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安倍内閣によって、偽装されているのが、日本のコロナ感染者数である !
安倍首相の深層・真相は ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2020/03/09より抜粋・転載)
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1)〜12 )は前2 回投稿済みです。以下はその続きです。
13 )安倍首相は、十分な検査能力を確保
いたしますと発言したが、実行はしていない !
ところが、実際には、安倍内閣は、この対応を示していない。
国会審議が行われているが、このような、安倍内閣の「やるやる詐欺」を容認すべきでない。
野党の追及が甘いのである。
小池晃参院議員の質疑で、安倍内閣の嘘が、明らかにされた。
14 )国会の質疑で、安倍首相の言葉
が、嘘であることが明らかにされた !
「かかりつけ医など、身近にいるお医者さんが、必要と考える場合には、すべての患者の皆さんが、PCR検査を受けることができる、十分な検査能力を確保いたします」という安倍首相の言葉が、嘘であることが明らかにされた。しかし、それで、済ませてはならない。
PCR検査の運用体制を変更させ、すべての医療施設の医師の判断で、PCR検査が発注される状況に、移行させるべきである。
15 )PCR検査の拡大が、日本の
コロナウイルス感染対策の第一歩だ !
この点が、日本のコロナウイルス感染対策の第一歩である。
問題が顕在化して以降、一貫してこの主張を、展開し続けているが、現時点でも、この点が是正されていない。
2007年の参院選に際して、安倍首相は、年金記録問題について、「早期に解決をし、最後の一人までチェックして正しい年金を、きちんとお支払いをします」と述べた。
この発言と、2月29日の安倍首相による、「かかりつけ医など、身近にいるお医者さんが必要と考える場合には、すべての患者の皆さんがPCR検査を受けることができる十分な検査能力を確保いた
します」の発言が、完全に重なる。
16 )安倍首相は、すべての患者が、PCR検査
を受けることができる運用を実行しない !
安倍首相は、「すべての患者の皆さんが、PCR検査を受けることができる」と発言しながら、すべての患者が、PCR検査を受けることができる運用を実行しないのである。
加藤勝信厚労相は、今後、感染者数が増えて、次のフェーズに移行した場合に、かかりつけ医の判断で、PCR検査を行えるように、運用を変更することを、検討するとした。
すべての患者が、PCR検査を行えるように、運用を変えることは、まったく具体化していない。
17 )安倍内閣は、PCR検査を妨害して、
確認される感染者数を、少なく見せるのだ !
安倍内閣の基本方針の実態は、PCR検査を妨害して、確認される感染者数を、少なく見せることにある。安倍政権下、このねつ造された感染者数を基準に、日本の現状を把握することは、不可能である。安倍内閣は、「瀬戸際」の言葉で、突然全国の小中高の一斉休校を求め、各種イベントの中止を要請しながら、東京五輪関連行事だけは、開催を強行する。
18 )安倍内閣は、感染者数を少なく
見せて、東京五輪を、強行開催したい !
新型コロナウイルスの感染について、安倍内閣は、日本の実情を明らかにする、PCR検査の実施を妨害する。感染者数を少なく見せて、東京五輪を、強行開催するためである。
安倍内閣は、国民の生命と健康ではなく、ただひたすら、東京五輪開催だけを優先する。
安倍内閣の政治は、主権者国民に対する背信行為である。
国民軽視の国民犠牲の東京五輪など、誰も開催を望まないはずである。
賢明な国民は、本末転倒の悪政・安倍内閣の即時退陣を求めている。
(参考資料)
○安倍首相は、「人格乖離」「インポ・マッチョ」
(www.rui.jp:2015年/03/29 PM11より抜粋・転載)
るいネット:蔦宇兵衛 ( 加賀 ) :
A〜マッチョなのにインポだという苛立ち(戦争に強いという国家の誇りを取り戻したいのに、憲法によってそれができない)
「生身の自分を切り離して作ったバーチャル・キャラクター」(302550)の続き
リンク より
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白井の安倍評はもっと過激だ。内田の「人格乖離発言」を受けて、このように言う。
※乖離(かいり):そむきはなれる事。
「不思議なのは、安倍首相がお父さんの晋太郎さんの話をまったくしないことです。おじいちゃんの岸信介の話ばかりする。たぶん晋三から見て、晋太郎の政治家としてのスタンスは全然男らしくないと映るんでしょう。
じいちゃんは本物の男だった、それを受け継ぐんだということなのでしょう。ところが、戦に強いということを誇りにはできない、もう男になれないというのは、戦後日本の所与の条件なんですよね。軍事的にインポテンツであることを運命づけられている」
「それで、インポ・マッチョというのが、一番性質が悪い。自分がインポであるというのを何がなんでも否定する。それが敗戦の否認ということの言い換えなのですが。そういう人間は首尾一貫しないことをやる」
リテラでさえ使うのを憚るような激しい非難だが、しかし、これらの言葉は、たんなる安倍首相への人格攻撃ではない。対談をじっくり読めば、現在の日本という国家のありようを鋭く突き刺す言葉であることがわかってくる。
たとえば、マッチョなのにインポだという苛立ち。これは、安倍首相をはじめとする日本の右派勢力の最大のモチベーションとなっているものだ。戦争に強いという国家の誇りを取り戻したいのに、憲法によってそれができないと考えているからこそ、彼らは憲法を攻撃する。そこにあるのは、非常にエモーショナルな動機であって、現実の政策判断とはほとんど関係がない。
実は、白井は彼の名を世に知らしめた代表作『永続敗戦論』でも同様のことを指摘している。日本では8月15日を「終戦記念日」と呼ぶが、このよう に、戦後日本は史実としての「敗戦」を「終戦」にすり替えることで、その意味するところを曖昧化させてきた。
そして、〈敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる〉という構図が継続している状態を、白井は「永続敗戦」と呼んだ。
戦後日本は、東西冷戦の構図のなかで、この永続敗戦というレジームのもとに運営されてきた。それゆえに、この国のエスタブリッシュメントは一種の “ねじれ”を抱えている。
たとえば日本の保守改憲派は、平和憲法をGHQから押し付けられた「まがいもの」とみなし、「自主憲法」の必要性を声高に叫ぶ。 だが一方で、くだんの憲法を「押し付けた」はずのアメリカには従属し続けるという倒錯的な外交姿勢を貫いている。
つまり、彼らがマッチョイズムを傷つけぬまま“ねじれ”を解消させるためには、徹底的に「敗戦の否認」を行う他ない。それは「米国による対日処理」を完全に否定することだ。しかし、戦後処理は東京裁判やサンフランシスコ講和条約と繋がっているから、現実にそれを達成することはほぼ不可能である。
実際、安倍政権でも歴史の修正という「敗戦の否認」の動きを活発化させようとしながら、そのたびにアメリカの“にらみ”で抑制されているのが実情 だ。
そして、日本の右派勢力はアメリカににらまれたとたん、簡単に屈服して、それまで声高に叫んでいた「大東亜戦争の肯定」を引っ込める、日米開戦はルーズベルトの罠だと主張しながら、現実的にはアメリカの犬となる、そういった矛盾した行動を繰り返してきた。
〈ゆえに彼らは、国内およびアジアに対しては敗戦を否認してみせることによって自らの「信念」を満足させながら、自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国 に対しては卑屈な臣従を続ける、といういじましいマスターベーターと堕し、かつそのような自らの姿に満足を覚えてきた。
敗戦を否認するがゆえに敗北が無期 限に続く──それが「永続敗戦」という概念が指し示す状況である〉(『永続敗戦論』)
※インポとは ?勃起機能の障害。
※マッチョとは ?マッチョとは、男性がもつという「強靱さ、逞しさ、勇敢さ、好戦性」といった性質を基礎とした思想や信条、行動をあらわす言葉。
※解離性同一性障害
(ウィキペディアより抜粋・転載)
解離性同一性障害(かいりせいどういつせいしょうがい、英: Dissociative Identity Disorder ; DID)は、解離性障害のひとつである。かつては、「多重人格障害」(英: Multiple Personality Disorder ; MPD)と呼ばれていた[注 1]。
解離性障害は、本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと感じたり、あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害であるが、解離性同一性障害は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、「別の人格」となって表に現れるものである。
◆定義・「精神障害#定義」も参照
「解離」には誰にでもある正常な範囲から、治療が必要な障害とみなされる段階までがある。 不幸に見舞われた人が目眩を起こし気を失ったりするが[1]これは正常な範囲での「解離」である。
さらに大きな精神的苦痛で、かつ子供のように心の耐性が低いとき、限界を超える苦痛や感情を体外離脱体験や記憶喪失という形で切り離し、自分の心を守ろうとするが、それも人間の防衛本能であり日常的ではないが障害ではない。
解離は防衛的適応ともいわれるが[注 2]一過性のものであれば、急性ストレス障害 (ASD) のように時間の経過とともに治まっていくこともある。
この段階では急性ストレス障害と診断されない限り、「障害」とされることは少ない。
しかし防衛的適応も慢性的な場合は反作用や後遺症を伴い、複雑な症状を呈することがある。 障害となるのは次のような段階である。
状況が慢性的であるがゆえにその状態が恒常化し[注 3]、子供の内か、思春期か、あるいは成人してから、何かのきっかけでバーストしてコントロール(自己統制権)を失い、別の形の苦痛を生じたり、社会生活上の支障まできたす。これが解離性障害である。
解離性同一性障害(以下DIDと略)はその中でもっとも重いものであり、切り離した自分の感情や記憶が裏で成長し、あたかもそれ自身がひとつの人格のようになって、一時的、あるいは長期間にわたって表に現れる状態である。
しかしDIDの人の中には、長期にわたって「別人格」の存在や「人格の交代」に気づかない人も多い。 深刻度はさまざまであり、中には治療を受けるも、特別に問題をおこすこともなく、無事に大学を卒業し、就職していくものもいる[2]。
しかし深刻な場合には、例えば「感情の調整」が破壊されることからさらに二次的、三次的な派生効果が生まれ、衝動の統制、メタ認知的機能、自己感覚などへの打撃となり、そうした精神面の動きや行動が生物学的なものを変え[3]、それがまた精神面にも行動面にも跳ね返ってくるという負のスパイラルに陥る。
うつ症状、摂食障害、薬物乱用(アルコール依存症もこれに含まれる)[4]、転換性障害を併発することがあり[5]、そして不安障害(パニック障害)、アスペルガー障害、境界性パーソナリティ障害、統合失調症、てんかんによく似た症状をみせ[6]、リストカットのような自傷行為に留まらず、本当に自殺しようとすることも多い。 スピーゲル (Spiegel,D.) は、その深刻なケースを念頭においてだが、次のように述べている。
「この解離性障害に不可欠な精神機能障害は広く誤解されている。これはアイデンティティ、記憶、意識の統合に関するさまざまな見地の統合の失敗である。
問題は複数の人格をもつということではなく、ひとつの人格すら持てないということなのだ。」
―以下省略―
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