http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/14274.html
Tweet |
日航ジャンボ機の墜落事件には、重大な疑惑が山積している !
日航機・墜落事故の深層・真相は ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2020/08/11より抜粋・転載)
────────────────────────────────────
1)35 年前、日航ジャンボ機123 便が、
群馬県の高天原山の尾根に墜落した !
自民党・中曽根政権下、35年前の1985 年8月12日、日航ジャンボ機123便が、群馬県の高天原山(たかまがはらやま)の尾根に墜落した。
墜落した所は、御巣鷹山ではなく、高天原山であった。
ジャンボ機墜落は、事故ではなく、実は、事件であると考えられる。
墜落事故から、35 年の年月が経過したが、事件を風化させてはならない。
本来、墜落事件の真相を明らかにするべきである。
2)日航ジャンボ機の墜落事件には、重大な疑惑が山積している !
この日航ジャンボ機の墜落事件には、重大な疑惑が山積している。
五つの疑惑を提示しておく。
☆第一は、救出された、JAL客室乗務員の落合由美さんの証言と、事故調査報告書の内容が、まったく異なっていることである。
落合さんが、墜落直後の状況に関して、重要な証言を示した。
落合さんは、墜落時の状況を、次のように証言した。
「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが、聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから、聞こえてきました。まわりの全体からです。
3)公式の事故調査報告書:「救出
された、4名以外の者は、死亡していた !
「おかあさーん」と呼ぶ、男の子の声もしました。」
しかし、公式の事故調査報告書は、「救出された、4名以外の者は、即死もしくはそれに近い状況であった」としている。
墜落時の状況を証言し得るのは、救出された、4名以外にはいない。
そのうちの1名である、JAL客室乗務員の証言が、完全に無視されている。
事故調は、なぜ、誰の証言を元に、「救出された4名以外の者は、即死もしくはそれに近い状況であった」と記述したのか。
☆第二の疑惑は、墜落直後に米軍機および自衛隊機が、現場を確認していたにもかかわらず、現場での救助活動始動が、翌日朝8時半になったことである。
日航ジャンボ機123便が墜落したのは、1985年8月12日午後6時56分であった。
4)米軍機は、墜落から20 分後には、
現場に到着して、墜落場所を確認していた !
米軍機は、墜落から20分後には、現場に到着して、墜落場所を確認している。
米軍機は、午後9時ころまで、現場で救援活動に着手しようとしたが、基地からの命令があり帰還した。
しかし、午後9時20分頃に、自衛隊機が、現場に到着するのを確認してからの帰還だった。
自衛隊が、直ちに救助活動を実施していれば、多くの人命が、救出されたと考えられる。
ところが、実際に、自衛隊による救出活動が始動したのは、翌8月13日の午前8時半だった。
5)日航ジャンボ機123 便の圧力隔壁が、自衛隊によって裁断・破壊された !
☆第三の疑惑は、後に墜落の原因とされた、日航ジャンボ機123便の圧力隔壁が、墜落現場で直ちに、自衛隊によって裁断、破壊されたことである。
圧力隔壁の不具合が、墜落の原因であるなら、圧力隔壁は、最重要の事故原因究明の証拠資料である。この最重要資料を、自衛隊が、現場で破壊した行為は、客観的に見れば、「証拠隠滅行為」である。―この続きは次回投稿しますー
(参考資料)
T 1985 年・日航機・JAL123便 墜落事故の真相は ?
(blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.htmlより抜粋・転載)
★JAL123便墜落事故、超国家権力によって隠蔽され続けている !
★日航機墜落は、単なる事故ではなく、 驚天動地、世界規模の大事件だった !
日航機墜落は、単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった !
★日航機墜落事件をうまく隠ぺいした人は異例の
昇進をし、追及した人は、辞職を強要された !
日本国民は、高度にマインドコントロールされ、
慣れ親しんだ現実は、全て幻想だったのだ !
★この世界から争いが消え、真の平和を築くにはどうすれば良いのか?
★『自身の殻を打ち破る大きな努力』の後、本当に幸福な人生とは?
★墜落現場の「ミスリード」が始まり、救助隊の到着は、大幅に遅れる !
★生存者4人は、報道直後突然失踪 !彼らは、一体どこへ消えたのか !?
★墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言 !
★JAL123便が炎をあげて墜ちてきた、光るものが飛んできたと証言 !
☆日航123便墜落事故群馬県医師会記録 救助がもっと早ければ……空白の15時間。
☆元日航職員・佐宗邦皇(さそう・くにお)氏の証言(動画開始後2分10秒辺りから):
JAL123は、「小型中性子核ミサイル」によって、「撃墜」された。
JAL 123 Saso Kunio 01
★元日航職員佐宗邦皇氏は、用意されたお茶を
飲んで倒れ、翌日急死した !
貝のように口を閉ざす日航関係者の中にあって、佐宗氏は、自らこのJAL123便墜落事故の調査を行い真実を発信する大変貴重な存在だった。
2009年8月9日午前11時突然帰らぬ人となるまで、その活動は続いた。
享年59歳。亡くなる前日のワールド・フォーラム(前述の動画はその開始部分)で「天皇の金塊」著者高橋五郎氏の講演に続き自身が登壇、用意された「おーいお茶」500mlボトルに口をつけて1分以内に椅子から崩れ落ちる。
最前列の聴講者が、機転を利かし、素早くそのボトルを確保し、後で遺族に提出した。不審な数人の男達が飛び出し、同じくそのボトルを確保しようとしたが得られず、凄い形相で、その聴講者を睨みつけたという。(コメント38参照)
★日航機は、「米軍機」に核ミサイルで撃墜されているんです !
ビデオ佐宗邦皇氏発言書き起こし、解説 「現場を見ればわかるんです。映像も見ました。
僕は元々日本航空でしたから。この問題はかなり詳しく、自分なりに研究したんですね。最後は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんですけれども、「中性子爆弾の空対空ミサイル」だった可能性があるんですね。一回ぽきっと折れて、後部は、グライダー状態に落ちて行った。
空中でキノコ雲が発して、真っ黒な。それはいろんな方向から確認されているんですね。
“内部隔壁が原因というのは嘘”なんですね。
★尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、横田基地に向かって
着陸体勢に入っていたが、着陸を拒否された !
尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、横田基地に向かって着陸体勢に入っていたんです。
ところが、着陸寸前に着陸を拒否された。
その指令がどこからきているのかが問題。
私は中曽根総理(当時)から出ていると見ている。
それで、横田基地への着陸を認めないから、飛行機は、ずっと御巣鷹山まで追い込まれた。
目的は、アメリカが、プラザ合意を押し付けるため。日本をターゲットにして、言う事を聞かないと武力でやるぞと」
★元日航職員・佐宗邦皇氏は、世界の真実を発信する活動をしていた !
元日航職員・佐宗邦皇(さそう・くにお)氏が、立ち上げた、ワールド・フォーラムでは、各界の優れた講師を招き、或いは自らが講師として、世界の真実を発信する活動をしていた。その内容は、万人が知るべき大変重要な情報であったが、世界支配者層にとっては、絶対に知られてはならないものばかりだった。以下の動画は、佐宗邦皇氏が、9・11事件の真相を伝えるもの。
佐宗邦皇氏の深い洞察力には、驚嘆させられる。必見 !
【全編】佐宗邦皇氏「米国で起こった2度の軍事クーデター」http://www.youtube.com/watch?v=Abq_bIFGwFA
☆JAL123便撃墜の証拠が、写真誌フォーカスに !!
第3エンジンから突き出る不発弾と思しきファルコンミサイル !
JAL123便墜落事故−真相を追う−そしてミサイルは、発射された。(2)http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/66f90662378566829c72baa85589bd29−以下省略−
U 日航機123 便は、「オレンジエア」によって、
尾翼の大半を喪失、山中に墜落した可能性大だ !
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2013/08/13より抜粋・転載)
────────────────────────────────────
◆日航機123 便は、「オレンジエア」によって、
尾翼の大半を喪失、山中に墜落した可能性大だ !
「オレンジエア」は、「航空自衛隊演習用兵器」の呼称であると考えられ、日航機123便は「オレンジエア(誘導ミサイル)」によって尾翼の大半を喪失、操縦不能に陥り、最後は山中に墜落したとの疑惑が存在する。
誰がどう聴いても「オレンジエア」としか聞えない音声を「オールエンジン(全てのエンジン)」や「ボディギア(大きな車輪)」と表記することに無理がある。
普通に文字起こしをすれば「オレンジエア」となる。
その言葉の意味を調べると、「自衛隊演習用兵器」の呼称になる。
▲上へ ★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6掲示板 次へ 前へ
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
▲上へ ★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。