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中曽根元首相、「真実は墓場まで持っていく」発言は本当にあったのか ?
(news.yahoo.co.jp:2019年11/30(土) 15:23より抜粋・転載)
篠原修司 | ITジャーナリスト:
中曽根康弘元首相が亡くなられたことで、「『真実は墓場まで持っていく』の言葉どおり、日本航空123便墜落事故の真相を墓場まで持って行ってしまった」というような発言がSNSで多くあがっています。
これに対し「『墓場まで持っていく』は国鉄民営化についてであり、日本航空123便墜落事故説は誤りだ」と指摘する声もあがり、こちらも拡散されています。
中曽根さんが「墓場まで持って行く」と発言したのは、日航機の事ではなくて国鉄民営化の時に経営再建が目的ではなく、過激派、テロリストが多く存在する労働組合を壊す為に国鉄を民営化した事を雑誌で喋った時に、「この事は墓場まで持って行くはずだった」と発言した事であって間違えないで下さい。
5,739人がこの話題について話しています
一体何が本当なのか? 調べてみました。
◆「真実は墓場まで持っていく」をどこで発言したのか不明 !
先に結論だけ伝えておくと、「真実は墓場まで持っていく」をいつ、何に対して発言したのかはわかりませんでした。
なんだかトレンドブログの「調べてみたけどわかりませんでした〜」みたいですが、本当にわからなかったです。
以下、調べた結果を書いていきます。
◆「日本航空123便墜落事故」説は伝聞ばかり !
まず、日本航空123便墜落事故について話していたという説ですが、これは「語ったという」という伝聞ばかりで出典を書いてあるところは見つけられませんでした。
「公言した」と断定しているところもいくつかありましたが、いずれも「いつ、どこで」が欠けており、そこから出典を探すことはできませんでした。
また、2017年あたりからは陰謀論系のブログが増え、これ以降はもはや発言がすべて事実かのように語られてしまっており、真偽の判断に使えない状態です。
そもそも日本航空123便墜落事故が起きたのが1985年と昔のため、当時の話であればネット上では見つけづらいという大きな問題があります。
◆1996年12月30日号『AERA』でも言っていない
この「日本航空123便墜落事故」説を否定するものとして、1996年12月30日号『AERA』誌上で中曽根元首相が「労働組合を壊すために国鉄を民営化した」ことを喋り、これについて「墓場まで持って行くはずだった」と語ったという説も調べました。
1996年12月30日号『AERA』の中曽根元首相へのインタビュー記事。手元資料より
この説は『Wikipedia』にも書いてあり、これを根拠としている人も見受けられます。
1996年12月30日号『AERA』にはたしかに中曽根元首相へのインタビュー記事が掲載されていましたが、「真実は墓場まで持っていく」発言はありませんでした。
以下がインタビュー記事内での国鉄民営化に関する部分です。
例えば中曽根内閣の目玉は「行政改革」だったが、その中曽根行革を助けるために集まって来た事務次官たちの過半数がかつての戦争仲間、「海軍時代の同僚と後輩、旧内務省などで同じ釜の飯を食った連中だった」と言って、中曽根は笑った。
いわば大東亜の生き残り集団を結集して、あの中曽根行革=国鉄分割・民営化は断行されたのである。あの時、中曽根首相と橋本龍太郎運輸大臣は、膨大な国鉄赤字を解消するために国鉄を民営化するのだと国民に説明した。
けれども十年後の現在、国鉄清算事業団が抱える借金は二十八兆円と分割当時よりも増大している。国鉄分割の必要性は「赤字」「借金」だけではなかったと言わざるを得ない。
「国会で中曽根は、労働者を一人も路頭に迷わせないと答弁したが、彼らの本当のねらいは、日本労働運動史上最強の組合だといわれていた『国鉄労働組合』をぶっつぶすことだったんですよ」(国労闘争団全国連絡会議長・神宮義秋)
あの時代は、中曽根が「左にウィングをのばした」と豪語した時代だった。
「総評を崩壊させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやったわけです」
そう、左翼や戦闘的組合運動をつぶすことは、敗戦の時からの中曽根の悲願だった−−だから、四時間に及ぶインタビューの最後に、私は彼にこう尋ねた。
結局あなたは、大きな意味で、日本の「左」をつぶした男ですよね?
「そうですよ。私の標榜する新保守・自由主義ってのは、そういうものです。日本だけじゃない。ソ連邦崩壊も、レーガンと私がウィリアムズバーグ・サミットで反共包囲網を作ったことから始まっていったんですから。社会主義、社会民主主義と戦って来たんです、一貫して」
出典:1996年12月30日号『AERA』より
たしかに中曽根元首相は「総評(日本労働組合総評議会)を崩壊させようと思った」と民営化の本当の理由を語っていますが、このことを「墓場まで持っていく」と同誌上では言っていません。
ここでも「真実は墓場まで持っていく」発言を確認できませんでした。
◆ほかの新聞・雑誌でも「真実は墓場」発言なし
念のためほかの雑誌や新聞で喋っていないかどうか、過去30年以上にわたり新聞や雑誌など約150紙誌の記事を収録している有料のデータベースサービス『G-Search』でも調べました。
「中曽根 墓場」、「中曽根 墓」といったキーワードで検索しましたが、出てくるのは「ゆりかごから墓場まで」といった当時のイギリスの社会保障政策の話が多く、中曽根元首相が日航123便や民営化について「墓場まで持っていく」と語った記事は見つかりませんでした。
◆国会会議録にもなし
このほか国会会議録にも「真実は墓場まで持っていく」発言はありませんでした。
発言者を中曽根元首相に指定し、「墓場」、「墓」で探しましたが、「真実は墓場まで持っていく」は出てきません。
これは『国会会議録検索システム』から誰でも無料で調べられます。
◆「真実は墓場まで持っていく」どこで喋ったの?
筆者が調べた範囲では、「真実は墓場まで持っていく」発言がどこでされたのかはわかりませんでした。
残る可能性としては“テレビで発言した”のだと思いますが、「日本航空123便墜落事故の真実は墓場まで持って行く」とテレビで喋ったのであれば、大々的に報道されているのではないかと思います。
とくに朝日、読売、毎日、産経といった全国紙や、AERA、週刊朝日、サンデー毎日、週刊新潮などの一般誌の記事をデータベースで検索してひとつも引っかかってこないのは不思議です。
データベースには日航墜落機の機体保存運動や、遺族でつくる「8・12連絡会」が発表した「真実を求めて 事故原因の究明と再発防止への提言」などの記事もありましたが、これらにも「真実は墓場まで持っていく」といった類の発言は載っていません。
本当に中曽根元首相の「真実は墓場まで持っていく」発言はあったのでしょうか?
出典を知っている方は digimaganet@gmail.com まで情報いただけると助かります。調べてきます。
11月30日17時45分追記
石原慎太郎氏の書籍『国家なる幻影』に、中川一郎氏の自殺について「一国の総理というのは大概のことは承知しているものだが、しかし総理だからこそ、それは決して言えないんだよ」と答えているとの情報を頂きました。
また、そのほか同対談本かは不明ですが、10年前の石原慎太郎氏との対談に似たようなことが書かれていたという情報も頂きました。
石原慎太郎氏と中曽根元首相の対談本は複数出ているため、後ほど調べた結果を載せます。
◆ほかの総理との発言を混同?
ほかの人間の「真実は墓場まで持っていく」が混同されているのではないか? という指摘がありました。
以下、調べているうちに見つけた中曽根元首相や首相関係者に関する「墓場まで持っていく」発言集です。
毎日新聞(1988.05.20)・山中貞則党税調会長:
一連の会談の中身について山中氏が「だれにもしゃべらない。墓場まで持って行く」と周辺に漏らすように相当突っ込んだやりとりが行われたと見られているが、首相は牛肉・オレンジ問題の日米二国間決着の大切さを繰り返し説くと同時に、税制改革へ向けての取り組みでは政府与党一体の全力対応を要請したようだ。
AERA(1989.04.18)・桑田弘一郎 朝日新聞東京代表・専務:
最後の緒方・犬養会談では、その重大な法相進退についてどんな話が交わされたのだろうか。考えてみると記者として大事なことを随分と詰めてこなかった。そうしたいと思ってはいたのだが、いつのまにか関係者は真相を墓場へ持っていってしまうのだね。
中日新聞(1989.06.01)・竹下登首相:
20・44 首相、官邸発、私邸へ。私邸前で記者団から宇野氏の名前がだれの口から最初に出たかを聞かれた首相、むっとした表情で「それを言っては失礼になる。これは墓場まで持っていくことだ」
毎日新聞(1990.02.22)・加藤六月・政調会長:
党本部四階の会見場で、加藤政調会長は、グレーの背広姿、手をひざの上に乗せて神妙な表情。自ら「粉骨砕身し、身を粉にして頑張らねばと決意した。皆さんのご指導、ご鞭撻(べんたつ)を」と記者団にあいさつした。しかし、記者団からさっそく返ってきた質問は「リクルートのけじめ問題」。もともと表情の変わらない政調会長だが、息をのみ込むように背筋を伸ばして「ゼロから出発しなければならない」「道義的問題は墓場まで持って行かねばならない」とあらかじめ考えていたのか、一気に釈明の言葉を続けた。
毎日新聞(1991.10.23)・竹下登元首相:
また竹下氏も首相の不出馬表明後側近に「解散発言を聞いてあらゆることを想定したが、今言うべきではない。墓場まで持って行く」と語った。
AERA(1994.11.28)・石原信雄官房副長官:
−−「平成」という元号は、引き継ぎの時点ですでに決まっていたのですか?
その道の学者で、どなたとどなたに元号の案をお願いしているということをお聞きしただけです。だれにお願いしていたかは今に至るまで言えない。私が墓場に持って行く話です。
徳島新聞(1998.06.20)・後藤田元副総理:
政治学者らのインタビューに対する後藤田正晴元副総理の口述記録をまとめた「情と理―後藤田正晴回顧録」上下巻(講談社)が二十三日発刊される。後藤田氏は十九日、東京都内の事務所で「墓場まで持っていく情報は別にして、うそは書かれていない」と相変わらずの“後藤田節”で出版に至った経過を語った。
産経新聞(1998.08.09)・後藤田元副総理:
欧米の政治家はノーベル文学賞を受賞した英国のチャーチル元首相をはじめ、回顧録を書くために政治をするのではないかと思われるほど熱心に記録を残すが、日本の政治家は色紙を書くのは得意だが、回顧録はあまり書かないといわれる。
「墓場までもっていく。それが日本の常道じゃないの。最近は(元首相の)中曽根さんも回顧録を出されているが、それは日本のなかでは邪道かもしれんよ」
ところが、そういう後藤田氏のもとに友人である下河辺淳元国土庁事務次官からの紹介で、伊藤隆東大名誉教授、御厨貴都立大教授らがインタビューしたいと要請してきた。
しんぶん赤旗(2000.03.30)・CS放送朝日ニュースター不破委員長:
アメリカという国は、ずっとみてますと、少し後の記録でも、これは“何十年に日本政府と取り決めた話だからまちがいない”ということが、何十年たっても出てくるんです。そういう点では、秘密取り決めを岸さん(元首相)一人で腹におさめて“墓場まで”持っていっちゃおうとしても、そうは問屋が卸さないわけですね。これから、いまの真相に迫っていきますから。こうご期待です。
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