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大相撲:大関昇進の貴景勝、口上は「武士道精神重んじ」
貴景勝のプロフィールは ?
(www3.nhk.or.jp:2019年3月27日 9時59分より抜粋・転載)
大相撲の貴景勝が、3月27日、正式に大関に昇進し、伝達式の口上で、「大関の名に恥じぬよう武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進して参ります」と決意を述べました。
日本相撲協会は、27日、大阪市にある府立体育会館で、次の夏場所に向けた、番付編成会議と臨時の理事会を開き、貴景勝の大関昇進を、正式に決めました。
これを受けて、日本相撲協会の2人の使者が、貴景勝と師匠の千賀ノ浦親方が待つ、市内のホテルを訪れ、大関への昇進を伝えました。
◆貴景勝が決意を口上 !
これに対し、貴景勝は、口上で、「謹んでお受けいたします。大関の名に恥じぬよう武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進して参ります」と決意を述べました。
貴景勝:「救われてきたことば」
大相撲で大関に昇進した貴景勝が昇進の伝達式のあとで会見し「武士道精神」ということばを使った「口上」について「小さな頃から自分を築き上げてきたことばだし、プロに入っても何度もこのことばに救われてきた」と込めた思いを明かしました。
貴景勝は大阪市内のホテルで大関昇進の伝達式を終えたあと、師匠の千賀ノ浦親方とともに会見しました。
この中で貴景勝は「小さい頃からの夢だったし、また1つ目標が達成できてうれしい気持ちだ。場所の疲労が抜けてきたことでうれしさが増えてきた気がする」と喜びをかみしめました。
「武士道精神」ということばを使った口上は、大関昇進を確実にしてからすぐに思い浮かんだということで「小さな頃から自分を築き上げてきたことばだし、プロに入っても何度もこのことばに救われてきた。
勝っておごらず、負けて腐らずということを常日頃から意識しているが、それは武士道の中から得たことばでもあるし、受けた恩は必ず返す人間になりたいという思いもある。忘れてはならないことばだ」と込めた思いを明かしました。
貴景勝は、入門当時は貴乃花部屋に所属し、元横綱の貴乃花親方の退職に伴って、去年秋から千賀ノ浦部屋に所属していますが「貴乃花親方の背中を見て育ったし、今の千賀ノ浦部屋でも教わることが大変多い。
みんなに支えられてここまで来た。感謝の気持ちは当然あるが恩を返すという意味では、強くなって土俵で示すしかない」と2人の師匠に対し感謝の思いを話しました。
また報道陣に「どんな大関になりたいか」と聞かれると、「それを言ったら終わってしまうと思う。どんな大関かではなく次の番付を目指したい」と大関昇進にも満足しないどん欲さをのぞかせました。
そして「自分はあまり攻撃パターンが多くないが、その中でも自分を信じてくれた人の期待に応えたいと思ってやってきた。この小さい体ではまわしを取るのは厳しいので、自分の武器を磨くしかない」と押し相撲を貫いていく決意を示していました。
◆大関昇進の「口上」とは ?
大関昇進は、日本相撲協会の使者が新大関と師匠のもとを訪れて直接伝達し、新大関は、受諾する意思とともに大関としての決意を示す「口上」を述べます。
貴景勝の師匠だった平成の大横綱・貴乃花は、平成5年に大関に昇進した際、「今後も不撓不屈の精神で相撲道に精進します」と述べました。「不撓不屈」は、「どんな苦労や困難にもくじけないこと」という意味のことばで、貴乃花が、横綱昇進の際にも用いていました。
◆貴乃花のように四字熟語を用いる例は多い !
貴乃花のように四字熟語を用いる例は多く、貴乃花の兄の元横綱 若乃花が大関に昇進した際は「今後も一意専心の気持ちを忘れず、相撲道に精進いたします」と口上を述べました。
「一意専心」は、「脇目もふらず心を一つのことだけに注ぐ」という意味です。
最近では、おととしの夏場所後に昇進した高安が「大関の名に恥じぬよう正々堂々、精進します」と口上を述べました。
一方で、四字熟語などを使わない簡潔な口上もありました。元横綱・稀勢の里が、平成23年に昇進した際の口上は、「大関の名を汚さぬよう精進します」ということばでした。
去年の夏場所後に昇進した栃ノ心も、「親方の教えを守り、力士の手本となるように、稽古に精進します」と率直な決意を述べました。
このほか、糖尿病に苦しみながら、番付を上げていった、元横綱・隆の里は、昭和57年に大関に昇進した際の伝達式で「稽古に励み、健康管理に努め、立派な大関になるよう精進します」とみずからの置かれた状況を踏まえた口上を、述べています。
貴景勝が、かつての師匠のように四字熟語を用いるのか、別の形で決意を示すのか、伝達式での口上が注目されていました。
(参考資料)
貴景勝光信のプロフィール
(ウイキペディアより抜粋・転載)
貴景勝光信(たかけいしょう・みつのぶ、1996年8月5日 - )は、兵庫県芦屋市出身で、千賀ノ浦部屋(入門時は貴乃花部屋)所属の現役大相撲力士。本名及び2016年11月場所までの四股名は佐藤 貴信(さとう たかのぶ)。身長175cm、体重170kg、血液型はO型[3]。得意手は突き、押し。最高位は大関(2019年5月場所-)。好物は肉、寿司[4]。趣味は睡眠[5]。
○来歴
◆幼少期〜小学生時代
兵庫県芦屋市出身で、本名の「貴信」は当時現役の横綱だった貴乃花から1字を取ったものであり[6]、そこに織田信長の「信」の字を加えてある。父は「男に生まれたからには、天下を取らないと駄目だぞ」という思いを込めてこの名前を付けたという。[7]幼少期はK-1ブームの中で過ごし、ジェロム・レ・バンナ、ボブ・サップなどのヘビー級の選手たちの試合をよく観戦していた[4]。
貴信少年は5歳から仁川学院小学校3年次まで極真空手を習い、全国大会で準優勝の実績を残したが、決勝で受けた判定に納得がいかなかった[8]。「おかしい判定(反則)で負けにされた。
判定がある競技はやりたくないと思った」[2]と空手をやめた。空手を教えていた父親が「身体能力、闘争心などを考えると、いい大学に入れるだけではもったいない」と考えていたため、その後興味を持った相撲に転向[9]。
3年生からは地元の道場(関西奄美相撲連盟)に通い始め[4][10]、小学校4年生から6年生の間までは芦屋の実家から東京にある貴乃花部屋のキッズクラブまで稽古に通った[11]。小学校時代は4年次にわんぱく相撲で全国3位、5年次に2位、6年次に3位の成績を収めている。
この時代、1回の食事で450gのハンバーグ3枚、牛丼特盛り3杯などのノルマを父に課せられ、小学4年生の頃に30sだった体重を2年間で約40s増加させた[4]。2017年秋巡業中に行われた神取忍によるインタビューでは、数日間で約20s増加したこともあった旨を明かした[8]。父は仕事があるにもかかわらず中々食べ終わらない息子に付き合ったため、貴信少年は投げ出すことができなかったという[4]。
この増量に伴い学級で最も早かった短距離走が、最も遅くなり、リレー選手に選ばれなくなったり、一時期ハンバーグが嫌いになったりたしてしまったとされる[2]。因みに、ハンバーグは高校時代に食べた時、食べさせられている場合と自分から食べていることの違いを感じ、2019年2月24日放送分の『ジャンクSPORTS』では寧ろ「今では大好き」と話している[12]。
食事のみならずトレーニング内容も父が考案した独特のもので、四つ足歩行での階段昇り、後ろ姿の坂道ダッシュなど、芦屋ではその行動から父子が奇人扱いされることもあった[4][11]。相撲を始めたばかりで体が小さかった頃から「関取になる」と宣言していたが、周囲からは当初笑われたという[13]。
◆中学〜高校生時代
小学校卒業後は相撲の強豪校のひとつである報徳学園中学校に進学し、3年次に全国中学生相撲選手権大会に優勝し中学生横綱のタイトルを獲得するなどの活躍をした。その大会の決勝戦では後に大相撲でライバルとしてぶつかり合う打越奎也と顔が合った[14]。
2年次まで全く結果を出せず、角界入門もしくは高校進学に伴い7年間受け続けた父の指導から離れる前に父に恩返しできずに終わってしまうのではないかと不安に思っていた貴信少年にとって、この優勝は後に関取になったことよりもうれしかったという[4]。
中学時代には宇良と稽古をすることがあったが、宇良との対戦成績は「五分五分」であったという。中学卒業後は角界入門か高校進学かで悩んでいたが、埼玉栄高校の相撲部監督である山田道紀から「プロで活躍したいのなら、栄に来なさい」と勧誘されて高校進学を選んだ[4]。
埼玉栄高校には普通科アスリートコースに特待生で留学、山田監督のもと関東高等学校相撲選手権大会の無差別級で2連覇。全日本ジュニア相撲選手権大会の無差別級2連覇。他、高校全国大会7タイトル獲得。3年次に台湾で行われた世界ジュニア相撲選手権大会の無差別級で優勝[15]するなど多くの大会で抜群の成績を残した。
高校時代に修学旅行が行われた際にも「旅行で5日も休んだら、弱くなるよ」と言われ稽古に明け暮れた[16]。寮では山田が朝5時に起きて全員分のちゃんこを作ってくれていたので選手達は山田のために優勝しようという共通した思いを込めて相撲に取り組んだ[4]。
◆入門後の状況
☆2018年:2018年1月場所は部屋の兄弟子貴ノ岩が被害者となった暴行問題に対して調査への協力を拒絶した貴乃花が理事を解任される事態となった上で迎えたが、自身は「大丈夫。場所で頑張るだけ」と影響を否定した[43]。
しかし場所は5勝10敗と大敗に終わり、新三役場所は幕内上位の壁に跳ね返された格好となった。西前頭3枚目で迎えた3月場所は6日目までに両関脇を破るなど3勝3敗の成績だったが、場所前から痛めていた右足首の状態が悪くなり、精細を欠く内容で7日目から4連敗。
そのまま場所11日目に「右足部挫傷で疼痛著明であり、約6週間の安静を要する見込み」との診断書を提出し、同日より入門以来初の休場。この休場の悔しさから心機一転し、大好物のファーストフードと炭酸飲料を止め、栄養学についての勉強を始め、20種類以上のサプリメントを摂取するようになった[20]。
☆2019年:2019年1月場所は新関脇として臨み、直近2場所が三役(小結)だったため、成績次第では「三役に3場所連続で在位して延べ33勝」の目安をクリアでき、大関昇進の可能性があった。
同場所は4日目に横綱・稀勢の里が引退したり休場者が続出し、中日の「平成最後の天覧相撲」も盛り上がりに欠ける相撲が目立ったが、貴景勝は阿武咲との対戦を押し出しで制し、存在感を見せつけた[47]。10日目に高安に敗れた時点で7勝3敗となり、同日時点で10戦全勝だった白鵬と3差で優勝争いからは遠ざかった。
しかし白鵬が11日目より3連敗し14日目より休場、一方で自身が連勝を続けたことで、14日目を終えた時点で2敗の玉鷲を3敗で追う形となり、他力ながら連覇の可能性が生じた。もし千秋楽の本割で玉鷲が敗れ自身が勝ち、続く優勝決定戦で自身が玉鷲に勝てば、大相撲の優勝制度導入以降初の関脇以下での連覇を達成するところだったが、玉鷲の勝利によりその可能性は消滅、直後の大関・豪栄道戦では押し出しで完敗し最終成績は11勝4敗となった。
2019年3月場所は10日目の鶴竜戦で勝ち越しを果たす[54]も、14日目まで9勝5敗と以降は失速し、阿武松審判部長から「千秋楽の内容次第」と大関昇進について見解を示され、千秋楽を7勝7敗で迎える角番大関の栃ノ心との一番に昇進の行方が懸った[55]。
結果大関栃ノ心に完勝して10勝5敗で今場所を終えた。千秋楽の白星を収めた一番については「今場所は、父親が見にきたときに全部負けていて情けなかったので、最後に勝ててよかった」と話した。阿武松審判部長は「私の記憶に残る中でこれだけ押し相撲で安定して白星を挙げられる力士はいなかった」と押し相撲を貫いた強さを高く評価し[56]、協会に貴景勝の大関昇進を諮る臨時理事会を要請し了承された。
これにより貴景勝の大関昇進は確実と報じられる[57]。27日に正式に大関に昇進した。
前相撲から取って初土俵から所要28場所での大関昇進はこの時点で年6場所制定着(1958年)以降史上6位のスピード記録である[58]。
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