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  加山雄三氏:軽い脳梗塞で公演延期を発表 !「しばらく時間をください」
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/12969.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2019 年 11 月 14 日 17:51:56: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


 加山雄三氏:軽い脳梗塞で公演延期を発表 !

    今のところ病状による症状なしも「しばらく時間をください」

(headlines.yahoo.co.jp:2019年11/12(火) 15:08より抜粋・転載)

スポニチアネックス:加山雄三 軽い脳梗塞で公演延期を発表 今のところ病状による症状なしも「しばらく時間をください」

 歌手の加山雄三(82)が軽い脳梗塞を発症し、16日に開催予定だったコンサートを延期すると12日、所属のドリーミュージックと日本コロムビアが発表した。

 公式サイトでも公演延期を発表。加山は、8日午後7時頃、自宅にて体の不調を訴え、病院で検査したところ、右の脳に軽い脳梗塞を発症していることが分かったといい、「現在点滴加療を目的に入院をし快復に向かっておりますが、大事を取って、11月に予定しておりました11/16(土)大宮ソニックシティと11/28(木)札幌文化芸術劇場hitaruでのコンサート公演を以下の日時に延期とさせていただきます。12/14(土)Bunkamuraオーチャードホールでのコンサート公演は予定どおり行います」と説明した。

 公式サイトでは「コンサート公演を楽しみにしていただいていた皆さまには大変なご迷惑とご心配をおかけ致します事を心よりお詫び申し上げます」と謝罪しつつ、「改めて万全な状態で皆様に歌と元気をお届け出来ます様、加山雄三、スタッフ一同準備をしてまいりますので、何卒ご理解ご了承の程お願い申し上げます」としている。

 加山自身も「皆さん、ご心配をおかけしてます。今のところ病気による症状は何もなく、自分としてはいたって元気にしていますが、自宅で気づいた時、ただちに病院へ向かった行動が大きな救いだったように思います。

自分のような年齢で同じような経験をしている方がたくさんいると思いますが、早期に発見することがいかに大事かを、より多くの人が知ってもらえる機会になれれば幸いです。いち早く回復してみなさんの前に元気な姿をお見せできますよう治療して参りたいと思います。しばらく時間をくださいね」とコメントを寄せている。

 大宮ソニックシティでの公演は2020年1月15日に、札幌文化芸術劇場 hitaruでの公演は2020年3月24日にそれぞれ振り替えられる。

(参考資料)

○加山雄三「年齢考えないでバカですね」

筋トレで骨折も…元気にツアー開始

(sp.mainichi.jp:2019年6月7日 05:30より抜粋・転載)

腰の骨を骨折しているにもかかわらず元気で若々しいステージを繰り広げる加山雄三

Photo By 提供写真

 歌手の加山雄三(82)が6日、全国ツアーを地元の神奈川・茅ケ崎市民文化会館でスタートさせた。5月中旬、自宅で筋トレ中に腰を骨折したことを告白。バーベルの重さを85キロから65キロに換えようとプレートを外す際に腰に痛みを感じ、診察を受けた結果、腰椎椎体骨折と診断された。

 「年齢を考えないでバカですね。80超えてバーベルで筋トレやってどうする、と周りに言われた」と回想。それでも自分の足でしっかり立って「君といつまでも」など32曲を歌った。

○加山雄三氏、82歳誕生日にフェス完走、 健康の秘けつ明かす !

(www.sponichi.co.jp:2019年4月12日 06:27より抜粋・転載)

「若大将フェスティバル2019〜君にありがとう〜」に出演した「スチャダラパー」

Bose(左)と加山雄三

 歌手の加山雄三(82)が11日、東京国際フォーラムでコンサート「若大将フェスティバル2019〜君にありがとう〜」を行った。

 前日10日と合わせて計1万人を動員。さだまさし(67)、森山良子(71)らも出演し観客を沸かせた。この日は加山の誕生日。健康の秘けつを問われ「筋トレもしますし、ひじきを食べています」と明かした。また昨年4月に愛船の光進丸が炎上したことを挙げ「楽しい時間をくれましたね」としみじみ思いをはせていた。

○加山雄三のプロフィールとは  ?

(ウィキペディアより抜粋・転載)

加山雄三(かやま ゆうぞう、1937年4月11日生まれ。82歳)は、日本の俳優、シンガーソングライター、タレント、ギタリスト、ウクレレ奏者、ピアニスト、画家。本名は池端 直亮(いけはた なおあき)[1]。ニックネームは若大将。作曲家としてのペンネームは弾 厚作(だん こうさく)。

血液型A型。

◆経歴

父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子[2](池端具子)。妹は池端亮子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視[2]である。

神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた[2]。幼少期に大腸カタルを患い病弱だったため、子煩悩な父・上原謙は息子のために、自然環境の良い神奈川県茅ヶ崎へ引っ越した。加山が覚えているのは、この茅ヶ崎の家からである[2]。海と茅ヶ崎駅の中間辺りにあって平屋の日本家屋だった[2]。お手伝いさんは必ず2人はいた[2]。茅ヶ崎市の実家には31歳で結婚するまで過ごした。

茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校、茅ヶ崎市立第一中学校、慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部政治学科へ進み卒業後の1960年春に東宝へ入社。同年『男対男』で映画デビュー。当時、同じく有楽町にあった渡辺プロにも一時期在籍。

1961年、「夜の太陽」で歌手デビュー。NHK『NHK紅白歌合戦』出場17回。代表曲多数。後のフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在であり、また日本ではじめて多重録音を手がけた歌手でもある。

ソングライターとしてのペンネームは、加山が尊敬している團伊玖磨と山田耕筰を足して2で割った弾厚作(だんこうさく=ドン・コサック)であり、同名義で作曲(稀に作詞もある)している、日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のテーマソングである「サライ」・「勇気のカタチ 〜私を変えてくれたあなたへ〜」は谷村新司が作詞し、加山が作曲したものである。

1964年6月10日、日刊スポーツに『波乗り日本第一号 加山雄三 サーフボード作る』と載る。

1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売された「君といつまでも」は350万枚の大ヒットになり、1966年の第8回日本レコード大賞の大本命とされていたが、結局大賞は同曲に比べ売り上げ面で劣る橋幸夫の「霧氷」が受賞することとなり、「君といつまでも」は特別賞に留まる。

俳優としてはそれまでの宝田明に代わって東宝の若手看板スターとして大活躍、娯楽映画の『若大将シリーズ』が大ヒットし代表作となるが、一方で黒澤明、成瀬巳喜男、岡本喜八といった名匠の作品にも多く出演している。ブロマイドは女学生を中心に爆発的な売れ行きを記録した。

1965年、神奈川県茅ヶ崎市にパシフィックホテル茅ヶ崎を開業[3]。1967年に運営会社「日本観興開発(後に株式会社パシフィック・ジャパンに改称)」取締役に就任。しかし、パシフィック・ジャパンは1970年3月に23億円の負債を抱え倒産、ホテルは18億円で売却され、監査役だった加山は、父の上原と共に巨額の債務を抱えた。

加えて、女優松本めぐみとの結婚が世間を騒がせ、1969年の『フレッシュマン若大将』以降低迷した同シリーズが1971年に終了、映画出演の減少もあいまって、かつてない不遇の時代を迎える。ナイトクラブ、キャバレー回りをするも、ギャラはほぼ全額借金の返済に充てられ質素な生活へと追い込まれるが、10年で完済した。

その後、活動の主軸をテレビに移し『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(NET→テレビ朝日系)を始めとするバラエティ番組、『江戸の旋風』『大追跡』『ぼくの妹に』などのテレビドラマやドラマの挿入歌である「ぼくの妹に」のヒットで徐々に息を吹き返す。加えて「理想の父親」と呼ばれるほど世間からの好感が高く、ヤマザキナビスコのクラッカー「プレミアム」で家族全員でCM出演をする程、「理想の家族」としても認知度が高い。

1986年 - 1988年に『NHK紅白歌合戦』で白組司会を3年連続で務めた。1986年、『第37回NHK紅白歌合戦』の司会では、白組トップである少年隊の「仮面舞踏会」を、誤って「仮面ライダー」と紹介してしまったこともある。

1991年12月28日、新潟県南魚沼郡湯沢町に加山キャプテンコーストスキー場を開業。2010年 - 2011年シーズンまで営業したが、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響や若者のスキー離れなどによる経営資金調達困難などが影響し、2011年7月に閉鎖を決めた[4]。

1993年にギターのロールス・ロイスと呼ばれるアメリカのMosrite(モズライト)社よりマリンブルーと『若大将シリーズ』で皆の憧れの的だった白の2色にファズを搭載した加山雄三モデルギターが発売された。

1994年、ザ・ワイルドワンズの島英二に声をかけられて、仲間内で久しぶりにエレキを弾いてベンチャーズごっこをやっていたところ、事務所の社長の鶴の一声がきっかけで「加山雄三&ハイパーランチャーズ」を結成。

1997年4月23日、加山の60歳の誕生日を記念したトリビュートアルバム『60 CANDLES』が発売。レコード会社の垣根を越えた様々なアーティストが参加した。

1998年3月21日、静岡県賀茂郡西伊豆町堂ヶ島に「加山雄三ミュージアム」開館。3代目「光進丸」が同町の安良里(あらり)漁港に係留されていた縁による。

2000年、Mosrite社よりパールブルーの加山雄三・芸能生活40周年記念モデルギターがハイパーランチャーズの「ハイパー」に語呂を合わせた818,000円で限定40本で発売され、即完売した。

このモデルは前回のモデルと同様にファズが搭載されており、ヘッドがイニシャルのKにカットされ、指板にはLEDが組み込まれ、スイッチで光るようになっている。なお、アウトプット・ジャックは本体裏にあるなど、オリジナリティ溢れるものになっている。

2005年4月10日には新高輪プリンスホテルにて、「芸能生活45周年を祝う会」という盛大なパーティが開かれた。関連してヤマハより芸能生活45周年記念モデルギター「SG3KY」が限定45本で発売され、ハワイのセニーザ社(CENIZA)より、加山雄三・芸能生活45周年記念モデルのウクレレが、限定45本で発売された。

2006年3月3日・4日、東京文化会館の45周年と加山雄三の芸能生活45周年を祝うガラ・コンサート(祝典)が大ホールで行われた。同ホールは、クラシック音楽の殿堂・オペラの聖地として名高く、ポピュラー音楽が鳴ることはかつて無かったが、ポップス・シンガーとして初めてステージに上ったのが加山である。

「加山雄三With大友直人 シンフォニック・ガラ・コンサート」で、千住明をはじめとする5人の編曲家によって加山サウンドをクラシックに蘇らせた。プロデューサーで構成・演出をしたのは 加山雄三の還暦の祝いに日本初のトリビュートアルバムをプロデュースした木ア徹。彼は東京文化会館の音楽監督である大友直人の古くからの友人であったために革命的なコンサートが実現した。この模様はDVDになりリリースされている。

2006年8月26日、加山と同じく湘南というイメージや、茅ヶ崎出身の有名人として名の挙がるサザンオールスターズの桑田佳祐の呼びかけにより、『THE 夢人島 Fes.2006』に参加。桑田がバックバンドを務めた。また、茅ヶ崎ライブでの友情出演VTRにて、「茅ヶ崎ブラザーズの兄として…」と桑田との関係をお茶目に語っている。

2007年4月29日、神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎駅北口のペデストリアンデッキに加山雄三の手形モニュメント(加山本人の手形および「海・その愛」という直筆の言葉が彫られたレリーフ)が設置され、服部信明茅ヶ崎市市長を始め、茅ヶ崎市関係者および市民が参列し、除幕式が盛大に執り行われた。

2010年5月19日、神奈川県茅ヶ崎市が加山雄三芸能生活50周年を祝い、加山に茅ヶ崎市民栄誉賞を贈呈することを発表した[5]。

2011年、第61回芸術選奨 文部科学大臣賞大衆芸能部門受賞[6]。

2013年に行われた仙台の野外ロックフェス「ARABAKI ROCK ROCK FEST.2013」に出演したことをきっかけに、2014年にロックバンドTHE King ALL STARSを結成した。

メンバーは加山の他に、キヨサク(上江洌清作)(MONGOL800)、佐藤タイジ(シアターブルック)、名越由貴夫(Co/SS/gZ)、古市コータロー(THE COLLECTORS)、ウエノコウジ(the HIATUS)、武藤昭平(勝手にしやがれ)、高野勲、山本健太、タブゾンビ(SOIL&"PIMP"SESSIONS)、スチャダラパー。

2014年7月 - 8月、77歳を記念しての大型イベント「若大将EXPO 〜夢に向かって いま〜」が東京で開催。若大将シリーズ等の映画上映やテレビ番組『若大将のゆうゆう散歩』で描いた絵画の展示イベント「心に残る1枚の風景画展」等が行われたほか、最終日となった8月23日には日本武道館にてコンサートが行われた。

2014年9月27日より、加山自身の最後の全国コンサートツアーとして、全国47都道府県53か所にて「若大将EXPO 〜夢に向かって いま〜」[7]を開催。2015年7月25日の東京・NHKホールで最終公演を迎え、加山は「歌をやめるわけじゃない。

歌は生涯の親友。死ぬまで歌うけど、コンサートツアーには節目をつける」として、全国ツアーからは身を引くことを明らかにした。主な理由として「ほかのことをやりたいから。一つの夢として80歳になるまでに設計している船を完成させたい」[8]とし、かねてから公言している、自身の設計した災害救助船となるエコシップの建造を本格的に進めることも明かしている[8][9][10]。

2014年秋の叙勲で旭日小綬章を受章[11]。現在は神棚に保管されている[12]。また、同時期に同郷で親交のある桑田佳祐も紫綬褒章を受賞しており、お互いの栄誉を褒め合ったという[13]。

2017年6月、第8回岩谷時子賞を受賞[14]。 2019年11月12日、軽い脳梗塞を起こし、11月のコンサートを延期することを発表した。

 

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