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日航機・墜落事故:墜落事故35 年 ! 御巣鷹の尾根へ、マスク姿の慰霊登山 !
日航機・墜落事故の深層・真相は ?
(www.asahi.com:朝日新聞:2020年8月12日 12時29分)
◆8 月12 日、日本航空のジャンボ機墜落 !
1985年(昭和60年)、乗客・乗員520人が亡くなった、日本航空のジャンボ機墜落事故から、8月12日で35年を迎えた。
遺族らは朝から、現場となった御巣鷹(おすたか)の尾根、(群馬県上野村、標高1565メートル)に向かう慰霊登山を始めた。新型コロナウイルスの影響で、参加を見合わせる人もいる中、午前8時ごろからマスク姿の遺族らが、標高約1400メートルの登山口を出発していった。
堺市の山岡清子さん(74)と長男直樹さん(53)は、親戚宅から帰宅する途中で亡くなった、長女の知美さん(当時16)と次女薫さん(同14)の墓標の隣にサツキを植えた。
今夏は、直前までためらったが、宿泊先が受け入れてくれると聞いて迷いが消えた。
「妹たちの一番近くにいられる気がするし、他の遺族からも力をもらえる。この日だけは苦しみや悲しみを忘れさせてくれる」と直樹さん。
◆山岡清子さん:安らかに眠ってね !
サツキは、初夏に花を咲かせてくれる。次の夏に成長した姿を見るのも楽しみだ。
2人の墓標に語りかけた。「安らかに眠ってね」
兄の栗原崇志さん(当時33)の家族3人を亡くした、栃木県大田原市の橋本毅さん(66)は、愛犬と登った。墓標に兄が好きだった、ビールを供えてつぶやいた。
「命日に登れてよかった。それにしても早すぎた。悲しい」
東京都の池田香央理さん(28)は、夫莞爾(かんじ)さん(28)と義父の典正さん(60)と、初めて御巣鷹の尾根を訪れた。事故では、典正さんの父隆美さんが53歳で亡くなった。
今年の7月に結婚式を挙げるはずだったが、コロナの影響で来年7月に延期した。
それでも「隆美さんに結婚の報告をしたい」と登ることにした。
◆悲惨な事故の爪痕の大きさに衝撃を受けた !
この日は、典正さんが登りながら事故の細かな状況を説明してくれた。悲惨な事故の爪痕の大きさに衝撃を受けた。「しっかり自分たちの子の世代にもつないでいけるように、今日のことを心に刻みたい」と話した。
東日本大震災で宮城県石巻市立大川小学校に通っていた11歳の娘を亡くした紫桃(しとう)隆洋さん(56)は登るのをためらっていたが、墜落事故の遺族が声をかけてくれて今年も慰霊登山をした。「遺族、地元、企業が色んな形でかかわって供養の場が続くことの意味を改めて感じた。自分たちも命の大切さを訴え続けたい」
◆追悼式典:十数人に絞る !
この日の慰霊登山は、密集を避けるため遺族と関係者に限られた。日航が遺族の登山を支援する日程も、例年の8月11〜13日に7 月後半の2日間を加えて対応した。
12 日夕にふもとで開かれる追悼式典は、例年200人超の参列者を村関係者ら十数人に絞る。
墜落した午後6時56分の黙禱(もくとう)や、犠牲者の数と同じ520本のろうそくに明かりをともす様子は、参加できない遺族に向けてインターネットでライブ配信する予定だ。(張春穎、佐野楓)
(参考資料)
T 1985 年・日航機・JAL123 便墜落事故の真相は ?
(blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.htmlより抜粋・転載)
★JAL123便墜落事故、超国家権力によって隠蔽され続けている !
★日航機墜落は、単なる事故ではなく、 驚天動地、世界規模の大事件だった !
日航機墜落は、単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった !
★日航機墜落事件をうまく隠ぺいした人は異例の
昇進をし、追及した人は、辞職を強要された !
日本国民は、高度にマインドコントロールされ、
慣れ親しんだ現実は、全て幻想だったのだ !
★この世界から争いが消え、真の平和を築くにはどうすれば良いのか?
★『自身の殻を打ち破る大きな努力』の後、本当に幸福な人生とは?
★墜落現場の「ミスリード」が始まり、救助隊の到着は、大幅に遅れる !
★生存者4人は、報道直後突然失踪 !彼らは、一体どこへ消えたのか !?
★墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言 !
★JAL123便が炎をあげて墜ちてきた、光るものが飛んできたと証言 !
☆日航123便墜落事故群馬県医師会記録 救助がもっと早ければ……空白の15時間。
☆元日航職員・佐宗邦皇(さそう・くにお)氏の証言(動画開始後2分10秒辺りから):
JAL123は、「小型中性子核ミサイル」によって、「撃墜」された。
JAL 123 Saso Kunio 01
★元日航職員佐宗邦皇氏は、用意されたお茶を
飲んで倒れ、翌日急死した !
貝のように口を閉ざす日航関係者の中にあって、佐宗氏は、自らこのJAL123便墜落事故の調査を行い真実を発信する大変貴重な存在だった。
2009年8月9日午前11時突然帰らぬ人となるまで、その活動は続いた。
享年59歳。亡くなる前日のワールド・フォーラム(前述の動画はその開始部分)で「天皇の金塊」著者高橋五郎氏の講演に続き自身が登壇、用意された「おーいお茶」500mlボトルに口をつけて1分以内に椅子から崩れ落ちる。
最前列の聴講者が、機転を利かし、素早くそのボトルを確保し、後で遺族に提出した。不審な数人の男達が飛び出し、同じくそのボトルを確保しようとしたが得られず、凄い形相で、その聴講者を睨みつけたという。(コメント38参照)
★日航機は、「米軍機」に核ミサイルで撃墜されているんです !
ビデオ佐宗邦皇氏発言書き起こし、解説 「現場を見ればわかるんです。映像も見ました。
僕は元々日本航空でしたから。この問題はかなり詳しく、自分なりに研究したんですね。最後は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんですけれども、「中性子爆弾の空対空ミサイル」だった可能性があるんですね。一回ぽきっと折れて、後部は、グライダー状態に落ちて行った。
空中でキノコ雲が発して、真っ黒な。それはいろんな方向から確認されているんですね。
“内部隔壁が原因というのは嘘”なんですね。
★尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、横田基地に向かって
着陸体勢に入っていたが、着陸を拒否された !
尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、横田基地に向かって着陸体勢に入っていたんです。
ところが、着陸寸前に着陸を拒否された。
その指令がどこからきているのかが問題。
私は中曽根総理(当時)から出ていると見ている。
それで、横田基地への着陸を認めないから、飛行機は、ずっと御巣鷹山まで追い込まれた。
目的は、アメリカが、プラザ合意を押し付けるため。日本をターゲットにして、言う事を聞かないと武力でやるぞと」
★元日航職員・佐宗邦皇氏は、世界の真実
を発信する活動をしていた !
元日航職員・佐宗邦皇(さそう・くにお)氏が、立ち上げた、ワールド・フォーラムでは、各界の優れた講師を招き、或いは自らが講師として、世界の真実を発信する活動をしていた。その内容は、万人が知るべき大変重要な情報であったが、世界支配者層にとっては、絶対に知られてはならないものばかりだった。以下の動画は、佐宗邦皇氏が、9・11事件の真相を伝えるもの。
佐宗邦皇氏の深い洞察力には、驚嘆させられる。必見 !
【全編】佐宗邦皇氏「米国で起こった2度の軍事クーデター」http://www.youtube.com/watch?v=Abq_bIFGwFA
☆JAL123便撃墜の証拠が、写真誌フォーカスに !!
第3エンジンから突き出る不発弾と思しきファルコンミサイル !
JAL123便墜落事故−真相を追う−そしてミサイルは、発射された。(2)http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/66f90662378566829c72baa85589bd29−以下省略−
U 日航機123 便は、「オレンジエア」によって、
尾翼の大半を喪失、山中に墜落した可能性大だ !
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2013/08/13より抜粋・転載)
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◆日航機・123 便には、衝撃音に 先立って、ある飛翔体が接近していた !
そして、この123便には衝撃音に先立って、ある飛翔体が接近していた。
123便の最後尾、56G席に搭乗していた乗客の小川哲氏(当時41歳)が、ジャンボ機に接近する謎の飛行物体に気がつき、それをカメラに収めていた。
衝撃音が発生したのは同機が伊豆半島東側沿岸の海上部を飛行していた頃であったと考えられる。
この写真をパソコンで拡大するとオレンジ色になり、画像処理の専門家による写真の検証では、「円錐(えんすい)もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見える」というものだった。
◆日航機123 便は、「オレンジエア」によって、
尾翼の大半を喪失、山中に墜落した可能性大だ !
「オレンジエア」は、「航空自衛隊演習用兵器」の呼称であると考えられ、日航機123便は「オレンジエア(誘導ミサイル)」によって尾翼の大半を喪失、操縦不能に陥り、最後は山中に墜落したとの疑惑が存在する。
誰がどう聴いても「オレンジエア」としか聞えない音声を「オールエンジン(全てのエンジン)」や「ボディギア(大きな車輪)」と表記することに無理がある。
普通に文字起こしをすれば「オレンジエア」となる。
その言葉の意味を調べると、「自衛隊演習用兵器」の呼称になる。
◆「オレンジエア」の音声を、オールエンジン
とかボディギアと表記する事は異常である !
この事実を踏まえて考えると、事故調やフジテレビ番組が、不自然に「オレンジエア」の表現を、たった一度でも示さなかった謎が解ける。私はそう判断した。
1985 年の日航機・123 便の墜落事件を、風化させてはならない。
34年経過したいまも、「事故」として処理されているが、「事件」であった疑いが、限りなく濃い。
真相を必ず明らかにする必要がある。
日航機・123 便が墜落したのは、「高天原山(たかまがはらやま)」である。
◆123 便が墜落したのは、「御巣鷹山」ではなく、高天原山であった !
◆墜落から20 分後には、「米軍機」が救援活動を展開したが、
司令部から帰還を命じられた !
◆乗務員・落合由美氏の証言では、墜落直後には、多数の生存者がいた !
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