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シリアで3 年拘束:安田純平さん、解放 !
日本へ「虐待続いた、自由うれしい」今夜帰国
純平さんの家族の心情は ?
シリアにおける内戦・武装勢力とは ?
(headlines.yahoo.co.jp:2018 年10/25(木) 9:56より抜粋・転載)
朝日新聞デジタル:
ジャーナリスト・安田さん、日本へ「虐待続いた、自由うれしい」今夜帰国
内戦下のシリアでイスラム過激派組織に拘束され、3年4カ月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平さん(44歳)が、10月25日午前2時(日本時間同日午前8時)ごろ、トルコ・イスタンブールから、空路で帰国の途に就いた。
日本時間の25日午後7時ごろに成田空港に到着する予定だ。
安田さんは、現地時間10月24日午後6時半すぎ、解放後に保護された、トルコ南部ハタイ県アンタキヤの入国管理施設を、車で出発した。
約30分後に、ハタイ空港に到着すると、数人の係官に抱えられるようにして、要人専用の入り口から、空港建物に入り、国内便で、イスタンブール空港に向かった。同空港で、日本行きのトルコ航空機に、乗り換えた。
安田純平さんは、同機内で「虐待状態がずっと続いていた」と、拘束当時を、記者に振り返りつつ、「自由になれてうれしい」「家族に会いたい」と、心境を語った。
安田さんの知人によると、安田さんは、2015年6月下旬、内戦の取材のため、トルコ南部からシリアのイドリブ県に、徒歩で渡った後、音信不通になった。拘束が、明らかになったのは、2016年3月、インターネット上に、安田純平さんとみられる、男性の動画が、投稿されてからだ。
今年7月にも相次いで、2回、動画が投稿され、安否が気遣われていた。
日本政府の要請を受けて、過激派組織側と交渉してきた、カタール政府が、今月23日、安田さんが解放されたとの情報を、日本側に伝達した。
安田さんが、保護されていた、入国管理施設で、在トルコ日本大使館員らが、24日に本人確認の面談を行い、安田さんと確認した。
(イスタンブール=河原田慎一、下司佳代子)
(参考資料)
T 安田さんの妻「よくがんばった !」 家族や仲間、安堵の声
(www.asahi.com:2018年10月24日06時59分より抜粋・転載)
シリアで行方不明になってから3年余り。フリージャーナリスト安田純平さん(44)が解放されたとの情報が23日、日本政府に入った。
「よかった」「無事帰ってきて欲しい」。安田さんの身を案じていた家族やジャーナリスト仲間から、安堵(あんど)の声が漏れた。
シリアで不明の安田純平さん解放か ?トルコの施設で保護
安田純平さん、確認後帰国へ 本人だけ分かる質問で判断
「今、ちょっと興奮して……。ちゃんとしたお答えができないくらい。みなさんにお世話になりました。
ありがとうございました」「本当だったら、うれしい」。
安田さんとみられる人物が解放されたとの一報を受け、母幸子さんは23日深夜、埼玉県入間市内の自宅で言葉を詰まらせながら話した。
安田さんの妻で歌手のMyu(みゅう)さんは民放の電話取材に「びっくりしている。よくがんばったと伝えたい。
日本で信じて待っていた人たちのことも伝えたい」と話した。行方不明の3年あまり、救出への悪影響を考えて沈黙を守っていたが、8月に都内で初めて会見。
「家族として、妻として、一刻も早く帰ってきて欲しい。日本の地を踏んで欲しい」と涙ながらに救出を訴えていた。
安田さんと親しいフリージャーナリストの常岡浩介さん(49)は「解放されたとの情報は確度は高いと思う。非常によかった。
早く無事を確認したい」と安堵(あんど)した様子だ。7月に立て続けに安田さんとみられる動画が公開されたため、「犯人グループが安田さんを材料にしている証明で、情報が出続ける限りは解放は先だ」と見ていたという。
交流のあったアジアプレス・インターナショナル代表の野中章弘さん(65)は「肉体的にも精神的にもつらかっただろう。
強い精神力の持ち主の安田だからここまで耐えられたのだと思う。今は『お疲れ様でした』と言いたい」。
イラク戦争などを取材してきた…
U ダイル・ザウル県ブーカマール市で活動するイラン・イスラーム革命防衛隊は
国防隊逮捕者の身柄を空軍情報部に引き渡す !
(syriaarabspring.info:2018 年10月24日より抜粋・転載)
作成者: SyriaArabSpringinShare:
ダイル・ザウル県では、ユーフラテス・ポスト(10月24日付)によると、ブーカマール市一帯で活動するイラン・イスラーム革命防衛隊が、拘置している国防隊メンバー全員の身柄を、空軍情報部に引き渡した。
身柄を引き渡されたのは15人で、数日前にブー・カマール市で拘束されていた。
空軍情報部は、この15人をダイル・ザウル市内の拘置所に収容したという。
V トルコのアカル国防大臣「過激派の多くと重火器がイドリブ県の
非武装地帯から撤去され、停戦違反は90%減少した !」
(syriaarabspring.info:2018 年10月24日より抜粋・転載
作成者: SyriaArabSpring:inShare:
トルコのフルシ・アカル国防大臣は、イドリブ県一帯の反体制派支配地域に設置された非武装地帯に関して、「過激派の多くと重火器が撤去され…、停戦違反は90%減少した」ことを明らかにした。
アナトリア通信(10月24日付)が伝えた。
W シリアにおける内戦・武装勢力とは ?
(ウイキペディアより抜粋・転載)
シリアにおける内戦は、2011 年にチュニジアで起きたジャスミン革命の影響によってアラブ諸国に波及したアラブの春のうちの一つであり、シリアの歴史上「未曾有」のものといわれている[3][4]。チュニジアのジャスミン革命とエジプトの民主化革命のように、初期はデモ行進やハンガーストライキを含むさまざまなタイプの抗議の形態をとった市民抵抗の持続的運動とも言われた[5]。
初期の戦闘はバッシャール・アル=アサド政権派のシリア軍と反政権派勢力の民兵との衝突が主たるものであったが、サラフィー・ジハード主義勢力のアル=ヌスラ戦線とシリア北部のクルド人勢力の間での衝突も生じている[6]。
現在は反政権派勢力間での戦闘、さらに混乱に乗じ、「過激派組織」ISILやアル=ヌスラ戦線、また、クルド民主統一党(PYD/Partiya Yekitiya Demokrat)を、はじめとしたシリア北部のクルド人勢力ロジャヴァが、参戦したほか、アサド政権の打倒およびISIL掃討のためにアメリカ・フランスをはじめとした多国籍軍、ロシア・イランもシリア領内に空爆を行っており、内戦は、泥沼化している。
また、トルコ・サウジアラビア・カタールもアサド政権打倒のために反政府武装勢力への資金援助、武器付与等の軍事支援を行い内戦に介入している。
反体制派からの情報を収集する[7]英国拠点の反体制派組織[8]シリア人権監視団は、2013年8月末の時点で死者が11万人を超えたと発表している。
国際連合により、2012年5月下旬の時点でもはや死者数の推計は不可能と判断されている[2]。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の推計によると、2017年までに元の居住地を離れて約630万人が国内で避難生活を送り、500万人以上が国外に逃れた。
こうした難民の主な行き先としてはトルコ(320万人)、レバノン(100万人)、ヨルダン(65万人)、イラク(24万人)、エジプト(12万人)で、トルコなどを経由してヨーロッパなどに渡った人々も多い[9]。
日本には2014年6月20日時点で52人が難民申請しているが、日本政府は一人も認めていない[10]。
反政府武装組織の一つ、「自由シリア軍」により教会が、破壊されたとされる事例[11]をはじめ、反政府主義者によるキリスト教徒(その大半は正教、非カルケドン派、東方典礼カトリック教会といった東方教会の信者)への排撃が問題となる局面も出てきている[12][13]。
2014年に入り、ISILと、シリア反政府勢力との間で戦闘が激化した。当初、ISILは、シリア反政府勢力から歓迎されていたが、ISILが他の反体制派組織を支配下に置こうとして内紛が起きた。
さらには、ISILが一般市民も巻き込んで暴力をふるうようになり、関係は悪化している。
反体制派の主要組織である「国民連合」は、ISILとの戦闘を全面的に支持している[14]。
急速に勢力を拡大させたISILに対し、反体制派が依然として内紛を繰り返す状況で、シリア国内では唯一ISILに対抗できる存在であるアサド政権の国際的価値が高まり、欧州各国や国連、シリア国内の反体制派ですら、当初の要求であったアサド大統領の退陣を要求しなくなっている[15]。
しかしアサド政権が4月4日に行ったカーン・シェイクン化学兵器攻撃を受けてアメリカ軍はアサド政権のシャイラト空軍基地攻撃を行った[16]。
また、実態として、西側諸国が穏健派とする、反政府武装勢力やアルカイダ(イスラム過激派指導者オサマ・ビン・ラディンが築いた国際的テロリズム支援組織)系組織・ISILの間に明確な線引きをするのは難しく、各勢力が強固な組織を基盤としているわけではない。
さらに、いずれも反アサド政権・反世俗主義・反シーア派・反少数派イスラム教(アラウィー派・ドゥルーズ派等)、反キリスト教のスンニ派のイスラム主義組織であるという共通点があることから、資金力の増減や戦況の良し悪しによって戦闘員の寝返りや武器交換も相互に行われている。
そのためあくまでもISILも反政府武装勢力のうちの一つととらえた方が実態に近く、イスラム国の残虐性だけが突出しているわけではない。
さらに、シリア政府側に立つ組織もシリア軍の他にシーア派民兵やヒズボラやイランのイスラム革命防衛隊なども参戦しており、これもまた統率が取れているわけではない。
実際に、アルカイダは自由シリア軍などの反政府勢力と協力している。
さらに、アルカイダ系武装集団は、2013年9月に協力体制にあったはずの自由シリア軍に攻撃を仕掛けるなど、アサド政権・反政府勢力の双方と敵対し、シリア国内は三つ巴の戦いになりつつある[17]。
更にアルカーイダと協力関係にあった武装集団ISIL(イラク・レバントのイスラム国)が、2013年5月に出されたアルカイダの指導者アイマン・ザワーヒリーの解散命令を無視してシリアでの活動を続けているなど、アルカーイダやアル=ヌスラ戦線との不和も表面化している[18]。
他にも、クルド人などのシリア国内の少数民族も武装化して、政府軍やアルカーイダ系の武装集団を襲撃して事実上の自治を行っており[19]、さらにイラクのクルド人自治区のような正式な自治区を作ろうとしている[20]。
シリアで内戦が激化している理由として、主に4つがあげられる。まずは、アラブ・イスラム世界の中で敵対関係にあるイスラエルなどと国境を接するという地政学的事情。
次にシリアバース党政権が一貫した親露、親イランである一方、親欧米・親NATO諸国であるサウジアラビアを中心としたスンニ派の湾岸諸国とは激しく対立している点。
3つ目としては、トルコ政府と対立するクルド人の問題。
さらに4つ目はアサド大統領がシーア派の分派でありキリスト教の影響も強いアラウィー派で、イスラム色の薄いスンニ派も含めた世俗派主体に支持者が多いのに対し、反政府勢力はスンニ派イスラム主義勢力が多く、世俗主義とイスラム主義の対立や宗派対立の様相も呈していることにある[21]。
レバノンの3月14日勢力(en:March 14 alliance)は、反政府抗議者たちに財政支援をしたとして非難されているが[22]、自らはこれを否定しており[23]非難の応酬となっている[24]。
シリアによるレバノンへの武器輸送を阻むためとして、イスラエルがシリア国内の軍事基地を何度も空爆している[25]。レバノンに敵対しているイスラエルは、これを自衛のためとしている[26]。
また、戦闘による流れ弾がトルコの街に着弾し、トルコ軍が反撃を行うなど、隣国との戦闘も発生している[27]。
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