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一人一人の都民の幸福を追求する政治が、行われる事を目指すべきだ !
候補者のプロフィールとは ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2020/06/24より抜粋・転載)
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1)〜11 )は前2 回投稿済みです。以下はその続きです。
12 )人々が行動を抑制したから、感染拡大にブレーキがかかった !
感染拡大にブレーキがかかったのは、人々が行動を抑制したからである。
本格的な行動抑制が実行されたと評価できる。
その結果として感染拡大がペースダウンした。
しかし、このことは、行動抑制を緩和すれば感染が再拡大することを示唆している。
行動抑制緩和は慎重に進める必要があるのだ。
慎重に状況を見極めながら、感染再拡大をもたらさぬよう、行動抑制緩和措置を実行するべきである。ところが、6月19日の営業自粛要請解除によって、人々の生活様式をコロナ前に回帰させることを目指しているように見える。
7月1日に、東京ディズニーリゾートが、営業を再開するとの見通しが示されているが、これさえ都知事選に合わせた、スケジュール設定であるように見える。
13 )一人一人の都民の幸福を追求する
政治が、行われる事を目指すべきだ !
一人一人の都民の幸福を追求する政治が、行われるのかどうかという問題として、考える必要がある。小池知事が優先するのは、一人一人の都民の幸福ではない。
小池知事が優先するのは、小池知事自身の利害得失である。
小池知事の本心は、都民が死のうが苦しもうが関係ない。
築地問題では、関係者の多くが、「築地を守る」の言葉を信用して、小池氏を支援した。
ところが、小池氏にとって、築地がどうなろうと関係はなかった。
14 )小池百合子氏は、都知事選に勝利できる事だけを考える人だ !
小池百合子氏は、ただ、目の前にある都知事選に勝利できるかどうかだけが問題だった。
本来、都政を、一人一人の都民の幸福を、実現するものに変えるべきである。
東京は、日本の首都であるから影響力も大きい。
この都知事選で、小池氏を落選させ、新生東京を樹立する意義は、極めて大きい。
そのためには、「反小池票」を、一本化しなければならない。
宇都宮健児氏と山本太郎氏の両名は、ともに優れた候補者であると思う。
15 )宇都宮氏と山本氏並立すると、票が分散し、小池氏が有利になる !
しかし、二人が並立すると、票が分散し、勝てる選挙も勝てなくなってしまう。
両名への投票数合計が、小池氏を上回るのに、小池氏が当選するという事態を、避けなければならない。
そのためには、選挙戦の終盤で、「優勢な候補者への投票一本化」を呼びかけることが有効である。
二人の候補者が協議して、この作戦を遂行することが、望ましい。
二人の候補者を支援する主権者も、共倒れを希望していないはずである。
16 )両陣営が協議して、投票一本化
を、呼びかける協議を成立させるべきだ !
両陣営が協議して、投票一本化を、呼びかける協議が成立すれば、その効果は甚大である。
「選挙に行っても結果は変わらない」と考えて、投票を棄権しようとしていた、主権者多数が、投票所に足を運ぶことになるだろう。
投票率が上がれば上がるほど、小池氏の当選確率は、低下する。
都政を刷新するために、最後の最後まで、あきらめずに戦うこと、選挙に勝つ方策を実行することが極めて重要である。
(参考資料)
○宇都宮健児氏のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
宇都宮健児(うつのみや・けんじ、1946年(昭和21年)12月1日 生まれ、73歳)は、日本の弁護士。日本弁護士連合会元会長(2010年 - 2011年度)。のりこえねっと (ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク)共同代表。多重債務問題、消費者金融問題の専門家。日弁連消費者問題対策委員会委員長、東京弁護士会副会長などを歴任。現在は週刊金曜日編集委員、全国ヤミ金融対策会議代表幹事、オウム真理教犯罪被害者支援機構理事長、反貧困ネットワーク代表、年越し派遣村名誉村長。TPP阻止国民会議副代表世話人[1]。
◆経歴
愛媛県東宇和郡高山村(現:西予市明浜町)田之浜に傷痍軍人の長男として生まれる[2]。故郷の田之浜は江戸時代前期に開発された半農半漁の地だった。1955年、一家で大分県国東半島に開拓入植[2]。1959年、熊本県に住む母方の叔父の元に預けられる。中学、高校、大学と卓球部に所属した[2]。1965年、熊本県立熊本高等学校を卒業、東京大学に入学し、駒場寮で暮らす[2]。
1968年、司法試験合格[2]。1969年、貧しい実家を助けるために東大法学部を中退して[3]司法修習生となり、1971年、弁護士登録(東京弁護士会)[2]。岡安法律事務所に入所。1979年、佐藤法律事務所に入所。1983年、宇都宮健児法律事務所を開設[4][5]、後に東京市民法律事務所とする[6]。
2010年、日本弁護士連合会会長選挙に立候補。元副会長の山本剛嗣との選挙戦となる。2月5日に投票が行われ、得票数では山本に及ばなかったが、全国に52ある弁護士会のうち地方を中心とする42会で山本を上回る。同選挙は、最多得票者は全国の3分の1以上の会においてそれぞれ最多票を得なければ当選できないという規定(日弁連会則61条2項)がある為、史上初の再投票となる。3月10日の再投票では、宇都宮が山本を上回る得票を獲得し、かつ46会で最多票を得て当選[7]。
2012年、史上初の再選を目指して再び日弁連会長選挙に立候補。異例の3度に渡る投票の結果、元副会長で東京弁護士会所属の山岸憲司に敗れ、再選ならず[8]。
同年11月9日、人にやさしい東京をつくる会からの支援を受けて東京都知事選に立候補表明。五輪招致反対、脱原発、福祉の充実、格差是正などを訴えた[9]。
2013年には、脱原発を求める市民グループによる脱原発政治連盟の呼びかけ人に名を連ねた[10]。
同年12月28日、猪瀬直樹東京都知事の辞職に伴い、再び東京都知事選に立候補、翌年2月9日に投開票が行われ、98万2594票を集め全立候補者中2位の得票数となったものの、当選した舛添要一の得票数211万票余りの半分に届かず落選[11]。
2016年7月11日の記者会見で、同年7月の東京都知事選挙への立候補を表明したが[12]、7月13日に立候補を見送った[13]。
2020年5月27日の記者会見で、同年7月の東京都知事選挙への立候補を表明[14]。これを受け、立憲民主党、日本共産党、社会民主党が宇都宮を支援する方針を決めた[15]。
○山本太郎氏のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
山本太郎(やまもと・たろう、1974年(昭和49年)11月24日生まれ、45歳)は、日本の政治家、元タレント、元俳優。政党「れいわ新選組」代表、前参議院議員(1期)。生活の党と山本太郎となかまたち共同代表兼政策審議会長、自由党共同代表兼政策審議会長などを歴任した。兵庫県宝塚市出身[2]。
◆政治家として
2011年4月、反原発運動を開始。同年5月末にはシス・カンパニー (1998年 - 2011年5月27日)を退社し6月には退社前に決まっていたミュージカルに出演したが、その後フリーランスとなり「EDEN」など映画・舞台等小規模作品にコンスタントに出演していた。
2012年4月、太陽光発電設備の販売や施工を手掛ける「ソーラーリフォーム社」(横浜市)に正社員として就職。営業を担当。反原発運動のため俳優の収入が十分の一になったと コメント。
2012年12月1日、第46回衆議院議員総選挙への出馬と政治団体「新党 今はひとり」の立ち上げを表明し[9]、同年12月5日に総務省へ届け出た[10]。最終的には、東京8区から無所属(日本未来の党・社会民主党支持)で出馬[11][12]。主に反原発、反TPP等を訴え、71,028票を獲得するも次点で落選した[13]。山本は自民党が圧勝したことに憤慨し、報道陣の前で「このままでは極右化が進んでしまう。日本から脱出した方がいい」「はい、終わり。日本は終わりです。みなさん脱出したほうがいいんじゃないすか」と述べた[14]。
2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から無所属で出馬、666,684票を獲得し4位で初当選した[15][16]。選挙に際しては、生活の党、社会民主党、緑の党[17]、新社会党[3][18] の各党の支援を受けた。
2014年2月に行われた第19回東京都知事選挙では、脱原発を公約した[19] 共産党・社民党・新社会党・緑の党推薦の宇都宮健児、民主党・結いの党・生活の党支援の細川護熙いずれへも表立っては支援せず[20]、脱原発候補への投票を呼びかけるに留めた[21]。
結果は自民党都連、公明党都本部推薦、新党改革支援の舛添要一に大敗し、山本は「効果的な動きが出来なかった自分自身の不甲斐なさを感じる」と述べた[22]。また、細川について「細川さんはワイドショー選挙をできると思って、メディアを信じていたようだが、それは大きな間違いだ」と指摘しつつ、「反旗を翻したファイティングスピリットは感動した」と脱原発を公約したことを評価した[23]。
2014年(平成26年)3月19日に「新党ひとりひとり」への名称変更を総務省へ届け出た[24]。目標は脱原発勢力を結集させる国政政党を作ること。今後は各地の国政選挙、地方選挙に候補者を擁立していくことを目指すとしている[25]。
2014年4月に衆議院鹿児島2区で行われた補欠選挙に介護福祉士で脱原発活動家の有川美子を党として公認した。結果は日本共産党の候補者を上回る票を得たが[26]、6人中3位で落選。
2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙では、東京8区から立候補した民主党の円より子への支援を表明したが結果は落選した(石原伸晃が当選)。選挙後、山本は政党要件を失っていた生活の党に入党し、政党要件を回復させるとともに、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めさせた[27][28]。また、山本は「無所属の会」を提案したが、小沢は「生活」の名を残すことは譲れなかったので、この名前になったともいう[29]。
2015年1月より内閣委員会、行政監視委員会、東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会、国の統治機構に関する調査会に所属[30]。
2016年の第24回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から立候補していた三宅洋平を支援(結果は落選)[31]。同年10月12日、「生活の党と山本太郎となかまたち」が「自由党」に党名変更を決定したことにともない、党籍を自由党に置いたまま、自身の政治団体「山本太郎となかまたち」から次期衆議院選挙で東京ブロックで候補者擁立をめざすことを表明した[32] が、最終的には擁立を見送った。2018年10月、フランスの「人民共和連合」党首と国際情勢に纏わる意見交換が行われた[33]。
2019年4月10日、夏の参議院議員選挙に向けて同月下旬に自由党を離党する一方、新たに政治団体「れいわ新選組」を設立[34][35]。
2019年7月、第25回参議院議員通常選挙に比例区より出馬、比例区の全候補者で最多となる991,756票[36][37][38] の個人名票を得るも落選(山本以外の候補者2人が「特定枠」で優先して当選したため)[39]。「れいわ新選組」の得票率が4.6%であったことから[40]、政党要件を満たした「れいわ新選組」の党代表となる[41]。
なお、選挙期間中には、山本の政見放送動画が84万回再生される(安倍首相出演の自民党の政見放送の約13万回を上回る)、山本と安倍首相による自民党の政見放送を比較した動画が130万回超再生される[42] など盛り上がりを見せる[43][44]、山本の街頭演説の動画がSNSで大量にリツイートされる[45] など、SNS上での選挙戦略も含めその勢い[44][46] は「社会現象化」[45][47]、「れいわフィーバー」[46][48]、「れいわ旋風」[49][50][51][52][53][54] などとメディアで評され、選挙後には、自身は議席を失ったものの「れいわ新選組」は”躍進”と複数の記事で報じられ[55][56][57][58][59][60]、複数の野党から連携を持ちかけられるなど、注目される存在となった[55][61]。
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