「日本正学館」編集長に就任[1]。
10月 「東京建設信用組合[要曖昧さ回避]」に入社。
1950年代:1950年:10月 「大蔵商事」(現:「日章」)に異動[10]。
1951年:5月3日 戸田城聖が創価学会の第2代会長に就任。
5月 蒲田支部大森地区の地区委員に任命される。
7月 青年部(男子部)が結成され、第1部隊長になる。
1952年:3月 参謀室長となる。(24歳)
5月3日、白木香峯子(20歳)と結婚[1]。
1953年:11月25日 長男・博正の誕生を期に、正式に「太作(たいさく)」から「大作(だいさく)」に改名[1]。
1954年:3月30日 青年部参謀室長に任命される[1]。同日 設置された「情報部」の最高顧問ともなる[1]。この頃、「大蔵商事」の仕事を離れる[1]。
12月3日 新設された「渉外部長」を兼任。
1957年:7月3日 4月の参議院大阪府選挙区の補欠選挙で、一部の会員があいりん地区の日雇い労働者などに候補者名の氏名が入ったタバコや現金を渡す選挙違反を起こす。小泉理事長らとともに逮捕されるが、後に裁判で無罪となる。
12月13日 会員世帯数75万世帯に。
1958年:4月2日 戸田第二代会長が死去(58歳没)。
6月 新設された総務を青年部参謀室長と兼任[11]。
1959年:6月30日 青年部参謀室長を辞任し参謀室の北条浩、龍年光と共に創価学会理事に就任[11]。
1960年代:1960年:5月3日 創価学会第3代会長に就任。戸田の七回忌までに300万世帯の弘教を掲げる。[12]
10月 初の北南米訪問。以後、40年で海外54カ国・地域を訪問。現地会員の激励と各国の指導者、知識人との対話を重ねる。[13]
1961年:3月27日 会員世帯数185万世帯に。[13]
11月27日 公明政治連盟(公政連)を結成。[13]
1962年:1月25日 「大阪事件」で無罪判決が言い渡される。
1月27日 東洋学術研究所 (現・東洋哲学研究所)を創立。[13]
1963年:7月27日 会員世帯数360万世帯に。[13]
10月18日 民主音楽協会(民音)を創立。[13]
1964年:5月3日 第27回本部総会において、政党の創設と衆議院進出、ならびに正本堂の建立・寄進の計画を発表。宗門から法華講総講頭に任命される。
―以下省略―
▲上へ ★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6掲示板 次へ 前へ
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
▲上へ ★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。