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福島県民は、年間線量20ミリシーベルト地域への居住を強制されている !
脱原発を実行したドイツの深層・真相は ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2019/12/31より抜粋・転載)
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1)〜10 )は前2 回投稿済みです。以下はその続きです。
11 )100 ミリシーベルト以下の被曝による、
健康への影響はないとの記述は、重大な間違いだ !
ICRP2007年勧告の意味は、公衆の意図せざる被曝は可能な限り避けるが、事故が起きてしまった場合、事故の復旧段階では、20ミリシーベルトまでは認めるが、長期的には、1ミリシーベルトが限度というものだ。
また、100ミリシーベルトという数値が取り上げられる意味は、「100ミリシーベルトの被曝で、ガン死亡リスクが0.5%増加する」との科学的知見に基づく。
12 )ICRP2007 年勧告の100 ミリ
シーベルトは、累積被曝量の事だ !
ここでいう、100ミリシーベルトは、累積被曝量のことである。
読売新聞社説の「年間積算線量が、100ミリシーベルトまでなら、健康への影響は、明確に検出できない」の記述は、完全な誤りなのだ。長期にわたる低線量被曝でも累積被曝量が、100ミリシーベルトに達すれば、確率的影響が発生する。
ICRPが一般公衆の年間被曝量上限を、1ミリシーベルトとしている意味は、1ミリシーベルトであれば100年生きても、累積線量が、100ミリシーベルトに到達しないことを根拠とするものだ。
13 )年間線量が、100 ミ リシーベルト以下なら、
健康被害が生じないと記述は、大間違いだ !
年間線量が、100ミリシーベルト以下なら、健康被害が生じないというのは、根拠のない誤った情報である。安倍内閣は福島県民に年間20ミリシーベルトの被曝を強制する施策を採用している。
年間20ミリシーベルトはたったの5年で累積線量が、100ミリシーベルトを超える線量なのだ。
このような措置を許容できる根拠は存在しない。
「避難指示解除準備区域」は「長期的に年間1ミリシーベルト以下」と定められていたものを、安倍内閣が2015年に、「年間20ミリシーベルト以下に減少することが、確実であると認められた地域は、避難解除とする」に一気に要件を緩和したのである。
14 )福島県民は、年間線量20ミリ
シーベルトの地域への居住を強制されている !
その結果、福島県民は、年間線量20ミリシーベルトの地域への居住を強制されている。
小出裕章氏は、「筆舌に尽くしがたい被害と被害者が生まれた。
一方、原発の破局的事故は決して起こらないと嘘をついてきた国や東京電力は、誰一人として責任を取ろうとしないし、処罰もされていない。
15 )最も重大な原発問題から、国民の目を
逸らさせる、安倍内閣を私たちは容認できない !
絶大な権力を持つ彼らは、教育とマスコミを使ってフクシマ事故を忘れさせる作戦に出た。
そして、東京オリンピックのお祭り騒ぎに国民の目を集めることで、フクシマ事故をなきものし、一度は止まった原発を、再稼働させようとしている。」と指摘する。
国民を棄て去り、五輪五輪と騒ぎ立てて、もっとも重大な原発問題から、国民の目を逸らさせる安倍内閣を私たちは容認できない。
(参考資料)
脱原子力を選択したドイツの現状と課題
(www.asahi.com:2015年6月26日より抜粋・転載)
熊谷徹(くまがい・とおる)在独ジャーナリスト:1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。
1990年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。
著書に「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」(丸善ライブラリー)、「あっぱれ技術大国ドイツ」、「ドイツ病に学べ」、「住まなきゃわからないドイツ」、「びっくり先進国ドイツ」「顔のない男・東ドイツ最強スパイの栄光と挫折」(新潮社)、「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「ドイツ中興の祖・ゲアハルト・シュレーダー」(日経BP)、「脱原発を決めたドイツの挑戦」(角川SSC新書)など多数。
「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリズム奨励賞受賞。
■熊谷徹(在独ジャーナリスト)
ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、今年3月に日本を訪れる直前にネット上に発表したインタビューの中で、「ドイツは再生可能エネルギー拡大の道を歩んでいる。日本にもそうなってほしい」と述べた。
ドイツは、2011年に発生した、東京電力・福島第一原子力発電所の炉心溶融事故をきっかけに、エネルギー政策を根本的に変えた。世界中で、ドイツほど福島事故の教訓を真剣に自国にあてはめ、政策を大幅に転換させた国は一つもない。
私は、1990年からドイツを拠点にして、エネルギー問題を取材・執筆活動のテーマの一つとしてきたが、福島事故直後にこの国が見せた劇的な展開には驚かされた。
もともと原子力擁護派だったメルケル首相が、福島事故の映像を見て原子力批判派に「転向」し、東日本大震災からわずか4カ月後には、原子力発電所を、2022年末までに全廃することを法制化したのである。
「日本と同じように天然資源が少ない物づくり大国ドイツは、本当に原子力発電をやめても大丈夫なのか」「ドイツが方針を変更して、原発を再稼働することはあり得ないのか」。私は、多くの日本人からこうした質問を受ける。
私は、2014年11月末に、ミュンヘン工科大学でドイツ技術アカデミー(ACATECH)などが開いたエネルギー転換に関する国際シンポジウムに参加した。
この際にドイツ鉱業・化学・エネルギー産業労働組合(IG BCE)のラルフ・バーテルス氏に「今後どのような事態が起きれば、ドイツは原発全廃政策を取り下げるだろうか」という挑発的な質問をしてみた。IG BCEは、電力の大口消費者の利益を代表してエネルギー・コストの抑制を求めるとともに、エネルギー業界の雇用を守ることを任務としている。
この産業別組合でエネルギー転換についての政策提言を担当するバーテルス氏は、「原発回帰はあり得ない」と断言した。「議会制民主主義に基づくこの国で、過半数を占める市民が原発全廃を支持しているのだから、そうした世論に逆行する政党は敗北するだけだ」と指摘した。
確かに現在のドイツでは、原子力発電の復活を要求する政党や報道機関は、一つもない。「再生可能エネルギーの拡大のために電力料金が高騰しているから、2022年以降も原子力発電所を使い続けるべきだ」という意見も聞いたことはない。
日本とは異なり、ドイツはエネルギー政策のぶれを見せていない。原子力の発電比率ゼロ、再生可能エネルギーの発電比率80%の社会へ向けて、まっすぐに突き進んでいる。現時点では、政界、経済界、報道機関を含めて、脱原子力についての国民的な合意ができあがっているのだ。
■7 基の原子炉を即時停止
2011年3月11日以降、ドイツの新聞とテレビは日本で起きた地震と津波、そして原発事故のニュースで埋め尽くされた。福島事故に関するドイツのメディアの報道は、当初から日本よりもはるかに悲観的だった。
翌日の3月12日には公共放送局が「最悪の場合、炉心溶融が起き、チェルノブイリ並みの事故になる」という原子力発電の専門家のコメントを流していた。
1986年のチェルノブイリ事故で放出された放射性物質は、ドイツ南部を中心に土壌や農産物、野生動物を汚染した。この時の恐怖感は、市民の心に深く刻み込まれている。
このため、ドイツは福島から1万キロメートルも離れているにもかかわらず、メディアの報道によって市民の間に不安感が高まった。ヨウ素剤や線量計を買い求める市民が続出した。
メルケル政権は、迅速に行動した。事故発生から4日後、連邦政府は3カ月にわたる「原子力モラトリアム」を発令。当時ドイツには17基の原子炉があったが、政府は全ての原子炉の安全点検を命じた。
地方分権が進んでいるドイツでは、個々の原子炉の運転の許認可権を、州政府の原子力規制官庁が持っている。原子力発電所がある州の政府は、連邦政府の意を受けて、1980年以前に運転を開始した7基の原子炉を即時停止させた。
これらの原子炉と、2007年以来変圧器火災のため止まっていた1基の原子炉は、モラトリアム終了後も再稼働することなく廃炉処分となった。メルケル政権は前年に電力業界の要請を受け入れて、原子炉の稼働年数を平均12年間延長することを決めていたが、この措置も凍結した。
■メルケル首相の告白
メルケル氏は、「原子力発電所を安全に運転させることができるかどうかについて、首相として責任が持てない」と語り、脱原子力へ向けて大きく舵(かじ)を切った。彼女は、日本から送られてきた福島事故の映像を見て、「自分の原子力についての考え方が楽観的すぎたことを悟った」と告白した。
メルケル氏の考え方は、2011年6月9日に、連邦議会で行った演説にはっきり表れている。
「(前略)福島事故は、全世界にとって強烈な一撃でした。この事故は私個人にとっても、強い衝撃を与えました。大災害に襲われた福島第一原発で、人々が事態がさらに悪化するのを防ぐために、海水を注入して原子炉を冷却しようとしていると聞いて、私は“日本ほど技術水準が高い国も、原子力のリスクを安全に制御することはできない”ということを理解しました。
新しい知見を得たら、必要な対応を行うために新しい評価を行わなくてはなりません。私は、次のようなリスク評価を新たに行いました。原子力の残余のリスク(筆者注・一定の被害想定に基づいて、様々な安全措置、防護措置を講じても、完全になくすことができないリスク)は、人間に推定できる限り絶対に起こらないと確信を持てる場合のみ、受け入れることができます。
しかしその残余リスクが実際に原子炉事故につながった場合、被害は空間的・時間的に甚大かつ広範囲に及び、他の全てのエネルギー源のリスクを大幅に上回ります。私は福島事故の前には、原子力の残余のリスクを受け入れていました。
高い安全水準を持ったハイテク国家では、残余のリスクが現実の事故につながることはないと確信していたからです。しかし、今やその事故が現実に起こってしまいました。
確かに、日本で起きたような大地震や巨大津波は、ドイツでは絶対に起こらないでしょう。しかしそのことは、問題の核心ではありません。
福島事故が我々に突きつけている最も重要な問題は、リスクの想定と、事故の確率分析をどの程度信頼できるのかという点です。なぜならば、これらの分析は、我々政治家がドイツにとってどのエネルギー源が安全で、価格が高すぎず、環境に対する悪影響が少ないかを判断するための基礎となるからです。
私があえて強調したいことがあります。私は去年秋に発表した長期エネルギー戦略の中で、原子炉の稼働年数を延長させました。しかし私は今日、この連邦議会の議場ではっきりと申し上げます。福島事故は原子力についての私の態度を変えたのです。(後略)」
この演説は、物理学者・政治家メルケル氏にとって一種の「敗北宣言」だった。彼女は「以前の自分の考えは誤っていた」と、居並ぶ国会議員、そして国民の前ではっきり認めたのだ。ドイツ社会では、意見を大きく変えることは、好ましい評価を受けない。それまでの考えが浅かったことを、暴露することになるからだ。
したがって、一国の首相がこれほど率直に「自分の考えが誤っていた」と公言するのは、珍しい。通常は、様々な理由を挙げて、なぜ自分が別の考えを持っていたのかを正当化しようとするものだ。だが彼女は一時科学者として働いた人間らしく、弁解することはせず、己の知覚能力、想定能力に限界があったことを正直に告白したのである。
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