03. 愚民党 2010年10月03日 02:33:21: ogcGl0q1DMbpk
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--------------------------------------リング式場に800人「前代未聞」 若者たちが黙とうをささげる中、弔いの鐘がカーン、カーンと10回鳴り響いた。1970年3月24日、文京区音羽の講談社講堂。中央に設置されたリング上には、りりしい顔つきの力石徹の遺影があった。力石は漫画「あしたのジョー」で、主人公・矢吹丈との試合に勝ったものの、直後に死んだ丈のライバルである。この日、漫画の登場人物を追悼する前代未聞の告別式に、約800人(一説には600人とも…)ものファンが詰め掛けていた。 力石の告別式を劇作家・寺山修司氏が主宰する劇団「天井桟敷」がプロデュースした。弔辞は「初めは淡々と読み、最後は絶叫しろ」と、弔辞を書いた寺山氏から弔辞を読む劇団員に指示が出ていた。 -*- -*-
団員同士でマガジンを回し読みしていた当時「力石が死んだー!!」と号泣する団員もいた。寺山氏の元夫人で、劇団プロデューサーだった九条今日子氏は「なんでそんな大騒ぎするの」と思ったが、団員が浮足立ってけいこにならない。そのうち、団員の間から「力石の葬式をやりましょう」という声があがったと言う。 数日後、マスコミ各社に告別式の案内状が届いた。劇団員による準備が始まった。後楽園ホールのリングを解体し、トラックで講談社へ運んで、6階講堂まで階段を担ぎ上げた。九条氏は、読経する僧侶を探し回り、6軒目の寺でようやく引き受けてもらった。寺山氏が作った台本が配られたのは、式の直前だったそうだ。 -*- -*- 当日は平日だったが、小中高生に大学生、会社員や公務員の姿もあったそうだ。講堂入り口の祭壇にも遺影が置かれ、参列者が焼香し、読経が流れた。翌月から放映されるアニメ版の主題歌を歌った尾藤イサオ氏が本物のボクサーと模擬試合をした後、歌を熱唱した。 テンカウントの後、「力石徹よ 君はあしたのジョーのあしたであり……」と、静かに始まった弔辞は途中から、寺山氏の時代感情があふれ出てくる。 財閥家の支援も得て花形ボクサーとなった力石を体制社会の権力に見立て、「すべての読者は君がリングの上でいつかは丈に叩きのめされるのを夢みながら 同時に丈は君には決して勝てないのだということを自分の日常生活の中で思い知っていた」と続ける。そして、丈の最大の好敵手の死に悲憤をぶつけるように、「お前を殺したのは誰だ、誰なのだ 力石よ!」と絶叫して弔辞の紙を破り捨てた。 この後、東京キッドブラザーズのメンバーがステージで踊り、会場が一気に華やいだのは時代の混とんとした一断面なのか。よど号ハイジャック犯が「われわれはあしたのジョーである」との内容の声明文を残して北朝鮮へ亡命したのは、この1週間後だった。 やがて学生運動も下火になった。告別式は、何かに向かう若者のパワーと時代が共鳴して生まれたイベントだった。今、力石が死んでも、あんな式は開かれないだろう。
(2006年11月27日 読売新聞)引用 http://www4.kcn.ne.jp/~fkdmsm/joe/index.html
--------------------------------------- ●わたしは当時まんが家をめざしていたまんが高校生だった。 少年マガジンに掲載された「明日のジョー」のコマをよく模写していた。 寺山修司が「力石徹の追悼集会」をやる記事、新聞配達のときに読んだ新聞記事か少年マガジンで読んだのかは忘れてしまった。 青春小説を書いていた富島健夫がスポーツ新聞にエロス小説を連載していて、毎朝それを読みながら新聞配達をしていた。たぶん、「力石徹の追悼集会」の記事はスポーツ新聞で読んだのだと思う。 |