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栗原心愛さん事件:[小4虐待死、父に懲役16年]教訓を生かさなければ、
(headlines.yahoo.co.jp:2020年3/20 9:25より抜粋・転載)
沖縄タイムス・社説:千葉県野田市の自宅で小学4年の栗原心愛(みあ)さんを死亡させたとして傷害致死などの罪に問われた父勇一郎被告の裁判員裁判で、千葉地裁(前田巌裁判長)は懲役16年(求刑懲役18年)の判決を言い渡した。心愛さんへの虐待などで起訴された六つの罪全てを認定。これまでの児童虐待事件と比べて重い量刑を科した。
被告は、傷害致死は争わないとする一方、心愛さんに食事を与えなかったり、一晩中立たせていたりしたという母の証言を次々と否定した。心愛さんが学校アンケートで「お父さんにぼう力を受けています」と書いたことについても「うそ」と言い切った。
子どもを虐待する親の多くが、自らの暴力を認めず「しつけ」と称して正当化することを端的に見せた場面だった。こうした被告の説明について前田裁判長は「都合のいいところを述べて、事実と主張しているにすぎず、信用できない」として退けた。
被告は2018年、県柏児童相談所が心愛さんを一時保護した後も、虐待がなかった証拠として「お父さんにたたかれたというのはうそ」という心愛さん直筆の書面を提示した。後に心愛さんは「父に書かされた」としている。
しかし児相は当初から書面を疑問視しながら、心愛さんを自宅に帰した。市教育委員会の担当者は被告から迫られ、学校アンケートの写しを渡し、状況を悪化させた。
判決で前田裁判長は「(心愛さんは)大人に、精いっぱい伝えようとしていた」と述べた。子どもの声に大人たちが耳を傾けなかったために命が奪われた事実を、重く受け止めなければならない。
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千葉県に移り住む前に家族が住んだ糸満市も、心愛さんや周囲からのSOSをキャッチできなかった。
市立小学校の友人は「お母さんがいないと、お父さんにパーでたたかれて痛い」と心愛さんに打ち明けられていたが、学校は気付けなかった。親族は、心愛さんが被告からどう喝を受けていることや母親へのDVについて相談していたが、被告から面談や家庭訪問を断られた市はそれ以上の対応をとらなかった。
心愛さんの事件後、政府は、保護者が関係機関を避ける場合こそリスクが高いとみて、ためらわず一時保護するよう求めた。文部科学省は教員向けの児童虐待対応の手引を公表し、虐待の疑われる子どもが7日以上欠席した場合は関係機関と速やかに情報共有する新ルールを通知した。
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しかし、その後も札幌市で虐待通告後の安全確認を怠り2歳女児が衰弱死、神戸市では今年2月、真夜中に児相を訪れた小6女児が追い返されるなど、大人たちの失態が続いている。
児童虐待は深刻さを増している。全国の警察は昨年1年間に虐待事件で保護者ら2024人を摘発。心愛さんも含め54人が命を落とした。県内でも昨年、県警が児相に通告した児童虐待が1467人(暫定値)で、統計が残る07年以降過去最多となった。
心愛さんが残した教訓を生かさなければ、悲劇はまた起きる。
(参考資料)
野田市小4虐待死:母親・妹・妻の証言で
明らかになった「鬼父」悪魔の素顔 !
(www.msn.com:2020年3月11日より抜粋・転載)
「ママー!! 嫌だー!」「苦しいよ! 死んじゃいそうだよ!」「ウァー!ウァー!」
法廷には約5秒間、当時10歳で亡くなった栗原心愛ちゃんの悲痛な叫び声が響き渡った。
あまりのむごたらしい虐待動画に女性裁判員が泣きだすなど、一時休廷する場面もあったが、虐待した父・勇一郎は眉ひとつ動かさずに無表情で一点を見つめていた。
◆暴力行為は否認
昨年1月、千葉県野田市で小学4年の娘・栗原心愛ちゃんを虐待の末に死亡させたとして、傷害致死罪などに問われている父・勇一郎(42)の裁判員裁判が2月21日から千葉地裁で始まった。
初公判の冒頭では、震える手で茶色の封筒からメモを取り出し、涙ながらに反省の弁を述べた。
「事件直後から今日まで娘にしてきたことがしつけを超えていたと反省してきた(中略)成長を楽しみにしていたのに私が将来を奪ってしまった。みーちゃんに謝ることしかできません」
反省、後悔を述べる一方で心愛ちゃんへの暴力行為は否認。法廷で流された心愛ちゃんへの“虐待動画”にも、裁判で明らかになった凄惨な虐待の数々を読み上げられても表情は崩れない。
法廷での被告は、白髪まじりの髪を短く丸め、黒いスーツ姿にタオルを握りしめ、入退出の際には裁判官、傍聴席の記者席側に深々と頭を下げていた。
◆「権力には従順」
高校時代の同級生は、勇一郎を評したが、法廷での立ち居振る舞いもまさにそうだった。
母が語る息子・勇一郎
勇一郎は1978年、成田空港で整備士をする父とキャビンアテンダントの母のもとに生まれ、8歳のときに千葉県野田市の現在の実家に引っ越してきた。地元の小中学校を卒業後、埼玉県内の高校に進学。
「勇一郎は小学校から野球をやっていて、高校のころには工場やコンビニでアルバイトをしていました。明朗快活で友達が多い子でした」
と、勇一郎の母・凪子さん(68・仮名)は週刊女性の取材にそう答えた。母や家族には“できた息子”でいた勇一郎だが、家族には見せない一面もこのころからあった。
「小学校のときから数人の生徒と弱い者いじめをしていた。自分より弱い者には強く出るタイプ」 と、元同級生。
大学を出た勇一郎は父に憧れJASの子会社に就職するも数年で離職。その後、都内のガス会社に就職するが'07年には離職。このころ、1度目の結婚をしている。
「なぎささん(33・心愛ちゃんの母=勇一郎とともに逮捕)とは2回目の結婚で、別れた先妻との間に子どもがいます。最初の結婚相手は、なぎささんのように見た目はおとなしいが勇一郎とよくケンカする気の強い面がある女性でした」(凪子さん)
勇一郎を昔から知る知人によると、「最初の奥さんは勇一郎の暴力が原因で逃げた」
それでも勇一郎を溺愛する両親は、「沖縄に気分転換に行きたいと言っていたが、仕事もやめていたので引っ越し費用と生活費を貸し、月に15万円から20万円援助していました。総額は2000万円くらいだと思います」(裁判での母の証言)
30近い息子が職を転々とすることを咎めるでもなく援助する両親の姿。
「勇一郎は幼いころ病弱だったので、家族で頻繁に沖縄に旅行していました。だから勇一郎にとって沖縄は楽しい場所なんでしょうね」(勇一郎をよく知る知人)
沖縄に渡り、観光関係の仕事についた勇一郎は、のちの妻・なぎさと出会い'08年2月に結婚。しかし同年9月に心愛ちゃんが生まれてすぐに夫婦は別居、'11年に2人は離婚。またもや勇一郎の暴力が原因だった。
なぎさの母は、「被告には悪い印象がある。明るかったなぎさはすぐに泣く子になってしまった。子育てができないと泣いて怯えていた。何をするにも怖くてずっと怯えている状態になってしまった」
携帯のチェックに行動監視、家庭内でのモラハラやDVがひどかったことも明かした。
娘と孫を守りたかったなぎさの母は離婚を助言。心愛ちゃんとなぎさは勇一郎の支配から逃れたものの、'16年に8年ぶりに再会し復縁。'17年に再婚する。6月には次女が生まれ、母親のなぎさは産後うつで沖縄にひとり残ることに。8月、勇一郎は心愛ちゃんと次女を連れて野田市のアパートに移り住む。勇一郎は入院中のなぎさを無理やり連れ出し転居させ、心愛ちゃんの地獄の日々はこのころから始まった。
◆妹が語る兄・勇一郎
'16年4月から勇一郎が派遣社員として在籍していた沖縄観光コンベンションビューロー東京事務所の上司は、「非常に温厚で穏やかでコミュニケーション能力もあった」
と評したが、同社で働いていたころを知る知人は、「上から目線でプライドが高く仕事を頼みにくかった」 と真逆の印象を持つ。
勇一郎の二面性は家族の中でも力の弱い妹だけは気づいていた。
2月25日に開かれた第二回公判では母親の凪子さんと妹の紗栄子さん(30代・仮名)の証人尋問が行われ、母親が勇一郎をかばう証言を続ける中、兄について、「自分より地位の高い人にはいい態度で接するが、低い人にはそうではない」 と言い、心愛ちゃんが自宅から祖父母宅になぎさに連れてこられてきた'18年9月ごろ、勇一郎による暴行の痕があったことを証言した。
紗栄子さんによると、心愛ちゃんの頭には髪が抜けた跡があり、首回りも真っ白になっていて、頬のあたりには1センチほどのアザが2か所あった。全身の状況を確認したところ、腰と尻にもいずれも3センチほどのアザがあった。
理由を心愛ちゃんに尋ねると泣きながら勇一郎からの暴力を打ち明けたという。次に(暴力が)あったら通報することを約束したのが心愛ちゃんとの最後の会話になってしまった。
紗栄子さんは法廷で、「ごめんね」 と何度も涙を流したが、勇一郎はその間も微動だにしなかった。
◆妻が語る夫・勇一郎
事件現場となった野田市のアパートに移り住んでからは虐待が日常化していった。心愛ちゃんは家の鍵を持たされておらず下校後は毎日のように同級生の家で過ごしていた。
勇一郎が同級生の家に迎えに行っていたが、「お父さんが相手のお宅に“お邪魔してすみません”と菓子折りを持ってやってきて丁寧すぎて怖いくらいにお礼を言ってきたそうです」 と近隣の主婦が明かす。そんな外面のよい父親について心愛ちゃんは友人に「お父さんが怖い」と本音を漏らしていた。
母親のなぎさは当時の様子について、「心愛に話を聞いたら“毎日が地獄だった。夜中にパパに起こされたり立たされたりする”と言っていた。心愛を助けてあげたくても勇一郎の監視や束縛が激しかったためどうすることもできなかった。(勇一郎が)怖かった」 と、第三回公判でビデオ越しに涙ながらに証言。
なぎさもまた、勇一郎によるDV支配の被害者だったことが認められ、懲役2年6か月、執行猶予5年の判決を受けている。
*
裁判の傍聴を続け、加害者家族のケアをするNPO法人『ワールドオープンハート』の阿部恭子代表は事件後から勇一郎の両親のケアをしていた。勇一郎について、「(罪を)後悔はしていると思うが、心からの反省はしていないと思う。自分がしていたことが虐待だという認識がないとみられる。
どことなく心愛さんのせいにしているところを感じる。反省する心があったらこんなことにはなっていない」 と法廷での勇一郎を評した。続けて、
「勇一郎被告は性格的に歪んでいる。心愛ちゃんへの虐待が暴力に加えて屈辱を与える行為からもうかがえます。汚物を持たせたり、失禁させたり……。母親(なぎさ)は嫌がらせと言っていましたが、まさにそれで、嫌がることをネチネチとしているな、と感じました。
被告の言うように“いい父親になりたくてやった”しつけの延長線上じゃないような気がします。心愛ちゃんのことが単純に嫌い、辱めてやるという感じです。心愛ちゃんのこと、好きじゃなかったのかもしれません」 と、勇一郎の心情を分析した。
母・なぎさも公判で、「心愛の正義感のある性格が(勇一郎は)嫌いだったんだと思います」 と証言している。
勇一郎の母・凪子さんは心愛ちゃんへの虐待が起きたきっかけを、「妻(なぎさ)が病気で子育てができず、2人の子どもの子育てをしなければならないストレスが一因だと思う」 と悪いのはなぎさだと言わんばかり。心愛ちゃんに対しても、
「私たちにとって心愛さんは初孫ではありませんでした。しかも8年間会っていない、突然8歳の子どもが現れて祖父母としては戸惑うところがあった」 と、どこか他人行儀。法廷においても、
「息子は孫以上に可愛い。私から(虐待を)疑われるのは勇一郎がかわいそうだと思った」 などと、泣きながら証言。
さらには、「児童相談所が(心愛ちゃんのことを)要保護児童とかハイリスク児童と教えてくれていれば」 と行政に責任転嫁ともいえる証言をした凪子さん。
勇一郎も被告人質問で、「(虐待のアンケートは)心愛が嘘を書いたと思う」
と、ありえない自論を展開。心愛ちゃんを嘘つき呼ばわりまでして自己保身に走る姿は勇一郎が口にする“反省”とは真逆の姿だった。
心愛ちゃんが味わった地獄のような苦しみや泣き叫ぶ動画を見ても表情を崩さなかった勇一郎だが、母の涙声を聞いている際にはうつむき、鼻水まで垂らして泣いていた。息子を愛するあまりに罪を咎めない環境が鬼を生んでしまったのかもしれない─。
鬼父・勇一郎への判決は19日に下される。
―以下省略―
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