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訪中の安倍首相が李首相と懇談 ! 日中関係の発展で一致 !
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投稿者 青木吉太郎 日時 2018 年 10 月 27 日 18:12:04: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


訪中の安倍首相が李首相と懇談 !  日中関係の発展で一致 !

  自公政治家・NHK等が隠蔽・誤魔化す、

     戦前の日中戦争の深層・真相は ?

(www3.nhk.or.jp:2018年10月25日 18時59分より抜粋・転載)

中国に到着した安倍総理大臣は、10月26日の首脳会談を前に、李克強首相と懇談し、改善した日中関係を、さらに発展させていくことで一致しました。

安倍総理大臣は、中国に到着後、北京中心部にある人民大会堂に移動して、26日の首脳会談を前に早速、李克強首相と懇談しました。

冒頭、李首相は、「中日関係が正常な軌道に戻ったうえで、持続的に改善の流れを見せている。われわれとしては、双方が歩み寄ってともに努力し、中日関係の安定かつ健全な発展を維持しながら、さらに新たな進展をさせていきたい」と述べました。

これに対し、安倍総理大臣は「日中平和友好条約締結40周年という年に、北京で李首相と再会できたことを大変うれしく思う。この記念すべき年に、両首脳の相互訪問が実現できたことを、喜び合いたい」と応じ、改善した、日中関係を、さらに発展させていくことで一致しました。

安倍総理大臣は、26日午前に李首相と、そして午後には、習近平国家主席との首脳会談に臨み、首脳間の相互往来の定着などを通じて、日中関係の改善の流れをより確かなものとしたい考えです。

また、日中両政府は、首脳会談に合わせて、外交当局間の協議などについて、毎年年末までに翌年の計画を作成するとした覚書や、イノベーション・技術革新などでの協力を、推進するための対話を、創設する覚書などに、署名することにしています。

(参考資料)

T.米英中国などやマスコミの ウソ宣伝を見破ろう !

1、中国の主張・「盧溝橋事件は日本が仕掛けた」への反論

中国側の文献が示す“中国共産党の謀略説" :渡部昇一教授の主張
 日中戦争の発端となった昭和十二(1937)年七月の盧溝橋事件は、中国では「七七事変」とも呼ばれ、教科書で特に詳しく記述されている。
自民党政権は、反論を国民に教育してこなかったし、国際的な啓蒙も怠ってきた。
中国・韓国は、自論を、徹底的に国民に教育し、国際的にも啓蒙を徹底的に数十年間実行してきた。

(1)中国の教科書記述 

中国人民教育出版社の「中学歴史教科書」は、こう書いている。
「1937年7月7日夜、日本侵略軍は北平(北京)西南の盧溝橋に進攻し、長い間からもくろんでいた全面的な侵華戦争を開始した」「7日夜、日本軍は盧溝橋北側で盧溝橋進攻を目標とした軍事演習を行った。

彼らは一人の兵士の失踪を口実に、苑平県城に入って捜査することを理不尽に要求し、中国守備軍に拒絶された。日本軍はすぐさま苑兵県城に向けて攻撃を開始した」
(明石書店「中国の歴史」より)

 侵略の機会をうかがっていた日本軍が、兵一人の行方不明を口実に中国側に無理な要求を突きつけ、断られたため、全面的な侵略戦争に突入したという書き方である。

 東京裁判でも、元北京市長の秦徳純証人が同じような"日本軍挑発"説を主張したが、事実は全く異なる。 日本では、戦後の実証的な研究により、最初に誰が撃ったか分からない「謎の発砲」があり、原因不明のまま偶発的に日中両軍が衝突したという「偶発」説が有力になった。(原因については、”歴史を考える1”を参照)

(2)冷戦終結後の研究で 中国共産党の謀略が濃厚と判明 !

 盧溝橋事件について、最近の日本側の研究では、逆に、「中国側が事件を起こした」のではないか、という疑惑が深まっている。
 事件に詳しい秦郁彦氏は、最初の謎の発砲が中国軍側から行われたことをうかがわせる事実を、二十九軍の第三大隊長をしていた金振中の手記から突き止め、昭和六十二年十月、久留米大で開かれた国際政治学会で発表した。金振中はその後、中国共産党軍に身を投じ、金振中の上官だった第百十旅団長の何基?も事件後、中国共産党軍に転じている。

 このころ、中国共産党北方局第一書記をしていた「劉少奇」は、北京の図書館に勤務しながら、地下工作を指揮していたといわれる。国民政府の第二十九軍にも、副参謀長の張克侠をはじめ、多数の共産党員やシンパが潜伏したことが、戦後の「中国側文献」などで判明している。

 また、事件直後、北京大学の構内と思われる通信所から延安の「中国共産党軍司令部」に宛てて、「成功した」という意味の電報が打たれた事実が、元日本軍情報部員の「証言」で明らかになった(平成六年九月八日付産経新聞)。

 当時、日本政府も、蒋介石総統の率いる国民政府も、「衝突を望んではいなかった」のである。“衝突を望んでいたのは、旧ソ連のコミンテルンと中国共産党だった”のである。真相はなお不透明な部分があるが、盧溝橋事件は、「中国共産党の謀略」によって起こされた疑いが極めて濃厚になってきている。

少なくとも、日本軍が仕掛けたということは、「絶対にあり得ない」ことである。 中国当局はまず、秦氏らが調べた中国側の文献をきちんと読み直すべきである。

2、銃弾を放ったのは中国共産党工作隊(コミンテルンの子分)だ !

(菅沼光弘元公安調査庁第2部長の主張)

1935年7月、コミンテルン第7回大会で、反ファシズム人民戦線戦術が採択され、各国共産党は、フランス、イギリスと手を結んでドイツ・イタリア・日本の全体主義・軍国主義と戦うことが、最大の目標になった。
蒋介石軍と日本軍を戦わせることで、国民党と中国共産党の国共合作戦略は、コミンテルンの指示通りの戦略だったのである。

盧溝橋事件の頃、中国共産党は、国民党との内戦で追い詰められ、逃避行(長征)の連続であった。共産党が生き残る道は、日本と国民党が戦争になって、内戦を中止し、共産党と国民党が抗日統一戦線を作る方向に誘導する以外なかった。

中国共産党の文献に記述されているように、日中戦争誘導のため、盧溝橋の銃弾は、共産党・劉少奇が率いる工作隊が放ったものであった。

したがって、かつて、毛沢東は、中華人民共和国の成立は、「日本のおかげだ」、と言っていました。アメリカと中国は、表面的には対立しているようでも、裏の情報世界では、もともと親密な関係なのです。

日中戦争中、米国ОSS(CIAの前身)長官の命令で、ОSS幹部が延安の共産党根拠地に出向いて、対日戦争において、武器等を提供して支援していた(『この国を支配管理する者たち』201〜207頁、『誰も教えないこの国の歴史の真実』108〜112頁)のである。

3、日中戦争には英国・米国の謀略もあった !

副島隆彦・船井幸雄の主張:国民党と共産党を和解させて、抗日統一戦線をつくらせ、日本を敗北させようとしたことは、世界大恐慌後、景気大回復のため、世界大戦誘導を狙う、英国と米国の裏の戦略でもあった。

特に、米国は、英国を追い抜いて、世界覇権国になるという、英国に内密の戦略のため、大戦後・対ソ連との戦いのため、1930年代から、日本占領・支配・収奪を狙って、長期的に準備していた。

自民党体制(官僚機構・財界・マスコミ・御用学者・御用評論家も含む)は、アメリカが裏から思い通りに支配するために、強力なアメリカ主導で作ったものである
(『昭和史からの警告』。

4、30 万人大虐殺はありえない !

(渡部 昇一 上智大教授の見解)

・東京裁判が作った大量虐殺「南京事件」は絶対にありえない !

1.30万人大虐殺という数字はありえない。
2.当時蒋介石政府側から何の提訴もされていないのはなぜか?
3.南京攻略当時、現地に入った百人以上の従軍カメラマン・記者・文化人たちがひとりも「大虐殺事件」を報告していないのはなぜか?

 南京はだいたい東京の世田谷区くらいの大きさで、当時駐在していた外人記者の記録では約15万人、一番多く見積もった記事で25万人、そのうち蒋介石軍が3万から5万人の間で、民間人を合わせて20万人前後というのが妥当な数字である。

 日本軍が銃と銃剣だけでどうやって南京の全人口を虐殺できるのか。これは原爆2個くらいでも落とさない限り不可能である。30万人虐殺説はこれはもう、完璧に捏造としか言いようがない。

南京城内に30万人も住んでいない。どうやっても証明できるはずがない。さらに陥落直後の人口は約20万人。1ヶ月後は25万人に増えていることが確認されている。陥落直後の人口約20万人から虐殺されたといわれる人口30万人を引くと、マイナス約5万人となる。大虐殺はありえない。(以下略)

 日本は既に国際連盟を脱退していたが、蒋介石政府は日本軍の戦闘行為について細かくあげつらって報告している。内容は、南京空襲で民家を誤爆された、毒ガスを使用された(本当は催涙ガス)とか、その類のものばかり。肝心の南京虐殺は、提訴した記録がない。

 当時の南京は上海のように国際都市でしたから、各国のジャーナリストたちが大勢いた。それなのに、当時、日本に対して反日的な国々からも正式の抗議はない。南京陥落当時、日本人の取材人も大挙して訪れている。

120人もの記者とカメラマンに加えて、大宅壮一、西条八十、草野心平、林芙美子、石川達三といった錚々たる文化人たちも現地にいた。従軍記者、従軍カメラマンは常に前線にいてその部隊の戦況をつぶさに見て報告するのが、義務であり使命である。

もし南京占領後、言われているような虐殺があったら120人以上の記者、カメラマン、視察団員たちの目に入らないはずがない。しかるに東京裁判で提訴されるまで、ただのひとりとしてそのような光景を見たと報告した人はいないのである。

又一枚の写真も出ていない。従軍記者は全てのメモを紛失した?従軍カメラマンはすべてのフイルムを焼失した?名のある作家や評論家、詩人らはおぞましい日本軍の虐殺行為を知りながら、全員口をぬぐってきたのだろうか?そんなはずはありません。なぜなら、いわゆる南京虐殺はなかったからである。

*60余都市への無差別大空襲・

2 回の原爆投下は大虐殺でないのか?

 執拗に”あった”、と言い立てるのは”ナチスの犯罪に相当するものが東京裁判に欲しかった”からです。犠牲者の数は今ではかなり正確に出せると言われているが、あらゆるところに妨害があって未だにあいまい論争のままにしている。

もし数が明らかになったら戦勝国は困るからである。東京裁判がまず”集団リンチ”で”裁判に値しない”ことが、愚かな者でも解かるだろうし、民間人の殺戮を意図した東京空襲はじめ60余都市への無差別爆撃や広島・長崎原爆投下という”アメリカの大犯罪”こそ、クローズアップされてしまうからである。

実際問題アメリカは”ひどいことを日本にした”のだ。「30万虐殺という大犯罪をでっちあげないことには、自分たちの犯した罪の意識からのがれられないのだ」。”アメリカはやりすぎた。ひどいことを日本に対してした”と本心では思っている。自らの罪の意識から”30万人の大虐殺”というのをでっちあげて”精神のバランス”を保っているのである。

 ・マギー牧師は南京の国際委員会メンバーであったので、日本軍の占領を監視する必要から市内のどこでも通行することができた。
その人物が実施に目撃した「殺人」がたった一件であり、しかもそれが犯罪とはとうてい言えないものであることを知ったとき、私は南京虐殺がまったくのウソであることを確信した。

三十万もの「市民虐殺」があったはずはない。その確信は歳を追うごとに強まる一方である。

 ・日本人がナチスと同じ大虐殺者であり、人種差別主義者であるというイメージがユダヤ人の間に定着することは、絶対に避けなければならない。

5、張作霖列車爆破事件の関東軍説とソ連説を検討すべきである

 明らかになりつつある新資料には言及もしないで「関東軍の仕業」と決めつける左翼及びそれに類する評論家と、新資料を研究しつくした上で「諸説ある」という謙虚な姿勢の中西氏。貴方ならどちらの主張を信じますか?中国共産党の親分・ソ連は、関東軍のソ連侵攻を恐れて、日中戦争を望んでいた。

1928 年6月4日の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年では「ソ連情報機関の資料」が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。

「マオ(誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではソ連・コミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。

 

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