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「古舘伊知郎・トーキングヒストリー」: 幕末最大の謎、坂本龍馬暗殺 !
幕末・坂本龍馬・明治維新の深層・真相は ?
(osomatsusan-777.com:2019年1月5日より抜粋・転載)
古舘トーキングヒストリー:2019年1月5日(土)放送内容
2019年1月5日21時から『古舘トーキングヒストリー 〜幕末最大の謎 坂本龍馬暗殺、完全実況〜』が放送されます。
☆スタジオゲスト:寺島しのぶ/伊集院光/濱田龍臣/秋元真夏(乃木坂46)
☆ドラマパート:坂本龍馬…渡辺大 お龍…橋本マナミ 三吉慎蔵…濱津隆之 永井尚志…大鶴義丹
お登勢…矢吹春奈、ほか。
ドラマの役者さんは、主人公の坂本龍馬役に渡辺大さんその妻おりょう役は橋本マナミさんとフレッシュなコンビで、これからのドラマや映画、舞台をリードする存在だけに、是非ともいい演技を見せてほしいと願っております。
○まとめ:
坂本龍馬の暗殺を徹底検証する番組で、渡辺大や橋本マナミなど豪華キャストが、そのときの様子を本格的にドラマ化し、そのドラマを古舘伊知郎が実況していくところが面白そうだと思います。
橋本マナミは坂本龍馬の妻のおりょうの役を演じるそうで、朝の連続テレビ小説での好演が話題となっているだけに彼女の演技が期待出来ます。
再現されるドラマのポイントも「寺田屋事件」、「大政奉還」、「近江屋事件」の三つで、そこから浮き彫りになった新事実を古舘伊知郎がどのように実況していくのか見どころとなりそうです。
文献をもとに東映京都撮影所に再現された近江屋のセットは、歴史学者の磯田氏にも高評価を得ているそうなので見応えのあるセットになっていると思います。
特に寺田屋襲撃事件では、迫る追手から半死半生の身で逃走する龍馬と、彼を守る長州藩士の三吉慎蔵の行動も古舘の実況付きで再現され、リアリティー溢れた映像で幕末の事件を徹底検証するようなので、そんな臨場感のある部分も期待出来ると思います。
更にはスタジオでは、古舘を司会として、寺島しのぶ、伊集院光、濱田龍臣、乃木坂46の秋元真夏、歴史学者の磯田道史が坂本龍馬暗殺について熱く語るようなので、それぞれがどんなことを考え、何を語っていくのか楽しみです。
○近江屋:近江屋内部でゲストとトーク。まず龍馬が奉行所に襲撃された寺田屋襲撃事件のポイントを「坂本龍馬はどんな人物」「奉行所はなぜ龍馬を捕まえたかった」「なぜ龍馬は助かった」と3つ紹介。
龍馬は脱藩を2回している。国を出てまで国を変えたかったと磯田氏が解説した。寺田屋襲撃事件は奉行所が龍馬を殺しに行ったのではない。「薩長同盟を調べたい」などの理由からその中心人物である龍馬を殺さずに情報を引き出すため捕まえたかった。脱藩中の龍馬は寺田屋に下宿していて捕まえやすかったと磯田氏が解説した。
○寺田屋:坂本龍馬暗殺の謎(1)寺田屋襲撃事件を再現ドラマで紹介。寺田屋の中に定点カメラを20台設置し動きを観察する。午前3時ごろ帳場のお登勢は仕事中。お龍はなぜかこの時刻に入浴。龍馬と三吉は2階で薩長同盟を結んだ宴をしていた。
龍馬は薩長同盟の重要書類を持っており、幕府に情報が漏れ寺田屋は連日捜索を受けていた。すると伏見奉行所の同心が大勢寺田屋に集まった。伏見奉行所は、約1km先に薩摩藩邸があり情報を届かせないためにも龍馬を捕まえるのを長引かせたくなかった。
寺田屋:坂本龍馬暗殺の謎(1)寺田屋襲撃事件を再現ドラマで紹介。異変に気づいたお龍は風呂をあがり龍馬に「大勢の槍を持った敵が襲ってきた」と知らせる。磯田氏は「人数を大勢と言っているので賢い」と解説。
寺田屋に突入してきた同心たちに龍馬は拳銃で応戦し同心を射殺するが、龍馬も左手の撓骨動脈を斬られ大出血する。戦いの途中龍馬は負傷で手先が動かず弾倉を落としてしまうなどのトラブルがありながら、2階の奥の間から三吉とともに逃げ出す。
寺田屋:三吉と龍馬の逃走劇をドラマで再現。薩摩藩邸に逃げ込みたいが簡単ではない。2人は誰もいない民家を抜け龍馬の土地勘を元に薩摩藩邸に向かう。その間も出血はひどく龍馬は歩くことも難しかった。
途中寺に隠れようとするも捕り方が捜索していた。足に浴衣が絡まりながら三吉に抱えられながら逃げ続けるも、三吉は土地勘が無かったため道を間違える。その後隠れながら川の畔の材木小屋にたどり着いた。
古舘は「龍馬の死後お龍を預かった」など三吉の逸話も紹介した。逃げ場所を失った三吉は切腹を提案するが龍馬は「やるべきことをやる」とたしなめる。そして夜明け近くになり一方のお龍は薩摩藩邸に急を知らせた。このあと薩摩藩士に救出された龍馬だったが「捕り方を2人殺した」「薩長同盟の重要書類を寺田屋に忘れた」という失態を犯していた。
○二条城:続いては(2)大政奉還に注目する。「龍馬はなぜ大政奉還したかった」「龍馬は裏で何をしていた」「龍馬が怒らせた人物とは」と大政奉還のポイントを紹介した。大政奉還せずに「倒幕」を掲げるのが長州藩の桂小五郎と西郷隆盛。
大政奉還によって平和に政権を返してもらおうとするのが土佐藩の後藤象二郎・山内容堂。この2つを龍馬が水面下で動いて大政奉還を成し遂げる。磯田氏は「もし幕府が大政奉還しなければ龍馬も武力倒幕派になっていたかも」「プランを複数持って有利なものからひとつずつやっていく」と解説。
また歴史で習った大政奉還にはある勘違いがあり、教科書の絵のように大広間で表明したとき徳川慶喜はいなかったという。
坂本龍馬暗殺をドラマで再現し古舘が実況した。舞台は大政奉還が行われる二条城から始まる。竜馬暗殺の1か月前、竜馬は「酢屋」から「近江屋」に宿を代え報告を待った。
大政奉還を進める一方、念のため土佐に小銃を1000挺搬送した竜馬は後藤に対し「大政奉還に失敗したら切腹」と脅迫した。大政奉還は紙面で伝えられ、慶喜に意見がある者だけその場に居残ることになった。
○近江屋:坂本龍馬暗殺をドラマで再現し古舘が実況した。舞台は大政奉還が行われる二条城から始まる。竜馬暗殺の1か月前、竜馬は「酢屋」から「近江屋」に宿を代え報告を待った。
大政奉還を進める一方、念のため土佐に小銃を1000挺搬送した竜馬は後藤に対し「大政奉還に失敗したら切腹」と脅迫した。大政奉還は紙面で伝えられ、慶喜に意見がある者だけその場に居残ることになった。
○二条城:坂本龍馬暗殺をドラマで再現し古舘が実況した。二条城では大政奉還が紙面で伝えられ、慶喜に意見がある者だけ残ることになった。
大広間では後藤象二郎ら6名が残り慶喜が姿を現すのを待った。6人の前に姿を現した慶喜は大政奉還を決意するも会津藩は狂気の如く憤然とした。大政奉還からわずか1か月後、京都・近江屋で龍馬が暗殺された。
○近江屋:坂本龍馬暗殺をドラマで再現し古舘が実況した。二条城では大政奉還が紙面で伝えられ、慶喜に意見がある者だけ残ることになった。
大広間では後藤象二郎ら6名が残り慶喜が姿を現すのを待った。6人の前に姿を現した慶喜は大政奉還を決意するも会津藩は狂気の如く憤然とした。大政奉還からわずか1か月後、京都・近江屋で龍馬が暗殺された。
近江屋:坂本龍馬暗殺10日前、龍馬は福井から帰京。朝から深夜まで新政府の財政策について、福井藩士の三岡八郎に相談したという。
さらに、龍馬は役人殺しの容疑者にも関わらず、福岡孝弟とともに永井尚志のもとを何度も訪れ、幕府を倒しても徳川慶喜は倒さず、要職に就くべきだと主張した。龍馬はこうして慶喜を立て、幕府の役に立っているのだから自分は殺されまいと油断していたという。
近江屋:
坂本龍馬暗殺当日の再現VTR。龍馬は2度にわたって福岡孝弟がいる下宿「大和屋」を訪ねたが、用心深い福岡は居留守を使い、誘いに乗らなかった。福岡は龍馬の葬式にも行かなかったという。
一方、見廻組は密偵の増次郎が物乞いに扮して龍馬を探索。近江屋に潜伏していることを察知した。その頃、近江屋にいる龍馬を海援隊の宮地彦三郎が訪問。この時、龍馬が2階から大声で声をかけたことで居場所が特定されてしまったという。
その夜、中岡慎太郎が龍馬と合流。佐々木率いる見廻組は、土佐藩邸に察知されないよう十津川郷士を装って偽の名刺を出し、静かに侵入。小太刀を使って龍馬と中岡を斬りつけ、龍馬を暗殺したという。
(参考資料)
【歴史の真実】坂本竜馬を動かした黒幕 !
ロスチャイルド家が仕組んだ明治維新 !
日本の裏にフリーメーソン !
(saigaijyouhou.com:2013.05.17 12:00より抜粋・転載)
当ブログでは何度か「ロスチャイルド家」について書いていますが、今回は日本の歴史上重要な転換期である「明治維新」とロスチャイルド家の関係について書いてきています。
ロスチャイルド家について知らない方も多いかと思いますが、ロスチャイルド家とは世界最大規模の大一族のことです。一族の総資産は500兆とも言われており、この世の富を牛耳っている一族です。
彼らの成り立ちに関しては過去記事で説明していますので、興味のある方はこちらを読んでください。
☆世界の真の支配者ロスチャイルド一族 !彼らこそがこの世界の王だ!ナポレオン戦争で暗躍?その明治維新については多くで語られていますが、明治維新とはロスチャイルドなどの欧米巨大資本・勢力が反幕府勢力に支援をして、幕府転覆を引き起こさせたことなのです。
例えば、長州軍や薩摩軍に最新の武器を提供していた勢力が欧米の武器商人たちであることは調べるとすぐに分かります。
☆龍馬の黒幕
↓反幕府勢力(自民党の先祖)への最大の武器支援者と言われる、グラバー氏の石碑には、ロスチャイルド家の下部組織である、フリーメーソンのマークが刻まれています。
明治以降から現在に至る歴史の中で、特に戦争とお金の分野では、いつも巨大財閥「ロスチャイルド家」また巨大財閥・「ロックフェラー家」が、深く関わっていました。
彼らは、けっして、歴史の表舞台に出てくることはありませんが、日本の歴史上の大事件の裏には、いつも彼らの存在があったのです。
明治以降の日本の歴史は、ロスチャイルド家およびロックフェラー家、また、彼らに仕える国内の政治家によって起こされてきた、戦争の歴史であるといっても過言ではありません。
明治維新は、「文明開化」といわれるように、今の近代化された日本の出発点です。
人々のファッションが変わり、考え方、政治、経済、法律、 宗教にいたるまで、すべてが近代化の名のもと、がらっと、一気に西洋化していきました。
この歴史に残る、一大事件を成し遂げたのは、地方の侍でした。
おもに薩摩藩・長州藩・土佐藩など地方の下級武士たちです。
中でも、代表的な維新の三傑といわれるのが、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(旧名:桂小五郎)ですが、当時、敵対していた、両藩を結びつけたのが、「坂本龍馬」であるとされています。
この両者が結び付いた、軍事同盟である、薩長同盟の結果、倒幕運動が功を為し、明治維新に至ったとされています。今でも語り継がれる、坂本龍馬による大手柄です。しかし、実際には……。
坂本龍馬の背後に、トーマス・グラバーという、イギリスの武器商人の存在がありました。
グラバーは、ロスチャイルド家の系列会社であった、マセソン商会の社員として、中国の上海に派遣され、その後、日本代理人として、長崎に赴任し、グラバー商会を設立します。来日当初は、生糸や茶の卸売をしていましたが、幕末の混乱に着目して、薩摩・土佐藩士など、倒幕派を相手に、武器や弾薬を売り始めます。
当時、幕府に敵対していた、長州藩は、長崎のグラバーから武器を買うことを、幕府から禁じられていました。そこで、坂本龍馬は、グラバーから分けてもらった武器を、薩摩藩名義で、長州に流すことで、両者を和解させることに成功したのです。
実のところ、これは龍馬を使って、薩長を結びつけ、その後、両藩を支援して幕府を転覆させるという武器商人・グラバーの計画でした。
また、それ以前にも敵対していたとされる、薩摩藩の五代友厚や長州藩士の伊藤博文など、両者ともに交流のあった、グラバーは、彼らにイギリス留学を斡旋し、当地で交流させます。
つまり、龍馬が両者をつなぐ前に、海の向こうでは、グラバーの仲介で、薩摩と長州は、すでに結びついていたのです。
なかでも、グラバーの手引きにより、イギリスに密航し留学した、長州藩の5人の若者たちは、「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ」と呼ばれました。というのも、今の価値で、10億円とも推測される、彼らの留学費用の大部分を負担したのは、グラバーの勤める、マセソン商会の社長、ヒュー・マセソンその人だったからです。
さらに、ヒューマセソンの上には、世界一の金融王ネイサン・ロスチャイルドの息子である、ライオネル・ロスチャイルドがいました。
ライオネルやマセソンに、かわいがってもらった、5人の若者たちは、日本に帰り、明治新政府ができた後、日本の最高指導者となります。
いわば、巨大財閥・ロスチャイルド家当主の子分であった若者たちによって、明治の日本が作られていたわけです。
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