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123便墜落の20分後、当局は、墜落機残骸の位置を、把握していたのに
なぜ、10時間後に捜索したのか ?
自民党・自公体制・日本マスコミの深層・真相は ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2018/07/31より抜粋・転載)
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1)〜4)は前回投稿済みです。以下はその続きです。
5)123便墜落事件について、落合・客室乗務員は証言している !
*補足説明:CA=キャビン‐アテンダント(cabin attendant):客室乗務員の事である。
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ−ン」という、かなり大きい音がしました。
テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。
「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。
急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音。
前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」
「「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。
かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」
「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。
すっと消えた、という感じだったのです。」
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れは、ほとんど感じませんでした。
しかし、何が起きたのだろうと、私は、酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。
6)捜索隊が、墜落現場を確認したのは、墜落から10時間後だった !
あとになって、8月14日に公表された、いわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からは、ベントホールは、見えない位置にあります。ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。」
18時24分に衝撃があり、機体に異常が発生して、結局、18時56分、123便は、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に、墜落した。
捜索隊が、墜落現場を確認したのは、墜落から10時間が経過した、8月13日午前8時半ころとされている。救難活動が遅れて、乗員乗客524名のうち、520名が死亡した、とされている。
上記落合氏の証言によると、「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。
7)落合氏の証言によると、墜落の直後、多数の乗員、乗客が生存していた !
ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。
「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」という状況であった。
つまり、多数の乗員、乗客が生存していたのである。
しかし、事故調査報告書は、「救出された4名以外の者は、即死もしくは、それに近い状況であった」としており、この点でも調査報告書の信ぴょう性は、極めて低いと言わざるを得ない。
上掲書を刊行した、元日航客室乗務員の青山透子氏は、2010年に刊行した著書
『日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ』(マガジンランド、2010年4月刊)
https://goo.gl/FmG2dF:で、事故当時に、横田基地に配属されていた、米国空軍の輸送機U130のパイロット、マイケル・アントヌッチ中尉の証言を紹介している。
1995年8月27日付「星条旗新聞」=” Stars and Stripes”の記事である。
この証言を、米田憲司氏の著書:『御巣鷹の謎を追う』(宝島SUGOI文庫)
https://goo.gl/uuwskt:から紹介する。
「当機は、陽が長くなった夏の夕日が沈みかけていたころ、機首を北北西に進路を取った。午後7時15分、航空機関士が、1万フィート付近で、雲の下に、煙のようなものが見えるのを発見したので、ゆっくり左に旋回し、そちらへ方向を向けた。御巣鷹山の周辺は、とても起伏が多かった。
地表からおよそ2000フィートまで、降下する許可を得た。墜落機残骸を発見したのは、あたりはだんだんと、暗くなり始めていた時だった。山の斜面は、大規模な森林火災となり、黒煙が上がり、空を覆っていた。時刻は、7時20分だった。
当機の指揮官、ジョン・グリフィンは、墜落機残骸の上空2000フィートで、旋回していた。私は地上との高度をモニターし、横田までの位置関係を、確認した。
8)123便墜落後、およそ20分で、当局は、墜落機残骸の位置を、
つかんでいたのだ ! なぜ、10時間後に捜索したのか ?
事故現場から横田までの緯度、経度、方向と距離を連絡した。墜落後、およそ20分で、当局は、墜落機残骸の位置を、つかんでいたのだ。横田管制から、我々の現在地から、約40マイルの厚木基地から、米海兵隊が、救難に向かう準備をしてることを聞いた。1時間で、到着できただろう。」
「当機は、8時30分まで先回を続けた。そのとき、海兵隊のヘリコプターが、救助に向かっているので、方向を知りたがっている、といわれたので、墜落現場までの方位を教え、当機のレーダーで地上から空中までを探してみた。
8時50分までに救援ヘリのライトを視認できた。ヘリは偵察のため降下中だった。
午後9時5分に、煙と炎がひどくて、とても着陸できないと、海兵隊が連絡してきた。われわれに、司令部に連絡してくれと、頼んできた。私が、司令部に連絡を取った。
将校は「直ちに基地へ帰還せよ」「日本側が向かっている」といったので、「司令部、海兵隊は救助続行を希望している」といったが、「繰り返す。
即刻、基地に帰還せよ。海兵隊も同様」と命令された。私は「了解。基地に帰還する」と応答した。」
C130は、午後9時20分に、最初の日本の飛行機が、現れたのを確認して、現場を引き揚げた。
(*補足説明:C130とは 、ロッキード社が製造している輸送機の事である。)
―この続きは次回投稿します―
(参考資料)
T 米国の日本占領政策と戦後日本・自民党体制の真相 !
1 対米隷属自民党体制:
米国の支援をバックに自民党一党支配体制を構築 !
1)逆コースの占領政策:右翼・米国の支援で、対米隷属・保守政党の結成。
2)アメリカの資金提供等で長期政権を実現
2 米国による日本支配の手駒は、「戦犯」、「検察」、「マスメディア」 !
1) 逆コースの占領政策:
戦犯を対米従属の政治家・官僚・マスコミ・右翼の大物に復活させる
2)「CIAの対日工作員」が幹部になる、検察。東京地検特捜部の前身は、
GHQ(米国)が作った組織。
3)大マスコミと自民党とCIAの深い秘密の関係
日本を反共の防波堤に、米国による日本人「愚民化政策」
・「3R」「5D」「3S」で巧妙に支配 !
「3S」:スポーツ・セックス・スクリーンに夢中にさせる事で、多様な情報を勉強しない、政治・経済等を、思索しない、騙されやすい、国民を育成した。
権力の家来・マスコミの画一的集中報道で、国民を洗脳し、支配する。
暗記教育で、思索・討論できない、思考停止(マスコミ報道鵜呑み度70%・イエスマン)
の国民を育成してきた。
4)日本の裁判所と裁判官の暗黒の実態
最高裁は、裁判官を憲法違反の統制をしている。最高裁のウラ金とウラ取引
日本の第一審有罪率は、99.9%(事実上世界一)の非民主的異常な司法界。
ちなみに先進諸国の第一審有罪率の平均は、約70%である。
★独裁・安倍官邸は、内閣人事局を通じて、検察・裁判所・省庁幹部
日銀・NHK等の人事権を握って、支配している !
U 日本と欧米のマスコミの大きな相違は ?
1) 日本マスコミの特徴・欠点:
米国による日本人支配に協力を約束して、A級戦犯たちが、
復活して、戦後の対米隷属・自民党・マスコミをつくった !
戦後日本の政治・行政・司法・財界・マスコミは、A級戦犯復活体制。
電通:前身は、戦前の軍国主義プロパガンダ機関・裏金工作機関。
戦後復活、有力者の子弟を大量採用、政府ご用達を独占、マスコミを支配。
読売新聞社:無謀な戦争を煽動、正力松太郎は、A級戦犯となる。戦後復活、朝日・毎日などの新聞社をリードし、報道の主導権を握る(山里会、政治部長会議、メモ合わせ)。
読売新聞社・正力松太郎は、3S政策・原発安全神話(原発マフィア)・対米隷属を主導した。正力のコードネームは「ポダム」、読売新聞のオーナーの正力にアメリカ国防省から1000万ドルの借款を与え、全国ネットワークを作らせる。
そして、完成後は、「VOA」による「プロパガンダ放送」と「在日米軍の通信網」として 活用する計画であった。
2) 欧米マスコミの特徴・長所:
各社独自多様な報道。大新聞社はテレビを経営させない。
経営と編集は分離している。
ドイツ、イタリアは、戦犯を権力者に復活させない。
大マスコミが数十社で自由競争、各社多様な情報を国民に報道。
欧米:権力を監視し、国民に真実を伝えることがジャーナリストの存在意義と考える。
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