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「日航ジャンボ機墜落事故」から33年 ! ――風化させてはいけない想いとは ?
政府・NHK等が隠ぺいする、日航機墜落事故の深層・真相は ?
(headlines.yahoo.co.jp:2018年8/12(日) 7:00より抜粋・転載)
デイリー新潮:「日航機墜落事故」から33年――風化させてはいけない想いとは ?
あれから33年((C)Harcmac60/Wikimedia Commons)
今から33年前の今日、1985年8月12日、御巣鷹山に日本航空123便が墜落した。524人の乗客、乗員数のうち、生存者はたった4人。
航空機事故史上類を見ない大事故となった。事故原因は、後部圧力隔壁の破損、および、垂直尾翼と補助動力装置の破損、油圧操縦システムの全喪失といわれているが、未だに事故調査報告書に納得が出来ない遺族や関係者から、再調査を求める声も出ている。
そんな中、『日航123便 墜落の新事実――目撃証言から真相に迫る――』(青山透子・著)が、2017年7月に刊行され、話題となっている。
著者の青山さんは、元日本航空国際線客室乗務員で、日航機墜落事故の生存者の1人である日航客室乗務員落合由美さんの同僚だった。事故原因に今なお疑問を抱く彼女が、落合さんを始め、現場を知る人たちへのインタビューや目撃情報など、様々な証言を元に、事故の真相に迫ろうとしている。
青山さんは同書内で「いつまでたっても消えない亡くなった人への想いや、拭い去れない疑問を持つこの事件の風化はありえない」と、我々に強く訴えている。
作家の樋口毅宏さんも、あの事故を未だに忘れられずにいる1人だ。
「夏休みだった。宿題もやらず、毎日家でごろごろしていた。お昼の12時に、いつものようにフジテレビをつけると、サングラスをかけた司会者が、『友達』を紹介するトークコーナーを始めるところだった。
『えー、昨日旅客機事故がありましたが、群馬県の御巣鷹山から中継が繋がっているそうです』
司会者が記者の名前を呼ぶ。記者はマイクを片手に返事をする。いきなり現場のレポートが始まった。そしてそのまま次の日の友達を紹介することも、空疎な笑いをとることも、カメラが新宿のスタジオアルタに戻ることもなく、その日の番組は終了した」
樋口さんは、ブラウン管から映し出される御巣鷹山からの中継に釘付けになったという。ショックすぎて内容は何も覚えていないが、その日見て感じたモヤモヤとした暗い錘は、いつまでも樋口さんの心の中に棲み続けていた。
樋口さんは、そのモヤモヤを吐き出すために一冊の小説を書き上げた。タイトルは『アクシデント・レポート』。舞台は御巣鷹山の悲劇から10年後の夏。ジャンボ機とジャンボ機の衝突という悲劇によって人生を大きく左右された人々の様々な証言や体験が綴られる。もちろんこの本に出てくる証言自体はフィクションだ。
しかしそこには確実に、1985年の夏に日本中が感じた衝撃が、つぶさにリアルに綴られている。
樋口さんは「あの事件を忘れられない人は大勢いるはずです。自分もこれまでの本では登場人物に過酷な運命と仕打ちを与えてきた。しかし今回は違っていた。行間から、山のように積み重なったゲラから、叫び声が聞こえてきて、幾度となく苦しめられた」と語る。
日航機墜落事故から32年が経過。今年7月21日には群馬県藤岡市の光徳寺で「三十三回忌法要」が営まれ、遺族や、地元住民、住職など、約150人が出席し、犠牲者の冥福を祈った。リアルタイムであの事故を知らない世代が増えてはいるが、決して風化させてはいけない事実。ニ度とあのような悲劇が起こらないように願うばかりだ。
デイリー新潮編集部:2018年8月12日 掲載
(参考資料)
1985年8月、日航ジャンボ機123便墜落事故
で、520名が死亡した、その真相は ?
は、「核ミサイル」によって、「撃墜」されたのか ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2018/07/31より抜粋・転載)
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1)1985年8月12日、日航ジャンボ機123便墜落事故で、520名が死亡した !
今年もあの日がやってくる。
1985年8月12日、羽田空港18時00分発大阪伊丹空港行き日本航空123便が、18時56分に、群馬県多野郡上野村の、高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した。
*補足説明:1985年8月は、対米隷属・第2次中曽根康弘政権だった。
防衛相は、加藤紘一議員だった。
乗員乗客524名のうち520名が死亡した。生存者(負傷者)は、4名だった。
夕刻の便であり、お盆の帰省ラッシュとも重なっていた。
死者数は、墜落事故および単独機の航空事故で世界最多となった。
1987年6月19日に、航空事故調査委員会は、同機が、1978年6月2日に、伊丹空港で起こした、しりもち着陸事故後のボーイング社修理が、不適切であったために、圧力隔壁が破損したことが、事故原因であるとの報告書を公表した。
2)123便は、外部からの衝撃で尾翼を失い、
これが原因で、操縦不能に陥った可能性大だ !
しかし、この報告は、信用できない。
日本航空123便は、外部からの衝撃で尾翼を失い、これが原因で、操縦不能に陥った疑いが、強い。
また、123便は横田基地に緊急着陸を検討した模様だが、着陸を断念したか、何らかの誘導により進路を山岳地帯に変更したうえで山岳地帯で墜落した可能性が高いと思われる。
それでも、123便墜落時には、多数の乗客が生存していたと見られ、墜落直後に、米軍機によって墜落場所が特定され、夜間の救助活動が、可能であったはずだが、救助は、行われなかった。
3)私たちは、日航ジャンボ機123便墜落事故の
「知られざる真実」の解明を行う責務を負っている !
事故あるいは事件から、33年が経過する今、私たちは「知られざる真実」の解明を行う責務を負っている。
『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(河出書房新社・最新刊)
https://goo.gl/auvNJY:「日本航空123便墜落事故を検証する」
http://www.link-21.com/JAL123/index.html
「日航機墜落事故 米軍幻の救出劇 (米軍パイロットの証言)」
https://www.youtube.com/watch?v=65krBx_Bblg
などの情報を総合すると、1985年8月12日に発生した、日航ジャンボ機123便墜落事件の全体像が、かなりはっきりと浮かび上がってくる。
4)関係者の著書・情報を総合すると、123便墜落事件
の全体像が、かなりはっきりと浮かび上がってくる !
元日航客室乗務員の青山透子氏が、昨年、真相に迫る著書を、刊行された。
『日航123便墜落の新事実』:https://goo.gl/auvNJY
日航ジャンボ123便は、8月12日18時12分に羽田を離陸した。
離陸後順調に飛行を続け、18時24分に、大島上空を通過し、相模湾上空に差し掛かっていたとき、大きな衝撃音がして、機体に異常が発生した。
その模様を123便生存者で、日本航空CAを務めていた、落合由美氏が次のように証言している。
5)123便墜落事件について、落合・客室乗務員は証言している !
*補足説明:CA=キャビン‐アテンダント(cabin attendant):客室乗務員の事である。
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ−ン」という、かなり大きい音がしました。
テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。
「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。
急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音。
前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」
「「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。
かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」
「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。
すっと消えた、という感じだったのです。」
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れは、ほとんど感じませんでした。
しかし、何が起きたのだろうと、私は、酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。
6)捜索隊が、墜落現場を確認したのは、 墜落から10時間後だった !
あとになって、8月14日に公表された、いわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からは、ベントホールは、見えない位置にあります。ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。」
18時24分に衝撃があり、機体に異常が発生して、結局、18時56分、123便は、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に、墜落した。
捜索隊が、墜落現場を確認したのは、墜落から10時間が経過した、8月13日午前8時半ころとされている。救難活動が遅れて、乗員乗客524名のうち、520名が死亡した、とされている。
上記落合氏の証言によると、「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。
7)落合氏の証言によると、墜落の直後、
多数の乗員、乗客が生存していた !
ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。
「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」という状況であった。
つまり、多数の乗員、乗客が生存していたのである。
8)123便墜落後、およそ20分で、当局は、墜落機残骸
の位置を、つかんでいたのだ ! なぜ、10時間後に捜索したのか ?
(*補足説明:C130とは 、ロッキード社が製造している輸送機の事である。)
―以下省略します―
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