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歌手の話題:坂本冬美53歳のセーラー服姿、今弾けまくる胸の内 !
坂本冬美さんのプロフィールとは ?
(www.nikkansports.com:2020年6/14(日) 5:00配信)
NHK紅白歌合戦出場31回を誇る歌手坂本冬美(53)のYouTubeでのはじけぶりが話題だ。大物歌手にもかかわらず、セーラー服姿を披露したり、自撮り棒にGoProをつけて撮影するなど孤軍奮闘。再生回数も40万回近くに達し、着物姿の演歌歌手のイメージとのギャップがファンの裾野を広げている。新曲「俺でいいのか 追撃盤」も17日に発売され、この日は生配信ライブが予定されている。
◇ ◇ ◇
年に1〜2カ月の劇場公演に全国でのコンサート。加えてテレビの歌番組などスケジュールがぎっしりの坂本でも、新型コロナウイルスの前では無力だった。活動がすべて止まり「俺でいいのか 追撃盤」のPRのためにスタジオで無観客ライブを開催する予定だったが、これも「密閉、密集、密接」の3密のため中止に。「仕方なく」と書くと語弊があるが「できることをやろう」ということで、自宅での練習風景をYouTubeにアップしたのが、4月中旬だった。
着物ではなく体のラインが分かるカラフルなセーター姿。もともとコメディエンヌの評価は高かったが、セーラー服姿まで披露するなど、トークもうまく、スナックの美人ママといったところだ。
坂本 普段の自分をさらしてしまいましたが、和服姿で真面目に歌う私とのギャップに大変驚いたようです。面白いおばちゃんが、少し浸透したかな?
あくまでも、ステージで会えないファンのためだった。
坂本: 生の歌を届けられないので何とか届けようと、YouTubeでのライブ配信を予定したのですが、それもコロナの影響で延期となり、仕方なく自宅から普段練習している姿を皆さんに見て頂こうと思いました。あんなおバカなところをお見せするなんて…。今回のようなことがなければなかったことですね。
ステイホームでは、歌のレッスンはもちろんだが、映画を見たり読書するなど充電に努めたという。中でも、地方の仕事が多いことからできなかったガーデニングにも目覚めたという。
坂本: 時間に追われる生活をずっと続けてきたわけですが、いま与えられた時間をどう過ごすかを考えさせられました。殺風景だったベランダにお花やお野菜を植えて育てようと思い、この3カ月でぬくもりのあるベランダになりました。
仕事だけに生きてきた感がある人生でしたが、もともと田舎者なので、ゆったりとした時を過ごすことが性に合っていると再認識しました。正直、ブランド物を買ったり着飾る事も、面倒になったので、これからはシンプルに細やかな幸せを感じながら生きていきたいです。
それでも、今一番したいことは? との問いに「何をおいても生のステージ、コンサート」と答えた。人の価値観も変えたコロナ禍後の坂本のステージが期待される。【竹村章】
○…新曲「俺でいいのか 追撃盤」は昨年リリースした同曲のリメークだ。坂本が歌うあでやかな男唄をギターバージョンでブラッシュアップ。オリジナルのほか、ギターバージョン、男性キーバージョンを収録している。
坂本は「さらなるヒットを目指し、何かもうひと押しとスタッフと考えて、さらに哀愁のあるギターバージョンと男性にも歌って頂けるように、作曲の徳久広司先生に歌唱をお願いしました」。
(参考資料)
坂本冬美さんのプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
坂本冬美(さかもと・ふゆみ、本名同じ、1967年3月30日生まれ、53歳 )は、日本の演歌歌手、女優。血液型O型。
来歴:生い立ち
1967 年3月30日[1]、和歌山県西牟婁郡上富田町に生まれる[2]。3月生まれで、生まれた季節は春であるのに、「冬美」という名前をつけたのは、生まれた時に肌が冬雪のように白かった事から、叔父がつけた[3]。
1979年、上富田町立朝来(あっそ)小学校を卒業する。
中学生時代の作文で、将来の夢は演歌歌手であることを記していた[4]。当時は石川さゆりのファンだった[4]。中学・高校時代はソフトボール部に所属。ポジションはキャッチャーで、チームのキャプテンも務めた[1]。この時、よく野次る選手だったという[5]。ソフトで県大会に出場した時には1回戦負けを喫したこともあった[6]。
1982年に上富田町立上富田(かみとんだ)中学校を卒業する。
高校生時代に和歌山アドベンチャーワールド(パンダ飼育数国内トップ)でバイトをしていた。
◆会社員時代
1985年(18歳)に和歌山県立熊野高等学校を卒業する。高校卒業後は大阪市内のあるレストランのオーナー会社で経理担当として勤務するも約4か月で退社して和歌山へ戻り、和歌山放送のディレクターの紹介で梅干し会社「株式会社ウメタ」に入社[7]。同社で勤務する傍ら、演歌歌手を目指して歌の練習のためカラオケ教室へ通っていた[4]。放送大学教養学部入学。
◆演歌歌手デビュー
1986 年(19歳)、NHKの『勝ち抜き歌謡天国』(和歌山大会)[8]で名人となり、「関西演歌大賞カラオケコンクール」でも優勝[1]。『勝ち抜き歌謡天国』で歌唱指導を担当していた猪俣公章の勧めで上京し、同年4月から11月まで猪俣の内弟子を務める[1]。
本名が芸名になり、デビュー直前になったところで、師匠の猪俣は冬美の「冬」の字を寒い、寂れたようなイメージだと嫌って「冬美を『ふゆみ』と平仮名の芸名にして欲しい」と主張したが、その時既各種印刷物など準備が進んでおり、それらを全部刷り直すのに資金も手間もかかるなどの理由からスタッフは猪俣を説得し直して、ようやく折れて「坂本冬美」としてデビューすることとなった[9]。
1987 年に「あばれ太鼓」でデビュー。同曲は80万枚を超える売上を記録し、『第29回日本レコード大賞』などで数々の新人賞を獲得する[10]。初期は同曲の他、「祝い酒」「男の情話」「男惚れ」など男歌が中心だった。本人は猪俣に「この歌は売れませんね」と言ってしまい、大目玉をくらった[11]。
1991年に細野晴臣・忌野清志郎とHISを結成。アルバム『日本の人』発売。忌野とはそれ以前にもRCサクセションのアルバム『COVERS』に参加するなど、接点があった。2005年に発売された、NHKラジオ第1『旅するラジオ こんにちは!80ちゃんです』のテーマ曲「Oh, My Love」も、当初HISのユニットで発売予定だったが、坂本冬美個人名での発売となった。芸術選奨新人賞大衆芸能舞踊部門を受賞。
1993年の第44回NHK紅白歌合戦に出場した際、アニメ『美少女戦士セーラームーン』の主題歌「ムーンライト伝説」を森口博子、西田ひかると共に、セーラーサターンのコスプレをして歌った。
火ざくら伝説/大下英治・著【1996年4月6日発刊】 内容は坂本冬美の誕生からデビュー、10周年を迎えるまでの軌跡を辿ったものである。
◆芸能活動一時休業
1997 年(30歳)、最愛の実父が交通事故死するというショッキングな出来事に、それ以降「父の死を受け入れられず、人生の応援歌を歌うのが精神的に辛くなった」と、それ以降歌への情熱が薄れてしまったという。その上虫垂炎で急遽入院したり、持病の膵臓炎の悪化など体調が優れない中で、過密スケジュールをこなし続けていた[12][13]。
しかし、歌手活動15周年を迎えた2002年3月(35 歳)に、歌手業を含めた一切の芸能活動を休止する。
休業前に自宅を猪俣の妻へ売却して、その後一年間は膵炎の治療専念や、和歌山の実家へ休養を兼ねて戻っていた。
実家から全国各地へ旅行や温泉へ行ったりしてのんびりと休養できて、旅行先などでは全く気づかれなかったと復帰直後に出演した『徹子の部屋』で語っていた[14]。なお、坂本の活動休止期間中には都内の自宅売却などの身辺整理を行ってから故郷の和歌山へ戻ったために重病説や死亡説、さらに隠し子を産んだ説まで、根拠の無い様々な噂話がマスコミの間で飛び交っていた[15]。
◆活動再開
歌手復帰のきっかけとなったのは、実家のテレビで視た二葉百合子の65周年リサイタルで「岸壁の母」を聴いた時に、坂本自身大変感銘を受けた事からだった[16]。その時に坂本は「私が縋れるのは二葉先生だけ。先生のような強い喉と精神力を作れば又歌えるかも」と思い、事前に手紙を送った上で直接二葉の自宅を訪ねた。
坂本は「歌に対しての自信を完全に失い、人前で歌うのが怖くなってしまったのです。引退しようとも本気で考えていました」と述べた後、二葉は「あなたも『歌の壁』にぶつかったのね。その歌の壁に気づいたというのは、あなたが成長している証拠で、とても素晴らしいことなの。私だって今迄何回も歌の壁にぶつかって、その度に乗り越えて来たからこそ今があるのよ。壁に気付かない人もいるんだから」等と、温かい励ましの言葉を掛けて貰ったという[17][18]。
その後2002年11月(35 歳)から二葉の元でレッスンを始め、完全復活へとつなげた[14][19]。
休業から丁度1年後の2003年4月1日、『NHK歌謡コンサート』へ生出演を果たし、芸能活動の再開を宣言。同年、紅白歌合戦にも返り咲きを決め、デビュー曲「あばれ太鼓」を歌唱するが、曲の終盤で思わず涙声となる場面があった[14]。
2006年第3回ザ・ビューティー・ウィーク・アワード「着物、アップ髪が最も似合う人」受賞。2008年10月、「和歌山県ふるさと大使」の第一号となった[20]。
2016 年、毎日芸術賞特別賞受賞。
◆人物・家族
家族構成は母、姉、弟で父は故人である。現在も私生活では独身を通す。
◆交友関係
坂本と同じ女性演歌歌手の「伍代夏子」、「藤あや子」と公私共に大変仲が良いとの事。
二葉百合子門下生の藤あや子、原田悠里、島津亜矢、石原詢子とは「二葉組」を結成しており、互いをあだ名で呼び合う仲であるという。 彼女らとは、ゴルフ仲間でもあり、藤、石原、坂本の3人でペンションを借りて合宿をしたこともある。
◆高卒後、梅干し会社に就職 !
高校卒業後、地元の梅干し会社株式会社ウメタに就職し、梅干しの塩分等の検査に従事していた[1][21]。また、梅干の味に関しては非常にうるさいという。
本人曰く「(工場に勤務していたからでは無く)生まれ育った紀州の風土によるもの」と説明している[22]。本人は紀州南高梅しか食べず、それ以外の梅干は一切食べないと公言している[23]。
この様に、故郷和歌山に対する郷土愛は非常に強く、和歌山県にもそれが認められた。コンサートグッズでも、薄塩、しそ、はちみつの3種類を当日和歌山より直送でコンサート会場に送ってもらい販売している[24]。
◆その他
好きな食べ物は寿司、イチゴ、みかん、パパイヤ。
プロ野球・阪神タイガースのファンである。
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