http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/14035.html
Tweet |
沖縄戦から75 年「慰霊の日 !」朝早くから遺族などが平和への祈り !
第二次大戦の深層・真相は ?
(www3.nhk.or.jp :2020年6月23日 7時42分)
◆沖縄戦:20 万人超が死亡した !
沖縄は23日、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から75年の「慰霊の日」を迎えました。新型コロナウイルスの影響で例年どおりの追悼が難しい状況ですが、最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園には、朝早くから遺族などが訪れ、戦没者を悼み、平和への祈りをささげています。
75年前の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が犠牲になり、沖縄県民の4人に1人が命を落としました。
沖縄県は旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」としています。
最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園には、朝早くから遺族などが訪れ、戦没者の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」の前で花を手向けたり、手を合わせたりしています。
祖父とおじを沖縄戦で亡くした豊見城市の65歳の男性は、「2人はどこで亡くなったのかも分かりません。両親も教えてくれませんでした。慰霊の日は子や孫に引き継いで、過去のことを忘れないためにも大切なことだと思う」と話していました。
◆参列者を200人程度に減らして、戦没者追悼式 !
平和祈念公園では、正午前から戦没者追悼式が予定されていますが、ことしは新型コロナウイルスの影響で、これまで5000人規模だった参列者を200人程度に減らして行われます。
県内各地ではこれまでに慰霊祭や平和学習が中止になるケースもあり、例年にも増して戦争の記憶の継承が難しい状況となっています。
一方、戦後造られた在日アメリカ軍の専用施設のおよそ7割が今も沖縄に集中しているうえ、アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり政府と移設に反対する沖縄県の対立は続いたまま、埋め立てが進められています。
沖縄戦から75年のことしの「慰霊の日」は平和への誓いを新たにする一方、沖縄の重い基地負担を問い直す日でもあります。
◆戦争遺跡の5 分の1 で現存が確認できず !
75年前の沖縄戦で住民が避難したガマと呼ばれる洞窟や旧日本軍によって造られた壕などの戦争遺跡のおよそ5分の1で、現存が確認できないことがわかりました。専門家は「文化財指定を含めて保存・活用の議論を進めるべきだ」としています。
沖縄県内には各地に沖縄戦の激しい地上戦の痕跡をとどめる戦争遺跡、戦跡があります。
NHKが今月、沖縄県内の41全市町村に聞き取り取材をしたところ、県内で少なくとも1563の戦跡があり、このうちおよそ5分の1にあたる296の現存が確認できなくなっていることがわかりました。
現存が確認できなくなったものでは、宅地造成や道路建設などでやむなく壊されたり埋没したりしたほか、過去に戦争体験者が存在について証言したものの今は不明になっているケースがあるということです。
また、複数の自治体は「最近、調査をしていないためわからない」などと回答し、現存が確認できない戦跡はさらに多くなるものとみられます。
◆吉浜・元教授の話:
沖縄の戦跡に詳しい沖縄国際大学元教授の吉浜忍さんは、「沖縄戦の記憶を継承するために過去に調査した戦跡が現在、どうなっているのか改めて調べ、大切な戦跡は、保存・活用に向け、行政による文化財指定を含めて議論しなければならない」と話していました。
◆沖縄戦の記憶:体験者から継承難しく
沖縄県内の高校生を対象にした平和教育に関するアンケート調査で、「家族や親族で沖縄戦について話してくれる人がいるか」との問いに、「いない」と回答したのが52.2%となりました。10年前と比べ17ポイント以上も増えていて、体験者からの戦争の記憶の継承が年々、難しくなっている現状が浮き彫りとなりました。
このアンケート調査は、歴史の教師などでつくるグループが25年前から5年に1度行っていて、今回は去年11月からことし3月にかけて沖縄県内の高校2年生1653人から回答を得ました。
その結果、沖縄戦を学ぶことについて、95.5%の生徒が「とても大切」あるいは「大切なことである」と回答し、調査開始以降、最も多くなりました。
一方、「家族や親族で沖縄戦について話してくれる人がいるか」との問いに「いない」と回答したのが52.2%、「いる」と回答したのが30.3%となりました。
この質問が初めて行われた10年前と比べ、「いない」は17ポイント以上増えて、「いる」が10ポイント以上減る結果となり、高齢化が進んで戦争の語り部が少なくなっている現状がわかります。
アンケート調査を行った沖縄歴史教育研究会は、「沖縄戦の記憶の継承が家庭でできなくなっているのはやむをえない事実だ。追体験ができる地域の戦争遺跡を活用しながら、いま健在の体験者とともに、悲惨な沖縄戦の実相を伝えていく方法を考えていかなければいけない」としています。
(参考資料)
T 第二次大戦・日中・日米戦争勃発の
真相は、世界大恐慌後、英米の謀略だった !
副島隆彦・船井幸雄の主張:国民党と中国共産党を和解させて、抗日統一戦線をつくらせ、日本を敗北させようとしたことは、世界大恐慌後、景気回復のため、世界大戦誘導を狙う、英国と米国の裏の戦略でもあった(日本を、戦争に駆り立てたのは、米国による、石油禁輸措置だった。
日本は、資源確保のために中国等東南アジアに侵攻した)。特に、米国は、英国を追い抜いて、世界覇権国になるという、英国に内密の戦略のため、大戦後・対ソ連との戦いのため、1930年代から、日本占領・支配・収奪を狙って、長期的に準備していた。つまり、日本政府・陸海軍首脳は、英国・米国・ソ連・中国共産党の仕掛けたワナに嵌められて、無謀な大戦に突入したのだ。
マッカーサー元帥は、この日本首脳を、12歳並と言った。自民党体制(官僚機構・財界・マスコミ・御用学者・御用評論家も含む)は、アメリカが裏から思い通りに支配するために、強力なアメリカ主導で作ったものである(『昭和史からの警告』。
U 北方四島・竹島・尖閣諸島、領土紛争は、米国が仕掛けた !
(8月 22nd, 2012 by 月刊日本編集部.より抜粋・転載)
菅沼光弘・元公安調査庁第二部長:
アメリカの傭兵と化した、陸海空・三自衛隊――
菅沼光弘 :ここ最近、自衛隊と米軍の軍事協力も急速に進められている。日米同盟の深化などといわれているが、その実体は、「米軍と自衛隊の一体化」だ。
要するに、自衛隊は「米軍の先兵」となり、「米兵の肩代わり」もしろということだ。
もっとも、これは自衛隊設立当初からアメリカが「目論んでいた」ことでもある。
たとえば、海上自衛隊の編成や装備は、対潜能力や掃海能力だけが突出するなど、発足当初から極めて歪なものとなっていた。
これは、海上自衛隊をアメリカ海軍第7艦隊の「補完部隊」として利用しようという「アメリカの意図」が働いていたからだ。
また、航空自衛隊はもともとアメリカ空軍をモデルに創設されたものだ。アメリカ式の教育を徹底的に叩きこまれ、アメリカの戦闘機とミサイルを運用して作戦行動すべく訓練されてきた。最近、航空総隊司令部は米軍横田基地内に移転し、運用を米軍と一体化した。
唯一独自性を保っていた陸上自衛隊も、今や海兵隊とテニヤンで、合同訓練を行ったり、アメリカ陸軍第一軍団司令部が、キャンプ座間に移転され、陸上自衛隊中央即応集団司令部と統合運用されることになるなど、その「一体化」が着々と進んでいる。
―― 野田政権は、島嶼防衛を理由に、日米同盟の強化を進めている。
菅沼光弘 : 日本が領有する島嶼に対する周辺諸国の圧力が強まっているのは事実だ。北方領土交渉はプーチン政権誕生後も進展しておらず、竹島における韓国の実効支配は強化されつつあり、尖閣問題は中国の強硬な主張を前に、もはや「領土問題」であると国際社会から認知されるようになってしまった。
これらの国々を批判し、反論することは簡単だ。しかし、そうすれば、これら周辺諸国との関係は、ますます「悪化」する。これは我が国の国益にかなうことなのか、どうか。我々は、その前に、なぜこうした問題が生じたのか、まずはその「原因」を知らねばならない。(中略)
―アメリカは韓国の竹島領有を「黙認」した―
☆― 二国間に「火種」を植えつけ「対立」をあおり、国際政治をコントロールする。それがアメリカの「常套手段」だ。
V ヤルタ会談・ヤルタ密約
(www.geocities.co.jp/Bookend:より抜粋・転載)
第二次世界大戦と大東亜戦争の勝敗が明らかになりつつあった、昭和20年(1945)年2月、アメリカのフランクリン・ルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンがソ連領クリミア半島のヤルタで協議を行った。
ここでルーズベルト大統領は、なんとスターリンに、ドイツ降伏の3ヵ月後に日ソ中立条約を侵犯して、「対日参戦」するよう要請した。ルーズベルト大統領はその見返りとして、日本の領土である千島列島、南樺太、そして満州に日本が有する諸々の権益(日露戦争後のポーツマス条約により日本が得た旅順港や南満洲鉄道といった日本の権益)をソ連に与えるという密約を交わした。
W 大東亜戦争・侵略戦争の犠牲者数は ?
(www.jcp.or.jp:2004年11月4日(木)「しんぶん赤旗」より抜粋・転載)
〈問い〉 青年との対話で「数千万人が太平洋戦争で死んだというのはウソ」といわれました。
ネット上でもそんな書き込みがあります。犠牲者はどれくらい? それは何にもとづいているか? を教えてください。(長野・一読者)
〈答え〉 1945年8月15日、天皇制政府は、ポツダム宣言を受諾して連合国に降伏しました。
◆日本人の軍人・国民の死者は、合計310 万人以上 !
15年にわたる戦争は、日本人の軍人軍属などの戦死230万人、民間人の国外での死亡30万人、国内での空襲等による死者50万人以上、合計310万人以上(1963年の厚生省発表)の犠牲をもたらしました。 戦後、日本政府は、一貫して、侵略戦争と認めることを拒否し、犠牲者数をなるべく過小に計算する見地で資料を作成し、戦争の惨害の本格的な資料を作成してきませんでした。
前記の厚生省資料も、太平洋戦全国戦災都市空爆犠牲者慰霊協会の調査によって推計したものです。
◆大東亜戦争では、アジア・太平洋各国に、2000 万人以上の死者 !
日本の侵略戦争・大東亜戦争は、アジア・太平洋各国に、2000万人以上の死者をふくむ史上最大の惨害をもたらしました。この数は、各国の政府公表あるいは、公的発表にもとづくものです。
▲上へ ★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6掲示板 次へ 前へ
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
▲上へ ★阿修羅♪ > ペンネーム登録待ち板6掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。