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2010-06-22 15:20:17
学歴社会の本当の弊害
テーマ:徒然記
朝病院に行ってみると、昔診ていた患者さんが事件を起こしたことを知る。被害者も私の元患者さんである。ずいぶん前に、外来だけでは診きれないと紹介したのであるが、きわめて後味が悪い。
ただ、自分が診ている最中に事件になっていれば、私を嫌いなマスコミは、偉そうにいってヤブ医者とか袋叩きにするだろう。
ただ、日本の精神科医療は、昔は閉じ込めすぎだったが、今は、かなり問題のある患者さんでも入院が難しくなっている。なんで日本は極端から極端なのだろうというのは、率直に思う。
昨日のブログで言いたかったのは、私が異論を書き続けるのは、自分の言うことが正しいと言いたいわけでなく、巷の意見がワンパターンでステレオタイプなので、ほかの意見をもっと知ってほしいという考え方からだ。セカンドオピニオンと考えてほしいが、権威主義の人間は、肩書のある人の書いたものは正しいと思い、そうでない者は、信じない人があまりに多い。
さて、昨日勉強の意味を書いたが、「学歴社会」の功罪をときどき考える。
「学歴社会」と書いたのは、各種調査でみると、日本ほど学歴と所得などの相関関係が低い国が少ないそうだからだ。確かに昔の長者番付などをみると、たたき上げの経営者や地主などが圧倒的に多かった。あとはせいぜい田舎の医者だった。
しかし、世間は学歴社会と信じていた。そのため、たとえばたけしさんの母親のように家がペンキ屋で生活が苦しくても子供には勉強をさせた(たけしさんに聞いた話では、彼は開成中学を受験したそうだ。貧しい層でも、子供のために私立学校の受験をさせていたのだ)。
これが日本人全体の教育レベルのかさ上げにつながった。
フィンランドでは、少子化対策にまず教育を行ったそうだ。労働者の数が減るなら、その生産性を上げればいいということだ。
ところが日本では、子供の数が減ることで、受験競争が緩和された。
その上に、学歴社会へのルサンチマンが災いした。
昔のことは知らないが、今の学者の権威主義を見ても、昔は高学歴の人間が威張り、横柄な態度をとっていたのだろう。実際、役人や学者の給料が安いのだから、威張ることでバランスをとっていたのかもしれない。
結果的に、高学歴者を嫌う人間が増え、勉強をすること、受験勉強をすることに批判的な人間が増え、その上に少子化で大学入試や高校入試が簡単になったから、日本人の学力レベルが下がった。
学歴社会の発想では、学力が低くても学歴が高ければいいのだから(そういう考えだから、金持ちの子は、小学校から大学までつながっている学校に入れて、ろくに勉強させない)、少子化である程度の学歴が簡単に手に入るようになると学力のほうは下がってしまう。
結果的に、「学歴社会」が逆に働いて、日本は東アジアでいちばん若手の平均学力と下半分の学力の低い国になった。
当然、生産性もあがらない。
日本の病理は、子供の少なさ以上に、若者層の生産性の低さなのである。
もう一つの学歴社会の罪は、学歴社会の批判者が次のビジョンを示さなかったことだ。
学歴社会が崩壊すれば、放っておけば、お金をもっている人ほど偉い社会になるか、世襲社会になるのは必然と言っていい流れだ。
しかし、いったんそうなってしまうと、さらに一般の人の学習動機が奪われる。
いつになったら勉強の国、知的レベルの高い国に戻れるかは、余計なお世話かもしれないが、私の頭痛のタネなのである。
もちろん、これは自分の子供さえよければいいという問題ではない。
いったん三等国に落ちてしまうと、勉強ができる人の生きる道は海外移住しかなくなるからだ。
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