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ローマ教皇が天皇陛下に面会、握手交わす !
ローマ教皇、広島と長崎を訪問 !
(www.asahi.com:2019年11月25日11時31分より抜粋・転載)
約13億人の信者がいるローマ・カトリック教会のトップ、フランシスコ教皇が23日、来日しました。日本訪問は1981年以来、38年ぶり2回目。被爆地の広島と長崎などを訪れます。教皇のスピーチなど、タイムラインでお伝えします。
【特集】ローマ教皇
◆11月25日午前、天皇陛下と面会 !
天皇陛下は、25日午前、皇居・宮殿で、来日中のローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇と会見した。陛下がフランシスコ教皇と会うのは初めて。
フランシスコ教皇は午前11時ごろ、車で宮殿の南車寄せに到着。陛下が笑顔で出迎え、握手を交わした。
陛下は英国留学中の1984年9月にバチカン国を訪問した際、当時の教皇、ヨハネ・パウロ2世とは面会している。
◆教皇が記帳したメッセージ
広島平和記念公園を訪問したフランシスコ教皇が記帳したメッセージは次の通り。
◇
わたしは平和の巡礼者として、この地の歴史の中にあるあの悲惨な日に、傷と死を被ったすべての人との連帯をもって悼むために参りました。いのちの神が、(わたしたちの)心を、平和と、和解と、兄弟愛へと変えてくださるよう祈ります。 フランシスコ
2019年11月24日
19:33、「平和のための集い」が終了
広島市の平和記念公園で開かれた「平和のための集い」が終了。フランシスコ教皇が公園を出発した。
「集い」の中で、教皇の平和のメッセージが終わると、参列者は「ひろしま平和の歌」を合唱。教皇は、被爆者のもとに再度近寄って何度か頭を下げていた。
会場からの拍手や「パパ―!」と呼ぶ声に包まれる中、教皇は松井一実・広島市長や湯崎英彦知事らと言葉を交わして車に乗り込み、平和記念公園を後にした。
19:15、被爆地で平和のメッセージ
訪日中のフランシスコ教皇は広島市の平和記念公園で、「平和の集い」に出席した。教皇は「戦争のために原子力を使用することは、犯罪以外の何物でもない」と指摘した。
また、「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるか」と述べ、名指しは避けながら、核抑止力を唱える国々を批判した。
ローマ教皇が被爆地で平和のメッセージを出すのは、冷戦下の1981年に故ヨハネ・パウロ2世が訪問して以来、38年ぶり。
フランシスコ教皇は広島について「大勢の人の夢と希望が、一瞬の閃光(せんこう)と炎によって消された。人類に刻まれた記憶であり、私は平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じてきた」と語った。
教皇は演説で、「核の傘」の下にいながら平和について語る「偽善」を、強い言葉で非難した。「最新鋭で強力な武器をつくりながら、なぜ平和について話せるのだろうか。差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和を語れるだろうか」
戦争のために原子力を使用することを、「人類とその尊厳に反し、我々の未来のあらゆる可能性にも反する犯罪だ」と宣言。「次の世代の人々が『平和について話すだけで何も行動しなかった』として、我々の失態を裁くだろう」と警告した。
さらに、60年代に核の抑止力を否定し、軍備撤廃を唱えた教皇ヨハネ23世が出した回勅(公的書簡)を引用し「真理と正義をもって築かれない平和は、単なる『言葉』に過ぎない」とも語った。
その上で、フランシスコ教皇は人々に三つの行動を呼びかけた。これからの世代に「二度と繰り返しません」と言い続けるために「記憶すること」。
自分だけの利益を後回しにして、平和に向かって「ともに歩むこと」。そして、原爆と核実験、紛争の犠牲者の名の下に「戦争や兵器はもういらない」と叫び、平和を「守ること」。これらが「広島においてより一層強く、普遍的な意味を持つ」と強調した。
18:43、平和記念公園で被爆者一人ひとりと言葉交わす
フランシスコ教皇が広島市中区の平和記念公園に到着。さまざまな宗教団体の代表者や信徒、被爆者ら約2千人が参列した「平和のための集い」に臨んだ。教皇が広島を訪れるのは、1981年以来38年ぶり。
教皇は、招待された被爆者一人ひとりと言葉を交わし、手を握った。その後、原爆死没者慰霊碑に献花し、「高校生平和大使」の1人として国内外で核廃絶を訴えている広島大学付属高2年の松田小春さん(17)から渡された火をキャンドルにともした。
松田さんは事前の取材に、「次に教皇が日本を訪れる時、被爆者はほとんどいなくなっているかもしれない。被爆者の生の声を聞き、自分がどう感じたかを世界に発信してほしい」と期待していた。
その後、被爆者代表として梶本淑子さん(88)が登壇した。14歳の時、爆心地から約2・3キロで被爆したことや両親を亡くしたこと、被爆した友人が今も白血病やがんに苦しんでいることを証言。「平和を願う多くの人の力と亡くなった人の魂によって、核は必ず廃絶されることと確信しております」と訴えた。
17:30、教皇が広島空港に到着
長崎から広島へ向かったフランシスコ教皇が、飛行機で広島空港に到着した。
空港で出迎えたカトリック幟町教会(広島市中区)の神父、深堀升治さん(82)は取材に、「教皇の表情はにこやかで、お疲れの様子はなかった。広島から良い平和アピールを世界に発信していただきたい」と話していた。
15:15、教皇は広島へ
ローマ教皇が長崎でのミサを終え、次の訪問地の広島に向かった。
この日、教皇が長崎で訪れた三つの場所の周辺を中心に、あるものが消えた。
午前中、長崎市中心部では激しい雨が降った。しかし、3カ所の会場内では、警備上の理由から傘が差せない。そのため、コンビニやスーパーで軒並みカッパが売り切れた。
西坂公園に近いローソン長崎駅前通店や西友長崎駅店では、23日夜からレインコートが売れ始め、午前中には完売したという。ファミリーマートJR長崎駅店ではレインコートが完売した23日夜、急きょ、ほかの店舗からポンチョをかき集め、段ボールに入れたまま入り口付近に置いた。
爆心地公園に近いファミリーマート長崎松山店の店長の女性は、この事態を「見越していた」。24日の雨の予報が出ていると知った2日前、レインコートのLとMの両サイズを180着ずつ追加で発注した。
ただ、少し売れ残った。教皇がミサを開く県営野球場に移動する前に、雨がやんで晴れだしたからだ。
在庫を抱えることになったが、店長は「長崎にとって特別な日だから、晴れますようになってお店のみんなで祈ってたんです。雨がやんで、本当によかった」。
15:10、教皇専用のオープンカー「パパモービレ」
長崎県営野球場でのミサでフランシスコ教皇が乗っていたオープンカーは、トヨタの燃料電池車「MIRAI(ミライ)」をベースに作られた教皇専用車だった。環境問題を重視する教皇の意向に沿って製作されたという。25日の東京ドームのミサでも使われる予定だ。
教皇は大規模ミサの際、「パパモービレ」と呼ばれる教皇専用車で会場を回る。MIRAIは燃料の水素を空気中の酸素と反応させて生み出す電気でモーターを回して走り、二酸化炭素や排ガスを出さない。
14:00、ミサに3万人参列
長崎県営野球場ではミサがあり、約3万人が参列した。フランシスコ教皇は「長崎はその魂に、癒やしがたい傷を負っています。その傷は、多くの罪なき者の、筆舌に尽くしがたい苦しみによるしるしです」、「今ここで、一つの祈りとして、私たちも声を上げましょう」などと述べた。
フランシスコ教皇は「パパモービレ」と呼ばれるオープンカーに乗ってグラウンドに登場し、アリーナ席を周回。参列した信徒に笑顔で手を振って応えた。
会場への入場は朝から始まり、長蛇の列ができた。雷もなる大雨の中、参列者はカッパを着て待ったが、昼前に日が差し、正午すぎには快晴となった。
10:45、西坂の丘でスピーチ
フランシスコ教皇は長崎市の西坂の丘で演説した。1597年に豊臣秀吉のキリシタン弾圧で宣教師や信者ら26人が処刑された場所とされ、歴史を伝える「日本二十六聖人記念館」がある。81年には当時の教皇、ヨハネ・パウロ2世も訪れ、メッセージを発した。
教皇の出身修道会イエズス会とのゆかりが深く、館内には「聖フランシスコ・ザビエル自筆書簡」もある。1862年、当時の教皇によって、殉教した26人が「聖人」とされた。100年後の1962年、26人の等身大の記念碑と記念館が建てられた。
先祖が長崎の五島列島で殉教したという長崎市の外輪保良さん(77)は、娘と孫とともに献花用の花輪を教皇に手渡した。教皇の入場時と退場時の2度握手。「温かく、とても柔らかい手でした」と話した。
10:15、高校生平和大使、教皇の言葉に勇気づけられた
鎮西学院高2年の内山洸士郎さん(16)は爆心地公園で、フランシス教皇がキャンドルにともすための火を、「平和な世界に向けた第一歩になるように」という願いを込めて手渡した。
核廃絶の署名集めなどの活動をする高校生平和大使の一員。今年6月、バチカンで教皇に謁見した。
この日、教皇と言葉は交わさなかったが、その真剣な表情は「平和な世界の実現に向け、決意を新たにしたように見えた」という。演説の「平和の実現はあらゆる人の責務」という言葉に勇気づけられた。「署名を集め、平和を訴えていくことは自分の責務だと思えた。これから大変なことがあっても、この言葉を思い出して頑張りたい」
10:15、教皇が核廃絶のメッセージ
長崎市の爆心地公園にフランシスコ教皇が到着し、「核兵器についてのメッセージ」を表明した。「核兵器は世界や国家の安全を脅かすことから、私たちを守ってくれるものではない」などと述べ、政治指導者に向け、核廃絶を訴えた。
式典には被爆者や信徒ら約千人が参列。会場には、原爆で破壊された長崎市の浦上天主堂で見つかり、米国で保管され、今年8月、74年ぶりに浦上天主堂に返還された「被爆十字架」が飾られた。教皇の傍らには「焼き場に立つ少年」の写真も飾られた。
公園は、1945年8月9日に、米国が長崎に投下した原爆が、上空500メートルで炸裂した場所で、原爆落下中心地碑が立つ。
長崎原爆の語り部を長年続ける被爆者の下平作江さんは、献花用の花をフランシスコ法王に手渡した。式典後、「この爆心地を踏みしめることで、亡くなった人の思いを感じてくれたと思う。教皇のメッセージは核廃絶の大きな力になる」と話した。
24日9:20、ローマ教皇、長崎空港に到着
ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が、長崎空港(長崎県大村市)に到着した。長崎はカトリック信者約6万人の信者を擁する、信仰の盛んな地。雨が降り、時折、雷もなるなか、歩道に100メートル以上の列をつくり、カッパを着た人たちが、日の丸、アルゼンチン、バチカンの小旗を振って教皇を出迎えた。
大村市の信徒、川端啓子さん(76)は「感激しました。笑顔が何とも言えません。これからミサに行きます」と話した。
23日17時45分ごろ、ローマ教皇が日本に到着
約13億人の信者がいるローマ・カトリック教会のトップ、フランシスコ教皇(82)が23日夕、東京・羽田空港に到着した。ローマ教皇の日本訪問は、故ヨハネ・パウロ2世が、1981年に来日して以来、38年ぶり2回目。
フランシスコ教皇は、26日までの滞在中、被爆地の広島と長崎を訪れ、核廃絶に向けたメッセージを発表する。25日には東日本大震災の被災者と対面。天皇・皇后両陛下と面会し、同日夕には安倍晋三首相とも会談する。
教皇は23日夕、前の訪問地のタイから、教皇特別機で東京・羽田空港に到着し、日本政府関係者やカトリック教会関係者から歓迎を受けた。
フランシスコ教皇は、核兵器の使用と所有を一切認めない核廃絶を訴えており、今回の訪日には、被爆地の日本から「核無き世界」を全世界にアピールする狙いがある。
日本政府は、2014年に安倍首相がバチカン(ローマ教皇庁)を訪問した際に、来日を要請。昨年には広島、長崎の両市長が連名で、訪日を要望する親書を送っていた。
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