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韓国も「ホワイト国」から日本を除外 !
輸出規制、来月にも ! 事実上の対抗措置 !
戦前の徴用工・慰安婦の深層・真相は ?
(www.huffingtonpost.jp:2019年08月12日19時01分より抜粋・転載)
9月の施行までに、日本政府から協議の申し入れなど、歩み寄る様子があった場合、「韓国政府は、いつでもどこでも応じる用意ができている」と対話を受け入れる選択肢も捨ててはいない。
中村 かさね (Kasane Nakamura):ソン・ユンモ産業通商資源相(2019年7月)
◆「ホワイト国」から、日本を除外する、 9 月にも実施される見通し !
韓国政府は、8月12日、韓国側の輸出管理で、優遇対象となる「ホワイト国」から、日本を除外する方針を発表した。日本政府が、8月2日に、韓国を、「ホワイト国」から除外する、決定をしたことへの、対抗措置とみられ、9月にも実施される見通しという。
韓国のメディアなどによると、ソン・ユンモ産業通商資源相が記者会見し、日本をホワイト国から除外する内容を盛り込んだ政令の改正案を発表した。
日本やアメリカなど29カ国ある韓国の輸出管理における「ホワイト国」を「グループ1」と「グループ2」に分け、日本を「旧ホワイト国(グループ1)」から除外し、新設した「グループ2」に分類するとしている。
◆韓国への日本の措置に対して、 事実上の報復措置だ !
先端技術に使用される、戦略物資などが対象で、日本に輸出する際に、必要な審査の基準が厳しくなる。
今回の輸出規制について、ソン産業通商資源相は、「戦略物資の輸出管理は、国際的な輸出管理体制の基本原則から、外れた制度運営をしたり、不適切な運用が、継続的に行われている国とは、緊密な協力関係を築くのが難しい」と理由を説明した。
日本が2日に行った、韓国への輸出規制に対する、事実上の報復措置だとの考えを示した。
一方、9月の施行までに日本政府から協議の申し入れなど歩み寄る様子があった場合、「韓国政府はいつでもどこでも応じる用意ができている」と対話を受け入れる選択肢も捨ててはいない。
◆これまでの経緯は ?
韓国も「ホワイト国」から日本を除外。これまでの経緯をおさらいする。
これまでの経緯を簡単におさらいする。
8月2日に日本が韓国を「ホワイト国」から除外することを閣議決定すると、韓国側は猛反発し、民間レベルでも日本製品の不買運動が拡大。
6日には、日本人に人気があるソウル市内の観光地に、日本製品の不買運動と日本への旅行中止を呼びかける「NO JAPAN」と書かれたバナーが一時的に掲げられた。
日本のアニメ映画「ドラえもんのび太の月面探査記」の公開が事実上、無期限延期となったり、2020年に開かれる、東京オリンピック・パラリンピックのボイコット論も、飛び出したりするなど、スポーツや文化交流にまで影響を及ぼしている。
(参考資料)
T 日本統治時代の朝鮮人徴用とは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
◆朝鮮人徴用:
日本統治時代の朝鮮人徴用(にほんとうちじだいのちょうせんじんちょうよう)は、第二次世界大戦中の日本統治時代の朝鮮において日本が朝鮮人労務者を1944年9月[1]から労務動員したこと。「強制連行」と表記されることもあるが、朝鮮人が日本国籍を持っていた「朝鮮系日本人」だった当時、戦時中の朝鮮人に対する動員(労務動員)や徴用を「強制連行」と表現することの妥当性については議論がある[2][3][4][5]。
戦中の労務動員について朝鮮人労働者移入ともいわれる[6]。戦後、戦時の朝鮮人徴用は歴史認識問題・歴史教科書問題、戦後補償問題として取り上げられてきた[7]。
◆概念・定義:
「強制連行#概念・定義」および「在日韓国・朝鮮人#徴用・強制連行と渡航」も参照
日本が動員・徴用、または斡旋した際に、集め方が強制的であったとして「強制連行」と呼ばれ始めたとされている[8][7]。
しかし、この「強制連行」という言葉には疑義が出されており、在日朝鮮人運動史研究家の金英達は、「定義が確立しておらず、ひとによってまちまちな受け止め方がなされている」「もともと、強制連行とは、『強制的に連行された』という記述的な用語である。そして、強制や連行は、実質概念であり、程度概念である。
その実質や程度について共通理解が確立されないまま、強制連行という言葉だけがひとり歩きして、あたかも特定の時代の特定の歴史現象をさししめす歴史用語であるかのように受けとめられていることに混乱の原因がある」と指摘している[2]。
◆戦時動員・労務動員との関連
金英達は、日本語の文脈で「強制連行」と記述する場合、ほとんどの場合は国家総動員法を制定した戦時体制下の大日本帝国政府が朝鮮半島で行った労務動員を指して使われる言葉となっていると指摘している[9]:32[3]:61。
金は、戦時中の朝鮮人の強制動員については「戦時動員」を使い、そのなかの具体的な暴力的なケースを「強制連行」とすることを提案している[2]。
また、鄭大均も朝鮮人の労務動員を「強制連行」と呼ぶのは、「日本人の加害者性や朝鮮人の被害者性を誇張しすぎている」として、当時の朝鮮人は大日本帝国の国民であり、日本人男性が戦場に送られていたのを代替するものとして朝鮮人の労務動員があったとしている[10]。
これらのほか、山田昭次立教大学名誉教授は1980年代には「朝鮮人強制連行」と論文で記していたが[11]、2005年の共著『朝鮮人戦時労働動員』(岩波書店)で「朝鮮人戦時労働動員」と呼ぶこととした[12]。
ただし、これは「強制連行」という言葉が攻撃されたからではなく、強制連行というと強制労働、民族差別の問題に目を向けなくなる恐れがあるためと述べている[13]。
山田は「戦時動員」には労働動員と軍事動員の二つがあり、同書ではこのうち軍事動員を除外した労働動員、それも日本内地に限定しこれを「朝鮮人戦時労働動員」と呼び、「強制連行・強制労働・民族差別」の三つの問題点を含めるとした[12][13]。
U 美輪明宏氏の話:日本人慰安婦の話と、美輪明宏氏の主張:
元日本軍慰安婦に関する正確な知識 !
(kajipon.sakura.ne.jp:2015.1.14より抜粋・転載*
【日本人慰安婦の話〜橋下“維新の会”は聞け !美輪明宏】
(2013年6月のライブドアニュースより)
◆韓国と中国の従軍慰安婦だけでなく、日本人の
従軍慰安婦の人たちもいた !
これでいろんなメディアが昔を語るという、終戦記念日に近くなると、よく昔の焼け跡だとか兵隊さんの話とか色々なものを聞いて、爆撃でやられた話とか、そういった人たちを取材した話ができますでしょう。でも従軍慰安婦の人たちというのは、直の話を聞けないんですよね。
そして、聞けるのは、大体、韓国と中国の従軍慰安婦の人ばかりが取り上げられますけれども、日本人の従軍慰安婦の人たちもいたんですよ。いっぱいいたんです。
でもそういった人たちは何故取り上げないのかといったら、その人たちが、もう酷い目に遭ったんですね。まず、私が何故そんなことを知っているかと言いますと、終戦後にその人たちが満州、つまり今の中国から引き揚げてきたんですね。
引き揚げてきて、私、長崎でございましょう、長崎には、丸山遊郭という有名な、女郎さん遊女たちがいて売春する、そういう街があったんですね。
坂本龍馬なども遊んでいたような有名な所ですね、日本の3大遊郭という。
◆貧しい農家の娘さんとか、貧しい家の子供たちが、
家族の生活維持のために、身を売っていた !
貧しい農家の娘さんとか、貧しい家の子供たちが、自分が売られていけば、お父さんもお母さんも弟たちも飢え死にしないで済むからといって、女衒(ぜげん)と言われる、人買いの人に話をしてもらって、遊郭に身を売られて、身を売っていったんですね。
一家の犠牲になっている貧しいお嬢さんたちが多かったんです。
閉鎖されて行き場が無くなった時に、軍の出先機関で大政翼賛会(たいせいよくさんかい)という組織があったんです。
そこの人に声をかけられて、満州に良い仕事があるぞ。カフェとか遊郭があるから、そっちへ行って稼げばいいということで、そして喜んでそちらへ行ってみたらなんと、話が違って従軍慰安婦だったというんですね。
◆従軍慰安婦は、表には兵隊たちが木札をもって
ズラリと並んで、それを一人ひとり相手をしていた !
従軍慰安婦というのは、街ならその街にずっと居着いて遊郭にいて、そして男の人たちの相手をするというだけではなくて、従軍慰安婦の人たちは「従軍」と言いますでしょう、軍に従うと書いてあって第一線を付いて周るんですね。
そして筵(むしろ)みたいなものを敷いて、筵みたいなものを立てて、コーリャンという麦よりももっと不味い穀物で作った、真っ黒いおにぎりですけれど、私も長崎で食べたことがありますけれど、食べられた物じゃないです。
それを枕元に置いて食べながら、表には兵隊たちが木札をもってズラリと並んで、それを一人ひとり相手をして。
そして、鉄砲の練習をさせられて、敵が来たら身を守るためといって銃の練習をさせられて、敵が押し寄せてきますでしょう、馬賊(ばぞく)とか匪賊(ひぞく)とか。
そうすると兵隊と一緒に戦うんですって。
◆従軍慰安婦は、死んだら、埋めてももらえない、焼いてももらえない、
野ざらし雨ざらしで、 山犬の食い荒らすままになっていた !
戦って、流れ弾に当たって死んだら、今度は、日本婦人がそういうことをしていたというと恥になるからといって、モンペやなにかを脱がされて支那(しな)服に着替えさせられて、そして放り出されるんですって。
そして、埋めてももらえない、焼いてももらえない、野ざらし雨ざらし。山犬の食い荒らすままになっていて。
そして終戦後引き揚げてくるときに、まず軍人の将校たちと家族がトラックに乗って逃げて、自分たちは置いてきぼりになったんですって。
他の移民団、開拓団の人たちと一緒になって、命からがら引き揚げてきて村に帰ったら、村の恥さらしとか面汚しとか言われて。
そして家へ帰ったら、自分はお父さんお母さん、一家のために売られて行ったのに、
「お前のやっていたことが世間様に知られたら、家の恥になる、出て行ってくれ。」と。
もうそれはどこに恨みを持っていったらいいのか、それは、悲憤慷慨(ひふんこうがい)ですね。
それを行き場所が無いから、自分が従軍慰安婦だったというのを隠しているんですよ。
だから日本人の従軍慰安婦は一人も出てきませんでしょう。そういう事情があるんですね。
◆女郎屋さんが再開して、進駐軍の米国人
・兵隊たち相手に遊郭が復活した !
◆もっと人間には、尊厳があるということを、
維新の会の人たちは、もっと知るべきだ !
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