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外から見れば、幸福に見えても、人は、さまざまな苦しみに直面する !
「照見五蘊皆空」等の意味とは ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2019/05/31より抜粋・転載)
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1)仏教では、人生の苦しみを、四苦八苦という !
生老病死、そして、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、
五蘊盛苦(ごうんじょうく)、これを仏教で、四苦八苦という。
生老病死とは、生きること、老いること、病気になること、死ぬことが、四苦である。
愛する者と別離すること、怨み憎んでいる者に会うこと、求める物が得られないこと、肉体と精神が思うがままにならないこと、を合わせて、八苦という。毎日さまざまなことが起こる。
2)外から見れば、幸福に見えても、
人は、さまざまな苦しみに直面する !
外から見れば、幸福に見えても、人は、さまざまな苦しみに直面する。
何の罪もないのに、理不尽で不条理な苦しみに、直面することもある。
こうした苦しみが、どこから生まれてくるのか。
根源にあるのは、私たちがすべからく、感情を持つ生きものであり、同時に、私たちが、社会的な存在であることだ。人は感情を持ち、人は社会との関わりのなかで生きる。
3)人は感情を持ち、人は社会との関わり
の中で生きるから、四苦八苦がある !
このことによって喜びや楽しみも得られるが、怒りや悲しみ、苦しみも生まれるのである。
生きものは必ず死を迎える。このことを避けることはできない。
古来、死を免れる方法が探求されてきたが、これに成功した者はいない。
生きものは、死を免れることができないのである。その死は、恐怖である。
病に対する恐怖は死に対する恐怖の同一線上に生じるものだ。
これらの苦しみから逃れる方法はあるのか。
4)この世の真理を知る事によって、
一切の苦厄を、取り除く事ができる !
仏教の基本経典である、般若心経に、苦しみを取り除く法が、記述されている。
照見五蘊皆空 度一切苦厄、能除一切苦、色即是空 空即是色
この世の真理を知ることによって、一切の苦厄を、取り除くことができる。
現実は空(くう)であるが、空が、また現実でもある。
連日のように、痛ましいことがらが伝えられる。
しかし、そのような出来事を伝えることに、何の意味があるのか。
さまざまな出来事を、ビジネスの素材としてしか、取り扱わない人々の存在が、浮かび上がる。
人は、いつか死を迎える存在であること、人は感情を持つ生きものであること、人は社会との関わりのなかで生きる存在であること、このことから、多くの苦しみが、生まれている。
5)苦しみ、悲しみ、怒りを取り除き、喜び、
楽しみに溢れる社会を創り出す事が、国民の願いだ !
苦しみ、悲しみ、怒りを取り除き、喜び、楽しみに溢れる社会を創り出すことこそ、私たちが求める方向である。苦しみを和らげ、悲しみを和らげ、怒りを和らげる力を持つもの。それは愛である。
他者に対する無償の愛がすべてを和らげる原動力になる。
「友愛の原点は愛である、愛の原点は利他である」の言葉を私たちは心に刻まなければならない。
日々の出来事を追い回しても得るものは何もない。
―この続きは次回投稿します―
(参考資料)
○照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)
般若心経の15文字目
(sutra.lightswitch.jpより抜粋・転載)
ここでは、15文字目からの文を解説します。
照見(しょうけん):照見は「分かった」「了解した」という意味です。
ここでは、観自在菩薩が「理解した」「見極めた」という意味になります。
五蘊(ごうん):蘊は集まりという意味です。
五蘊は、「人間の心身を構成している五つの要素」という意味です。
五蘊は、色・受・想・行・識の5つです。色だけが実体・肉体を表し、その他4つは思い・感情です。
用語 読み 意味
色 しき 我々をとりまく形のある世界。受 じゅ 感受する
想 そう そのものが何であるかを見極める。行 ぎょう 心がある方向にはたらく
識 しき 自らの状態を知る。皆(かい):皆は「すべて」という意味です。
空(くう):空は、サンスクリット語で、シューニャという言葉の訳語です。
空虚、空っぽ、空間とは意味が異なります。空の意味は難しいのですが...
ものごとは条件によって成り立っていて、誰かが「ある」と思っているものは、条件によって成り立っているもので、
そのもの固有の実体は「ない」のだということを表しています。
空は「本質的なものではない」という意味になります。
実体がないから空(くう)であり、変化し続けるから空(くう)であり因果によって存在するから空(くう)なのです。
「こだわり」の根本は五蘊にあるが、五蘊そのものは空(くう)であり、空(くう)の境地に至れば一切の苦厄を克服できる...というように観音菩薩は、その空の境地に到りました。こだわりから解き放たれるのが真の悟りということです。
別の解釈では、空(くう)は、「移ろいゆく世界をつかさどる法則」です。
いままでの科学では発見されていない一番重要な法則として空があり、空からものごとが起き、ものごとが空に戻ります。
さらに別の解釈では、空(くう)は、「とらわれない、こだわらないこと」です。
有ることも無いこともないというとらえ方です。
○度一切苦厄(どいっさいくやく)
(sutra.lightswitch.jpより抜粋・転載)
度(ど):度は、「渡す」という意味です。一切(いっさい):一切は、「すべての」という意味です。
苦(く):苦は、「思い通りにならないこと」という意味です。仏教では、苦の分類があります。(四苦八苦)
厄(やく):厄は、「わざわい」という意味です。度一切苦厄(どいっさいくやく):
上記の解説をつなぎあわせると、度一切苦厄とは、(観自在菩薩が)「渡した」「すべての」「思い通りにならないこと」と「わざわい」をという意味になります。どこに渡したかは、彼岸(ひがん)つまり、あの世です。
全ての苦しみ・厄(わざわい)を彼岸に渡して、安らかな気持ちになったという意味になります。
○能除一切苦(のうじょいっさいく)
(sutra.lightswitch.jpより抜粋・転載)
能は、効くという意味です。除は、取り除くという意味です。
一切は、あらゆるという意味です。苦は、苦しみという意味です。
○色即是空の実際とは ?
(en-park.netより抜粋・転載)
色即是空とは、仏教の言葉で、現世にあるあらゆる物事や現象には、すべて実体はなく、空無であるという意味です。
般若心経では「色即是空 空即是色」という風にフレーズが続きます。「この世のものすべてには実体がなく、同時に、その実体のないものが縁によって、私たちの目に見える存在になっている」という意味です。
色は刻々と変化します。そこに存在があるように見えて、次ぎの瞬間には変わってしまうような存在であるからこそ、空であるとしたのです。その空もさまざまな縁があるから存在が見えるのだから、大切に毎日を過ごすべきという教えです。
○空即是色(くうそくぜしき)
(kotobank.jpより抜粋・転載)
仏教用語。「色即是空,空即是色」と用いられる言葉。玄奘訳『般若心経』に出る。この世のすべての事象は,永遠不変の本質をもつものではなく,すべて空であり,また,空であることがこの世のすべての事象を成立させる道理であるということ。この句のなかの「色」は物質的存在,形をとっているものを意味する。
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